後世の歴史家いわく、俺は面従腹背の成り上がり復讐者らしい 作:トマトルテ
コロシアムの観客席。
興奮と熱気がひしめき合うその中に、二人の少女が居た。
「はい、ソーセージ」
「ああ、ありがとう」
エリザが屋台で買ってきた、焼いたくし付きソーセージ。
受け取ったマチルダは、それをしげしげと眺めた後にパクンと口にする。
「美味しいな」
「うん、美味しいね」
エリザもマチルダの隣に座り、パクリとソーセージを口にする。
絶妙な焼き加減で着いた焦げの苦みと、調味料の辛みが口いっぱいに広がっていく。
「……案内してもらった私が言うのもなんだが、こんなことをしておいていいのか?」
バツが悪いのか、それとも何も考えていないのか。
どちらともつかない顔で、マチルダがエリザに尋ねる。
一応は敵同士なのに、仲良く試合を観戦などしていいのかと。
「大丈夫だよ。だって、自由時間だから」
「自由時間……」
「自由な時間なんだから、何をしたって自由でしょ?」
しかし、エリザの方はしがらみなど知ったことかとばかりに答える。
自由時間なのだから、他人に縛られる謂れはないのだと。
「マチルダちゃんも、そう思うでしょ?」
「私は……自由時間なんてほとんどなかったから、良く分からない。空いた時間があれば、いつも訓練をしていた」
「そうなの!? 凄いね、マチルダちゃんは」
一方のマチルダは自由時間など、今初めて知ったというような顔をする。
「凄い? エリザもやっているんじゃないのか?」
「アタシ? アタシは自由時間までは訓練はしないなー」
マチルダが不思議そうな顔をする。
あれ程の強さを誇るエリザならば、当然自分と同等。
もしくは、それ以上の訓練量を誇っているはずではないかと。
無意識に同族意識を持っていたが故に。
「じゃあ、普段は何をしているんだ? もっと特別なことでもしているのか?」
「特別なことは何も……訓練が終わったら友達とお話したり、家に帰ったら家事をしたり、
エリザは一体これのどこに特別な要素があるのかと、不思議そうな目を向ける。
しかし、マチルダにとってそれは特別以外の何物でもなかった。
「友達……旦那……遊び……趣味……」
マチルダには趣味はない。
友人もただの一人も居ない。
18歳の貴族だというのに、恋人もいない。
それらは全て、強さには無縁の事だったから。
たとえ、望んだとしても得ることが許されなかった。
「それは……特別な物だろう…!」
故に、普通な生活を送るエリザを特別だと思った。
「強くなるのには、ありとあらゆるものを切り捨てる必要がある。それが普通じゃないのか?」
「ど、どうしたの? マチルダちゃん…?」
陰キャがリア充に食って掛かるような行動だが、当然リア充側のエリザには理解出来ない。
「いつから剣を握っているんだ?」
「3年前からだけど……」
「あの机さばきは? 訓練したものじゃないのか?」
「即興だけど……」
裏切られた。
声に出さずとも、マチルダの瞳は雄弁にそう物語っていた。
勝手に自分と似た存在だと思っていた。
しかし、実際は自分が欲しかった物を全て当たり前のように持っていた、別世界の人間。
「だったら、君は何でそんなに強いんだ…!」
強さには理由がある。
そんな世界の理を崩すかのようなエリザの存在に、マチルダは怒りを露にする。
「わ、分かんない」
しかし、エリザはその怒りを納得させる言葉を、持ち合わせていない。
何故か?
「だって、最初から出来たから……」
それはエリザが生まれながらの強者だからだ。
健康に生まれて、普通に育っただけで、クマに殴り勝てる強者になった。
そう。彼女は天才なのだ。
神に愛されていると言っても過言ではない。
所詮、血の滲む努力をしなければ強くなれない凡夫とは違う。
生まれながらの強者。
それがエリザ・ミュラーなのだ。
「そうか……改めて理解した。君は私が越えなければならない敵だ。私が今日まで鍛えて来たのはきっと、君を倒すためだ……エリザ」
「ええ…っと」
「私は負けない。負けられない。君にだけは絶対に負けられない」
覚悟を決めた瞳がエリザを射抜く。
その瞳はトラですら逃げ出すものだろう。
だが、エリザは困惑するだけで、それを脅威とは認識していない。
まるで子猫の威嚇に、困った顔をする大型犬のように。
「私の今までの全てを肯定するために、君の全てを否定してみせる」
マチルダ自身も何故、こんなことを言っているのか分かっていなかった。
それを理解するには、彼女の心は余りにも幼過ぎた。
「じゃあ、今度こそ決勝で会おう……後、ソーセージをありがとう。美味しかった」
最後にお礼を言って、立ち去ろうとする、マチルダ。
また迷子になるかもしれないが、エリザの傍にだけは居られなかった。
きっと、これ以上傍に居たら、試合の前に斬りかかってしまうだろうから。
「待って! 最後に一つ聞かせて?」
「……なんだ?」
「マチルダちゃんは……今まで何のために頑張って来たの?」
背を向けるマチルダに、エリザが声をかける。
今の自分の言葉では、彼女の心には届かない。
そう理解はしていたが、声をかけずにはいられなかった。
「何のために? そんなもの──」
エリザの言葉に、マチルダは振り返ることなく答える。
「帝国一武道会に優勝して、ビューレンベルク家を繁栄させるために決まっているだろう」
何度も教え込まれた言葉を、オウム返しするように。
「ねぇ、クラウス……強いことに理由って要るのかな?」
「なんだ、急に……どうしたんだ? お前らしくもない」
シェーネと二手に別れてエリザを探していた所、観客席で見つけることに成功する。
だが、見つけたは良いが、何故か急に変なことを聞かれてしまう。
一体何があったのか。
「実はさっき、マチルダちゃんと話しててね」
「もしかして、喧嘩でも売られたのか?」
「喧嘩? うーん……どうなんだろ? 何に怒ってたのか、よく分からないし」
「取り敢えず、話を聞かせてみろ」
「うん」
エリザから事情を聞く。
ふむふむ……エリザの普段の様子を話していたら、急に怒り始めたと。
そして、改めて絶対に負けない宣言。
なるほど、これは。
「エリザに嫉妬してるんじゃないか?」
「え、なんで?」
「そこはマチルダのことを知らないから、何とも言えん」
マチルダの情報が不足しているので、断言はできない。
しかし、エリザの生活を聞いて怒ったのなら、マチルダなりに何かが気に入らなかったのだろう。
「でも、ずっと放任されていたから、周りに人が居るお前が羨ましいとか、才能型のお前が妬ましいとかあるんじゃないのか?」
俺はエリザに予測を伝える。
中々にスパルタな家系で育ったマチルダには、自由に生きて来たエリザが羨ましく思えてもおかしくはない。
「才能型……やっぱり、アタシって特殊なのかな?」
「まあ、うん……少なくとも普通の女の子じゃないな」
俺の知る限り、真っ当な軍事訓練はラインに来るまでなし。
だというのに、帝国一の騎士に名乗りを上げようとしているのだ。
幼少期から特別な訓練を積んできた相手からすれば、ふざけるなと言いたくもなるだろう。
「そっか……みんなが弱いんじゃなくて、アタシが強かったんだね」
「お、おう……」
「なんで、みんな出来ないんだろうって思うこともあったけど、アタシがおかしかったんだ」
ナチュラルボーンストロングなエリザが、ポツリと呟く。
本当に当たり前に出来ること過ぎて、自分が凄いのではなく周りが出来ないという認識だったらしい。
「やっぱり、強いことに理由って要るんだね……」
そして、最初の台詞に戻ってくる。
強さには理由が要ると。
バックボーンが必要なのだという話。
「戦うことにも、頑張ることに理由が要る。それがアタシには無いから、マチルダちゃんは怒ったんだね……アタシにも何か理由が要るのかな?」
原因も過程もなく、ただ強いという結果だけがある。
現在のエリザの状況は、まさにそれである。
だから、エリザは自分にも理由が必要なのかと見つめて来る。
それに対して、俺は。
「いや、別に今のままでいいだろ」
「え?」
否定する。
「良いのかな…?」
「良いも何も、ないものはないんだからしょうがないだろ? 今から作ったって、薄っぺらいだけだ。逆にマチルダを怒らせるぞ?」
「……確かに、行き当たりばったりの方がダメかも」
「そうだ。真剣に怒ってる相手に、取り敢えず作った理由を持っていくなんて、火に油を注ぐようなもんだ」
理由が無いからなんだというのだ。
重要なのは過程ではなく結果だ。
強くなる過程ではなく、強くなったという結果が伴えばそれでいい。
そこに変な理由を挟む込む必要はない。
過程に美しさを見出そうとするのは、結果の出せない人間の悪い癖だ。
「お前は偶々強く生まれた。そこに罪なんてないし、変に遠慮をする必要もない。他人に何を言われても気にするな。俺が好きなのは、ありのままのお前だ」
「クラウス……」
「それにもし、どうしても理由が必要なら」
俺の言葉に頬を染めるエリザの瞳を見つめて、しっかりと言い切る。
「俺を理由にしてくれ」
「うん……」
「俺はお前の笑顔が見たい。だから勝って笑って欲しい」
エリザが満足に戦えるように、笑っていられるようにラインハルトに土下座までしたのだ。
相手側の理不尽な理由に、潰されてやるつもりなんて欠片もない。
「マチルダの理由に比べたら、小さいかもしれないけど……誰にも否定できない理由だろ?」
「フフ、そうだね。好きな人にカッコイイ所を見せたいのは、悪いことじゃないもんね」
「ああ、そういうことだ」
以前、俺が言った言葉を、エリザがからかう様に返してくる。
そして、気合を入れなおすように頬を叩き、スッと観客席から立ち上がる。
「よし! 決めた! アタシ、絶対にマチルダちゃんに勝つから。だから……応援しててね? アタシの旦那様?」
「ああ、任せろ。特等席で応援してるよ、俺の奥さん」
そう言って、エリザはいつもの笑顔で、俺に笑いかけて見せるのだった。
シェーネに捕まったウェルケンではあるが、その拘束には細心の注意を払ったと伝わっている。
腐っても侯爵。いきなり、拘束をするわけにもいかない。
そこでクラウスは、彼の部下であるコッブと殺害された係員を再利用した。
クラウディアの回顧録では、コッブはエリザに、ひいてはヒンデンブルク家へ妨害工作をしてきた人物として書かれている。
そんなコッブではあるが、彼の立場はまさに利用された道具程度のもの。
最後にはウェルケンが医務室に忍び込むための、理由としてわざと傷つけられた程だ。
当然のことながら、ウェルケンへの忠誠心はコッブにはなかった。
故に、クラウスはそこを利用した。
コッブから、ウェルケンの指示を受けてヒンデンブルク家を妨害しようとした事実を引き出し、それをウェルケンの罪として堂々と発表した。
さらに、ウェルケンが係員を暗殺したと、
クラウディアはコッブについて『恥ずべき人種。およそ教養の欠片もない蛮族』とまで書き記しているが、妨害の時点で殺害していなかったのは、恐らくはクラウスが止めたからであろう。
クラウスは後に、コッブを利用出来ると踏んでいたので、ワザと見逃してウェルケンの拘束する足枷として、機能させたと考えられている。
さて、こうなってくると困るのは、ウェルケンの同盟者のハイムバッハである。
当然、ウェルケンが皇帝暗殺計画を暴露すれば、そこでハイムバッハ側も終了。
一族郎党皆殺しである。
ウェルケンと同じように、急いで口封じに動くべきなのだが、牢獄に尋ねに行くわけもいかない。
このタイミングで面会させてくれと言うなど、自分が犯人だと言っているようなものなのだから。
故に、ハイムバッハは動かなかった。
まるで、何の興味もないとでも言うように動かなかった。
ウェルケンへの接触も無し。
暴露される心配すらせずに、堂々としているだけ。
ウェルケンが捕まったという情報を聞いても、眉一つ動かさなかったと伝わる。
これには、さしものクラウスも困り果てたという。
相手が探りを入れてきた時に、カウンターを食らわせる。
そうすることで、皇帝暗殺の事実を公にしようとしていたのだが、肝心のハイムバッハが動かない。
後はウェルケンに吐かせるしかないが、彼の紳士的な性格が邪魔をしてか、拷問にはかけなかった。
さらに言えば、この時のクラウスは皇帝の暗殺を止めるために動いていた。
これは、自分の手で皇帝に直接止めを刺すことにこだわった、という理由が挙げられている。
なんにせよ、クラウスには事前に決勝を止めるという選択肢がなかった。
理想を言えば、事前に相手から仕掛けてきたところを抑えて、事件を闇に葬り去りたかったのだろうが、ハイムバッハはその思惑を躱してみせた。
もう、ここまでくれば直接、暗殺現場を抑える以外に道はない。
クラウスは苦渋の決断を迫られた。
ハイムバッハは侯爵。しかも、武闘派。
仮に皇帝暗殺の瞬間を目撃したのだとしても、止められるかは未知数。
おまけに、頼みのエリザは決勝戦では試合に出ているため不在。
シェーネと共に戦うしかない状態だったが、さらに運の悪いことに皇帝の暗殺方法は、辺り一帯を巻き込む風魔法での爆破。
準備を整えられてしまえば、攻撃をする前に自爆テロを行われてしまう。
『ハイムバッハという人物は、我が生涯において最も苦戦した人物であった。考えの読めぬ人間ほど、恐ろしい者もいない』
実際にクラウスの回顧録では、ハイムバッハに対してこう零している。
生粋の武人であるハイムバッハの思考は、計算高いクラウスにとっては、逆に読みづらいものとなっていたのだろう。
だが、クラウスはそこで諦める訳にはいかなかった。
故に、彼は賭けに出ることにしたのだ。
ハイムバッハの暗殺計画を止めさせる、捨て身の一手。
それは。
ハイムバッハの目の前に直接、顔を出すことだった。
最終的に、全員を叩きのめせば良し!
「ウェルケンが捕まった? 儂には関係ない」
ハイムバッハの考えは、実にシンプルであった。
ウェルケンが暗殺計画をバラそうとしても関係がない。
まとめて爆破する人数が増えるだけだ。
皇帝さえ殺ってしまえば、後のズレはどうとでもなる。
(帝国の頂点に立とうというのだ。全員を倒せなければ、意味はない)
脳筋ここに極まれり。
帝国を治める皇帝が、帝国の軍隊よりも弱いのはおかしい。
そんなとんでも理論を本気で信じているのが、ハイムバッハだ。
故に焦ることも無ければ、計画の変更で動くことも無い。
外から見ているクラウスからすれば、脳筋過ぎて動きが全く読めない理不尽である。
バカは時に、知恵者の考えを上回る。
(マチルダは決勝に進んだ。ヒンデンブルクの代表も決勝に来たが、構わん。冤罪に出来ないのなら、皇帝と纏めて始末すればいいだけ)
纏めて始末すればいいと考えているのに、方法が自分を含めた自爆。
考えれば考える程、それは流石に……となる戦法故に、誰も気づかない。
むしろ、分かるかとキレたくなるほどだ。
「父上」
「マチルダか」
そんな脳筋のハイムバッハの下に、これまた脳筋のマチルダが近づいて来る。
彼女は少し紅潮した頬で、決意を新たにする。
「私は決勝でエリザに勝つ。絶対にだ」
「ほぉ……随分と気合が入っておるな、マチルダ」
「ああ。エリザは私が越えるべき壁……ビューレンベルク家が最強を名乗るために、必ず打ち倒さなければいけない」
ビューレンベルク家が最強を名乗るために。
その言葉に、ピクリとハイムバッハの眉が動く。
「お前がそこまで言うか」
「生まれながらの怪物に、ビューレンベルクの集大成をぶつける。そうして初めて、私達のやってきたことが報われるんだ」
ビューレンベルクの集大成。
再び、ハイムバッハの心が揺れ動く。
「……そうか」
「ああ。だから、父上もしっかり見ていてくれ」
覚悟を決めた瞳。
これから決戦に赴く戦士として申し分ない。
普段であれば、ハイムバッハも満足して頷くだけだろう。
しかし、今回だけは別だ。
(マチルダには悪いが、試合が終わる前に暗殺に動く。決着を見ることは出来んだろうな)
既に暗殺計画は動き出している。
決勝を台無しにしてでも、皇帝の首を取る。
そうすれば、このような大会で一々皇帝のご機嫌を窺う必要もない。
だが、マチルダはそんなことは知らずに、純粋に戦いを求めている。
「父上…?」
「……何でもない。『侮ることなかれ、怒ることなかれ、楽しむことなかれ』。この言葉を忘れずに戦うのだぞ」
「ああ、分かっている」
ハイムバッハの僅かばかりに迷いが生まれる。
それは、楽しむ娘の顔を見たいという純粋な親心か。
もしくは、これを乗り越えれば、ビューレンベルクの到達点が見られるかもしれないという期待か。
はては、最強の座をこの目で見なければ、納得できない戦士の
いずれにせよ、決勝を潰すことに若干の迷いが生じたに間違いはない。
「それでよい」
しかし、だからと言って計画を止めることはなかった。
より大きな利益。頂点の地位。
それを手に入れるための必要な犠牲であると、切り捨ててしまった。
もし、彼を止めようとするならば、より大きな危機感を与えることが必要であろう。
「では……行ってこい」
「必ず、勝って帰ってくる」
そして、マチルダは決勝の舞台へと歩みを進める。
ハイムバッハは少しばかりの罪悪感を抱きながら、その後ろ姿を見送る。
(では、儂も動くか)
しかし、足取りに淀みはない。
行き先は貴族の関係者にのみ許された席。
すなわち、皇帝の傍に侍ることを許された席だ。
(皇帝が来るのは、試合開始直前。それまでに、出来る限り目立たない場所を探す。後は全員の目が試合に向いている間に、風魔法を発動させて儂ごと巻き込むだけだ)
歩きながらも、頭はこれからの作戦のことでいっぱいである。
自らも死ぬかもしれない自爆作戦だが、その時はその時だ。
自分が死んだ場合は、後ろに控えさせている長男が兵を率いて、下手人を討つという名目で侯爵達を制圧すればいい。
伯爵などの下位の貴族の反発はどうするのか?
そんなものは力で抑えつければいい。
仮に息子が負けるのなら、それまでの男だったということに他ならない。
「ここにするか」
選んだ席は端の方。皇帝が来る前に、場所を選んでおく必要がある。
変に目立つことも無く、かといって皇帝の動きが見えない場所でもない。
侯爵達が座るには、いささかみすぼらしく見えるが、それは仕様だ。
皇帝以外の席に差はない。
それは、全ては皇帝の下にあるという意思が、大会そのものに反映されているからだ。
全員が最上段の玉座より下で、平等に並ばされる。
特に、中央集権化を進めたいヨーゼフの意思を組んでいるので、その徹底ぶりは並大抵のものではない。
故に。
「お初にお目にかかります。ビューレンベルク侯爵」
本来であれば、侯爵に近づくことすら出来ない身分の者が、隣に座ることが出来る。
「誰だ、貴様は?」
「おや? 私の顔を見ても分からないとは……これは好都合です。ですが、礼儀として名乗らせて頂きます」
ギロリとハイムバッハの老練の瞳が、隣の人間を睨む。
若い男。端正な顔立ち。金髪青眼というヒンデンブルクに似た容姿。
しかしながら、服装は貴族特有の豪華なものではなく、シンプルなもの。
「私の名前は、クラウス……」
見た目からは、何の敵意も感じない。
武器も持っていないのは、ハイムバッハからすれば一瞬で分かる。
害意を与える素振りもない。
しかしながら、その名前は。
「──クラウス・フォン・ヴィクトワール」
どんな鋭い刃物よりもなお、ハイムバッハに脅威を感じさせた。
「なん…だと…?」
「まあ、今はクラウス・ミュラーと名乗っていますが。あなたの娘の対戦相手の旦那ですので」
ピクリとハイムバッハの手がクラウスに向かう。
反射的に絞め殺してしまおうとしたのだ。
しかし、ここが表舞台だと思い出して、すぐに止める。
相手が誰であろうと、殺しをした人間がこのままこの場に残れるわけがない。
皇帝の暗殺が出来なくなる。まだ、皇帝は顔を出していないのだから。
「……なんの用事だ?」
「ああ、勘違いしないでください。私は別に復讐をしたくて、来たわけではありませんので」
ハイムバッハの頭の中に、様々な考えが浮かぶ。
本物か、偽物か?
仮に本物ならば、ここで始末されかねない名を何故語ったのか?
そして復讐という言葉が出るということは、冤罪の事実に気づいている。
ならば、丸腰ではなく裏に仲間でも、潜ませているのではないか。
戦士としての脳が一気に覚醒する。
「私はただ──」
しかし、クラウスが告げた言葉は、ハイムバッハの予想を全て裏切るものであった。
「──試合を一緒に観戦しないかという、お誘いをしたかっただけですよ?」