Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
残念なことに、ダーズリー一家はどうやら無事に岩の上から帰ってこられたらしい。
なお彼らは、子どもがプリベット通り四番地に戻っても、誰ひとりとして声をかけたり話しかけたりすることはなかったが。
ダドリーは子どもを避け、ペチュニアやバーノンも子どもを存在しないものとして扱おうとしているようだ。過去の出来事を考えると、自由気ままに動けるというのは何とも都合が良い。
(不満かい? 今までのことを思えばかなり快適な生活じゃないか)
「気が滅入るよ。おじさんもおばさんも、目の前に僕がいてもまるでいないように振る舞うなんて」
悲鳴を上げて逃げたダドリーは面白いけどね。と続ける子どもは、時々僕のことを無視していることをどう考えているのだろうか?
(君もたまにやるじゃないか)
「トフィーって他の人に見えないじゃん。それに僕はあんなに露骨じゃないよ?」
(……そうだね?)
そう。この子どもが言うように、ずっと僕は子どもにしか認識されないものだと思っていた。
「……」
ならこのふくろうはなんだ。……いや、もしかすると僕の存在自体が、認識できる程度にしっかりとしてきている?
白いふくろうは相も変わらずこちらを見ている。せめて鳴くか羽ばたくか何かしら意思表示だけでもしないだろうか。
「そうだ! 名前つけなきゃね」
そういって子どもは鳥かごの出入り口を開け放った。
(は?)
自由になった鳥畜生は、羽ばたきながら鳥かごから飛び出し鋭い嘴をカチカチさせながらこちらへ突っ込んで来る。
(は!?)
急ぎ子どもの頭上へと退避する。滑空能力は向こうの方が上だが、滞空や空中移動の精密さは僕の方が上らしい。が、このままでは子どもが眠った瞬間に食われるのではないか? 僕は物理的な存在では無いはずだが、鳥畜生に襲われ挙句の果てに食われるだなんて不名誉すぎる状態は死んでも御免だ。
(ハリー! いきなり鳥かごを開けるのはやめてくれ!)
獲物が逃げたからか、鳥畜生はそのまま羽ばたきながら窓際にとまった。
僕は決してこんな意思表示は求めていなかった。これは確実に僕のことを獲物もしくは排除すべきものとして認識しているんじゃないか。
(それとその鳥にちゃんと僕を襲わないように言い聞かせてくれないか?)
「ダメだってさ」
トフィーってば厳しいねー。と鳥畜生に共感をしている子どもは一切使い物になりそうにない。こいつは躾を何だと思っているのだ。
そして例の鳥畜生は首をかしげている。……なんだ子どもの言っていることは伝わっているのか、伝わっていてなお首をかしげているのか?
(駄目に決まっているだろう。金輪際、僕にその鳥を近づけないでくれ)
えぇっと驚きの声を上げる子どもは、今一瞬で発生した出来事をじゃれ合いだとでも誤解しているのか? もう何でも良いからどちらもどうにかして呪うことはできないだろうか。
(……そうだ。ねえハリー、このふくろうの名前だけど。『ハーポ』とかどうかな?)
「なんで?」
(似合うんじゃないかな。たしか有名な魔法使いだよ)
ふと思い浮かんだ名前ではあるが、この鬱陶しい鳥畜生にはきっとお似合いの名前だと思う。
「……それっていい人?」
(さあね。魔法史か他の教科書に載ってるんじゃないかな)
「答えになってないんだけど」
こちらの受け答えに警戒したのか、魔法史や他の教科書をペラペラとめくり始めた。鳥畜生は先ほど子どもが言ったことが伝わったのか、こちらを見ながらもおとなしくしている。
「魔法史には見当たらないけど」
(じゃあ僕の記憶違いかな)
たしかそんな名前の魔法使いがいたような気はするが。はて、何をした人物かさっぱり記憶にない。
「……ハーポ?」
子どもが呼びかけると、鳥畜生は羽を逆立ててギャーギャーと大声で喚いた。
「嫌だってさトフィー」
(贅沢なふくろうだね)
僕なんて未だに菓子の名前から抜け出せていないというのに。
◇
「言い訳あるなら聞くけど?」
(別に僕は何も悪いことはしていないよ)
家に戻ってから家事などを押し付けられることもなくなった子どもは、部屋に閉じこもり購入した教科書を読み進めていた。
最終的には、ふくろうの名前は魔法史で見つけた『ヘドウィグ』というものに決まったようだ。
なお、決まるまでの間、ふくろうは開け放した鳥かごや窓から自由に出入りしては、せっせと子どもに死んだネズミを献上していた。どうやらこの子どもが痩せ細っていることを鳥頭ながらに認識しているらしい。献上されたネズミには、どうやらペチュニアを追い払う効果があったようで子どもは喜んでいた。
「……じゃあさ、これ見てどう思う?」
そう、子どもは教科書を読みまくっていた。
今子どもは教科書の一冊「幻の動物とその生息地」のとあるページを指さしている。
ページには、バジリスクの項目があり、その中に『バジリスクを生み出したのはギリシャの闇の魔法使い、蛇語使いでもあった腐ったハーポ』だと記載されている。
(へえ、そんな魔法使いがね)
「腐ったってなにさ! 僕のふくろうにとんでもない奴の名前付けようとしないでくれる!? それにこの魔法使い男じゃん、ヘドウィグ女の子なんだけど?」
あのふくろう雌なのか、鳥の性別なんて違いがさっぱりわからないし気にしたこともなかった。
(だから? 僕は思い浮かんだ名前を提案しただけだよ)
「トフィーは真っ先に思い浮かぶ名前が闇の魔法使いなの!?」
子どもは心底嫌そうな顔をしている。かと思いきや突然ニヤニヤとし始めた。
「へぇ~、ふぅん? トフィーってば自分の名前忘れてたのに、別の闇の魔法使いの名前は思い浮かぶんだ?」
なんだこいつ。
「もしかして、憧れの人だったりする?」
(……随分と楽しそうだね)
腹立たしい顔をしている。今すぐ外出中のふくろうが戻ってきて、この子どもの上にネズミでも落としたりしないだろうか。
「僕だったらすっごい昔の魔法使いの名前よりも、自分の名前のほうが大事だけどなあ」
(そうかい? 別に、名前なんて無くても困らないよ?)
名前なんてものは、結局のところ誰を示しているのか理解できれば良いのだ。『名前を言ってはいけないあの人』だって極論名前のようなものだろう。
子どもの眉がきゅっと中央に寄った。呆れと苛立ちが混じったような何とも言えない顔。
「トフィーさあ……」
(何だい)
「いや、何でもない。とにかく! 名前はヘドウィグにするから、トフィーもちゃんと呼んでよ!」
(はいはい)
羽ばたく音が聞こえたため窓の方を見る、どうやらちょうどふくろうが帰ってきたようだ。
「ヘドウィグおかえり!」
……そうだ、せっかくふくろうがいるのだ。このままホグワーツが始まるまで家に引きこもっているよりも、もっと有意義な時間を過ごせるのではないか?
漏れ鍋とダイアゴン横丁は子どもは嫌がるだろう。大男がいなければ他の魔法使いどもを蹴散らせないだろうし、無駄な出費をするべきでもない。ならば大男を呼びつけて気になることを確認しておくのはどうだろうか。僕の杖や肉体、あとは子どもの家か。
(ねえハリー。ハグリッドに手紙を出してみないかい?)
「うーん。でも迷惑じゃないかな」
(本人が手紙を出せって言っていたのだから迷惑じゃないさ。ほら、それにハグリッドがゴドリックの谷に君の家があるって言っていただろう? 相談すれば連れて行ってくれるかもしれない)
あの大男であれば、この子どもが連れて行ってくれと相談すれば断らないだろう。
子どもはさっそく羊皮紙を広げ、羽根ペンで書き始めた。
……。
(ハリー?)
「これ書きにくい」
最初の一文字がほぼインクで潰れている。いや、染みのようになっている。それに羊皮紙に羽根ペンが引っかかるのか何度もガリガリとしているし、インクをつけ直さないので徐々に細くなっている。
(これは慣れるしかないだろうね。インクは一度につけすぎないように、もっとこまめに意識するだけでも違うんじゃないか?)
◇
なんとか手紙を出せた数日後、返事のかわりに大男がプリベット通りへやってきた。
玄関前で子どものことを大声で呼ぶものだから、ダーズリー一家は家の奥へと引っ込んでしまった。なお、ふくろうは外へ出かけている。
「ようハリー! 元気だったか? 手紙ありがとな」
「ハグリッド!」
「じゃあ今から行くか!」
話が早い。どうやら無事に子どもの手紙は読めたらしい。
「どうやって行くの? その、ゴドリックの谷ってどこにあるの?」
「ああ、おまえさんの杖は持っとるか?」
「うん」
「そんじゃ、道路の脇に立って、杖を持ったまま道路に腕を突き出してみろ」
子どもは大男に言われた通り、道端で片腕を伸ばした。するとつんざくような音とともに、派手な紫色のバスが現れた。
「うわっ」
紫色の制服を着た車掌が、歩道へ降りてきた。
「ようこそ『ナイトバス』がお迎えにきました」
「さっ乗れ乗れ!」
大男は、車掌へゴドリックの谷までと伝えながら支払いを済ませた。バスの中には座席が並んでおり、バスが動き出すと一斉に乗客が転がった。子どもはなんとか座席にしがみついている。
ぶつかりそうになった街灯やごみ箱がバスを避けており、どうやら障害物になりそうなものは避けるようになっているらしい。歩道に乗り上げたり無秩序に走り回ることができるのは便利そうだ。
大男は、子どもに大丈夫かと言いながらも必死に目を瞑っている。
ゴドリックの谷は小さい村だった。辿り着いた時、大男はバスから降りるやふらりと倒れこんだ。
「すまんハリー……」
なぜ儚げな仕草をしているんだこいつは。
大男を無視して村を見渡す。何軒もの小さな家、小さな広場に記念碑らしきものが立っている。歩いている人間も普通の服装をしており、遠目から見るとマグルの村に見えた。
復活した大男と子どもは、小さな広場へと向かった。広場の近くには、店や郵便局だけでなく小さな教会も見える。
「ほら、あそこだ」
記念碑は名前が刻まれたオベリスクのように見えていた。しかし、近づくと三人の像へと様変わりした。
眼鏡を掛けたくしゃくしゃ髪の男性、髪の長い女性、女性の両腕に抱かれた額に傷跡の無い赤ん坊。
「あれがおまえさんの両親、ジェームズとリリーだ」
子どもは何も言わず近寄り、像をじっと眺めている。僕も大男も、それを黙って見ていた。
「……ハグリッド、ありがとう」
「礼を言われるようなもんじゃねえ」
そう言いながら大男は、教会へと子どもを連れて行った。
教会の裏側には墓地があった。傾いた石や、非常に古く雨風にさらされて読み取れない墓石も多く存在した。
「ここだ」
大男は白い大理石でできた墓石の前で立ち止まった。
一九八一年十月三十一日没。
子どもは何も言わず、ただ墓石の表面を指でなぞっている。……『最後の敵なる死もまた亡ぼされん』?
「ねえハグリッド、どんな人たちだったの?」
「そうだな……おまえさんの父さん母さんはな、俺の知っとる中でも優れた魔法使いだったぞ。二人ともホグワーツの首席だったしな」
「……まあ、父さんのほうは昔はとんでもねえ悪ガキだったけども」
「えっ」
おまえさんの父さんは大量の居残りや罰則を食らっていた。としんみりと懐かしげに話す大男と、問題児だったと聞かされショックを受けている子ども。
(ハリー。悪ガキといってもダドリーのようなものじゃなくて、深夜徘徊とか校則違反で罰則を受けているのかもしれないよ)
ショックから立ち直った子どもは、すかさずハグリッドに校則破りかを確認しているが、友人と一緒に人の頭を二倍に膨らませたり悪戯での罰則も多かったと聞いて撃沈している。
「……そう」
子どもは聞かなきゃよかったとでも言いたげな顔をしながらこちらを睨んでくる。
(……僕だってそんな話が飛び出してくるとは思わなかったよ)
最後に立ち寄ったのはポッター家だった。家の生垣は伸び放題になっており、瓦礫が散らばっている。
上の階の右側だけ屋根や壁が吹き飛ばされてはいるが、家の大部分はまだ残っていた。今が夏だからか、全体的に青々とした蔦や葉に覆われてしまっている。
僕には生垣や瓦礫は関係がないので、そのまますっと入る。
もし僕の杖や肉体に関してせめて何かしらの痕跡でもあれば良いと思ったのだが……。家の中は予想以上に荒れ果てており、痕跡なども植物に覆われていた。吹き飛ばされている上の階も見たものの、そこにも何も無かった。
子どものもとに戻ると、家の前の木の掲示板を見て大男と話し合っていた。掲示板を見ると、この家はマグルに見えないようにしていることと、記念碑として廃墟のまま保存していること、あとは記念にだろうか自分の名前や日付を書いた落書きがあった。
「ほれみろ! おまえさんへ向けた言葉もあるぞ」
(……これは、ここを修復して住むのは難しそうだね。たぶん落書きするような魔法使いはこれからもここに来るだろうし)
子どもは悲しそうな顔をしながら大きくため息をついた。