催眠おじさんのダンジョン無双~「俺は最強」と思い込んだら、本当に最強になってしまった~ 作:ぽんたぬ
「バカかお前は。アイツはどう見ても、腹の膨れたゴブリンだ」
澪がリボルバーを向けた先には、服を破られた若い女が倒れていた。
長い黒髪は乱れ、白い肩には擦り傷がある。怯えた瞳から涙を流し、俺へ助けを求めている。
「ゴブリンの要素が一つもないぞ」
「緑色の皮膚、尖った耳、膨れた腹。どこから見てもゴブリンだ」
「それは澪の嫉妬では?」
「今すぐお前のことも撃ちたくなってきた」
女が震える手を伸ばす。
「お願い……その怖い人から、私を守ってください」
胸の奥が強く騒いだ。
助けなければならない。
この女を抱き起こし、安全な場所へ連れていかなければならない。
澪が引き金へ指をかけたので、俺は反射的に銃口の前へ立った。
「助けを求めてる人へ銃を向けるな」
「お前を巣へ誘っているモンスターだ。甘い香りに認識を狂わされているんだろう」
そう言われて、周囲に漂う匂いへ気づいた。
花と果物を混ぜたような甘い香りだ。
そういえば、先ほどダンジョン内に転がっていた胸当てにも染みついていたような。
「息を止めろ」
言われた通り呼吸を止める。
しかし女の姿は変わらない。
それどころか、助けたいという気持ちは強くなっていく。
「駄目だ。まだ美女に見える」
「ちっ……スライムは皮膚で呼吸をすると言うし、お前の身体も皮膚から空気を取り込んでいるのかもしれない」
「息を止めるだけでは防げないのか。便利な身体にも欠点はあるんだな」
「今まで欠点しか見ていない気がするが!?」
女は立ち上がると、足を引きずりながら通路の奥へ逃げ始めた。
「こっちです。仲間も捕まっているんです」
「待て!」
追いかけようとした俺の上着を、澪が背後からつかむ。
「行けば失踪者と同じ運命を辿るぞ」
「でも、あんな美女に助けを求められたら、男として放っておけない」
くそっ、本能に抗えない!
俺はどうすればいいんだ……!!
俺は自分の頬を両手で挟んだ。
「そうか……!」
美女に見えるのなら、そのままでいい。
見えないものを見ようとするから迷うのだ。
「俺は最強の探索者だ。美女の見た目でも中身が敵なら倒せる」
言葉を繰り返すと、胸を締めつけていた焦りが少し弱まった。
女は相変わらず美しい。
それでも、澪が敵だと言うなら敵だ。
背中から一本のナイフを抜き、逃げる女へ投げる。
「悪いな、敵なら死んでくれ!」
銀色の刃は曲がりくねった軌道を描き、女の額へ突き刺さった。
倒れた身体が一瞬だけ揺らぐ。
そこにいたのは、澪の言った通りだった。
緑色の皮膚と尖った耳、異様に膨れた腹を持つ小柄な雌ゴブリン。
「本当にゴブリンだった……」
「だから言っただろう! って、なんでちょっと残念そうなんだよお前は」
「だって美女を助けたら、ワンチャン、えっちなお礼をしてもらえたかもしれないだろ?」
「どうしてお前はそういう下心しかないのだ!!」
澪は俺の背中へ戻ったナイフを、奥まで強く押し込んだ。
「痛い! 今のは愛情表現か?」
「装備の収納を手伝っただけだ」
倒れた個体の近くには、細い足跡が残っていた。
「で、俺たちはどうするべきだと思う?」
「行方不明者が出ているんだ、このまま放っておくわけにもいくまい。可能なら駆除しておきたいが……」
「だよなぁ」
俺たちは甘い香りを追い、狭い通路の奥へ進む。
やがて岩壁の亀裂を抜けると、小さな空間へ出た。
清潔な布を敷いた寝台に、痩せた男が横たわっている。頬はこけ、両脚には何重にも包帯が巻かれていた。どうやら骨折しているみたいだ。
「あの見た目……ニュースになっていた、行方不明の探索者だな」
たしかに公表されていた画像の男性と見た目は一致している。まぁ、だいぶボロボロの姿ではあるが。
そしてその隣では、柔らかな表情をした女が、男の口へ匙で食事を運んでいる。
「おい、まさかあの優しそうな美女も……」
「そうだ。男の隣にいるのは《世話焼きゴブリン》だろう」
なんてこった……俺には、献身的に病人の看病をする美女にしか見えない。
「なんだか幸せそうに見えるんだが……」
「だがこのままでは殺される運命だ。さっさと助けてやろう」
澪が近づくと、寝台の男が隠し持っていたナイフを抜き、震える脚で立ちはだかった。
「彼女に近づくな!」
「待て、私たちは救助に来たんだ」
「助けなんて必要ない! 俺たちは愛し合っているんだ!」
澪の視線が男の脚へ落ちる。
包帯の隙間には、骨を折られては治療された古い傷が、何本も残っていた。
世話焼きゴブリンが男の背後から抱きつく。
俺には優しく支えているように見えた。
「ていうか美女に世話してもらえるなんてズルいぞお前! 俺なんかダンジョンで死にかけた時はスライム喰って自力で脱出したのに……」
「私には醜いゴブリンにしか見えないが、それでもいいのかお前……」
「俺は他人の評価は気にしない! 自分で見たものが真実、たとえそれが不細工なゴブリンだろうと、俺は美女とイチャイチャしたい!!」
「きっしょ……」
澪には違うものが見えているらしい。
「はぁ、なにはともあれ彼を放置するわけにもいかんだろう。司、男を押さえろ」
俺は腕を粘体へ変え、暴れる男の身体へ巻きつけた。
するとすかさず、澪が世話焼きゴブリンの額を撃ち抜く。
美女の姿が消え、血を流すゴブリンが床へ倒れた。
「ああああ!」
男は俺の腕から逃れようと暴れ、倒れたゴブリンへ手を伸ばした。
「何をした! 彼女は俺を愛してくれていたんだ!」
「アンタの脚を折ったのもきっと、その女だぞ。っていうか殺したのに催眠は解けてないのか?」
「俺がダンジョンで危ない目に遭わないように、歩かなくていい身体にしてくれたんだ!」
甘い香りが、通路の奥からさらに濃く流れてくる。
男の目が大きく開いた。
「帰らないと……」
俺の腕へ歯を立て、必死に身体をねじる。
「ちっ、あの匂いを深く嗅ぐと催眠が解けにくいみたいだ……」
「お前も見てみろ! あそこで彼女たちが待ってる。俺の子供もいるんだぁああ!」
「おいおい、マジかよ……」
男が指さしたその先。
暗い通路の奥から、何十人もの女が笑うような声が響いた。