後世の歴史家いわく、俺は面従腹背の成り上がり復讐者らしい 作:トマトルテ
帝都ロンベルクに向かう馬車の中。
俺は向かいに座るシェーネの顔を見て、重々しく口を開く。
「なぁ、シェーネ……お前、もしかして太ったか?」
「あら、手が滑ってナイフがクラウスの顔の横に!」
久しぶりに会ったシェーネの顔が、少し丸みを覚えていることを指摘したら、俺の顔がナイフで削られそうになってしまう。
しかし、その程度のことでビビるようでは医者は務まらない。
痛みや苦しみで発狂して暴れる患者を、無理やり抑えつけたりするのも仕事なのだから。
「誤魔化すなよな? 明らかに太ってるぞ、お前。体も全体的にムチってしてるし」
「やだ……体がムチムチだなんて……クラウスったらイヤらしい。エリザ、クラウスが私をエッチな目で見て来るわよ?」
「クラウスはお医者さんだから、そういう所で冗談は言わないよ」
「……フ」
全体的にムチムチとしている体を、抱きしめるようにするシェーネだったが、エリザの言葉に止めを刺される。
肥満は大病の元だ。
しかも、急激な太り方は体への負担が大きい。
医者として、一応は忠告しておくべきだろう。
「体動かして働け。それで大体解決する」
「しょうがないじゃない……ヒンデンブルクで厄介になっている間は、良い物ばかり食べられるんだし。それに、一度裏切った手前、あんた達以外に仕事をくれる人間も居ないんだし」
「
そっと真紅の瞳を逸らすシェーネの横で、クラウディアが呆れたような顔をしている。
そう言えば、クラウディアは毎日良い物を食べてるけど、スタイルを完璧に維持しているな。
その努力をどうして婚活に向けないのだろうか?
いや、むしろ必要以上に頑張り過ぎて妥協を許さないから、行き遅れになっているのか。
「ただ、お仕事に関しては……これから転職も可能になるかもしれませんわよ」
「転職が? 前にシェーネに聞いたけど、奴隷の印がある限りは奴隷の主との面倒ごとに巻き込まれたくないから、誰も雇ってくれないんじゃなかったか?」
「ええ、ですから、その主から完全に脱却するチャンスが、巡って来たかもしれないのです」
「シェーネの元主、確か……」
俺は思い出す。
伯父のラインハルトが、言っていたことを。
シェーネ契約上の主であり、ヴィクトワール家を冤罪に追いやった一人の名前を。
「ハイムバッハ・フォン・ビューレンベルク。ま、クソ主だったわよ」
そう言って、シェーネは大きくため息を吐いて見せる。
「因みに、クソな部分は聞いていいやつか…?」
トラウマとか、触れられたくない黒歴史だったら、困るので確認を取る。
奴隷特有の性的な暴行とかだったら、正直目も当てられない。
「ん? ああ、純粋にスパルタ過ぎるのよ、あいつ」
「スパルタ?」
「私に『貴様には才能がある』とか言って、四六時中特訓をさせてきたのよ? 何時間も湖に叩き込んで泳がせたり、冬山の中でナイフ一本で生き延びろとか、無茶を言ってきたり。組み手を気絶するまでやらされたり。とにかく、クソみたいな特訓をやらされたわ……まあ、途中で逃げだしたけど」
ゲッソリとした顔で、過去を思い出す、シェーネ。
なんと言うか、まあ……最悪のケースでなかっただけ、マシと言うべきか。
本人はそりゃあ、辛かったのは間違いがないだろうが。
「それで……主から完全に脱却するチャンスって、どういうことですか? クラウディアさん」
「ビューレンベルク家も当然ですが、この度の
クラウディアが、エリザの疑問に丁寧に答えていく。
「つまり、このタイミングであれば、他のことは脇が甘くなっているはず。その隙に、ヴィクトワール家を冤罪にはめた証拠でも、見つけ出すことが出来れば家を取り潰せます。そうなれば当然、奴隷の印も効力を失います。シェーネさんもこれで晴れて自由の身です」
「で、ある程度、相手を知ってる私が大会中にビューレンベルク家を探るのが、ラインハルトの立てた作戦ってわけ」
「伯父上ガチだな……」
確固たる証拠を、何が何でも掴むつもりだ。
あまりの復讐ガチ勢っぷりに、思わず引いてしまう。
なんか、当事者の俺より熱量が凄くないか…?
「そう言えば、伯父上はどこに?」
「お父様は
そうか、ラインに居た関係で合流するのに時間がかかるから、先に行ってるのか。
伯父上も気が早いと言うか、少し短気と言うか。
そんなことを考えていると、エリザがおずおずと口を挟んでくる。
「ヴィクトワール家の冤罪……クラウスの実家だよね」
「ええ……そして、あなたの義理の親にも当たります、エリザさん」
俺の実家。
すなわち、エリザにとっても義理の親の仇になるのだと、クラウディアが刷り込む。
エリザの表情が、重く暗いものに変わっていく。
……ダメだ。わざわざ、エリザをそんな表情にさせてまで巻き込む必要はない。
「エリザ。お前が俺の家族のことを、気にする必要はないからな?」
「え? でも……」
「俺は死んだ家族より、生きているお前の方が大切だ」
「あら、クラウス。そんな啖呵を切れるなんて、あんたいい男じゃない」
「茶化すな、シェーネ。俺は真面目だ」
ここで、有無を言わせずに断言しておく。
転生した俺が言うのもなんだが、死んだ人間にいつまでも縛られていてもしょうがない。
まずは、生きている人間を大切にするべきだろう。
というか、死んだ家族にそこまで思い入れが無いので、エリザの方が圧倒的に大切なのだ。
「そういう訳だ、クラウディア。俺はともかく、エリザまで変に巻き込もうとするなよ?」
「クラウス、あなたは……悔しくはないのですか? 両親と兄達の仇を取りたくないのですか?」
「『復讐は神に任せろ』って言うだろ? 相手がこっちに来ないなら、勝手に神様が天罰を下してくれるのを待つさ」
「……そう言えば、あんたは教会育ちだったわね」
耳にタコが出来る程聞かされた、聖書の一説を唱える。
一応は、10年間も教会で過ごしていたのだ。
面倒ごとに巻き込まれないように、神の教えを前面に押し出せたりもする。
この世界、中世的価値観だけあって、神の教えを出すと結構な効果のあるカードになる。
巌窟王の主人公も、神の教えと復讐心の間で滅茶苦茶悩んでいたしな。
「クラウス……分かりました。エリザさんには、出来る限り私達の事情に関わらせないようにします。今回の大会も、エリザさんには純粋に健闘をお願いしましょう」
「えっと……はい、頑張ります!」
クラウディアは少し悲しそうな顔をするが、それ以上は何も言わなかった。
ただ、最後に小さく、優しい声で呟く。
「……あなたには神の慈悲の心が息づいているのですね。あなたを育てた方に感謝を」
いや、ぶっちゃけると復讐とか疲れるだけで、面倒くさいからです。
『クラウスの慈悲の心は深く、私に自らの復讐心について考えさせた』
クラウディアの回顧録には、以上のように記されている。
復讐心とは、自らの叔母や従兄弟達を冤罪で奪われたことだろう。
では、クラウスの慈悲の心とは何か?
文脈から読み解けば、これはクラウスが一度は復讐相手を赦そうとしたという事実に他ならない。
稀代の復讐者。断罪の申し子。
後世でそのように語られるクラウスが、そうした心持だったというのは重大な発見であった。
しかしながら、歴史は嘘をつかない。
クラウスがきっちりと家族の復讐を遂げているのは、読者の方々にとっても周知の事実。
ミュンヘン伯爵に対しての仕打ちも見れば、敵対すれば情け容赦なく、死後の名誉すら奪い取る。
だというのに、クラウディアの述べる優しさは、彼の性格に大きな矛盾が生じさせてしまうように見える。
神を信じ、赦しを与えようとした心優しき聖職者。
復讐心を身内にすら巧妙に隠し、最後の瞬間まで面従腹背を貫いた冷徹な復讐者。
どちらが本当の彼の姿なのだろうか?
多くの歴史家達が、そう考えてきた。
もちろん、私もそのうちの一人である。
そして、私はある一つの結論を導き出した。
それは、どちらも彼の本心であるということだ。
卑怯な回答かと思われる方もいるだろう。
しかしながら、人間の心というものは複雑怪奇。
常に矛盾をはらんだ存在だ。
クラウスは神を信仰し、生まれ持っての慈悲の心を持ち合わせていた。
同時に、決して忘れ得ない復讐心も持ち続けていた。
きっと、冤罪の憂き目に遭わなければ、生涯この二面性に目覚めることはなかったであろう。
ある意味で、一種の二重人格と呼べる状態かもしれない。
復讐を望みながらも、持って生まれた善良さと神の教えの狭間で苦悩する。
想定外の犠牲が出てしまえば、自らの正当性に揺らぎを感じ、うろたえてしまう。
こうした矛盾こそが、彼を新たなる
実際に、クラウスは複数の記録で基本的には、族滅などの無関係の人間まで巻き込む罰は嫌っていたと残っている。
これは、クラウス本人が皇后カトリーナに憐れみをかけられたことで、生き延びたことに起因していると考えられる。
だからこそ、クラウスにとっての復讐は、あくまでも自分達を貶めた直接の相手に絞った行為なのだろう。
これは現代人からすれば、納得の出来る価値観であるが、当時にしては非常に珍しい。
まるで聖人のような慈悲深さである。
恐らくは、長い教会生活の中で、敬虔な教徒として身に着けたものなのだろう。
こうした慈悲深さの結果は、歴史においては大きく二つ別れることが多い。
一つ目は、中途半端な優しさがクラウスのような火種を残し、後に大火に変わること。
二つ目は、大海のような愛で全てを包み込み、かつての敵ですら従える様な大器になること。
前者がヨーゼフであり、後者がクラウスであった。
復讐者と聞けば、冷徹な人間をイメージするかもしれない。
だが、逆だ。
復讐者ほど、愛情を持っていると証明できる人間はいない。
そもそも、復讐を誓う人間が愛情深くないわけがないのだ。
家族を愛していたからこそ、報復を行う。
愛情が深いからこそ、終わったことと切り替えることが許されない。
深すぎる愛故に、まるで呪いのように愛する者の死が脳裏にこびりつく。
つまり、クラウス・フォン・ヴィクトワールは誰よりも愛情深い人間だったからこそ、復讐者になった。
だが、愛故に、誰も彼をも巻き込む、復讐鬼にはならずに済んだのである。
もしも、彼の復讐が正当性を失うようなものであったのならば。
もしも、彼が復讐でありとあらゆるものを利用するような性格であったのなら。
きっと、クラウスは後世に、世界で最も有名な復讐者として名を残さなかったであろう。
誰もがその正当性を疑うことなく、そして素直に応援できる過程であったからこそ、クラウスは犯罪者ではなく、断罪者として語り継がれることになったのだ。
そして、ときには仇の一族であっても、救いの手を差し伸べることを厭わなかったクラウスだからこそ、クラウディアも自身の復讐心について深く考えたのであろう。
いずれにせよ、クラウスという人間が冷静で冷徹な復讐者ではあると同時に、普段は優しく、慈悲深い人間だったことは疑いようのない事実である。
「エリザ・ミュラー? 平民な上に女を帝国一武道会の代表にしたのか? ははは! こりゃあ、奇特な場所もあったもんだぜ。せいぜい、その女が事故って死なないように、神に祈っておくんだな? 女を殺したとあっちゃあ、こっちも寝覚めが悪い。恥かく前に尻尾を巻いて逃げるんだな」
「取り消せよ……今の言葉!」
野郎、ぶっ殺してやる。
帝国一武道会の予選会場。
受付のために来た俺達だったが、なんかロン毛っぽい奇特な髪型の奴が、エリザの悪口を言ってきたので、思わず飛び出しそうになる。
ここに居るってことは、貴族の関係者か代表だろうに、口のなってない奴だ。
外科は専門外だが、口を縫い合わせてやろうか?
「挑発に乗ってはいけません、クラウス」
しかし、針を持って勇む俺の肩を、クラウディアにガッチリと掴まれてしまう。
「クラウディア! 何で止める!?」
どうして止めるのかと、恨めしい目を向けるが、クラウディアは優雅にほほ笑むだけ。
普段は意識しないが、まさに貴族の令嬢といった実に落ち着きのある振る舞いだ。
やはり、俺とは価値観の違う世界で生きて来たせいだろうか。
「あのような低俗な挑発に乗ってはいけませんわ。こうした場では、この程度の野次や軽口はあって当然のたしなみ。あなたもヒンデンブルク家の代表として、ここに来たのですから、試合ではなくこうした場でしか目立てない弱者の戯言など、笑って受け流しなさ──」
「ヒンデンブルク? てことは、行き遅れのクラウディアか。女のくせに、神聖な決闘の舞台にしゃしゃり出て来るなよ? たく……女を代表にするなんざ、自分の家の名を地に落とす行為だぜ」
「──さて、処しますか、クラウス。今のは少々口が過ぎますので。責任は
イエス、マイシス!
肩に置かれたクラウディアの手が、今度は行けとばかりに俺の背中を押す。
やはり、持つべきものは理解のある姉上だな!
安心しろ、ロン毛野郎。
ボコボコにした後に、しっかり治療はしてやる。
「二人共乗るな! そもそも、あんたは大して強くないでしょ、クラウス!!」
「そ、そうだよ。アタシは全然気にしてないし……犬に吠えられて吠え返したりしたら、人として恥ずかしいよ?」
そんな俺達を止めるのは、シェーネとエリザという、武力担当者達。
当然、力で俺が勝てるわけもない。
飼い主に首輪を引っ張られる犬のように、ずるずると後ろに引き戻される。
「おいおい、こっちを犬扱いかよ。全く、これだから教養のない女は……これでも、俺は心配して言ってやってるんだぜ? 女はこんな所に出てこずに、大人しく家で家事でもしてるんだな。でないと、その可愛い顔に傷がついちまうぜ?」
「ほら、クラウスにクラウディアさん、もう行こう?」
ガン無視。
本当に犬の声など一切気にしないように、エリザは視線すら向けずに背を向ける。
まるで、そんな罵倒は挨拶にもならないぞとばかりに。
しかし、ロン毛野郎は何か意図でもあるのか、しつこく食い下がってくる。
「おい! 無視してんじゃねぇぞ、女! 代表に選ばれたからって、女が調子に乗ってんじゃ──」
「──女、女、さっきからうるさいな」
──轟音。
ロン毛野郎が、容赦なく石畳に顔面を叩きつけられる音。
「……誰?」
その音に反応して、初めてエリザがロン毛野郎の方に視線を向ける。
すると、そこに居たのは、ロン毛野郎だけではなかった。
「女の代表を馬鹿にするということは、私の──ビューレンベルク家への宣戦布告と見ていいな?」
白銀の髪。
雪のように白い素肌に、輝く銀の鎧。
鍛え抜かれた肢体。
そして何より目を引くのは、エリザと同じ色の黄色の瞳。
「ビューレンベルクということは……マチルダ・フォン・ビューレンベルクですわね」
「え! ビューレンベルク? うわ、隠れておこ」
シェーネがクラウディアからビューレンベルクの名前を聞いて、スッと俺の背中に隠れる。
元主の家に見つかると厄介なことになりかねないので、当然の反応だろう。
しかし、クラウディアがマチルダと呼んだ女性はシェーネに気づくことなく、まるで絨毯のようにロン毛野郎の髪を踏みつけるだけだった。
そんな屈辱的な行動にも、ロン毛野郎はピクリとも動かない。
呼吸は……多分あるから、気絶か。
「なんだ、口ほどにもない。踏んだ感触も最悪……これなら、破れた絨毯の方がマシだな」
ゲシッとまるで、サッカーボールでも蹴り飛ばすように、ロン毛野郎を蹴り飛ばす、マチルダ。
その動作には悪意は欠片もなく、本当に邪魔な障害物をどけたようにしか見えなかった。
「コッブ! 何でこんなことになっている!?」
すると、どこからともなく野太い悲鳴が聞こえて来る。
振り返ってみると、そこにはロン毛野郎と似た服を着た中年の貴族が居た。
「お、おい、なぜビューレンベルク家の人間がこんなことを!? 何で、お前がバウム家の代表を潰しているんだ!?」
「代表…? まさか、弱い上に口も悪い奴が、代表だと言うのか? 人選ミスというものじゃないか?」
「は…? あ! い、いや、それはその……口は悪いが、家の領地では誰よりも強い男……だから」
マジレス。
本当に、不思議で堪らないと言った様子で、マチルダが瞳を大きく開ける。
その、子供のような純真な問いかけに、バウム家の中年貴族は思わず困ったようにトーンダウンする。
なんでこいつ、挙動不審なんだ?
まるで、何か隠してるみたいな……。
「そうか。じゃあ、このまま領地に帰るんだな。次の大会に向けて領地全体で鍛えなおした方が良い。この程度の強さじゃ、犬にも劣る」
「な、何を言っているんだ!? このことはビューレンベルク家のハイムバッハに伝えて、お前に制裁を──」
「──あら? 女子供に口喧嘩で負け、その上で絨毯のように踏みしめられた代表が居ると、堂々と言ってくださるのですね?」
中年貴族の言葉を、クラウディアが遮る。
ロン毛野郎はマチルダに叩き潰されたが、それはそれ、これはこれ。
こっちの嫌みターンである。
「ヒンデンブルク…ッ!」
「もしくは、躾も出来ていない飼い犬を、陛下にお見せするつもりだったとでも? 陛下にも平然と無礼を働きそうで、今から不安ですわね」
「ッ!? う…そ、それは……」
「ああ、それと誤魔化そうとするのは、お勧めしませんわ。この騒ぎで、注目が集まっていますので……目立ちたがり屋さんにとっては、お望み通りの展開ですわね?」
そう言って、クラウディアがゆっくりと辺りを見渡す。
口喧嘩だけならともかく、マチルダが立てた轟音で視線が集中している。
嘘をついて自分に都合よく、誤魔化すのは不可能だろう。
その中で、俺はダメ押しとして……もとい、医者としてロン毛野郎の治療に向かう。
「あー……こいつは酷いな。
「不慮の事故ですからね。陛下も特別の事情として、お許しになってくださることでしょう」
消毒液を雑にぶっかけながら、顔の怪我を治療してやる。
大分染みる奴だけど、まあ気絶してるし大丈夫だろう。
イーダの教えが無ければ見捨てていたのだから、感謝しろ。
「し、しかし!」
まだ何か言いたいことがあるのか、マチルダの方を困惑したように睨む、中年貴族。
チッ、こっちが穏便にすましてやってるんだから、さっさとこのロン毛を連れて行けよ。
そう思っていると、横に居たマチルダが、真顔で言い放つ。
「負けると決まりきった戦いに、まだ挑むのか? その心持だけは素直に称賛するよ」
出た所で、どうせ自分に負けるのに、出場する意味ある? と。
不意打ちだったかもしれないが、一撃で仕留めて見せた力の差は歴然。
何より、獲物を見つめるトラの様な瞳が、中年貴族の心の迷いをへし折った。
「クッ! おい、コッブ! 行くぞ!!」
そうして、バウム家の貴族はロン毛野郎を連れて、帰っていく。
しかし、気絶した人間を軽々担いで連れて行けるとは……ロン毛野郎が出場するより、貴族自身が出た方が余程勝率が上がるんじゃないのか?
「あの……ありがとう?」
一体全体、何がしたかったのか分からない、二人が立ち去った後。
エリザがマチルダへと感謝の言葉を告げる。
「ん? ああ……あの犬は私じゃなくて、君に吠えていたのか。命知らずにも程があるな」
それに対して、マチルダは初めて事実に気づいたような声を出す。
そう言えばこの子は、女を馬鹿にした言葉で、ロン毛野郎を潰しに向かっていたんだったな。
勘違いだが、結果的に助かったのでグッジョブだったと言いたい。
「どうして、自分でやらなかったんだ? 君なら、あんな雑魚ぐらい造作もないだろう」
「別に、弱い犬が怯えて吠えて来てただけだし」
「そうか。まあ、小動物に出来るのは吠えることぐらいだからな……いや、実力の差も分からないのは、小動物に失礼か。小動物なら吠える前に逃げるからな」
そして、行われる圧倒的強者同士の会話。
マチルダはどうやら、一目見るだけでエリザが実力者であることを見抜いていたようだ。
「父上が、決して油断をするなという言葉をくれた理由が分かったよ。君のような存在が居るのなら、楽勝という言葉は使えそうもない」
「うん。アタシも……少し楽しみになって来た」
「今すぐにでも戦いたいが……」
ザワリとマチルダの髪が風にたなびく。
エリザの指がピクリと剣に向けて動く。
「……やめておこう。勝ち続けていけば、いずれは戦えるんだ。こんな場外で挑むのは、自分が試合で勝つ自信がないと言っているようなものだ」
「アタシが負ける可能性は考えないの?」
「その場合は、私の目が狂っていただけのこと。戦う価値のない弱い相手のことを、覚え続けても仕方がない」
強さこそが、勝利こそが全て。
それを為し得ない者に価値はない。
そんな価値観を堂々と言い放ちながら、マチルダは背を向ける。
「じゃあ、決勝で会おう……えっと」
「エリザ・ミュラーだよ」
「そうか、エリザ。私はマチルダ・フォン・ビューレンベルクだ」
「じゃあね、マチルダ」
次にまみえる時は決勝の舞台だ。
そう言って、マチルダはピンと伸びた背筋のまま歩き去っていく。
「マチルダ……強敵だね」
「お前がそこまで言う奴は初めて見たよ……ということは、クマより強いのは確定か」
「うん。あの子はアタシの強さを理解しても、服従しなかった……強いよ」
エリザが警戒を強める。
俺も、人生で始めて見るエリザと互角かもしれない人間に、唾を飲む。
まさか、人間の身でクマとやり合える存在が、他にも居たとはな。
「ビューレンベルク……やはり、実力だけは嘘偽りがないのですわね」
「あの子、私は初めて見るけど……まあ、奴隷に一々家族全員を会わせたりしないわよね」
仇とは言え、その実力に偽りはないのだと理解したクラウディアが、複雑な顔をする。
そして、シェーネはあんな娘が居たんだと、俺の背中から顔を出しながら首を捻っている。
秘密兵器というやつだろうか?
「さて、いつまでもここに突っ立っていても、仕方ありませんわね。手早く受付を済ませてしまいましょう」
「うん、そうしよう。アタシも早く帰って、特訓とかしたいし……ウズウズしちゃった」
こうして、俺達はマチルダとの初めての出会いを終えるのだった。
「あ……」
「さ、さっきぶりだね…………」
「ま、まあ、よく考えたら受付に来たのは一緒だもんな……」
「……
その数分後。
俺達は、同じく受付を済ませようとしていた、マチルダと再会するのだった。
決勝で会おうと言った手前、気まずい空気が流れる。
なので、クラウディアの提案通りに俺達は少し離れようとしたのだが。
「ま、待ってくれ、エリザ! その……」
「えっと…?」
何故か、焦ったようなマチルダに呼び止められる。
一体なんだろうかと、エリザが少し警戒する。
だが、続けられた言葉は、俺達の予想に反するものだった。
「すまない……受付の仕方が良く分からないんだが…教えてくれないか…?」
勘違いでロン毛野郎を叩きのめした件といい、この子……もしかして天然なのだろうか?
お知らせ。
現在、GA文庫様より本作の書籍化が進行中です。
書籍版はクラシェ派にもチャンスがあるかも?
進行度合いなどは、Xにてご報告していきたいと思いますので、よろしければフォローをお願い致します。
作者のX→ https://x.com/tomatorute
それでは、感想・評価の程よろしくお願いします。
次回は30日投稿です。