催眠おじさんのダンジョン無双~「俺は最強」と思い込んだら、本当に最強になってしまった~ 作:ぽんたぬ
私の名前は雨宮澪。二十九歳、無職。
もっと詳しく言えば、元陸上自衛官で、迷宮災害対策部隊に所属していたこともある無職だ。
過去の実地試験で仲間三人を失って以来、銃声や悲鳴を聞くと身体が動かなくなった。自衛官を辞めたあとは外へ出ることも難しくなり、そのまま三年以上働けずにいた。
結果、《長期無業者迷宮就労適正化法》の対象となった。
ダンジョンがトラウマとなった人間を、原因となったダンジョンへ送り返す。私には理解できない制度だが、審査担当者は元自衛官という経歴と体力測定の数字しか見なかったらしい。
今日は、二度目の迷宮就労だった。
「澪さんがいるなら、今回は生きて帰れそうです」
大宮第一迷宮へ入る前、佐伯奈々はそう言って笑っていた。
肩で切り揃えた明るい茶髪と、小柄な身体。
灰色の探索服は少し大きく、袖から出た手で装備を何度も確かめている。
奈々も私と同じ無職だった。
保育士として働いていたが、職場で問題の責任を押しつけられて退職し、その後は家から出られなくなったという。
「私を当てにするな。自分の命は自分で守れ」
「分かっています。でも、澪さんがいると安心するんです」
「安心する前に、腰の留め具を締めろ。外れかけている」
「あ、本当だ。ありがとうございます。えへへ、澪さんって頼れる彼氏みたい……」
私は奈々の留め具を締め直した。
誰かを守れるとは思っていない。
それでも、目の前で危険に気づいてしまえば放っておけなかった。
今回の作業は、第一層で資材を回収して帰るだけの予定だった。
帰還途中、頭上の案内板に《零番線》という文字が浮かぶまでは。
「地図にないホームだ。止まれ!」
私が声を上げた直後、背後の通路が壁へ変わった。
通信も途切れ、引率者は焦った様子で零番線へ進むよう命じる。
「ここに留まる方が危険だ。全員、前へ進め!」
「待ってください。安全確認が先です」
「時間がない!」
引率者がホームへ踏み込んだ瞬間、天井から緑色の小鬼が落ちてきた。
錆びた刃が引率者の首を裂き、断末魔を上げる間もなく血が噴き出す。
誰かの悲鳴とともに、線路の奥から銀色の骨を露出させたレールハウンドが走ってきた。
私は銃を抜いた。
仲間を逃がさなければならない。
分かっているのに、引き金へかけた指はカタカタと震えるだけで引くことができない。
目の前の惨状が、仲間三人を失った迷宮と重なる。
血の臭いも、助けを求める声も、あの日と同じだった。
「澪さん、下がって!」
奈々が消火器を振り回し、迫っていたジャンクゴブリンを殴り倒す。
その声で、私は現在へ引き戻された。
「全員、壁際へ移動しろ! 走らず、まとまって動け!」
銃撃で退路を作り、奈々とともに参加者を誘導する。
あと少しで安全な通路へ届く。
その時、別の線路からレールハウンドが飛び出した。
「げふっ……」
「奈々!」
牙が奈々の腹部へ食い込んだ。
私が撃って獣を追い払った時には、探索服が血に染まり、裂けた傷から内臓が見えていた。
「私を置いて……逃げてください」
「黙れ。全員連れて帰る」
奈々の腕を肩へ回す。
だがジャンクゴブリンたちが彼女の脚へ飛びつき、反対側へ引っ張った。
私は両手で奈々の腕をつかんだが、血で滑り、指が少しずつ離れていく。
「澪さんは、生きてください」
最後の指が外れた。
奈々の身体が群れの中へ引きずり込まれ、悲鳴が響く。
私はまた、仲間を救えなかった。
残った参加者も、一人ずつ殺されていった。
「誰か助けてくれ!」
私の前方を走っていた男の首に、ゴブリンの刃が突き刺さった。
このエリアに残ったのは、もう私一人になっていた。
弾倉は空。
負傷した右腕は上がらない。
線路の奥から、巨大なレールハウンドが迫ってくる。
(また、私ひとり……いや、今度こそ私も死ぬのか)
獣がホームへ跳び上がった。
その瞬間、頭上から一人の男が落ちてきた。
男の両脚がレールハウンドの頭を踏みつけ、床へ叩き落とす。
着地の衝撃で脚が潰れ、半透明の青い粘体へ変わった。だが粘体はすぐに集まり、人間の脚へ戻っていく。
汚れた探索服。伸びた黒髪。無精ひげに覆われた顔。
私は、その男を知っていた。
自分と同じくニートでダンジョンに送り込まれた男。一か月前、失禁と脱糞を全国配信され、清掃スライムに食われて生命反応を失った羽倉司だ。
「どうして……お前が生きている?」
男は答えず、倒れたジャンクゴブリンの腕へ噛みついた。
肉を食いちぎるたび、身体の傷が塞がっていく。
「最強の探索者には、こいつらの動きなんて全部見えている」
迫るレールハウンドをかわし、伸ばした脚で二匹を絡め取る。そのまま互いに衝突させ、線路へ叩き落とした。
奪った棍棒でゴブリンを倒し、また肉へ噛みつく。
残ったモンスターたちは、羽倉司から逃げるように暗闇へ消えていった。
口元の血を袖で拭い、彼が私を振り返る。
「安心しろ。俺は最強の探索者だ」
私は空の銃を向けた。
命を救われたはずなのに、目の前の男が、この迷宮で最も危険な生物に見えた。