Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
やっと地上へと戻った時には、大男は今にも吐きそうにえずいていた。
「すまん、ハリー。『漏れ鍋』でちょっと元気薬を飲んできていいか?」
子どもは少し驚いているようだ。こんな場所で置き去りにされるとは思っていなかったらしい。
……しかしこれは、またとない機会である。
(ハリー。まず一度グリンゴッツに戻らないか?)
子どもはこちらへ目線だけ向けてきた。……どうやら、こちらの言うことを聞くつもりがあるみたいなので続ける。
(グリンゴッツの端に、マグルの通貨……ポンドなどの両替所があるのを見たかい? 今引き出したお金はルビウス曰く、二、三学期分くらいは大丈夫とのことだ。でも、僕らには他にもあったほうが良いものがあるだろう? 学校が始まるまではダーズリー家に戻される可能性が高いのだから)
「ねえハグリッド! 僕もう一度金庫に行きたいんだけど」
大男の顔からサッと血の気が引いた。
「うっ、グリンゴッツのトロッコはもう勘弁だ。用が済んだらマダムマルキンの店で制服の採寸をしてとくれ。ほら、おまえさんの金庫の鍵だ、無くすんじゃないぞ」
そう言いながら子どもへ金庫の鍵を渡し、大男は青ざめた顔でふらふらと歩きだした。
どうやら上手くいったようだ。子どもは引き返し、早速ゴブリンに話しかけている。
子どもは、急いで金庫へ戻ると先ほどと同じくらいのお金を引っ掴み、正面ホールの端にある窓口でそのうちの約半分ほどをポンドへと両替した。
「……どうしようトフィー。きっとダドリーだってこんなにたくさんのお金を持ったことはないよ」
どうやら勢いよく動いたは良いものの、今もっている額に怖気づいたようだ。お金が入ったバッグを手放すまいと両手で握りしめている。
……確か魔法鞄の店があったはずだ。先ほど見たダイアゴン横丁の雰囲気からして、入学に必要になりそうなものは、一通り揃っているだろう。
(ハリー。とりあえず財布やトランクみたいな持ち運べるものから購入しないか?)
「トフィー探してきて」
流れるようにこちらへと命令してきた、いったい何様のつもりだ? ……まあ、財産をほぼ丸裸の状態で持つ不安はわからなくはない。
(近くに見当たらなかったら君も動きなよ)
そのまま周囲を見渡しながら進むと、通りの端に学生トランクや鞄が飾られたお店を見つけた。
店内に入ると、中には大小のトランクや手提げ袋などがところ狭しと並んでいる。奥の方を見ると「闇祓い御用達! 鍵付きトランク!」などといった売り出し文句が書かれていた。
「ホグワーツですか?」
店に入りきょろきょろと見渡す子どもを見つけた店員が声をかけてきた。子どもが頷くと、学生トランクが積まれている場所へ案内し、学生用トランクには容量を増やしたり拡張したりする呪文がかかっていること、中身を軽くするような効果もついていることを説明し始めた。
子どもは説明を聞き端から順に眺めていった。金具の凝ったもの、革が厚く装飾されているもの、見栄えに凝っているものほど値段は高くなっている。
「……」
(駄目だよ)
「……」
(純金でできたトランクなんて必要ないだろう。やめてくれ)
本当にやめてくれ。お金を持った途端に全部使おうとするんじゃない。
(それに、純金のトランクなんて持ってダーズリー家に戻ったらどうなる? せめて普通の見た目にしてくれ)
子どもは名残惜しそうにしながら輝く純金のトランクからなんとか目を離し、普通の見た目で、きちんと鍵の掛かるトランクへと決めた。あわせてお金を入れるため革の小袋を三つ購入させる。入学用品を購入するため硬貨を入れるためのものと、身につけておくためのもの、ポンドなどを含めたいざという時のための予備のもの。
「どうして?」
(一か所に大事なものをまとめておくなんて無警戒だよ。僕としてはもっと分けてバラバラに隠した方が良いと思うのだけど……)
さらに細かく分けてしまうと、この子どもでは管理ができなさそうだ。子どもはうっすらと馬鹿にされたことを察したのか、こちらを睨んでくる。
「面倒だなあ。トフィーが警戒しすぎなんじゃないの?」
(そんなことはないよ。さ、そろそろルビウスも復活している頃だろうから、マダムマルキンの店へ向かおうじゃないか)
◇
どうやら大男は洋装店の近くにいないらしい、まだ回復していないのだろうか。
「あら、坊ちゃんもホグワーツ? ちょうどもう一人丈を合わせているわ」
店へ入ると、藤色の服に身を包んだ魔女が話しかけてきた。子どもが頷くと、そのまま踏台へと誘導される。別の踏台には、青白い顔の少年が同じように立たされていた。どうやら終わりかけのようだ。
「君もホグワーツ?」
「うん」
「僕の父は隣で教科書を、母は杖を見に行っていてね。まったく、一年生が箒を持てないだなんて理由が良くわからないと思わないか? 僕の父はホグワーツ魔法魔術学校の理事の一人でね、父を脅して箒をこっそり持ち込んでやるつもりさ」
少年は子どもの相づちを受けながら喋り続けた。箒、クィディッチ、寮の話。全て自分の話だった。
「はい。できましたよ」
マダム・マルキンが少年に声をかけた。
「じゃ、ホグワーツでまた会えたらいいね」
少年は気取りながら出ていった。子どもの目は死んでおり、なんとなく考えていることが想像できた。
(ダドリーそっくりだったね)
子どもはそれを聞いて大きくため息をついた。……これではあの少年と同じスリザリンは嫌がりそうだな。
ローブの採寸を終えて店を出ると、大男はアイスクリームを持ちながら店先で待っていた。子どもへ時間がかかったことを謝罪しながらアイスクリームを渡している。
子どもはアイスクリームを食べながら、大男へ先ほどの少年のことを話し始めた。大男はそれを聞きながら、クィディッチがマグルの世界でいうサッカーくらい人気があること、クィディッチは箒に乗りながら動くスポーツであること。そして、ホグワーツには四つの寮があり、悪の道に走った魔法使いや魔女は、みんなスリザリン出身だと話した。
(偏見にまみれた浅はかな考えだね。スリザリン以外の寮から犯罪者が一人も出ていないなんてこと無いだろうに)
それこそスリザリンが本当に大男の言うように悪の巣窟なのであれば、今頃寮は三つに減っているんじゃないか?
「ねえハグリッド。その、『あの人』もスリザリンだったの?」
「昔のことだがな」
子どもは白けた目をしながらこちらへ目配せをしてきた。あの小さいダドリーみたいな嫌な奴と同じ寮なのかぁ……とでも言いたげだ。先ほど馬鹿にしたことへの仕返しだろうか。
(言いたいことがあるなら言ったらどうだい?)
子どもは黙って首を小さく横に振り、大男に次は何を買おうかと相談をし始めた。……あんな甘ったれたお坊ちゃんと一緒にされるとは、なんとも胸糞の悪い話である。
その後は、羊皮紙に羽根ペン、錫の鍋と薬瓶など次々と学用品を購入した。またもや純金でできた光り輝く大鍋を欲しがった子どもは、大男に「錫じゃないといかん」と止められていた。無駄遣いを止められてこちらとしてはひと安心である。
教科書はフローリシュ・アンド・ブロッツ書店という、天井まで本がぎっしりと積み上げられているお店で購入した。
呪文学に変身術、薬草学に魔法史など。なんとも不思議なことに、背表紙に見覚えがあるものはどんな内容だったか記憶がうっすらと浮かび上がってくる。あの本は読んだ気がする、あの著者を僕は知っている……夢中になって本棚を眺めていたところ、気付くと大男の困り果てた声が聞こえてきた。
声が聞こえた場所へ向かうと、子どもは教科書そっちのけで一冊の本を読みふけっていた。大男すらも無視し、目を輝かせながらページをめくっている。背表紙を見ると「呪いのかけ方、解き方 ヴィンディクタス・ヴェリディアン著」と書いてある。
(……何をしているんだい?)
「これ凄いや。『最新の復讐方法で敵を困らせよう——ハゲ、クラゲ脚、その他あの手この手』これをダドリーにかけられたら、僕を追いかけることもできなくなるかも」
「ハリー。俺もダーズリーのデブチン息子を豚にしようと使っちまったがな、マグルの世界ではよっぽど特別な事情でもねえと魔法は使えんのだ。それに呪いなんておまえさんにはまだ早いぞ」
(そうだよ、ルビウスの言う通りだ。制御できない魔法は自分に返ってくる危険もあるからね。ダドリーをクラゲ脚にするつもりが、自分の脚がクラゲ脚になったら困るだろう? せめてもっと基礎を学んでからにするべきだよ)
子どもの目から、輝きがすっと消えた。ため息をつきながら本を棚へ戻し……もう一度目次を見て、やっとのこと本から手を離した。
「わかってくれたか。このまま動かんようだったら、俺はおまえさんを引きずってでも店から連れ出そうと考えとったぞ」
実は二人がかりで子どもを説得していたことを知ったら、大男はどう思うだろうか。子どもは大男がもっている教科書には目もくれずに、まだあの本の背表紙を見つめている。
大男は、そんな様子の子どもを見ながら購入した教科書を学生トランクへと詰め、残りの必要な学用品をリストと見比べていた。
「あとは杖だけか。……そういや、まだおまえさんに誕生祝いを買ってやってなかったな」
「えっ、僕ケーキもらったよ?」
「あれはもう食っちまっただろうが。うん、そうだ。ふくろうを買ってやろう。手紙のやり取りなんかもできるもんだから便利だぞ」
そう言って連れていかれたのは、イーロップふくろう百貨店という場所だった。
薄暗い店内には籠がたくさんぶら下がり、羽ばたきと低く響くような鳴き声が重なって響いていた。そして、籠の中から無数の丸い目がこちらを見ている。……直感の鋭いふくろうでもいるのだろうか? 子どもと大男だけではなく、こちらを見ている個体が存在しているように感じる。物理的な攻撃は受けないだろうが、念のため店の外で待っていることにした。
数十分後、子どもは大きな鳥かごを抱えながら大男と店から出てきた。子どもは何度もお礼を言っており、大男はその感謝を受けて照れたのかぶっきらぼうに「礼なんぞいらん」と言っている。
「さあ、あとは杖だけだな。杖と言ったらオリバンダーの店しかない、杖を持つなら最高の杖じゃなきゃいかん」