Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
結論から言えばママちゃんの説得は全くと言っていいほど進まなかった。
「まだ乳飲み子なんだ……。昨晩なんかママちゃんが背中をぽんぽんしてやるまで、ちいっともねんねせんかったよ。まだノーバートはママちゃんに甘えたいんじゃ……」
「すまん、もうちょっとだけ待ってくれんか。ようやくママちゃんの声を覚えてくれたところなんだ。ほら、ノーバートや、ノーバート! な? 名前を呼ぶとこっち向いて火花を出して俺に甘えとる……可愛いなぁ」
「どこの馬の骨かもわからんやつに、自慢の子を渡せるわけねぇよ……。ミルクの作り方も、落ち着く寝床の用意も、ノーバートの好きな子守歌だってそいつぁ知らねぇんだぞ!?」
「わかってくれんかハリー、この子のことを一番にわかってやれるのはママちゃん……ママちゃんだけなんだ……」
……。
(君があの化け物を生み出したんだよ。どうするんだい?)
あれはもう駄目だろう。壊れたレコードのように、飽きもせずに同じことを繰り返している。子どもを魔法界へと導いた時の貫禄は今や見る影もない。ペチュニアもダッドちゃんダドリーちゃんと狂ったように連呼していたが、同じくらいにはまあ酷い。
そして大男が赤子扱いしているドラゴンは目に見えて巨大化していた。今やファングよりも大きくなっており、尻尾を振り回して飛び散る鶏の羽を追いかけている。
「……なあハリー。僕らはノーバートよりも、あのママちゃんをどうにかした方がよくない?」
ロンの言う通りだろう。床にはブランデーの空き瓶が大量に転がっており、散らばった鶏の羽には血がついていた。この様子では森番としての仕事も疎かにしていそうだ。
(ルビウスは森番の仕事すら放棄しているんじゃないか? ドラゴンのことは話さず職務放棄という形で先生に伝えるのはどうだい?)
子どもは少し気まずそうに頬をかいている。何か言いたげに口を開いたり閉じたりしているが、一向に言葉は出てこないらしい。とはいえ無理もないだろう、大男が数日に渡りこうも駄々をこねるとは思わなかったはずだ。
「……ねえロン。僕ってばさ、話せばわかってくれると思ってたんだよ」
「僕もだよ。まさかハグリッドが数日でこんなに狂っちゃうだなんて」
……僕が前に大男の信頼を削ろうと苦心したのは一体何だったのか。わざわざ僕が画策するまでもなく、こいつはたった数日で信用を失墜させていた。いや、これで今後は大男が子どもにあることないこと吹き込んでも、以前ほど信用されないのであれば好都合だろうか?
子どもとロンは小声でひそひそと相談しているが、僕にはここからどう足掻いたとしても大男が説得に応じるとはとても思えない。さっさと無理にでも大男とドラゴンを引き離してしまえば解決できるだろうに、何を躊躇しているのだ。
ドラゴンは鶏の羽を散らかすことに飽きたのか、今度はファングにじゃれつき始めた。ファングは悲壮な声を上げて逃げ回っている。
「おいファング、こっち来いって!」
見かねたロンが声をかけ、ファングを引き寄せようと手を伸ばすと、ドラゴンがその手へと噛みついてしまった。
「痛ッダァッ!!」
「ロン! 急に目の前に手を出しちゃいかん。ノーバート、さあ落ち着くんじゃ……」
「ちょっとハグリッド!? ロンが噛まれたんだよ!?」
ドラゴンのことしか眼中にない大男に対し、流石の子どもも責めるように声を荒げている。
「す、すまんロン! まだこの子は加減がわからんくて……いや、俺がちゃんと見とくべきだった……」
ロンの手からは血が滴り落ちていた。傷の深さからして、食い千切られなかったのは幸運だったのだろう。
(もう譲歩するのはやめなよ。このままだとロンが食べられてしまうよ)
子どもはロンの手を確認すると、一度強く目を瞑り大男へと向かい合った。
「ハグリッド、僕はロンを医務室に連れて行くよ。ノーバートのことも先生に相談しよう」
大男はとうとう観念したのか、目を潤ませながらも子どもの言葉へと頷いた。
◇
子どもはロンを医務室まで送り届け、マダム・ポンフリーに怪我の経緯を説明した。マダム・ポンフリーによると、どうやらノルウェー・リッジバックの牙には毒があるらしい。放置していたら傷口が緑色になり腫れ上がってしまうのだと言い、急いで処置をし始めた。
「ハリー、言っちゃって良かったの?」
「うん。ハグリッドも頷いてたから」
子どもがドラゴンの件をマクゴナガル先生へ話してくると告げると、マダム・ポンフリーはロンを処置しながら頷いた。
「わかりました。こちらは私が診ておきますから」
医務室を出た子どもは、その足でマクゴナガルを探しにいくつもりのようだ。
(一人で説明しに行くつもりかい? 今ならハーマイオニーは図書館で勉強をしていると思うけど)
小さく頷いているが、本当に大丈夫だろうか。そのまま変身術教室へ向かった子どもは、授業終わりだろうマクゴナガルを見つけて駆け寄った。
「マクゴナガル先生!」
「ミスター・ポッター? そんなに慌ててどうしたのです」
「相談したいことがありまして、ハグリッドのことなんです」
大男の名を聞くと、厄介ごとの気配を感じたのか顔を顰めている。
「また、ハグリッドですか?」
次は何だと言いたくなる気持ちはわかる。例の酒場での情報漏洩の件を先日話したばかりなのだ。マクゴナガルが老いぼれへ報告し、対策しようと保管先や警備の変更を検討するとしても、問題発生の経緯を説明したり、移動先の選定や手配など、やりとりに時間がかかっている可能性が高い。
「はい……」
「今度はどうしたのです?」
「それが、お酒を奢ってもらった人からドラゴンの卵を譲り受けたみたいで……ハグリッド孵しちゃったんです」
マクゴナガルは、動揺なのか言葉を咀嚼しきれていないのか、目を限界まで見開いている。
「……ドラゴンですか?」
「はい、ドラゴンを。ノルウェー・リッジバック種で、今ハグリッドの小屋で育ってます」
「ミスター・ポッター。その、卵を譲った人物というのは、先日あなたたちが報告した人物がハグリッドへ渡していたのですか?」
子どもが頷くとマクゴナガルは絶句した。卵を渡した人物がフラッフィーの弱点を聞き出したとなれば、事態は思った以上に深刻だろう。……もしその人物がロンのでっち上げ推理のように僕の信奉者だとしたら、石を奪うよりも先にまず僕を探し出すべきだろうに。何故こうも露見しやすく目立つようなお粗末なことをしているのだ。
第一にフラッフィー攻略のために、ドラゴンの卵を渡すのは労力に見合ってないのではなかろうか? いや、もしかすると卵を渡しても孵化させるとは思っていなかったのかもしれない。ホグワーツでドラゴンを孵化させる世紀の大馬鹿者なんて、現実に存在しないだろうとその侵入者が考えていたとしたらどうだ? ドラゴンの卵など違法でしかないのだ、普通の人間であれば隠すか売るか、どちらにせよ黙っていることだろう。
「……それで、ドラゴンは今もハグリッドの小屋にいるのですね?」
「はい。あとロンがノーバート……そのドラゴンに噛まれてしまって医務室に」
「ミスター・ウィーズリーが!?」
もしそうだとしたら、何故侵入者の方が常識的な考えで動いているんだ。今まさにホグワーツでドラゴンが誕生してしまっているのだ、相手の行動を一切読めていない、あまりにも杜撰で穴だらけの計画じゃないか。
ドラゴンが育った場合も、結局石ごとホグワーツは焦熱地獄になるのだ。侵入する側のくせに理解していないのか? だんだんと腹が立ってきたな。まあ僕が侵入者側だったとしても、違法と知りながらドラゴンを孵化させるなんて馬鹿な行為は、例外として計画の想定からは切り捨てて考えるだろうが。
「ロンはいまマダム・ポンフリーが診てくれています」
「……そうですか。ミスター・ポッター、この件はもっと早く報告すべきでしたよ。これはあなた方だけで対処するような問題ではありません」
マクゴナガルはそこで言葉を止めると表情を和らげて続けた。
「ですが、よく相談してくれましたね。ハグリッドには私から話しましょう」
子どもは安心したように息を吐きだした。きっと大男はこの後マクゴナガルに叱責されるのだろう。
◇
あの後、マクゴナガルは迅速に専門の飼育施設への移送を手配したようで、一週間もしないうちにドラゴンを引き取りに来るようだった。また、それまでは小屋に頑丈な柵を設置し、世話も大男一人に任せないことになったらしい。朝には引き取りの日程を知らせる手紙が大男から届いた。手紙は少し湿っており、インクがところどころ滲んでいる。
「ロン、ハーマイオニー。ハグリッドから手紙が来たよ、明後日にはノーバートを引き取りにくるみたい」
「やっとかぁ。マダム・ポンフリーのおかげで手は腫れずに済んだけどさ、中々の暴れん坊っぷりだったよな」
「今はノーバートは離乳食中でしたっけ? 死んだネズミとブランデーが必要だとハグリッドが言っていたわ」
「……ちゃんと引き取り先にも教えてやってるのかな」
「明後日の引き取りは授業終わりみたい。最後に顔を見に行こうよ」
子どもは立ち上がりスリザリンの席へと向かった。マクゴナガルへ報告したことと、引き取り日時をドラコへと伝えている。ドラコは引き取りには立ち合いたくなさそうで、子どもの報告を聞くと僕の言った通りだったろうと胸を張り、そのまま同行については断っている。
二日後、授業を終えた三人はドラゴンを見送るため大男の小屋へと向かった。そこには大男だけではなく、引き取り先の飼育員やマクゴナガルも揃っていた。
「こいつはノーバートっちゅうんだ。火ぃ吹いたり噛みつくこともあるが、悪気はねぇんで怒らんでやってくれ」
「あと寝る前には背中をぽんぽんするのも好きじゃ。子守歌も好きでな、よければ聞かせてやってほしい」
大男は言葉を詰まらせながらも、ドラゴンが好きなものを飼育員へと伝えている。生まれてから二週間も共に過ごしていないだろうに、何をそこまで伝えることがあるんだか。
「ほれ、ノーバート。寂しくないようにテディベアのぬいぐるみも入れといた。それをママちゃんだと思っとくれ」
だからだろうか? ドラゴンが入った大きな移動用の箱から、何かを引き裂くような物音がしているのは。きっとそのテディベアは無残なことになっているだろう。大男は声を震わせながら、箱の中のドラゴンへと声をかけ続けている。
「お腹がひもじくならんように、ネズミもブランデーもたくさん入れといたからな……」
大男は目に涙を溜めながらも話し続けており、子どもは黙ってその姿を見つめていた。
「な、なあ、時々でいいんだ。ノーバートがどんだけでっかくなったか、俺に手紙で知らせてもらえんだろうか?」
「もちろん大丈夫ですよ」
大男はついに大粒の涙を流しながらしゃっくりを上げ出した。
「ノーバート、ノーバートや……向こうにはもっとおまえさんが伸び伸び暮らせる広い場所があるそうだ。たくさん食って、でっかく立派になるんだぞ」
「……ハグリッド。そろそろ」
「わかっちょるよマクゴナガル先生。げ、元気でやるんだよ、ママちゃんがいなくてもおまえさんならきっと大丈夫だからな」
名残惜しそうにドラゴンが入った箱をひと撫でして大男が離れると、彼らはドラゴンを移動させるため出発した。
ママちゃんがいなくても大丈夫、ねえ? あのドラゴンはそもそも大男を必要としていたのだろうか、むしろ必要としていたのは大男の方だったんじゃないか? ああまったく、やっと馬鹿らしい件が片付いた。
(最初からこうしていれば良かったのに、そうすればロンが噛まれることもなかっただろう?)
大男はドラゴンが見えなくなるまで手を振り続け、見えなくなるころにはドラゴンの名前を呟きながら泣き崩れていた。子どもら三人は黙って大男の背中や肩を叩いている。
一体何をそんなに泣くことがあるのだろう。それほど嘆くのであれば、最初から名前など付けなければよかっただろうに。
……それにしても、先ほどから子どもは妙に静かだな。