Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
「でも、僕クィレル先生がスネイプに脅されているのをみました……!」
「セブルス?」
クィレルは忌々しげに顔を歪めて吐き捨てた。
「あの忌々しい粘着質な男は私をずっと疑っていたさ。おかげでこちらも計画が狂ってしまったよ」
ハロウィンの際、他の教師と異なり真っ先に賢者の石の警備に向かっていたものな。それはさぞ鬱陶しかっただろう。
「だが良いところに来たねポッター。今私はこの鏡を調べていてね」
クィレルの後ろには『みぞの鏡』が鎮座していた。最悪だ、ここで出てくるのか。子どもの様子を見ると、鏡に映るものどころでは無いようだ。
「ダンブルドアの仕掛けは単純ではない。しかし彼がロンドンから戻ってくるころには私はとっくにホグワーツには居ないだろう」
ブツブツと独り言のようなことを呟きながら、クィレルは鏡の裏側に回ったり忙しなく動いている。
「私の演技に皆騙されたというのに。セブルス……あの男は私を疑うだけでは飽き足らず脅そうとまでしてきたのだ。私にはヴォルデモート卿がついているというのに……」
は?
子どもが勢いよくこちらを振り返り見てくるが、そんな目で見られたところで僕も知らない。
(きっと気の弱いクィレルはスネイプに脅されたせいで、気がおかしくなってしまったんだよ)
そうに違いない。ほらみろ、あの鏡にべたりとくっつきながら周りをぐるぐると回っているいかれた姿を。
「あぁ……『石』が見える。ご主人様にそれを差し出している私の姿が」
(ちょっと、そんな目で見ないでくれる? どう考えたって勝手に名前を使われている僕が被害者じゃないか)
こいつもう黙らないだろうか? 子どもがまさかとでも言いたげにしていることも納得いかない。
「えー……っと、その『あの人』がついているってどういう……」
「あの方は常に私と共にいらっしゃる。アルバニアの森で、愚かな若輩者の私はあの方と出会ったのだ。強大な魔法使いから力を学びたかった、皆に私を認めさせたかった……」
あの方とやらとの出会いを語り始めたが、この話を僕はどういう感情で聞けば良いのだろう。少し白けたような微妙な雰囲気をものともせずに、クィレルは長々と語り続けている。
「そう! そしてヴォルデモート卿は私の間違いを正してくださった。この世に善も悪もなく、あるのは力とそれを求めることすらできない弱者だけなのだと。それ以来、私はあの方に忠実にお仕えしてきたのだ」
妄言にしてはやけに具体的だ。侵入者がこんな話が通じない人物だとは思わなかったな、無視して僕も石を探すとしよう。ダンブルドアの仕掛けがこの鏡だとして、どこに隠すだろうか。僕もクィレルと同じように鏡の裏側へと回ってみる……例えば賢者の石が、ただ『石』という名前を与えられただけの膨大な力を秘めた物だと仮定するのはどうだろうか。金を生み、命の水を生み出す物体が、通常の次元に留まらない可能性は?
「しかしあの方は過ちは容易に許してはくださらない。グリンゴッツの盗みを仕損じた時、あの方は私を罰したのだ。そしてより深く深く私のことを見守ってくださっている……」
クィレルが鏡の前で震え出したが邪魔である。石は鏡の中……か? 物理的に取り出す手段は通じない可能性もありそうだ。子どもが呆れた目で何か言いたげにこちらを見ていたため、戻ることにする。
(あれだけ熱心に調べているから気になってね)
「どういう仕掛けなのかがわからない……ご主人様、この下僕に知恵をお貸しください!」
「……その子を使え」
何処からか何とも高慢そうな声が響く。子どもはぞっとしたように身を引いたが、クィレルが咎めるように叫んだ。
「ポッター! さあここへ。鏡に何が見えるか答えろ」
はあ? こいつは何様のつもりなのだろうか、子どもを強制的に鏡の前に立たせようとすることに嫌悪が湧く。
「さあ何が見えた」
青ざめ怯えた子どもは、引き攣った声で作り話を始めた。……だが何故嘘をつく必要があるのだろう? 子どもの一番の願いが、あの老いぼれとの握手など絶対にあり得ない。クィレルに罵られて鏡の前から下がった子どもは、そのままゆっくりとズボンのポケットをおさえながら距離を取り始めている。
「こいつは嘘をついている……私が直に話そう……」
その声が響くとクィレルがターバンを解き始め、全て解き終わるとその場でゆっくりと後ろを向いた。後頭部には、蝋のように白い肌と血走った目を持つ、気味の悪い顔がへばりついている。
「ハリー・ポッター……」
「ま、まさかヴォルデモート?」
(……)
どういうことだ? 僕には確実にこの子どもを殺そうとしていた記憶がある。曖昧ではあるが、誰かに忠誠を誓われていたような気もする。
「あぁこの有り様を見ろ。ただの影と霞に過ぎぬ惨めな姿を……誰かの体を借りることでしか形になれぬこの哀れさを」
惨めだ哀れだと声に出して嘆くあれが、あの瘤のようなものがヴォルデモートを騙っている? ただただ不快だ、何だあの薄汚い寄生虫。いつぞやの子ども以上に僕の神経を逆撫でするとは。
「しかし常に誰かが喜んでその身を捧げてくれる。忠実なクィレルは、この数週間森でユニコーンを狩り、私のために血を飲んでいたのだ。石があれば、命の水があれば……私は自身の肉体すら創造することができる。さあ、ポケットの中の石を渡してもらおうか」
よし決めた、殺そう。二度とヴォルデモートだと口に出せないくらい磨り潰してしまえばいい。何とも僕の都合の良いことに、子どもが今まさに石を持っているのであれば使わない手はないだろう。子どもは少し顔を歪めて俯きながらぽつりと声を落とした。
「……僕ってばもしかしてずっと勘違いしてた?」
いいや、別に何も勘違いしていない。いっそ察しが良いくらい僕の正体を把握していたとも。まあ確かに僕はヴォルデモートの名も曖昧だったが? そんなことは些事だろう。丁度良いので子どもの罪悪感すらも使うことにしよう。
(気にしなくていいさ。ねえ、石を少し僕にかしてくれないか)
影だ霞だと嘆く寄生虫が肉体だって作れると大ぼら吹いたのだ。僕にだって効果はあるだろう。別に効果が僕に無くとも、あの寄生虫の目の前で求めていた『賢者の石』を壊してみせるのだってきっととても楽しい。
(そもそも僕はずっと扉の先に進むことに反対だったんだ。どうして君がこんな危ない目に?)
だからこそ、子どもには石を僕に渡してもらう必要がある。
(君一人で背負う必要なんてない)
子どもの目が揺れている。人を疑ってしまった罪悪感と、石を守らねばならない意志と、突然目の前に仇を名乗る気色の悪い腫瘍が現れたせいだろう。
「私の側につけ、命を粗末にするな」
煩い腫瘍だ。声を出し辛そうにしているところから察するに、二人で一つの身体という状態は不安定なのだろうか?
(僕ならきっと君を守ってみせるよ)
あともうひと息。
(ハリー、僕を信じて)
その時子どもは跳ねるようにして顔を上げ、信じられないと言いたげな目で僕を見つめた。
…………そういえば、僕がこの子どもの名前を呼んだのはいつぶりだっただろうか?
「……」
子どもはコクリと小さく頷くとポケットに手を突っ込み、中から赤い石を取り出した。どうするのだと言わんばかりに目線を送ってくる。
(そのまま持っていて)
石へと近づいてよく見ると、中で炎が揺らめいているように見える。これが命の水を生み出す膨大な力を秘めたものか。
「あぁ、賢明な判断だなポッター。こちらへ石を寄越すのだ」
……さて、今の僕には肉体が存在しない状況だが『話す』ことは出来ているのだ。ならば僕には口は存在していると仮定しよう。僕は石という器自体に用は無いのだ、中身の力だけを喰らってしまうことなら出来るのではないか? 子どもへ話しかける時と同じように、意識を石へと伸ばしてみる。すると、中で揺らめいていた何かがこちらへと流れ込んできた。
喰らい啜る。内側がぺりぺりと捲れ裏返るような、自分の内側が焼け付くような力の奔流を感じる。出来ると思い行動してみたが、どうやら石は僕が思っていた以上の力を秘めていたようだ。勢いに思わずえずいてしまう。吐き出すような器官など持たないはずなのに。
「えっ……?」
いや、冗談ではない。千載一遇の機会なのだ、誰が吐き出してやるものか。子どもの声が聞こえた気がしたが、今は気にする余裕はない。
「おいポッター、何をしている」
最後の最後まで余すところなく喰らう、正直吐きそうだ。……しばらく耐えていると流れ込んでいたものがふつっと途切れた。
……ははっ! やった、ざまあみろ!
あの気色の悪い腫瘍は、血走った眼を呆然と見開いて子どもの手元を凝視していた。子どもの手元を見ると、先ほどまで炎が揺らめいていた賢者の石は、まるでその辺の石ころのように色褪せている。
さて、賢者の石は肉体すら作れるらしいが、直接力を取り込んだらどうなるのだろう? 意識を集中させて肉体を持つ僕を想像する、身体があり一人で何処へでも自由に動くことのできる僕を……!
「ご主人様? いったい何がっ……ぐっ!」
焼け付いた自分の内側から、裂けるようにまるで花開くように何かがめくれてひっくり返る。まるで生まれ変わるかのように、僕の中身がぐちゃぐちゃと溶けて爛れて何とも言い難い心地だ。漏れ出た石の力が、少しばかり子どもの周囲に砂煙を起こしているのが見える。
そう、見える! 今の僕には目玉がある! 目玉はどうやって動かすのだっけ? 上手く動かなかったので首ごと動かす。見えた自分の手をさらに動かしてみる、ははっ今の僕には腕も脚もある!! 子どもは目を見開いたまま、無言でこちらを見つめていた。
…………が、なんか小さくないだろうか?
「石が……何ということだ……小僧おまえ何をした!」
「な、なにも!?」
いや確実に小さい。子どもと同じくらいの年齢だろうか? それによくよく僕の内部を探れば、取り込んだはずの力が何処かへと消えてしまっている。肉体の創造で全て消費した? そんなまさか、そもそもあの気色の悪い腫瘍は僕のことが見えていなさそうだ、ならこの肉体は引き続き霞のように頼りないものなのだろう。
それなら、僕があれだけ苦労して取り込んだ石の力は一体何処に……?
「嘘をつくな! ならば何故おまえが石の力を取り込んでいるのだ!」
はっ?
いや待てよ、僕は物体を持てないからこそ石を子どもに握らせていた。僕は石から力を引き出していたが、その際子どもにも流れ込んでいた? では何故子どもは平気そうなのか、もしや僕が濾過のような役割を? 冗談じゃない。
子どもを見ると目が合った。……あの緑色の目に僕はどう映っているのだろうか。
「クィレル、ポッターを捕まえろ!」
後ろ向きで佇んでいたクィレルは、向きを変えて子どもの手首を掴もうとした。すると、じゅっと焼け付くような音と共にクィレルの指が焼け爛れた。苦痛のせいかクィレルは手を離して手をかかえて蹲っている。これが石の力?
「何をしている、早く捕まえろ!」
気色の悪い腫瘍は甲高くなさけない叫び声をあげている。クィレルは今度は子どもへと飛びかかり、子どもの足をすくって引き倒し両手で首を絞め始めた。
(ハリー!)
反射的に子どもへと手を伸ばしたが、僕の指はするりとすり抜けた。最悪だ、まだ僕はこうなのか。子どもはクィレルを引き剝がそうとしているが、膝で地面に押さえつけられているせいか上手く動けていない。
「ご、ご主人様! 私の手が!」
裏返った声をあげながらも、クィレルは子どもの首から手を離すまいとしている。……いい加減に子どもの上から退け!
その瞬間、子どもの右手がびくりと跳ねてクィレルの片腕を掴んだ。
「ギャあぁっ!?」
……気のせいか? もう一度、次は握りしめるように意識を集中させる。すると、クィレルの片腕を掴んだままの子どもの手が、握りしめるように動いた。クィレルの腕からは煙が出て、服が焼け中の腕が真っ赤になると皮がベロりと剝がれ落ちた。クィレルは悲鳴を上げて子どもの首から手を離して後ずさっている。
なるほど? 石の力の譲渡と共に、結びつきも強化されたのか? 子どもが愕然としながら、身体を起こして自分の手のひらを見つめている。
「愚か者め、ならば始末しろ! ポッターを殺せ、殺してしまえ!」
腫瘍の言葉を聞いて、クィレルは手を上げ呪文を唱えようとしている。子どもが咄嗟にクィレルの顔へ手を伸ばそうとしたため、こちらで腕の動きを変えてクィレルが上げた手を焼き落とすことにする。焼け付くような音と共にクィレルは金切り声を上げた。
「ああアァァ!」
よし、これで両腕は使い物にならなくなったな。あとこの男が呪いをかけられないようにするならば……残りは呪文を唱える舌と、対象を見る目を焼いてしまえば無効化できるだろう。小さい器官を焼くのであれば、目測を間違うとうっかり殺してしまいそうだ。ひとまず両脚も焼き落として、身動き取れないようにしてから焼くべきか?
子どもが再度驚いた目でこちらを見てきた。これから子どもの身体を動かすのであれば、ある程度説明しておいた方が良いだろう。
(君を守ってみせると言っただろう? さ、まずはクィレルの両脚を焼き落とそうじゃないか!)