後世の歴史家いわく、俺は面従腹背の成り上がり復讐者らしい 作:トマトルテ
クラウスとハイムバッハの会話の内容は記録には残っていない。
クラウスが帝国一武道会の決勝で、ハイムバッハに接触したのはクラウス自身の発言から明らかになっているが、その時に何を話したかまでは語らなかった。
分かっているのは、クラウスがハイムバッハを生涯において、最も苦戦した人物と語ったこと。
そして、ハイムバッハに『救われた』と語ったことである。
この『救われた』とは一体何のことなのか?
それは、クラウスがハイムバッハに、殺されなかったことではないかと言われている。
ハイムバッハの下に直接行ったクラウスであるが、ただの軍医が帝国屈指の戦士であるハイムバッハに勝てるわけがない。
万が一、争いに発展すれば、ハイムバッハは素手であっても容易く、クラウスを始末するだろう。
しかし、ご存じの通りクラウスはその場を切り抜けて、未来にまで生を繋いでいる。
それは虎の檻に入って、危害を加えられずに出てくるような奇跡だ。
ハイムバッハがクラウスに情けをかけたのか。
もしくは、純粋に運が良かったため、偶々切り抜けられたのか。
『救われた』という言葉が、感謝なのか皮肉なのかは未だに分かっていない。
何にせよ、こうした行動に出たクラウスの胆力は、凄まじいという言葉に尽きる。
普段は戦闘において、表側に立つことの少ないクラウスであるが、この時ばかりは別であった。
ハイムバッハの暗殺計画を止めるための行動であるが、一つ間違えば自分も巻き添えになる。
しかも、普段の戦闘では頼みにしているエリザは決勝の真っ最中。
最後の頼みの綱のシェーネも、この時ばかりは伴わなかったとされる。
つまり、彼は丸腰で何の策も立てずに、猛獣に挑む真似に出たのだ。
さらに、彼の覚悟は凄まじく、当時の医療班に『後で自分が運び込まれるかもしれないので、すぐに処置出来るように準備をしておいてくれ』と頼んでいたという記録がある。
おそらくこれは、ハイムバッハを刺し違えてでも止めるという覚悟の表れであろう。
まさに、男と男の真剣勝負。
エリザとマチルダが決勝の舞台で、ぶつかり合っていた時。
クラウスとハイムバッハもまた、言葉による鍔迫り合いを繰り広げていたのだ。
クラウスが戦闘にも秀でていたという資料は残されていない。
そして、クラウスは己が弱いことも自覚していた。
だというのに、クラウスはたった一人でハイムバッハと対峙することを選んだ。
一説では、家族の仇を前に冷静さを欠いて、思わず飛び出でしまったというものさえある。
それほどまでに、この行動は普段のクラウスでは考えられないほどに、計画性の無い、一種の博打染みた行動であったのだ。
恐らくは、本人にもその自覚があり、後年に振り返って『救われた』と思ったのだろう。
そして、クラウスは運良くその博打に勝利した。
女性二人の華麗なる決勝が、何事もなく終わったのだ。
つまり、ハイムバッハの皇帝暗殺計画は実行されることがなかったのだ。
クラウスがハイムバッハを抑え込んだおかげで。
しかし、クラウスが止めたことは明白であるが、何が決め手になったのかは謎のままである。
何せ、ハイムバッハは最後の瞬間まで、この時に何を話したかを語らなかったのだから。
そして、ハイムバッハが最後に残した言葉の意味は、未だに謎となっている。
彼は、皇帝に最後に言い残すことはないかと聞かれて『種を蒔けば、必ず実は育つ』とだけ言い残して、処刑されたと言う。
この言葉は、東洋で言う所の因果応報の意味を持つ。
現在では悪い意味で使われることの多い言葉だが、本来の意味では善悪の両方に使われる言葉だ。
良いことをすれば、必ず良い結果が返ってくる。
悪いことをすれば、必ず悪い結果が返ってくる。
これは一説では、クラウスの正体に気づいたがために、皇帝に対して皮肉気に警告したのではないかという説がある。
しかし、クラウスの正体に気づいていたのなら、ハイムバッハ側は別にそれを隠す理由も無いはずという、もっともな反対意見もある。
そのため、純粋に己の不甲斐なさを、自身の行いの悪さに求めた言葉なのではというのが、最も有力な説となっている。
だが、結局の所、その答えを知っているのは、今は亡きハイムバッハだけだ。
後世の我々にハッキリと分かることは、クラウスがとてつもない胆力を発揮したこと。
そして、歴史に残る事のない男と男の勝負を行い、ハイムバッハを真正面から打ち破ったということだけである。
(このおじさん、こっわ…!)
格好をつけて『試合を一緒に観戦しないか』などと言ってみたが、ハイムバッハの目力が強すぎる。
なんかもう、目からレーザーが出て来そうな勢いで、睨んで来てる。
というか、さっき明らかに、俺を絞め殺そうとしてたよな?
筋骨隆々のおっさんに、ただの軍医が勝てるわけがないだろ!
「観戦だと?」
「ええ。二人の晴れ舞台……こうしてお会いできたのも、何かのご縁。親交を深めるのも悪くはないでしょう」
「縁だと、白々しい…ッ」
ハイムバッハの眉間に皺が寄る。
明らかにブチギレ寸前の顔である。
ヴィクトワール家の生き残りと言ったのが、大分効いているようだ。
「下らんことを。貴様が本当に言葉通りの名前ならば、儂にすべきことは一つのはずだ」
手っ取り早く殺しに来るのなら、やりやすい。
ハッキリとハイムバッハの顔に書いてあるが、もちろんそんなことはしない。
というか、逆立ちしても勝てそうにない。
「おや……何か他に御用でもありましたかな?」
「こいつ…ッ」
再び、ハイムバッハの手が動きそうになるが、ギリギリの所で止まる。
正直に言って、生きた心地がしない。
一応、シェーネに危ないときは守ってくださいと泣きついて、近くに潜んでいて貰っているが、シェーネが言うにはハイムバッハは普通に気づきかねないので、俺のすぐ傍にはこられないそうだ。
ちょっと、泣きそう。
「御用が無いのでしたら、家族の晴れ舞台を静かに見守りましょう」
本当に静かに見ていてください……。
この切実な思いが伝わってくれることを祈って、俺はハイムバッハに笑いかける。
「ニヤニヤと笑いおって……挑発か?」
「おっと、気を悪くしたのなら申し訳ありません。悪意はないのですよ」
悪意はない(悪意はない)。
なんだか、墓穴を掘ってしまった気がするが、二度目のことなので何とか落ち着く。
なにせ、ちゃんと保険はかけているからな。
医務室には、『後で自分が運び込まれるかもしれないので、すぐに処置出来るように準備をしておいてくれ』と頼んでいるのだ。
これで、ハイムバッハに一方的にボコボコにされても安心だ。
……まあ、即死攻撃をされたら終わりなので、気休めにしかならないのだが。
「くだらん。儂が貴様と共に見る理由はない」
しかし、運が良いのか悪いのか。
ハイムバッハは俺を排除するのではなく、自分から動くことを選ぶ。
もう用事はないとばかりに、ハイムバッハが腰を上げようとする。
「おや……負けるのを見るのが怖いので?」
なので、俺は挑発をする。
「ビューレンベルク家ともあろうものが。どこぞの馬の骨かも知らぬ田舎娘に、負けるとお思いで?」
「貴様…ッ」
ギロリとハイムバッハの瞳が俺を睨む。
正直、背中に流れる冷や汗が止まらないので、今すぐにでも土下座して謝りたい。
「まあ、所詮は陰ながら暗躍することでしか、目的を達成できない集まりでしたね。お仲間でつるんで、いざとなればトラの背中に隠れるキツネ……自信が持てないのですね、良く分かりますよ。
しかし、ここで止めたら、それこそ全てが水の泡だ。
俺は絶対に逃がさないために、全力で煽りきる。
自分の力に自信を持っているのなら、逃げるのはやめろと。
「儂が……ビューレンベルクが弱者だと!」
「違うと言うのなら、あなたの娘が私の嫁を倒す様をここで見届ければいい」
「勝つからこそ、見ておく理由が無いのだ」
「陛下がここに来られるのに、それ以上の用事でも御有りで? 貴族ならば、皆ここに留まるのが礼儀……もっとも、陛下の下から
こっちはお前の暗殺計画を掴んでいるぞと、仄めかす。
そうすれば、ハイムバッハは俺を逃がすわけにはいかなくなる。
かといって、ここで俺を始末するのも目立ち過ぎる。
大人しく、ここで観戦するしかないのだ。
「……そこまで知って、何故力づくで止めに来んのだ?」
「私の目的は、この決勝を何事もなく終えさせることですので。騒ぎは起きない方が良いのです。あなたはトラですので……追い詰められた獣程恐ろしいものもありません」
先に皇帝にチクるという作戦ももちろん考えた。
しかし、先程から俺を殺そうか悩んでいるハイムバッハを追い込んだら、何が起きるかは火を見るよりも明らかだ。
皇帝に暗殺計画がバレた時点で、帝国には居場所が無い。
背水の陣になったハイムバッハが暴れ回れば、被害は大きくなる。
そうしたら、間違いなくマチルダも連れていかれる。
決勝は行われない。
だから、俺はじわじわと追い詰めていくしかないのだ。
鍋に入ったカエルに気づかれないように、徐々に温度を上げていくように。
「それに何より、あなたも娘さんの晴れ舞台を見たいのではないのですか?」
最後の一押しに情に訴えかける。
正直、マチルダを放任している父親なので、効くかどうかは微妙だ。
しかし、いつの時代も親は子に対して甘いもの。
いや、甘くないと、俺がこの場で始末されかねないので困る。
これでもダメなら、もうシェーネを呼び寄せてハイムバッハが驚いている間に逃げるとかしか出来ない。
だから、頼む! 大人しくしていてくれ!
「……フン、いいだろう」
「ありがとうございます」
気に入らなそうに鼻を鳴らすが、何とか了承してくれるハイムバッハ。
よし! これで首が繋がった。
後は、無事にエリザが勝利してくれれば、その後はハイムバッハがどういった行動に出ても関係ない。
俺は全力で逃げるだけだ。
しかし……今更ながらに思うが、この状態で二人で観戦をしないといけないのか。
命の危険もあるが、純粋に堅物そうなオヤジと一緒に居たくないな。
そんなことを考えていた時だった。
「来たか」
「え?」
スッとハイムバッハが立ち上がる。
しかし、それは逃げるための行動ではない。
よく見ると、ハイムバッハ以外にもコロシアムにいる全員が立っている。
「貴様も立て、小僧。貴様の親は礼儀も教えんかったのか?」
「……これは耳が痛い」
俺以外なら恐らくはブチギレるセリフを吐きながら、ハイムバッハがある一点を見つめる。
コロシアムの最も高い場所に位置する玉座。
そう。皇帝の椅子を。
「皇帝陛下だ」
周りの人間と同じように敬礼のポーズを取りながら、俺も玉座を見つめる。
より正確に言えば、今まさにそこに座ろうと近づいてくる人間を。
(あれが……皇帝ヨーゼフ)
白い髪に紫の瞳。その地位を示すべく仰々しく着飾られた服。
すぐ後ろには妙齢だが美しい女性。恐らくは、皇后様を従えている。
ゲルマニウム帝国の頂点。
第25代皇帝、ヨーゼフ・アウグスト・ゲルマニウムが初めて、俺の目に入る。
「皆の者」
全ての音が鳴り止んだ。
まるで皇帝の声を聞くために、世界が動きを止めているようだ。
「太祖ルドルフ様の時より、続く
重々しい声が響く。
自分の一挙手一投足が見られていると、理解している人間にしか出せない全てに弱みを見せない声。
今まで皇帝は、どうでもいい存在だと思っていた俺でも、思わず頭を下げたくなるほどだ。
「そして、今日も帝国の栄光の歴史が、また一頁増えることになる。さあ、決勝まで辿り着いた勇士達よ。朕の眼前に現れよ」
その言葉と共に、コロシアムのフィールドに続く両側の門が開かれる。
「マチルダ・フォン・ビューレンベルク」
名前を呼ばれると、マチルダが姿を現す。
皇覧試合であるためか、鎧を新調しており、銀の鎧が太陽の光を浴びて輝いている。
そして、腰には二本の剣。二刀流だ。
「エリザ・ミュラー」
お次に俺のエリザ。
こちらもヒンデンブルクに用意してもらった、新品の金の鎧を着ている。
そして、背中には両手剣。因みに今回は机ではない。
「両名、位置についたな?」
二人が向かい合う。
この場において唯一、皇帝の前で、抜身の剣を持つことが許された存在。
それが決勝の舞台に来た、エリザとマチルダの二人である。
「ヨーゼフ・アウグスト・ゲルマニウムの名を以て宣誓する。ただ今より、第171回、
皇帝の宣誓により、今決勝が始まる。
「待っていた、この時を」
「うん。アタシも」
向かい合ったまま、正々堂々と。
しかし、相手の動きを僅かでも見逃すまいと、凝視しながら二人が剣を抜く。
観客もまた、彼女達の動きを固唾を飲んで見守る。
「あいさつ代わりだ。受け取ってくれ」
初めに動いたのはマチルダの方だった。
双剣を何もない空中で振るう。
常識的に考えれば意味のない行為。
しかし、エリザは即座にそれに反応した。
(クラウスから教えてもらった風魔法だ!)
キュッと、靴を鳴らして横に飛ぶ。
その一拍後に、エリザが立っていた地面に切れ込みが入る。
「人からの贈り物を受け取らないのは礼儀に反するぞ?」
「じゃあ、アタシからの贈り物も受け取ってくれる?」
「君は人じゃなくて、敵だ」
ダンッ! と、大きく踏み込んだエリザの足が地面を振るわせる。
両手剣を大きく振り被った必殺の一振り。
「――フッ!」
マチルダは即座に距離を取り、受け止めることなくその攻撃を避ける。
そして、その判断は正解だった。
「……やっぱり、とんでもない力だ」
隕石の落下。
そうとしか形容出来ないクレーターが、マチルダが立っていた位置に出来る。
「こっちもあいさつ代わりだよ?」
「化け物め」
「人にそんな悪口を言ったらダメだよ、マチルダちゃん?」
しかも、エリザ的には挨拶扱いだと言うのだから、直撃したらどうなるかは考えたくもない。
「誉め言葉だよ、エリザ」
しかし、そこで怯む様な訓練は受けてなどいない。
死ぬような目に遭うことは、スパルタ特訓で何度も経験済みだ。
恐怖もまた戦場での友とばかりに、マチルダは一歩踏み込む。
(着地で、足場が不安定なはず……そこを狙う!)
そして、機動力を削ぐためにエリザの足に向けて再び、飛ぶ斬撃を出す。
タイミングはバッチリ。不安定な足場では初撃の時とは違い、避けられない。
「よっと」
(剣を支えにして、逆立ちした!?)
だが、エリザは地面に叩きつけた両手剣を支えにして、その上で逆立ちするという曲芸染みた動きで回避する。
通常のセオリーでは考えられない行動。
野生の本能とでも呼ぶべき体裁き。
これには、コロシアム全体が感嘆の声に包まれる。
「器用な真似を……曲芸師にでも転職したらどうだ?」
「お金に困ったらそうするかも」
「だが、ただの曲芸師では戦には勝てないぞ? 宙に浮いた体がガラ空きだ!」
もう片方の剣で、宙に浮かぶエリザの胴体に向けて、見えない飛ぶ斬撃を飛ばす。
胴体。それは人体において、最も避けづらい部位。
しかも、大きく体を動かして避けようにも、空中で何かを蹴って動くことが出来ない。
故に、これは必中の一撃だった。
「……これで三度目だよ」
カンと、甲高い音を立てて、飛ぶ斬撃がエリザの籠手に弾かれる。
「弾いた…!? 不可視の斬撃を…?」
驚きに目を見開くマチルダの前で、スタリと地面に降り立つ、エリザ。
彼女は空中で偶然ではなく、ハッキリとした意志を持って斬撃を弾いて見せたのだ。
「最初に一回。足元を狙ったので二回。さっきので三回目……三回も見れば、剣の振り方で、どこにどのタイミングで来るかぐらい分かるよ?」
「…ッ!」
馬鹿な。そう叫び出したいのを堪えるので精一杯だった。
僅か三回で完全に技を読み切り、あまつさえ手で払いのけて見せた。
天才という言葉だけでは言い表せない、絶対的な何かがエリザにはあった。
「さあ――続きを始めようか?」
「クッ!? 化け物め…!」
地面に降り立ち、両手剣を抜き取る、エリザ。
そんな姿に、マチルダはもう一度化け物と呟く。
今度は、煽りや軽口ではなく本心から。
「今度はこっちから行くよ!」
(速――ッ)
一瞬の閃光。
それが踏み込んできたエリザの剣撃だと気づく間もなく、マチルダは反射で防ぐ。
両手に持った双剣が、エリザの攻撃に軋みを上げる。
「足元がお留守だよ!」
そして、踏ん張るマチルダの足へと、エリザは足払いをかける。
騎士らしからぬ、お行儀の悪い攻撃。
平民出身だからこそ許される、卑劣な攻撃を繰り出す。
「クッ!?」
常識的に考えれば、足を一本浮かせれば、それだけ踏み込む力は弱まる。
マチルダもエリザを押し返すチャンスが生まれる。
(ビクともしない…!)
だが、エリザの桁違いの膂力は、そんな不安定な姿勢でも緩むことはなかった。
力は弱まる。だが、それがどうしたというのだ?
大人と子供が争えば、大人は手加減しても子供を圧倒できる。
それだけの話だ。
「もらい!」
「甘いッ!」
(浮いた!?)
しかし、そこで負けることはマチルダには許されない。
逆にエリザの力を利用することにしたのだ。
足払いをただ避けるのではなく、両足で飛び上がる。
すると、支えが無くなったせいで、今までエリザの剣を受け止めていた双剣が、一気に押される。
マチルダはその動きを利用して、逆にエリザに押し飛ばされることで距離を取る。
「今度はさっきとは数が違うぞ!」
(ッ! 飛ぶ斬撃を双剣で飛ばす気なんだ……)
そして、間髪を置かずに今度は二本の剣を使って、雨のように斬撃を飛ばす。
もっとも、雨と違ってそれを見ることは能わないのだが。
「右…左…右…右……」
(やはり……全てを見極めている…!)
しかし、斬撃は見えずとも双剣は見える。
エリザは双剣の動きと、覚えたタイミングで飛ぶ斬撃を全て弾いていく。
(だからこそ――偽装が効くはずだ!)
マチルダが内心でニヤリと笑う。
飛ぶ斬撃は双剣と風魔法の合わせ技。
つまり、別に双剣を振るのに魔法を使う必要はないのだ。
「左…!?」
エリザの剣が空振る。
種を明かせば単純。ただ単に、フェイントを織り交ぜただけ。
攻撃が当たったわけでもない。
しかしながら、一瞬の攻防の中で空振りをしたという違和感は、彼女の思考を止めるには十分であった。
「貰った!」
空振りで崩れた体勢。
その顔に飛ぶ斬撃がカスる。
「痛ッ!?」
鮮血が舞い、薄い切り傷がエリザの頬につく。
初めて、エリザの顔に焦りが生まれる。
(よし……このまま何もさせずに押し切る!!)
しかし、マチルダの方も余裕があったわけではない。
少しでも手を止めれば、今度はこっちが餌食になる。
まさにクマを狩るトラのように、死力を振り絞っていた。
斬撃、フェイント、斬撃、フェイント、フェイント、斬撃。
事実と虚実を織り交ぜた攻撃が少しずつ、少しずつエリザの命を削ってい――
「――よし、分かった」
エリザが一歩前に進み出る。
まるで、フェイントのタイミングを完璧に把握したかのように。
「なッ!?」
「実際に斬撃を飛ばすときは、微妙に手に力が入ってるよ? 逆にそれ以外の時は、手が微妙に緩んでる……直さないとダメだよ?」
「この短時間でクセを読んだというのか…!?」
ハッタリではなかった。
エリザは自分の言葉を証明するように、フェイントの時は平然と歩を進める。
そして、実際に飛んでくる時だけ、剣を軽く振るって弾く。
少しずつ、マチルダとの距離が縮まっていく。
「さあ、どうするの? このまま下がって行ったら、場外に落ちるよ?」
「クッ…!」
ジリジリと近づいて来る、エリザ。
マチルダは距離を取ろうとするが、場外負けしないように円状に動くしかない。
しかし、横に進むために足を動かせば、攻撃に微妙に遅れが生じる。
その隙をエリザは逃さない。
(これが才能……天才というやつか!)
クマとトラはどちらの方が強いのか。
その問いはトラの方が強いと答えた。
だが、しかし。マチルダはトラでもないし、エリザもまたクマではない。
マチルダは、トラであろうとクマであろうとも狩れるだろう。
しかし、エリザは狩れない。
彼女はトラでもクマでも、ましてや、ただの人間でもないのだから。
「追いかけっこは終わりだよ、マチルダちゃん」
ギュピ、ギュピと、戦いで飛び散った瓦礫を踏みしめながら近づいて来る、エリザ。
その姿はマチルダから見れば――
「この……悪魔め」
観客「ウッドベン伯爵すげぇ……化け物染みたエリザより強いし」
次回は11/11に投稿します。
感想・評価の程よろしくお願いいたします。
今回もウッドベン伯爵の設定を呟いています。
作者のX→ https://x.com/tomatorute