Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
オリバンダーの店の中は、古臭い椅子が一つ置いてあり、天井近くまでぎっしりと細長い箱の山が積みあがっていた。
大きな薄い色の目をした老人は、子どもを見るやいなや、やれお母さんの杖はああでお父さんの杖はこうだったとべらべらと弾丸のように話し続ける。最後に、子どもの額の傷に触れながら、この傷をつけた杖も自分が売った杖だとぽつりと言った。
「とても強力な杖じゃった。わしが間違った者の手に渡さんかったらのう……」
大変失礼な物言いをする老いぼれである。
今の僕に存在しているあやふやな記憶の中でもすぐ思い出せたほどに、あの杖は常に役に立ってくれたのだから。
……そういえば、その僕の杖は今どこにあるのだろうか。
(ハリー。その杖は今どこにあるのか聞いてくれるかい?)
反応がないので確認すると、子どもは若干のけぞっておりそれどころではないようだった。
目の前で傷をなで続ける老いぼれから距離を取ろうと、首を亀のように竦めている。
老いぼれは満足したのか、今度は大男に絡み始めた。どうやら話を聞くところ、あの大男は老いぼれに黙って傘に杖を仕込んで使っているらしい。
(ねえハリー)
子どもは傷と目元を手で覆いながら上を仰ぎ見ている。
……どういう意思表示なんだそれは。
結局僕の杖について尋ねることは出来ず、そのまま杖選びが始まってしまった。意味があるかはよくわからないが、老いぼれは巻尺でくるくると子どもの寸法を測っている。
「わしは父がケルピーの毛のような、質が低い杖の芯材に苦戦する姿を見ていましてね。家業を継ぐ時が来たら、絶対に最高級の芯材だけを使おうと決意したのじゃ。今では全て強力な魔力を持った物を芯材に使っておる。それに杖は魔法使いが選ぶものではなく、杖が魔法使いを選ぶものでしてな。ほかの魔法使いの杖を使っても、自分の杖ほどの力は出せないのじゃ」
老いぼれは棚の間を飛び回り、細長い箱を取り出している。
「ぶなの木にドラゴンの心臓の琴線。さあ、手に取って振ってみなさい」
子どもが杖を握り少し振るだけで違うと感じたのか、すぐに子どもの手から杖をもぎ取った。
「違うな。次、楓に不死鳥の羽根。どうぞ」
今度は子どもが杖を振る前に奪い去った。
「だめだ。では次の杖を」
三本目、四本目、試し終えた杖が椅子の上にどんどん積みあがっていく。店の花瓶が割れ、椅子が跳ね、棚から細長い箱が崩れ落ちてくる。店が徐々に壊れているというのに、老いぼれはますます目を輝かせて次から次へと杖を持ってきた。
……。
欲しい。
きっと僕ならもっと上手く杖を使いこなせるだろうし、いつか肉体を手に入れた時にも必ず杖は必要になるだろう。だからこそ手に入れるべき。……なのだが。
「……」
子どもは疲れ切った荒んだ顔をしている。若干杖を振る動作もおざなりになっているようだ。……さて、ここからどうにか予備の杖を買わせることはできるか?
気付けば試し終わった杖は山のようになっていた。
「さあ! 柊と不死鳥の羽根、この杖はどうじゃろうか」
子どもが杖を手に取り振ると、杖の先からきらきらと輝くものがあふれ出した。
「ブラボー! 素晴らしい!」
老いぼれと大男は声をあげて手を叩いている。
「よかったよかった。はてさて、不思議じゃ……まっこと不思議な……」
「何が不思議なんですか?」
「わしは自分が売った杖をすべて覚えておる。その杖の不死鳥の羽根にはな、兄弟羽があったのじゃ。同じ不死鳥の尾羽根をもう一枚。その尾羽根を使った兄弟杖がその傷を負わせてしまったとは……不思議なものじゃ。きっとあなたも偉大なことをなさるに違いない。『あの人』もある意味で偉大なことをしたわけじゃから」
ふぅん? オリバンダーは僕が偉大であると、よくよくわかっているじゃないか。子どもに至っては「またお前か」とでも言いたげな目線をこちらへと向けているのに。
(ハリー、僕の杖)
「あの、オリバンダーさん。その兄弟杖は今どこに……」
子どもの疑問を受けて、大男とオリバンダーは顔を見合わせている。
「……はて? そういえば、あの事件の後にポッターさんの家へと闇祓いが捜索に入ったと聞きましたが」
「いんや。『例のあの人』の死体も、使われていた杖も、どこにもなんも見当たらんかったらしい……」
杖ごと消えた? そんなことがあるのだろうか。死体も残っていないというのはどういうことだ? 実はこの状態は魂が肉体を離れているだけで、僕は死んでいなかったりするのだろうか。
「えっ僕の家?」
「ああ、おまえさんの家は今でもそのまま残っとるぞ! あそこはよく魔法使いが見に来るんだ!」
「確か記念碑も建っておりますな」
「そうだったそうだった。ゴドリックの谷には、おまえさんと父さん母さんの像もあるぞ!」
何だそれは。随分と趣味の悪い連中である。
(家を見世物にして像も建てるとは。ハリー、自分が像になってるだなんて知っていたかい?)
子どもは勢いよく首を横に振りながら叫んだ。
「なんで!?」
「そりゃおまえさんは魔法界の英雄だからな! おまえさんが載っとる本だっていくつもな」
(本人の許可もなく?)
僕が消えた日をこうまで念入りに祝われるとは、たいへん不愉快だ。いつか復活したら念入りに壊そう。
大男のはしゃいだ声を聞いて、子どもは吐きそうな顔をしている。
それにしても誰が許可をしているのだろう。もしや勝手に魔法使いどもが?
(ハリー。その家って今も君のものだったりしないかい? もしそうならダーズリー家で暮らさずに済むかもしれないよ)
「ハグリッド! その家って僕の家なんだよね、誰が残しているの?」
「さあ? 最初は誰だったか。みんなが来るようになってそのうちにな」
何故持ち主を放って好き勝手しているんだ。
「じゃあさ、僕の家なら直してそこに住んでもいい?」
「あー……いや、おまえさんはまだ小さいだろ。一人で住むなんてとんでもねえ」
「えぇ……」
逆に考えれば、もう少し大きくなれば問題ないということだろう。
家の話はもっと子どもが成長した時に考えるとして、今は僕の杖だ。
杖が見当たらないのなら仕方がない。折れたわけでないのであれば、いつか見つかる可能性もあるだろう。
(ねえハリー。杖が壊れてしまった場合を考えて、予備の杖を買っておかないかい?)
子どもはちらりと試し終えた杖の山を見た。なるほど、この杖選びの作業をもうやりたくないと。
(でも杖が一本しかないのは不安じゃないか? もしその杖が奪われたり折れてしまったら、その時点で君は無力になってしまうだろう?)
「……」
(それに、二本同時に持っておけば、状況によっては二本同時に使えるかもしれないよ)
子どもはギュッと一度目を瞑り、しぶしぶオリバンダーへと話しかけた。
「オリバンダーさん。杖って予備の杖を購入することはできますか?」
「二本ですか?」
オリバンダーは目を丸くし子どもをじろじろと見始めた。
「……ふむ。予備の杖」
そして試し終えた杖の山をじっと見ながら指さした。
「ポッターさん、あれが見えますかな。杖が主人を選ぶのです。それに杖の忠誠心というものは繊細かつ複雑なものでしてな」
なんだこの老いぼれ。
「それに、そもそも杖というものは、そういう買い方をするようなものではございません。それぞれの魔法使いと杖に唯一無二の出会いがあり、そして異なる運命や物語があるのですからのう」
肩をすくめて、はーやれやれとでも言いたげな老いぼれに苛立ちが募る。別に持てないわけではないのなら、この子どもに二本目の杖を渡しても良いだろうに。
「あっはい。わかりました」
子どもは、まだまだ天井近くまでぎっしり詰まっている杖の箱をみてすんなりと身を引いた。
(ちょっとハリー)
無視である。そのまま杖の代金を支払い始めたので、これはもう二本目の杖を買わせることは難しそうだ。
この老いぼれさえいなければ、杖が手に入ったのに。
……まあいい。必要になればその時に手に入れればよいだろう。
◇
気付けばもう夕方近くになっていた。杖を購入した後は、トランクと鳥かごを持ち「漏れ鍋」へと戻った。
「よし、じゃああとは帰るだけだな」
(待ってハリー。折角ルビウスがいるんだ、今着ているダドリーのお下がりとは別の服や靴を買いに行かないかい?)
できればビスケットやドライフルーツといった保存食も欲しいところだが、そこまで買おうとすると帰りが遅くなってしまいそうだ。
子どもは自分の服を見下ろし、数秒考えてから大男を見上げた。
「ねえハグリッド。僕、マグルの服も買いたいんだ。この服はダドリーのお下がりで動きにくくて」
大男が子どもの服を見た。上から下へ、こちらが考えていたよりもずっと長く。
「……それはいかんな」
そう言うと、その足で子どもをマグルの大きな服屋へと連れて行った。
シャツにジーンズ、下着や上着に靴など一式をいくつも子どもに選ばせ、そのまま紙幣を出そうとした子どもの手を遮り、「誕生日だからな」と言いながら大男が購入した。
更には、腹が減っただろうとハンバーガーを買い、子どもへと手渡した。
子どもは椅子に座りながら、受け取ったハンバーガーをじっと見つめている。
「大丈夫かハリー? ずいぶんと静かじゃねえか」
「……こんなに素敵な誕生日は初めてで」
言葉を選んでいるのか、ハンバーガーを食べながらゆっくりと話した。
「でも、みんなが僕を特別だって言うんだ。何が起こったのかも覚えてないのに」
大男はそれを聞くと穏やかな笑顔を浮かべ、子どもの方へと身を乗り出した。
「みーんなホグワーツで一から始めるんだ、心配せんでええ! そりゃ大変なことはあるだろうがな、きっと楽しいぞ!」
そう言いながら子どもへ封筒を手渡した。ホグワーツ行きの切符だそうだ。
「なにかありゃ、おまえさんのふくろうに手紙を持たせとくれ。俺のもとに届くだろうさ」
大男は、子どもが電車へ乗り込むのを手伝った。
「じゃあなハリー! またホグワーツで!」
子どもは名残惜しそうに大男を見ていた。
電車が走りだし、子どもが座席から立ち上がり窓に鼻を押し付けた時には、もうあの大男の姿は消えていたが。
(あと一か月ほどだろう? すぐ会えるさ)
子どもは小さくうなずき、窓から離れた。
帰りの電車では、膝の上に鳥かごを乗せながらも、子どもは窓の外を見つめ続けていた。
鳥かごの中の白いふくろうは目を閉じている。いや、その白い頭がゆっくりと動き、目を開いてこちらを向いた。
……こちら?
試しに移動してみる。ふくろうはぐるぐると首を動かし顔をこちらへ向けてくる。
……。
いや、まさかそんな。ふくろうという生き物は元々首がよく回る鳥だ。偶々こういうこともあるのだろう。
念のためもう一度移動してみる。が、やはりくるりとこちらに顔を向けてくる。
(は、ハリー)
「なに」
子どもは窓の外を見たままだった。
ふくろうは、引き続き瞬きもせずにこちらをじっと見つめている。
……今、僕は獲物だと思われているのか? 食われそうになっているのか? いったいどういう感情でこちらを見ているんだ、ふくろうの表情なんてわかるわけがない。
あの時、僕は何が何でもイーロップふくろう百貨店の中に残り、ふくろう選びに口を出すべきだったのだ。
たぶん今「このふくろうを別のふくろうに変えないか?」などと言おうものなら、この子どもは激怒するだろう。なにせ大男から貰った誕生日プレゼントで、今も膝の上に乗せてしっかりと握りしめているのだから。
(……そういえばハリー。このふくろうの名前は決めたのかい?)
子どもは窓の外を見ながら、首を小さく横に振った。
きっと、このふくろうにはさぞ恐ろしげな名前が似合うだろう。