催眠おじさんのダンジョン無双~「俺は最強」と思い込んだら、本当に最強になってしまった~ 作:ぽんたぬ
「いいか。今日は第一層管理区域の清掃と廃材回収だけだ。白線の外へ出るな。モンスターを見つけても、勝手に動くんじゃないぞ」
引率者の太い声が、誰もいない地下駅に響いた。
電車の来ない線路。
錆びた改札。読めない文字が流れる案内板。
天井の照明はところどころ切れており、遠くから古い発車音だけが聞こえてくる。
ここは《特別管理迷宮第十二号・大宮第一迷宮》。
通称、大宮ダンジョンの第一層だ。
「はぁ、どうして俺がこんな目に……」
俺――羽倉司を含む十数人の迷宮労働者は、同じ灰色の探索服を着てホームへ並んでいた。
無精ひげを生やした男。
姿勢だけは良いが両手を震わせている中年。
探索服の下にジャージを着込んだ太った男。
誰一人として、命懸けで未知の迷宮へ挑む勇者には見えない。
(俺だけが特別に落ちぶれているわけじゃないのか)
少しだけ安心したが、無職集団の中で普通でも何の自慢にもならなかった。
頭上の大型モニターが明るくなり、爽やかな音楽が流れ出す。
『馬鹿とニートはダンジョンに行け~!』
白い歯を見せた中年探索者が、満面の笑みで拳を突き上げていた。
『五年前、世界各地で存在が公表された《特異地下迷宮域》、通称ダンジョン! 内部には危険なモンスターが存在する一方、医療、発電、建築などに役立つ貴重な資源が眠っています!』
画面の中では、立派な装備を身につけた探索者たちが、光り輝く鉱石を抱えて笑っている。
『しかし、資源回収を担う人手はまだまだ不足しています。そこで誕生したのが《長期無業者迷宮就労適正化法》です!』
三年以上、就労、就学、職業訓練の実績がない者を、比較的安全な浅層での清掃や運搬へ従事させる制度。
通称、ニート迷宮法。
そして三十六歳、職歴なし、引きこもり歴二十年以上の俺は、立派な対象者だった。
画面では、元無職らしい若い男女が笑顔で廃材を運び、最後には剣を持ってモンスターを倒している。
『ダンジョンで人生を再出発! 君の働く場所は、地下にある!』
(映像の元ニート、全員若くて健康そうじゃないか。本物の引きこもりを甘く見るなよ)
俺は手入れしていない黒髪に無精ひげ、長年の運動不足で腹も出始めている。事前訓練では体力、武器の扱い、ダンジョン耐性のすべてが最低評価だった。
だが、訓練と本番は違う。
(ゲームでも、最初に弱い奴ほど後から覚醒するからな。俺はまだ、本気を出していないだけだ)
「作業開始!」
引率者の号令で、資材箱を運ぶ班と清掃班に分かれる。
俺は重そうな箱を避け、素早くゴミ袋を手に取った。
(楽をしたいわけじゃない。適材適所だ。腰を痛めたら、かえって国の損失になる)
床に落ちた紙くずや金属片を拾う。
胸元には、安全監視と作業記録を兼ねた配信端末が取り付けられていた。俺たちの姿は、公式配信サイト《DIVE!》で生中継されている。
『三十六歳、職歴なし、腹はタプタプ』
『ベテランニートやんけ』
『モンスター出たら、こいつ絶対逃げるぞ』
(好き勝手言いやがって。安全な部屋から見ている連中に、俺の何が分かる)
どうでもいいと思いながら、無意識に腹を引っ込める。
幸いなのか、しばらく作業を続けても、モンスターは現れなかった。
(ふぅ。ここは低層だからモンスターも滅多に出ないっていうし、チョロい仕事だぜ……)
そう考えた直後、線路の奥から金属を削る音が響いた。
(おいおい、まさか……)
暗闇から、トラックほどのデカさの黒い獣が姿を現す。
体毛の間から銀色の骨が露出し、四本の脚には車輪状の爪が生えていた。
「レールハウンドだ! 全員、その場で隊列を組め!」
引率者が叫ぶ。
レールハウンドの頭が、こちらを向いた。
(いや、無理だろ! 普通の犬だって怖いのに、あんなデカい犬と戦えるか!)
考えるより先に、身体が動いた。
俺はゴミ袋を投げ捨て、仲間を置いてホーム脇の通路へ逃げ込む。
「羽倉、待て! そいつは線路から出られない!」
(そんな大事な情報は、もっと早く教えてくれ!)
実際には追われていなかったが、振り返る余裕などない。
必死に走るうち、胸が苦しくなり、頭痛と吐き気が強くなる。腹の中まで激しく動き始めた。
(まずい。運動不足と虚素酔いが……!)
虚素はダンジョンに漂う瘴気みたいなものだ。奥深くに行くほど濃くなり、人間に害を及ぼしてくる。
ついに足がもつれ、床へ転倒した。
衝撃を受けた瞬間、下腹部から力が抜ける。
探索服の股間が、じわりと温かくなった。
「……嘘だろ」
配信端末のコメントが一気に加速する。
『漏らした!?』
『三十六歳児』
『大宮の失禁王かよ、可哀想だし投げ銭してやろうぜ』
投げ銭の通知音まで鳴り始めた。
(待て待て。三十六歳の初仕事で、全国へお漏らしを公開したのか、俺は?)
羞恥に耐えながら立ち上がろうとし、腹へ力を込める。
今度は尻の方から、さらに嫌な感触が広がった。
(まさか、そっちまで……?)
俺は完全に動きを止める。
「最悪だ……死んだ方がマシだ……」
その直後、足元に亀裂が走った。
「え?」
弱っていた床が崩れ、俺の身体は暗闇へ落ちていく。
腰から下へ強い衝撃が走った。
骨が砕け、崩れた資材が腹部へ突き刺さる。叫ぼうとした口からは、血しか出なかった。
瓦礫に塞がれた穴の向こうで、誰かが俺の名前を呼んでいる。
だが、返事をする力もない。
動かなくなった両脚の周囲へ、半透明の青い塊が集まってきた。
(確かコイツは、清掃スライム……)
死骸や排泄物を分解する、迷宮最弱の掃除役。健康な人間を積極的に襲うことはない。
(よかった。こいつなら大丈夫だ)
一匹のスライムが、汚れた靴を包み込んだ。
靴底が溶け、熱い消化液が足の皮膚へ達する。
「ぎゃあああああっ!」
心拍も体温も低下した俺は、生きた人間ではなく、汚物にまみれた死体だと認識されているらしい。
右足の皮膚が剥がれ、肉がゆっくりと溶け始める。
胸元の端末に《生命反応消失中》の文字が浮かんだ。
「待て……俺はまだ、生きてる……!」
命乞いは通じない。
配信が切れる直前、無数の清掃スライムが俺の下半身へ群がった。
俺は最弱のモンスターに負けたのではない。
最期まで敵とすら思われず、迷宮のゴミとして処理され始めていた。