Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
あの老いぼれと遭遇してしまった日から、子どもが夜中に鏡を見に抜け出すことはなくなった。しかし、だからといってまともに眠るようにはならず、夜中にうなされて飛び起きるようになってしまっている。
……あの老いぼれは、子どもがこうなることを見越していたのだろうか。次の日には子どもの異変に気付いたのか、ロンも顔色の悪さを指摘している。
「大丈夫かいハリー。ちょっとくまができてるよ」
「最近夢見が悪くって……」
子どもはどうやら悪夢を見ているようで、高笑いと両親が消え去る夢を何度も見ているとロンに話している。……高笑い? 僕だろうか?
「あー……君がダンブルドアから聞いた話だと、鏡を見ると正気を失っちゃう魔法使いがいるんだっけ。念のため医務室いっとく?」
「いや大丈夫、ありがとうロン」
もしかすると子どもは、鏡に魅入られたせいでどうかしてしまったのかもしれない。医務室を断った子どもは、その夜にまたもや飛び起きてしまっている。冬にもかかわらずに汗で前髪が額に張り付いており、子どもは額を袖で拭いながらずり落ちた毛布を引き上げている。……この子どもは、残り少ないクリスマス休暇をこの悲惨な状態で過ごすつもりなのだろうか。
(……そんなに眠れないのか)
「…………」
(寝る間も惜しんで鏡を見ていたら、今度は眠れなくなってしまったのかい?)
僕は最初からあの鏡をあまり見るなと話していたというのに。こちらの言うことを聞こうともしない子どもは、顔を歪めて不機嫌そうにふてくされている。
「ねえトフィー、何か面白いことして」
(君の自業自得じゃないか。なぜ僕がそんなことをする必要が? それに、そんなことをしても余計に目が冴えると思うよ)
「じゃあ子守歌でも歌って」
(僕を何だと思っているんだ)
やはりこの子どもは少しおかしくなってしまったのだろう。僕は子守歌など一度たりとも歌ったことないだろうに。……いや、この子どもが眠るなら何でも良いか? 魔法史のウリックとエメリックは散々ハーマイオニーに指摘されて覚えていただろうから、話すのであれば範囲は別の教科がいいだろうか。そういえば、子どもとロンが図書館で調べていた際に見つけた本があったな。
(……では眠くなるまで授業でもしようか)
「えっ無理最悪」
(君が望んだんだろう。そうだな、ベゾアール石は君も知っての通り山羊の胃から見つかるものだが、あれはマグルの世界でも同様に解毒作用があるとされていてね。昔は万能の解毒剤のように扱われていたらしい。薬剤全史『A Compleat History of Druggs』には、どの動物からとった石かで効能は異なるとの記載がある。ホグワーツの蔵書にあったから、興味があるなら読んでみるといい。そう、ベゾアール石自体は、別に牛や象からだって取れるんだよ。ただ「牛から取ったベゾアール石」は、純種のベゾアールヤギから取った良質なものとは程遠いとされている。逆に、希少なもの「猿に見られるベゾアール」は、ごく少量でも強い効果があったとされているんだ。マグルの世界では、十八世紀あたりまでは需要があったみたいだね。そして石と言いつつ、実際には飲み込んだ毛や消化できなかった物が塊になってできるもので、中には鉱物や分解した毛などが…………聞いているかい?)
子どもはいつの間にか眠ったようだ。若干白目をむいているように見えるが、気のせいだろう。
その後一度も夜中に飛び起きることのなかった子どもは、翌朝起きるやこちらへ向けてぶつぶつと文句を言い始めた。
「トフィーのせいで変な夢見た。山羊の高笑いと山羊まみれになる夢……もう二度としないで」
(君が望んだんじゃないか。それに一応眠れてはいただろう? 適当なことを言って僕にお願いした自分の浅はかさを反省してくれ)
「……」
子どもは恨みがましい目でこちらを見ているが、どう考えても僕は悪くないだろうに。何を僕のせいにしているんだか。
その後、時間が経過して気が紛れたのか、それとも続く悪夢に山羊が混じったことが耐えきれなかったのか、もう一度だけ夜に眠れないと言い出した。
(で? 僕に何をして欲しいと?)
「ホグワーツの校歌でいいからさ、子守歌を歌ってよ」
……きっと僕の警告は手遅れだったのだろう、子どもの正気は何処かへ旅立ってしまったようだ。校歌が子守歌に聞こえるとしたら、確実に気が変になってしまっている。
(……わかった。では次はボールドの医学書『Bald’s Leechbook』の話でもしようか)
「ちょっと!!」
(まあ任せるといい。ボールドの医学書はイングランドの本でね。これは国際魔法使い機密保持法の前、魔法使いとマグルが混ざっていた時代の産物なんだ。君とロンが図書館で調べていた時に、薬剤全史と一緒に見かけた本だから、興味があれば図書館に行って読むといい。今となっては、マグルが当時の魔法使いの処方を写して残した本なのか。それとも、偶然マグルにも効く処方が混ざっていた魔法使いの本なのかわからないけれどね。そして不思議なことに、本には奇妙な治療法が多く記載されていて、薬草の処方の合間に呪文が挟まっていたりするんだ。ニンニク、ネギ、ワイン、牛の胆汁を混ぜ、真鍮の容器で九日寝かせて作る目薬などが書かれている。また、蛇に噛まれた時の解毒方法として、傷に耳垢をなすりつけて祈りの文言を唱えろとかいった治療法もね。……まあもっとも、当時のイングランドに存在した噛むような蛇なんて毒を持つ種類自体がそう多くはなかっただろうし、何もしなくても助かっていた人間が、処方のおかげで助かったと考えていた可能性もあるだろうけど…………眠ったかい?)
おやまあ。これは、かなり便利じゃないか? 子どもを黙らせるために今まで僕がどんなに苦労してきたことか。ただつらつらと話すだけでいいだなんて。子どもはうつぶせになっており表情は見えないが、まあ問題はないだろう。
朝にゆっくりと起き上がった子どもは、顔を伏せたまま話し始めた。
「……トフィー、耳垢と牛の胆汁の夢見たよ。どうもありがとう」
こんなにも感情がこもっていない感謝の言葉が今まであっただろうか。身勝手な要求をしたのはそちらだろうに。
(僕のせいじゃないだろう?)
「言い訳はそれでいい? じゃあ今度トフィーが眠れない時に僕が歌ってあげるね。ホグワーツ校歌」
(やめてくれ)
「楽しみにしてて、葬送行進曲で歌えるように仕上げておくから」
こいつ、今まで何も言わなかっただけで嫌がらせに使う機会でも狙っていたのか? 寝れてはいるようで、目の下のくまは薄くなっている。気は狂ったままのようなので、僕としてはさっさと正気を取り戻してほしい。
その後、夢自体は何度か続いていたようだが、夢に山羊や蛇などが混ざるようになってしまったようで、そのせいなのか子どもは僕の寝かしつけを露骨に嫌がるようになった。
◇
クリスマス休暇は終わり、生徒たちも続々とホグワーツへ戻ってきた。子どもの悪夢は完全に消えたわけではなさそうだったが、以前のように夜中に飛び起きることは減っている。定期的に睨まれるため、もしかすると何かしらが夢に混じることも続いているのかもしれない。
授業が再開すると、子どもはロンやハーマイオニーといつものように騒ぎ、魔法の練習へと戻っていった。……結局、あの夜のことについてはどちらも触れずにいる。そして寝る前や起きた時の一言は消えたまま、そうこうしているうちに二月になりグリフィンドールとハッフルパフのクィディッチ試合の日がやってきた。……もう二月、石については何一つ進展のないまま、このまま何も出来ずに時間だけが過ぎていくのだろうか。
競技場には冷たい風が吹き抜けている。そんな寒空の下でも、子どもは久しぶりのクィディッチ試合を随分と楽しみにしているようだった。グリフィンドール対ハッフルパフの審判は引き続きマダム・フーチが行うようだ。
「ハリー始まるよ! 痛っ!」
ロンの後ろには、緑のマフラーを巻いたドラコがクラッブとゴイルを引き連れて立っていた。どうやらロンの頭を少しだけ小突いたようで、そのままロンを無視して隣の子どもへと話し始めた。
「やあポッター。クリスマス休暇はどうだった?」
「ドラコ! うん、箒にも乗ったよ。ドラコは休暇は楽しかった?」
「まあね」
小突いたことはなかったことにしたのか、ドラコはそのまま休暇中の出来事を子どもへと話している。ロンは頭の後ろに手をあてたまま、だんだんと険しい表情になってきていた。
「っていうか、なんでお前がここにいるんだよ。今日はスリザリン試合じゃないぞ」
「ここは競技場だよ? 試合を見るために決まってるだろウィーズリー」
グリフィンドール対スリザリンの時と比べて試合の展開は緩やかだった。今は両シーカーとも金のスニッチを見失い、チェイサー同士が点を取り合っている。
「……この試合は終わるんだろうね?」
「嫌なら帰れよマルフォイ」
「ポッター。ちゃんと見ておきなよ、来年シーカーになるのならあんな無様は晒せないね」
吐く息が白く風でマフラーが飛ばされそうになる中で、子どもはロンとドラコに囲まれながら横から後ろからと飛んでくる声に忙しそうに首を動かしていた。ロンはグリフィンドールが点を取るたびに騒ぎ、ドラコはその都度選手の粗を探して評論をしている。ロンの隣に座っていたハーマイオニーが一度騒がしい三人を見たが、すぐにああいつもの。とでも言いたげに試合へと視線を戻した。
グリフィンドールのシーカーがようやく金のスニッチを捕まえたところで、ドラコたちはそのままさっさと帰っていった。
「やった! グリフィンドールが勝った!」
ロンは隣で大喜びしており、子どもやハーマイオニーも跳ねながら拍手をしている。そうしながらも、子どもは先ほどドラコに言われたことでも思い出したのか、空を見上げながら楽しそうに笑っていた。もしや、この子どもは本気で来年クィディッチ選手を目指すつもりなのだろうか。
そして、試合を見ていたグリフィンドール生たちは、勝った勢いのまま騒ぎながら城へと戻っていった。子どももロンたちと一緒になって上機嫌に談話室へと向かっている。談話室では、試合を終えた双子たちがキッチンから失敬してきたというケーキやお菓子、飲み物を広げて即席の祝勝会を始めていた。子どもはすぐにその輪へ飛び込み、先ほどの試合について楽しそうに話し始めた。