Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
ゴドリックの谷から帰った後、子どもは暦に一日ずつバツ印をつけて九月一日を指折り数えて待っていた。
キングズ・クロス駅には、バーノンに車で送ってもらえることになった。どうやら同じ日に、大男との言い争いの末に生えたダドリーの豚の尻尾を切除するためロンドンの病院へ向かう用事があるらしい。
(電車やナイトバスは使わないのかい?)
「だって、電車でこの大荷物を持つの大変だし、ナイトバスだとヘドウィグが無事か不安だし……」
子どもは、悩みに悩んで消去法でバーノンにお願いすることにしたらしい。あのふくろうなら、空に飛ばして「追え」とでも言えば子どもの元へと向かうだろうし、ナイトバスだろうとも平然としていそうだが。
ふくろうを見ると、こちらの視線に気付いたのか羽毛を膨らませて嘴を鳴らした。襲われた時と比べ意思表示が控えめになったのは子どもの目があるからだろうか、それとも子どもの言ったことを忠実に守っているからだろうか。……気に食わないのか相も変わらず威嚇はしてくるので、不用意に近づくと再び襲われそうだ。
「ハグリッドは何も言ってなかったけれど、九と四分の三番線ってどこにあるんだろう?」
おじさんとおばさんはそんなものあるわけないって。と、切符を見ながらぼやく子どもを見る。
(不安なら早めに車を出すようお願いしたらどうだい。今なら少しは話を聞くかもしれないよ)
それに、魔法界であの歓迎ぶりだったのだ。この子どもが学校に来ないとなれば大騒ぎになるだろう。
九月一日当日は、子どもは朝早くに起きて忘れ物が無いかを念入りにチェックしていた。
(そうだ。どうせなら君のものは全部一緒に持っていったらどうだい? 鍵付きのトランクの方が、この家より安全だと思うけど)
「たしかに」
子どもはトランクに詰め込み始めた。学生トランクにはまだ空きがあったのかスルスルと入っていく。子どもの持ち物がいっとう少ない可能性もあるが。
キングズ・クロス駅へ到着したのは、十時を少し過ぎた頃だった。
バーノンは、子どものトランクをカートに放り込み駅の中まで運んでいった。てっきりトランクを車から出したらそのまま走り去るかと思っていたのだが、いったいどういう心境の変化だろうか。子どももそのバーノンの親切に対して疑り深い目を向けている。
「さて。九番線と……十番線だったか?」
ニタリと笑いながら、バーノンは九番線と十番線の間を指差した。
「そんなもんどこにも見当たらんようだな。え?」
大変嬉しそうにニタニタとしている。この一か月ほど、子どもに対して余程不満を募らせていたらしい。
「じゃあな、新学期をせいぜい楽しむといい」
そう言い捨てるとカートを放置して車に乗り込み、三人で大笑いして去っていった。今現在もダドリーに豚の尻尾が生えていると思うと、だいぶ愉快な姿である。
「トフィー」
(彼らはこの後ダドリーの手術か。僕らは彼の尻尾が上手くとれるよう願っていようじゃないか)
子どもは小さく頷き周囲を見渡した。なるほど、探せと。
(漏れ鍋のように隠されているんだろうね)
「トフィー、それっぽい壁や柱にぶつかってきてくれない?」
(……お願いしたいのなら、もっと頼み方というものがあるんじゃないか?)
この子どもは、僕が偉大な魔法使いだということを忘れているのだろうか。いっそ言葉だけで呪うことができれば良いのに。
「お願い」
少し頭を下に傾けつつも、僕が片っ端からいろんな壁にぶつかって怪我したらトフィーも困るでしょ? と理由をつらつらと話している。どうして自分が怪我をする前提なのだろうか。そしてなぜこの子どもは、捨て身を盾にして使うようになっているのか。
(…………動かないでくれよ)
空中へとあがり、九番線と十番線の間を見渡す。僕自身が壁や柱にぶつかるような滑稽な真似はしたくないし、そもそも壁の中にめり込もうなどと考えたことも無いため、実際に壁にめり込んだらどうなるかわからない。ここはひとつ、子どもの同年代かつ荷物を持った人間を探すことにする。
……。
……僕は運が良いようだ。少し離れたところに、子どもと同年代くらいの砂色の髪の少年と母親らしき人物がいる。
(ハリー。君から見て右に少し進んだところにそれっぽい少年を見つけたよ)
観察していると、母親に何か言われた少年が、ためらいなく九番と十番の間にある柵に向かって走り、そして消えた。続けて母親らしき人間も柵へと消えていった。
「うわぁ」
(さ、ハリー。進むんだ)
子どもがゆっくりとカートを進め始めたので、後ろからついていく。柵にぶつかる瞬間、すっと通り抜けたと思うと目の前に紅色の蒸気機関車が停車しているプラットホームが現れた。ホームの上には『ホグワーツ行特急11時発』と書いてある。
「やった! 九と四分の三番線!」
子どものはしゃいだ声につられて同じように振り返ると、たしかにアーチにそう書かれていた。周りを見渡すと、色とりどりの猫が歩いており、ふくろうがそこかしこで鳴いている。
少し気になったので、適当なふくろうの目の前を通ってみる。しかし、こちらの存在に気付くふくろうは居なさそうだった。ならばあのふくろうだけが特殊なのだろうか? 今も鳥かごの中から、何をしているのかとでも言いたげに目を細めてこちらを見ているというのに。
「何してるのトフィー、行くよ」
……どうやらふくろうは、僕が子どもを放置していたことが気に障っていたようだ。
(結構早めに着いたからか、先頭車両以外はまだ空いていそうだね。どうする?)
「うーん。とりあえず空いているコンパートメントを見つけたいな」
子どもは人混みをかき分けつつ、最終的に最後尾の車両近くの席に決めたようだ。鍵付きトランクには軽量化の効果もついているからか、子ども一人ですんなりと持ち上げている。そのまま窓際の席に座り、汽車が滑り出すまでプラットホームにいる様々な家族たちを見つめていた。
◇
コンパートメントの戸が開き、赤毛の少年が入ってきた。
「ここって空いてる? 他はどこもいっぱいで」
子どもが頷くと、赤毛の少年は向かいの席に腰掛け、ちらちらと子どもの顔を見ながら窓の外へと目線を向けた。
「おっ、ロン。ここにいたのか」
「リー・ジョーダンがでっかいタランチュラを持ってるらしいぜ」
少し経つと、赤毛の少年に似た双子がコンパートメントの戸を開いて話し始めた。赤毛の少年は少しだけ嫌そうに返事をしている。
「やあ、僕たちはフレッドとジョージ・ウィーズリーだ」
「こいつは弟のロン、よければ仲良くしてやってくれよな」
それぞれ交互に話しながら颯爽と出ていった。……ペットの持ち込みはふくろう・猫・ヒキガエルだけかと思ったが、意外と規則は緩いのか?
「ねえ、今のってお兄さん?」
「そうだよ。……よく入れ替わってはママや僕をからかったりするんだ。僕、ロン・ウィーズリー」
「結局どっちがフレッドでジョージかわからなかったよ。僕はハリー・ポッター」
赤毛の少年は名前を聞いて目を丸くした。
「えっ、ほんとにハリー・ポッター? じゃあその、あれってほんとうにあるの……ほら……」
そう言いながら子どもの額を指差した。なんだか図々しい少年である。子どもは前髪をかき上げて傷跡を少年に見せている。
「うわーっすげえ……! これが『例のあの人』の」
「何も覚えていないけどね」
(ハリー。見世物じゃないんだ、そんな真似はやめてくれ)
赤毛の少年は、まだ傷跡を無遠慮にじろじろと見つめていた。子どもはこちらの小言を聞いてかさりげなく前髪を元に戻し、赤毛の少年に家族も魔法使いなのかを聞いている。
話を聞いたところ、ウィーズリー家は古い魔法族の家系のようだ。そして五人も上に優秀な兄弟がいるらしく、少年は服も杖もお下がりだし期待に応えても兄と同じだから評価されないのだと愚痴っている。子どもは少しばかり共感を覚えたようで、自分も一か月前まではお下がりしかない生活だったと話している。
「それに僕何も知らなかったよ。魔法使いだってことも、両親のことも、ヴォルデモートだって」
「『例のあの人』の名前!?」
少年ロンは驚いたような声を上げた。名前を言ってはいけないと、十年ほど経過して大人だけではなく子どもにも浸透しているのか。こうも徹底した禁句扱いをされると、それはそれで馬鹿にされているような、神経がささくれ立つような不快な気分になるものだ。
お昼ごろに、車内販売の魔女がコンパートメントの戸を開いた。魔法界の菓子だろうか、見たこともないような商品が並んでいる。子どもは目を輝かせながら端から端まで購入しようとしている。……かなりの量になるが食べきれるのだろうか。
(そんなに買って食べきれるのかい?)
子どもはロンの方に一瞬目を向けた。なるほど? しかし風船ガムだの杖形甘草あめなど、明らかに数時間では消費しきれなさそうなものもあるが。
(食べきれなくても僕は知らないからね)
結局子どもは両腕いっぱいに買い物をしてしまった。……よく考えれば、この子どもにとって自由に使えるお金を持つこと自体ほぼ初めてなのだ。このまま放っておいて金銭感覚は問題なく身につくだろうか? 子どもは購入した菓子を、目を丸くして驚いているロンと分けあって食べ始めた。
「へぇ、この人がダンブルドアなんだ!」
わっと子どもが声を上げたため、持っていた蛙チョコレートのカードを見る。そこには半月形の眼鏡を掛けた曲がった鼻の、髪や髯が白い年老いた枯れ木のような老人がいた。これがあの大男が言いなりになっている人間か。まあ何とも胡散臭そうな老いぼれである。
子どもがカードを裏返すと、そこには現ホグワーツ校長であることや、自分が偉大であると誇示するような内容が書かれていた。このカードの説明文は誰が考えているのだろう、『近代で最も偉大な魔法使い』? 自分で書いているのであればあまりにも自惚れが過ぎるし、誰かが書いているのならこんな風に言われて羞恥心は覚えないのだろうか。こちらが見ていることに気付いたのか、子どもはサッと表側へとひっくり返した。
その後も、二人は話しながら菓子を食べ続けた。百味ビーンズを恐る恐る食べ比べたり、大鍋ケーキに挑戦したり。ふと、子どもが見たことがない表情を浮かべていることに気付き、この子どもにとって気楽に話せる同年代という存在が初めてだということに思い至る。どうやら僕が知ったつもりだった子どもには、まだまだ知らない顔があるらしい。
窓の外に目を向けると、徐々に荒涼とした風景が広がり始めていた。