Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
子どもは岸辺に並んだ小船に乗り込んだ。小船は四人乗りらしく、子どもの他にはロンやコンパートメントで出会った、ペットを無くした少年ネビルやハーマイオニーが乗っている。
「よし、みんなボートに乗ったな? じゃあいくぞぉ!」
大男が号令を出すと、小船は一斉に湖を進み始めた。水面は暗く黒々としており底は見えない。向こう岸の崖下は蔦が生い茂っており、くぐり抜けると地下の船着き場が見えた。天井が低く、大男の声だけがよく響いている。ついでに無くしたペットは小船から見つかったようだ。
石段を登った先で大男が扉を三度叩くと扉が開いた。エメラルド色のローブを着た魔女が、口元を引き結び背を伸ばして立っている。
「マクゴナガル先生。一年生を連れてきました」
「ご苦労様ですハグリッド。さあ、新入生のみなさんホグワーツ入学おめでとうございます。ここからは私が案内しましょう」
魔女は一年生をホールの脇にある小さな部屋へと通すと、四つの寮を説明し始めた。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。寮の組分けをこれから行うこと、在学中は寮が家族のようなものになること。よい行いをすると寮には得点が入り、規則違反などは減点されること、そして年度末に最も点の多い寮に名誉ある杯が与えられること。
そのまま、そろそろ組分け儀式が始まるので、身なりを整えるように言いながら出て行った。子どもは髪をなでつけているが、正直手ぐしで何とかなるような髪ではないので無駄な足掻きである。
「ねえ、寮をどうやって決めるか知ってる?」
「フレッドがトロールと戦うすごく痛い試験だって……けど、きっと冗談だ」
子どもがこちらを見てきたが、僕の記憶には組分けの儀式など何もない。
(さあ? 記憶にないね)
大きなため息を吐きながら子どもはドアへと視線を向けた。何とも失礼な仕草である。嫌がらせとして何かできないか考えていると、急に子どもが宙に飛び上がった。
「え……?」
子どもの目線をたどると、壁から白く透き通ったゴーストが二十人ほど現れていた。彼らは一年生には見向きもせずに話しながら通り過ぎていった。太ったゴーストだけが一年生に積極的に話しかけている。
「さあ、組分けが始まりますよ」
魔女に連れられて、子どもは大広間へと入っていった。
四つの長テーブルには上級生だろう魔法使いたちが着席しており、その頭上には何百何千という蝋燭が空中に浮かんでいた。天井には星空が浮かんでいる。
一年生を引率した魔女はそのまま四本足の椅子を配置し、上に古帽子を置いた。古帽子はふるふると震えると、破れ目のようなものが口みたいに開き歌い始めた。……自分がいかに他の帽子よりも優れているかを長々自慢し、それから四つの寮を語っている。
「なんだ、フレッドのやつトロールと取っ組み合いだなんて嘘っぱちじゃないか」
とっちめてやる。と子どもに囁いているロンはだいぶ緊張が解けているようだった。その代わり子どもは弱々しい笑みを浮かべており、より緊張が増しているようだ。
魔女は長い羊皮紙の巻紙を手に名前を読み上げ始めた。呼ばれた新入生は椅子に座り帽子を被っており、早いものだと数秒で、遅いものは数分ほど寮の選定に時間がかかっていた。コンパートメントで子どもと知り合った人間、ハーマイオニーやネビルはグリフィンドールへ、ドラコやクラッブとゴイルはスリザリンへ分かれているようだ。それにしてもほぼ帽子をかぶる前に寮を叫ばれている人間がいるのは、いったいどういう状態なのだろうか。
「ポッター、ハリー」
大広間が静まり返った。いや、そこかしこで囁き声が聞こえている。
「あれがあの」
「もしかして、ポッターっていった?」
広間中の人間が首を伸ばして子どもを見ようとしているのを見てしまったのか、子どもは物凄く緊張してしまっているようだ。
子どもが帽子を被った瞬間、意識の中で反響するような低い声が聞こえた。
「ふむ」
「ふうぅむ、非常に難しい。勇気もあり頭も悪くない。才能も素晴らしい向上心も……」
……へえ、やけに高評価じゃないか。この子どもはどの寮にも適性がある、ならば。
(スリザリンがいいと思うな)
適性があるのであれば、やはりスリザリンが良いだろう。
「おやまあ。すまないね、君には聞いていない」
……ん?
もしや僕の声が聞こえている……? 子どもも驚いたのか肩を跳ねさせた。
(僕の声が聞こえるのか?)
「聞こえるとも。それよりも今は組分けだ。さて悩ましい、どこに入れたものか」
何故僕の声がこの古帽子に聞こえているのか。こちらにとっては大変重要なのだが、確かに帽子が言うように子どもの組分けも大事だ。
(適性があるならハリーはスリザリンでも良いんじゃないか?)
「確かにスリザリンも悪くない。君はスリザリンに入れば偉大になれる可能性がある」
(ならスリザリンじゃないか)
「せっかちだね。本人はまだ迷っている」
いったい何を迷う必要があるんだ。偉大になると確約されているようなものなのに。
(スリザリンなら将来を約束されたようなものなのに?)
「そうだね、その通りではある」
よし、決まりだな。
……。
…………?
帽子がなぜか叫ばない。
「他の寮も気になるのか、だがスリザリンなら——」
帽子が身を捩りはじめた。どうやら子どもは、何かしらを脳内で帽子に訴えているようだ。
「おや。……本当に嫌になったのか、間違いなく大成できるのに」
は? 何故スリザリンにしないんだ。
(ハリー、何故嫌なんだい。スリザリンで偉大になれるならそれでいいじゃないか)
「チッ」
子どもは小さく舌打ちした。帽子で顔が隠されていて見えないが相当苛立っているようだ。だが、いくら帽子で隠れていて広間がざわめいているからって、さり気なく舌打ちするなんてどうかと思うが。周囲に聞こえない程度だったのか誰も反応していないのが不思議である。
(やっぱりスリザリン向いているよ)
「ふうむ。そうか君がそう思うのなら……グリフィンドール!!」
何故よりにもよってその寮なんだ。
(ちょっと——)
帽子へ質問しようとしたが、その前に子どもは帽子を脱いでしまった。……子どもが被っている間じゃないと意思疎通ができないのか。そのまま子どもは歓声を受けながら、ふらふらとグリフィンドールのテーブルへと向かっている。テーブルではロンの兄弟である双子や、別の兄であろう人物が立ち上がりながら出迎えている。
「マジかよ!? ロニー坊やとコンパートメントで一緒にいた子じゃないか!」
「やったぜポッターを取った!」
物凄い勢いでもみくちゃにされながらも、子どもは寮のテーブルへと座った。手前の教職員テーブルでは大男が子どもへ向けてにこにこと合図を送っている。
だが、僕としてはこの組分けに物申したい。明らかに僕もあの帽子もスリザリンを推薦していたじゃないか。
(ちょっとハリー)
黙ってこちらのいる方向へ振り払うかのように手が飛んで来た。
……本当に何様のつもりなんだ。避けるが、これ以上続けたら人目も気にせず暴れだしそうなので一旦は黙ることにする。
ロンの名前が呼ばれたのはそれから少ししてからだった。帽子はすぐさまグリフィンドールと叫び、子どもの隣へ転がるようにして座った。
教職員テーブル中央に座っている白い老人が立ち上がった。腕を大きく広げて満面の笑みを浮かべている。
「おめでとうホグワーツの新入生!」
それから白い老いぼれは、耄碌したかのように意味のわからないことを叫んで席についた。今ので何故拍手や歓声があがっているのかもさっぱり理解できない。子どもも同意見なのか、近くの上級生に質問している。
「あの人ってちょっと変?」
「変? あの人は世界一の天才魔法使いさ! うん、でもちょっとおかしいかもね」
駄目じゃないか。
赤毛の青年は、そのまま子どもへポテトを食べるか聞いてよそい始めた。ローストビーフにチキン、ポーク、ラム……肉やポテト、油ものばかりが並んでいる。見渡すと隅の方に豆やにんじんが添えられていた。
見ているだけで胃がもたれそうだが、子どもは目を輝かせながらお皿に取って食べ始めた。
◇
「おいしそうですね」
子どもが早速ゴーストに絡まれている。そういえば、似たような境遇だが僕はゴーストには見えないのだろうか?
ニコラス卿だと名乗ったゴーストの目の前を通り過ぎてみる。
ふらふらと周囲を回ってみた次の瞬間、このゴーストは自分の耳を引っ張って首を肩の上に落とし、僕の目の前に急に千切れかけの首の断面をお出しした。こいつ、本当に僕が見えていないのだろうか? わざとなのだろうか? わざわざ自分の首の断面を晒すような特殊な趣味嗜好をお持ちとは、ゴーストとは難儀なものだ。一生僕に近づかないでほしい。
急いでゴーストから離れた僕を見ていたのか、子どもは呆れたような表情をしている。
(何か、言いたいことでも?)
子どもは黙ってお皿へと視線を落とした。いつの間にか食べ物は消え去り、デザートが現れ始めていた。
「僕はハーフなんだ」
九と四分の三番線の入り口で見かけた砂色の髪をした少年シェーマスが話している。どうやら、家族の話題になっているようだ。子どもは糖蜜パイを食べながら、黙ってネビルのいかれた親族の話に耳を傾けている。
やはりこの子どもには、グリフィンドールではなくてスリザリンが良かったのではないだろうか。有名な生き残った男の子の前で不躾に家族の話をし始めるなど、そんな無神経さとはたぶん無縁で過ごせるだろうに。
ふとスリザリンのテーブルを見ると、ドラコの隣に虚ろな目にげっそりとこけた顔をしたゴーストがいた。ドラコは嫌そうな表情をしているが、拒否もできないのかなんだか面倒そうなことになっている。
……?
「痛っ!」
急に何かに引っ張られるような、不思議な感覚があった。あたりを見まわすと子どもが額を押さえている。
そのまま子どもは、教職員テーブルに座っている教師が誰なのか上級生に聞き始めた。
(どうしたんだい?)
子どもは首を振っている。後で、ということだろうか。
食事が終わると、白い老いぼれがまた立ち上がり、ホグワーツでの注意事項を説明し始めた。死にたくなければ特定の廊下に近づくなと話している。そして校歌だと言って頭のおかしくなりそうな歌詞が現れた。
「では、各々好きなメロディーで。さん、はい!」
正気か?
死ぬぞという脅しからのこれである。おい嘘だろう、この狂った空間から今すぐに何とか抜け出したい。他の教員の顔もこわばって、いや一部は苦痛に満ちた顔をし始めている。やはりこれは拷問か? どうして僕に手が無いんだ、防ぐこともままならずにこんな苦しみを味わう羽目になるなんて。
……。
拷問のような時間がやっと終わった。あの耄碌した老いぼれは何故か涙している、いっそあのまま無に還らないだろうか。
駄目だ。先ほどの歌詞と不協和音が離れずにガンガン鳴り響いている気がする。無いはずの脳みそが腐り落ちそうだ。
我に返った時には、だいぶ時間が経ってしまっていたのか、既に子どもは着替えてベッドへと潜り込んでいた。
(ねえハリー。どうしてスリザリンが嫌だったんだい?)
「……トフィーと帽子が、ずっとスリザリンスリザリン言うからでしょ」
(だから? 僕も帽子も、一番割の良い寮を提案していただけじゃないか)
帽子だって偉大になるだろうって言っていたじゃないか。わざわざ大成できると保証された寮を避ける意味がよくわからない。
「そういうとこだってば! 僕もう寝るから!」
囁くように小声で叫ぶと、そのまま目を閉じて寝入ろうとしている。昔からあった「これ以上は断固として聞き入れません」の姿勢へ入ってしまった。
……こちらは良かれと損得の話をしているのに、まったくもって何が不服なのだろうか。
誤字報告ありがとうございます!