Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
今年も面倒な日がやってきた。
甲高い声でペチュニアが張り切り、食卓がプレゼントで埋まり、この子どもがこき使われる日。そう、ダドリーの誕生日だ。
「パパ! ママ! 三十六しかないよ!! 去年よりも二つ少ない!!」
起きて早々にプレゼントを数えている丸々とした子どもは、今にも死にそうな声でバーノンとペチュニアへ訴えた。本当にダドリーは去年のプレゼントの数を覚えているのだろうか。それとも、ここは数を数えることができるようになっていることにささやかながら感動を覚えるべきだろうか。
「ダッドちゃん。マージおばさんのプレゼントを数えてないでしょう。パパとママからの大きなプレゼントの下にありますよ」
なんだ。ろくに数を数えることもできていないままか。
「でも三十七だ! 去年よりも少ない!」
「……うわ」
嫌そうな声を小さくだした子どもは、こっそり椅子を引き急いで朝食を食べている。ダドリーの癇癪が爆発し、テーブル上の食事が大惨事になるのを恐れているようだ。
ペチュニアも同じことを察したのか、慌てながら出先でのプレゼント購入を約束している。数すら数えられぬ子どもに、どの程度増えたか計算するのは無理な話だろうに。
まったく、たかが生まれただけの日を何故こうも盛大に祝う必要があるのだろうか。ご苦労なことである。
◇
電話が鳴りペチュニアが食卓へと戻ってきたのは、ダドリーがプレゼントの包みを引き裂いている最中だった。
それにしても、この丸い子どもは自転車など乗りこなすことができるのだろうか。たしか、前に何かしらの乗り物で近所の犬を轢いていたはずだ。この自転車でも何かを轢くんじゃなかろうか。
「どうしましょう。フィッグさんが脚を折ってしまってこの子を預かれないって」
……おや、ミセス・フィッグが預かれないというのは久しぶりである。
(残念だったね。どうやら今回は猫の写真は見られないようだ)
「別に」
子どもの目が輝き始めた。猫の写真を見せつけられるのがそんなに嫌だったのか?
「またか。前は風邪だったか、マージに連絡するのはどうだ?」
「駄目よ。マージはこの子を嫌っているわ。イボンヌはバケーションでマジョルカ島にいるし……」
(ハリー。誰一人としてミセス・フィッグの骨折に同情しないのは、僕の気のせいかい?)
「……」
子どもは黙って首を振った。そんなに猫の写真を見続けるのは苦痛だったのか……、少なくとも殴られるようなことはないのに。
「ねえ! 僕一人で留守番できるよ。置いていったら?」
「「…………」」
子どもの弾んだような声を聞き、バーノンとペチュニアは苦虫を噛み潰したような顔で黙った。前の留守番でも思い出しているのだろうか。
「今日はダッドちゃんの誕生日なのよ。帰ってきて悲惨なことになった我が家なんて見たくないわ」
「そんな! 家を爆破したりなんかしないって!」
どちらかというと、想像しているのは火事で燃え尽きて消し炭になった我が家ではなかろうか?
反論として「爆破」が真っ先に出るあたり、一人での留守番は選択肢から確実に外れるだろう。返事を聞いたペチュニアが、子どもをとんでもない形相で睨んでいる。
「……バーノン。その、動物園まで連れて行くのはどうかしら。車の中に残しておけばダッドちゃんの誕生日も台無しにならないはずよ」
「新車だぞ? 小僧を残して車に何かあったら困る」
「えぇ……」
(ハリー。気持ちはわかるけれど、ここは黙っていようか)
小声で反論したそうにしている子どもを遮る。
初っ端「爆破」が出た以上、いまさら何を言っても不信に繋がるだろう。それこそ彼らには「爆破します」宣言に聞こえていそうだ。自分の財産の近くに危険物を置きたくない気持ちはなんとなくわかる。
「いやだ……! そんな、ぼくのたんじょうびなのに………」
話の流れから連れていく雰囲気を感じ取ったのか、ダドリーはウソ泣きをし始めた。ワンワンと口で言っている、畜生の真似でもしているのだろうか。あわせて顔を歪めるような演技もしており、なかなかどうして本格的だ。
「まあ! ダッドちゃん、ダドリーちゃん、泣かないで。大丈夫、ママがついているわ。ダッドちゃんの特別な日を、絶対に台無しになんてさせるものですか!」
なんだこの茶番は。
いったい何を見せられているんだ。どうせ来年も祝うのだろうし、別に一度くらいはどうなってもよくないか?
バーノンは、抱きしめあっている妻と子どもを見て、仕方がなさそうに頷いた。
「いいか小僧……、言っておくがな、妙なことをするんじゃないぞ。もし何かあれば、クリスマスまで物置から出られんと思え」
「はい」
「少しでも何かあれば……わかっているな。半年だ!」
「はい」
「わかったな!」
「……はい」
なお、この日の行き先が動物園だと知らされたのは、ダドリーの子分ピアーズと共に車に押し込まれた後だった。
そして今日はダドリーの取り巻きはピアーズ一人だけらしい。ピアーズは、ガリガリに痩せて骨ばった、ネズミのような顔の子どもである。足が速く、ハリー狩りにもよく参加している人間だ。
車の中では、バーノンが延々と喋っていた。会社の話、銀行の話、それから「まともでない連中」の話。ペチュニアが相づちを打ち、ダドリーとピアーズが騒いでいる。
その際、急にオートバイが一台この車を追い抜いて行った。
「オートバイに乗ったチンピラどもが。ムチャクチャな騒音を出しおって」
バーノンはそれからオートバイとそれに乗る連中の愚痴を話し続けた。
「……ねえ、トフィー」
(何だい)
「僕ね、今日空を飛ぶオートバイの夢を見たんだ」
(へえ、面白い夢だね)
空を飛ぶオートバイ。昔この子どもが壊したコンピュータのように、この子どもの力は電子機器との相性が悪い。そんなものは、きっとこの世にどこにもない。ただの夢だろう。
「飛ばないことはわかってるよ。もちろんただの夢」
そう声を潜めて呟きながら、子どもは窓から見える空を見上げた。
◇
その後は何事もなく動物園へと到着した。土曜日だからか、動物園は多くの人間で込み合っている。
この子どもにとって、ダーズリー家と学校以外の外に出ること自体が珍しく、動物というものを見ることそのものが新鮮なようだった。
ゴリラの檻の前で、子どもは足を止めた。大きな雄のゴリラが、頭をボリボリと掻いている。
子どもが声を潜めながらぼやいた。
「……なんかダドリーに似てない?」
ああ、なるほど。
(目が小さくて首が太いところは確かに。金髪にすればより似るんじゃないか? とはいえ、あのゴリラのほうがより知性を感じるけどね)
「ひどいよトフィー」
(どちらに対して?)
「ゴリラに対して」
キリンの前では子どもは首を思いっきりそらして見上げた。地面にある水飲み場と交互に見比べている、水の飲み方が気になるのだろうか。
(前脚を大きく広げてしゃがむように水を飲むはずだ。……そうだね、君のおばさんが隣の家を垣根越しに覗き見するときの体勢に近いかもしれないね)
「やめてよ、想像しちゃうじゃん」
(想像できたかい?)
「できた。最悪」
子どもは、ダドリーたちを警戒してか距離を取りながらも思いっきり楽しんでいた。
……そう。楽しんでいた。
油断していた。この子どもが楽しみすぎると、ろくなことにならないということを。
問題が起きたのは、昼食の後に立ち寄った爬虫類館だった。
館内は薄暗く、壁一面のガラスケースの中で蜥蜴や蛇が展示されており、紛い物の材木などの上を這いまわっていた。
ダドリーとピアーズは巨大な蛇に興味があるらしく、真っ先に一番大きなガラスケースの前に走った。ただ、太い胴は幾重にも巻かれており、微動だにせずにいる。
「動け! 動けよ!」
ダドリーがガラスをバンバンと叩いた。「ガラスを叩かないでください」という注意書きは一切目に入っていないらしい。
そのままダドリーはガラスへ脂ぎった顔を押し付けながらバーノンへせがんだ。
「パパ! 動かしてよ」
バーノンもガラスを叩いたが、蛇は一切動かなかった。ダドリーはしばらく叩き続け、やがて飽きたのかピアーズを引き連れて別の箱へと移っていった。
この子どもはガラスの前に残った。
「……退屈だろうなあ」
思わず出てしまったのだろう。それを聞いたのか突然蛇は目を開け、ゆっくりとかま首をもたげた。
慌てた子どもは周囲をキョロキョロしている。
(ダドリーはこちらを見てはいないよ)
子どもは蛇へと視線を戻し、それから口の端を少し上げた。
「退屈?」
蛇が頷いた。かま首をバーノンやダドリーのほうへ伸ばす仕草をしながら天井を見上げた。……それにしてもやけに動作が人間臭い蛇である。ジェスチャーでこちらと意思疎通する? ガラスが分厚いから大げさに動いているだけなのだろうか。
「ほんと、イライラするだろうね」
蛇は激しく頷いた。……いやおかしいだろう。何故あの蛇腹構造で人っぽい動きを再現しているんだ? 中に人間が入っているんじゃないだろうか。もしくは呪いで人から蛇になってしまった可能性は考えられないだろうか。
「ね、ブラジルってどんなところ?」
横目で掲示板を見たのか、子どもはそう蛇へと尋ねた。
蛇は、ガラスケースの横にある掲示板の下側を尾でツンツンとつついた。
……この蛇はこの動物園で生まれたようだ。呪いで蛇になった人間ではない……いや、なら尚更おかしくないか? 動物園生まれというだけでこうも人間染みた所作が身につくはずがない。
「そっか。じゃあ、ブラジルにはいったことがないんだ」
蛇が頷いたとたん、とんでもない大声が聞こえて子どもも蛇も一瞬固まった。
「ダドリーこっちこいよ!! 蛇がありえないことしてる!!」
不味い、ピアーズのことを完全に忘れていた。あまりの蛇の人間臭さに、周囲の確認を怠った。
ピアーズが叫び、ダドリーが走り、その勢いのまま子どもは突き飛ばされた。
子どもがコンクリートにひっくり返った瞬間、ガラスが消えた。
……。
消えた。としか言いようがなかった。
割れたわけではない、砕けてもいない。ダドリーが寄りかかったガラスが、最初から存在しなかったかのように消えた。
そのままダドリーは水槽の中へ転げ落ち、蛇はとぐろを解きスルスルと滑り出てきた。悲鳴があがり、人々が我先にと出口へ向かって駆け出していく。そして、ガラスは消えたことなどないかのように元へ戻っていた。
「ありがとよアミーゴ! 俺はブラジルへ行ってくる」
蛇はこの子どもの足元を通るとき、ウィンクをしながらお礼を言い、頭を小さく下げて出口へ向かって滑っていった。
……やはりあれは人間じゃないのか? あのような陽気で人間臭い蛇を見た記憶がない。
子どもは呆然としていた。なんだか妙な顔をしている、たかが蛇に礼を言われただけだろうに。
「……お礼、言われちゃった」
(やけに壮大な計画だったね。ロンドンからブラジルまで、密航でもするつもりかな)
「いいなあ」
心底羨ましそうな声で、子どもは呟いた。
バンバンという音が聞こえたため振り返ると、ダドリーがガラスケースに展示されていた。ピアーズはその外で狼狽え、ダドリーは水に浸かりながら必死になってガラスを叩いている。口をパクパクと動かし、何かを伝えようとしているようだ。
はて、何だったか。何か見覚えがあるような仕草である。僕はいったい何に類似性を感じ取ったのだろうか。
(……ああ。わかった、亀の餌やりだ)
思い出してすっきりした。そう、ダドリーのペットの亀である。水面に浮かびながらパクパクと餌をねだる動きが飼い主にそっくりだ。
子どもが吹き出した。
そのまま声を上げて笑い始めた。腹を抱えて、肩まで震わせている。
(笑いすぎだよ。目立つ)
「だって、だって見てよ……あ、あれ」
息も絶え絶えに指で指し示す。長い間、殴られたり突き飛ばされたり、食事を取り上げられたりしてきた相手が展示物として踊り狂っていたら、確かに面白いだろう。
(まあ、否定はしないよ。展示物として面白いよね)
子どもは笑いがおさまらないのか、目にうっすらと涙まで浮かんできていた。
大変愉快なのはわかるが、客のいない爬虫類館は静かなのでだいぶ目立ってしまっている。
(ハリー。今すぐやめるんだ)
バーノンがこちらを見ていた。
◇
帰り道の車内で、ピアーズが言った。ハリーが蛇に話しかけていた。ハリーは蛇と話していた。と。
この子どもは何も言わなかった。
バーノンは、ピアーズを送り届けるまで怒鳴るのを我慢し、それから家に戻って子どもを物置に押し込んだ。
怒りすぎたのか、最後には怒鳴ることすらできなくなり、子どもを物置へ押し込んだあと椅子に倒れこんでしまったが。
それにしても怒りすぎのあまり倒れるのは、あまりにも過剰反応ではないだろうか? そのうち血管でも切れそうだ。
「トフィー、お腹空いた」
(寝静まるまでは待とう。今日はダドリーの誕生日だったからね、多少盗み食いしてもバレないだろう)
「うん……」
それにしても、一瞬であの大きなガラスケースが消えるとは。この子どもの力は思ったよりも強く、制御が効かないのかもしれない。