Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
この家に入って最初の数日で、意識はこの家の仕組みを理解した。
……理解したというのは正確ではないかもしれない。そもそも記憶も存在すらも曖昧な何かがどうやって周囲を認識しているのか。ただそれでもこの子どものそばにいると、子どもを中心とした狭い範囲のことが薄ぼんやりと感じ取れた。光の加減、空気の温度、人間の気配や声。
世界はこの子どもの周囲だけだった。
プリベット通り四番地。二階建てで整然とした面白味のない家。庭は丁寧に手入れされ、窓は磨かれている。普通の家、普通の夫婦、普通の子育て。この住宅街の他の家と同じような変わらない平凡な暮らし。
その普通の中に子どもはいた。
(階段の下に)
二日目の朝。女——ペチュニアと呼ばれていた——が子どもをソファから階段下の物置へ移した。毛布とやわらかい布を敷いただけの小さな空間。
同じ家の二階にはもうひとり子どもがいた。太い手足を振り回して泣く、夫婦の実の子。そちらの部屋は広く明るく、壁には淡い色の動物の絵が貼ってあった。柔らかなベッドに動く飾り物と、積み上げられたぬいぐるみ。
その差を見ていた。
子どもが泣く。腹が減ったのかおむつが濡れたのか、ただ寂しいのか泣いている。しかし階段を降りてくる足音はなかなか来ない。台所で皿を洗う音が鳴り、テレビの声が居間を満たし、夫婦の子どもがはしゃぐ音がして……そのどれもがすぐ近くにあるのに、階段の下だけがまるで切り取られたかのように静かだった。
(来い)
声にならない念を、意識は暗い物置の中で繰り返した。この子どもが泣いているのに誰も来ない、その事実がひどく不快だった。
ペチュニアはやがて来る。だがそれは丸々ぷくぷくとした子どもの世話が一段落してからで、足音はいつも面倒くさそうに重く、物置の扉を開けるときの顔には何の温かみもなかった。食事を与える手つきは手早かったが、そこに情はなかった。必要最低限の動作を、必要最低限の時間で済ませてすぐに出ていく。
子どもは、食事の最中いつも緑色の目でじっとペチュニアの顔を見上げていた。
ペチュニアは一度もその目を見返さなかった。まるで緑色の目を視界に入れるべきものではないかのように、一度も。
バーノンに至っては、子どもを見ようともしなかった。廊下を通るとき階段下を素通りし、泣き声が聞こえれば「やかましい」とボヤき、それ以上は関与しなかった。まるでこの子どもがこの家にいることそのものが、何かの間違いであるかのように。
意識は苛立っていた。そして怒りを持ったことにより、ただ宙を漂う何かよりもほんの少しだけ存在が鮮明になった。
(怒りを覚えることができるのであれば、考えることもできるはずだ)
日が経つにつれ、思考ははっきりとしていった。最初はもやの中で手探りするような、ぼんやりとしたまどろみの集合体だった。それらを少しずつまとめあげ、束ねることで言葉になった。
額に稲妻の傷があるこの子どもは、名前を呼ばれることすら少ない。ペチュニアがこの子どもを呼ぶとき「あの子」と言った。あるいは「ポッターの子」と。まるで名前を口にすること自体が忌々しく不快であるかのように。
(ハリー)
封筒に入っていた手紙に書かれていた名前を覚えていた。あの最初の夜、ペチュニアが震える手で手紙を読んだときにその断片を拾っていた。
ハリー・ポッター。
その名前を意識すると奇妙な感覚があった。知っているような気がする。その名前を、その名前に繋がる何かを。しかし霧がかかったように曖昧で、掴もうとすると散り、散るときに残すのは不快な余韻だけだった。
(……)
自分は思い出したくないのだろうか? 深く考えようとするだけで、殺意に似た苛立ちが湧き上がってくる。この子どものそばにいるという事実が? そもそも自分の存在を含めてここにいること自体が? 何もかもがとんでもない冗談のようで、何かが酷く間違っているような。
だから考えるのをやめ、代わりに目の前の子どもを見つめた。
◇
季節が進んだ。意識にとって時間の流れはとても奇妙なものだった。この子どもの傍にいると、一時間がひどく長い。夜中に泣いて、誰も来なくて、ようやく泣き疲れて眠るまでの時間は永遠に近かった。しかし振り返ると、日々は水のように流れていた。
子どもは育った。ゆっくりと、しかし確実に。
ダーズリー家に来た頃から、この子どもはもう歩いていた。おぼつかない足取りで、壁に手をつきながら物置の狭い空間をよたよたと。壁にぶつかっては方向を変え、毛布に足を取られては尻もちをつき、扉の隙間から漏れる光に向かって手を伸ばした。
それをずっと近くで見ていた。そもそも離れると意識が保てなくなるだけではあるが。
この意識がもし霧散してしまってそのまま戻れなかったら? 肉体を持たない自分に死が訪れる可能性はなにひとつとして試したくなかった。
そんな日々の中、バーノンの怒鳴り声で目を覚ました子どもが泣き出しかけてそのままきょとんと止まった。
目に涙を溜めたまま、暗い物置の天井を見上げて。そしてあの最初の朝と同じように、何もいないはずの空間を見たのだ。
口がもごもごと動いた。声にはならない、だが怯えていた顔がゆっくりとゆるんだ。涙がひとつ頬を転がったが、泣き声にはならなかった。小さな手が持ち上がり、こちらに向かって開いた。握るのではなく、触ろうとするように。
指先が空を掴んで閉じた。何もなかったことにこの子どもは不思議そうな顔をした。もう一度その空間をじっと見つめ、それからゆっくりと目を閉じた。
(見えているのか?)
いや、小さな子どもが暗い場所で目を覚まして、何かを探すように視線をさまよわせるのは珍しいことではない。たまたま自分がいる方向を見た、それだけだろう。
しかしそれが何度も繰り返された。
夜中に目を覚ましたときや泣きそうになったとき。ペチュニアが物置の扉を閉めて去ったあと、いつも子どもは同じ方向を見た。意識がいるほうを見つめて、小さな声を出したり手を伸ばしたりした。
偶然ではない。それがなんだか意識に妙な重さを落とした。
この子どもには自分が見えている。見えている、という言い方が正確でなくても、少なくとも何かを感じている。暗い物置の中で、冷たい床の上で、誰にも顧みられない夜の中で、この子どもは自分がいることを知っている。
(……使える)
この子どもがもしも自分を感じているのであれば、こちらからの働きかけに対して何らかの効果がある可能性がある。何もできないと思っていたが、完全にゼロではないのかもしれない。保身で子どもの傍にいたが無意味ではなかった。それはつまり、手段が一つ増えるということだ。
それは同時に、ひどく悩ましいことでもあった。
自分は何者かも、この子どもと何の関わりがあるのかもわからない。額の傷に緑色の光の残像。考えるたびに意識の奥で何かが軋む記憶の欠片。もしもこの子どもが自分にとって——
(……)
◇
季節は更に巡った。春には庭のバラが青々と伸び、窓から差し込む光が少し暖かくなった。夫婦の子どもが二階でどたどたと走り回る音がし、この緑の目の子どももしっかりとした足どりで動くようになっていた。物置の中を端から端まで歩き回り、扉の隙間に指を突っ込んで外を覗こうとする。足取りはまだ危なっかしかったが、転んでも泣かずに立ち上がるようになっていた。
夏には家の中が暑くなり、もう赤ん坊というには大きくなりはじめていた子どもは、汗をかいて不機嫌に泣いた。階段下は風通しが悪い。ダーズリー家の居間では扇風機が回り、ダドリーは涼しい顔でおもちゃを振り回していた。
(この家の人間は、この子どもを何だと思っているのか)
いや、最初の夜から知っていたとも。玄関先で子どもを見下ろした男の嫌悪の顔。女の荷物を拾うような手つき。二人にとってこの子どもは家族ではない。家の中の異物。義務として預かった、厄介なお荷物。
しかし「知っている」ことと「実感する」ことは違った。毎日毎日この子どもが泣いて、誰も来なくて、量の少ない冷めた食事を与えられ、名前も呼ばれず呼びかけられもせず、夫婦の子どもとの扱いの差を——まだ言葉を持たない子どもが意味を理解しているかはわからないが——肌で浴び続けるのを見ているのはひどく不快だった。
そんな状態の中でも、子どもは走り回れるほど活発になっていた。物置の棚に手をかけてよじ登ろうとした。壁の釘にぶら下がろうとした。扉の取っ手に背伸びして手を伸ばした。意識はそのたびに、落ちる方向を見て頭を打たないかを気にした。何もできないくせに。
そして、子どもは少しずつ何かを話すようになった。「あー」「ばっ」「だー」といった音の断片。ペチュニアに向かって、バーノンに向かって、ダドリーに向かって。だが返事をもらえることは稀だった。ペチュニアは用事があるときだけ物置の扉を開け、用事が済めば閉める。子どもが声を出しても、聞こえていないかのように振る舞った。
子どもは、物置の中で声を出した。
扉が閉まっているとき。誰もいないとき。暗い狭い空間の中で声を上げる。天井に向かって、壁に向かって。そして意識がいるほうに向かって。
最初は区別がつかなかった。ただ声を出す練習をしているだけかもしれない。小さな子どもとはそういうものだ。しかし、子どもが意識のほうを向いて声を出すとき、それは他の方向へ出す声とは違っていた。
もっと小さく、もっと柔らかい。
叫ぶのではなく、呼ぶような声。誰かがそこにいると知っていて、その誰かに向けて出すような声。
(話しかけている?)
何者かもわからない自分に。この子どもは、暗い物置の中ひとりぼっちで自分にだけ聞こえる声で。
……試す価値はあった。
この子どもが自分を感じ取れるのなら、こちらから子どもへ何か影響を与えられる可能性がある。可能性があるなら検証すべきだ。手段が増えるかどうかの問題であって、それ以上の意味はない。
意識は集中した。
あの最初の夜、泣けと念じたあのときのように。何に集中しているのか、自分でもわからなかった。
声にも音にもならない、ただの思考を子どものほうへ。
子どもが黙った。
声を出すのをやめて、きょとんとした顔をした。何もいない空間を見つめている。いつもと同じ、ただ今度はいつもより長く見つめていた。
そして笑った。
小さく口の端がほころぶような笑い。歯の生えかけた口が開いて、柔らかい音が漏れた。笑い声というには頼りなかった。だが確かにこの子どもは笑っていた。何もいないはずのそこに向かって。
……ふと、無邪気な笑顔というものを珍しく思っている自分に気付いた。
記憶の底に笑顔はあった。しかしそれは、自分によって引き出された笑顔だ。魅了し、誘導することで相手の顔に浮かべさせた表情だ。
この子どもは何もしていないのに、こちらを見て笑っている。
それが妙におさまりが悪かった。対価なしに差し出されるものは信用できない。
子どもはまだ笑っていた。手を伸ばして空を掴もうとして、掴めなくても笑っていた。
意識には応える術がなかった。念じても届かないし伝わらない。この笑顔が自分のせいなのかどうかもわからないまま。
それでも、ここを離れるという選択肢はどこにもなかった。
◇
子どもが夜中に目を覚ますことは相変わらず多かった。暗い物置の中で目を開けて、怖いのか寂しいのか、声にならない声を出す。泣くこともあったが、前よりも泣く時間が短くなった。
変わったのは、泣き止み方だった。
以前は泣き疲れるまで泣いていた。声が枯れ、体力が尽き、ぐったりと眠りに落ちるまで。それが少しずつ変わった。夜中に目を覚まし、泣きかけて、そして何もいない方向を見る。じっと見つめているうちに、声が小さくなり身体の強張りが緩み、やがて目を閉じる。
まるで何かを確認しているかのように。
ひとりじゃないことを。何かが自分の近くにいることを。
意識はそのたびに同じことをした。言葉にならない、届いているかもわからない、ただの意志を向けた。
それが夜の習慣になった。
別に何も起きていないのかもしれなかった。「自分」という存在はそもそも妄想で、子どもがこちらを見るのはたまたまで、子どもが落ち着くのは単に成長して夜泣きが減っただけかもしれない。
それでも意識は続けた。自分の存在には価値があると思いたかった。
この子どもが死ねば自分も死ぬ。動機の底にはその打算がある。常に。
だが打算だけならば、こうもまめに意識を向ける必要はない。この子どもが生きていれば自分も消えない。その打算の外側にあるくだらない何か。
自分という存在が、この異常な状況下で狂ってしまったとしか言いようがなかった。
念じた。それが何の役に立つとも思えないが、それしかすることが無かったので。
意識は見ていた。
この子どもが棚によじ登ろうとして転んで、泣きもせずにまた挑むのを。物置の扉の隙間から差す光に手を伸ばすのを。この家の誰にも振り向かれない声を、それでも出し続けるのを。暗い場所で目を覚まして、怖がって、それでも安心して眠るのを。
子どもが眠っていた。暗い物置の中で、薄い毛布にくるまって、小さな手を握って。その手は何かを眠りながら掴もうとしていた。
意識は見ることしかできなかった。
昨日も今日も、他にすることもなかったので。