Q. もしも1981年11月1日の夜が物凄く寒かったら 作:階段下から
その後、ほどなくしてカドガン卿の知らせを受けた教師たちが駆けつけると、子どもは速やかに医務室へ、クィレルは聖マンゴ魔法疾患傷害病院という場所へ叩き込まれた。残念、いや運の良いことに、彼はくたばることなく生き延びそうだ。
なお駆けつけた教師も、絵画や幽霊なども誰一人として僕に気付く様子はなかった。どうやら自分のことが見えている人間は、相も変わらず子どもだけらしい。医務室に到着するや否や、マダム・ポンフリーは子どもの首の痣を見ると大慌てで処置をし始めた。ロンとハーマイオニーも無事に救出されたらしくベッドに寝かされており、大きな怪我がなかったハーマイオニーは子どもの姿を見るなり駆け寄ろうとしたがマダム・ポンフリーに阻まれている。
教師たちは医務室へ子どもを叩き込むとすぐに方々へ散っていった。……今が深夜であることを考えると全員あのカドガン卿に叩き起こされたのだろうか? あの老いぼれもロンドンから戻ってきていたようで、駆けつけるやすぐさま教師たちと共に状況確認を行っていたようだ。子どもへ事情聴取をしようとしたスネイプを、マクゴナガルとポンフリーが無理をさせるなと追い返し、子どもはようやく静かになった医務室のベッドでひと息つくことが出来た。
……が、先ほどから子どもの視線が鬱陶しい。
(何だい?)
「……その、なんで小さいの?」
小声で深刻そうな表情をしながら、言うに事を欠いてそれか? 不躾に上から下までまじまじと見たと思ったらこれだ。あまりにも失礼が過ぎるし僕はそもそも小さくないが? 第一このような姿は僕も想定外だ。こちらの神経がささくれ立ったのを感じたのか、子どもは慌てて言い訳を始めているが遅い。
「いやほら、ね? 僕ってばてっきり今までいい大人だと思ってたからさ」
(大人だが?)
こいつ言い訳ではなく追い打ちしたかっただけか? ……僕は石の力で肉体を創造しようとしたが、それだけでは不十分だったのだろう。不十分な理由としてはいくつも考えられる。石の力が子どもに流れ込み肉体を作る力が不足していた。僕の記憶が曖昧で大人の僕を構成できなかった。僕と子どもの繋がりが強化されたことを考えると、僕が知覚していない何かに充てられた可能性だってある。あとは、子どもの印象に引っ張られてしまった……? 思い出した、そういえばこいつ何時ぞや僕のことをクソガキだと吐き捨てていたな?
(そうだね、僕がこうなったのは半分くらいは君のせいだよ)
「こじつけ? 八つ当たり?」
(どちらも違うよ)
何故その二択なんだ。もしも子どもが僕のことをクソガキと考えていたせいでこうなったのなら、本当にどうしてやろうか。まだこちらに聞きたそうにしている子どもを遮る。疲弊した状態なのだ、いい加減に寝たほうが良い。
(良いからもう寝なよ。おやすみハリー)
「…………うん、おやすみ」
やはり疲れていたのか、子どもはすぐに眠りに落ちている。……不用心なことに、枕の下にあの色褪せた賢者の石を仕舞い込んで。寝辛くないのだろうか?
なお老いぼれは一度子どもの様子を見るだけ見るとマダム・ポンフリーへ任せて去っていった。スネイプを追い出す際のマクゴナガルとマダム・ポンフリーのやりとりに耳を傾けたところ、どうやらあの老いぼれは、聖マンゴ病院へ搬送されたクィレルの容体確認や親族への連絡、ニコラス・フラメルへの報告に追われているらしい。
翌朝になるとようやく一区切りついたのか、老いぼれは子どもの様子を見に医務室へとやって来た。いつから起きるのを待っていたのかはわからないが、子どもの顔を真上からじっと見るのはやめろ。
「ハリーおはよう。具合はどうかね?」
「先生おはようございます! それであの……これ……」
子どもは言い辛そうに口を開いたり閉じたりしながら、枕の下に置いていた石を手に取った。老いぼれは子どもの手のひらに乗った石を見ると、少しだけ困ったように眉を持ち上げた。
「『賢者の石』じゃな」
老いぼれは石を受け取り、眼鏡の奥でじっと眺めながら手のひらで転がしている。
「……おやまあ随分と変わり果てた姿になっておる」
「あの、僕がポケットから取り出したときはまだ赤かったんです。でも持っていたらこんな風になってしまって……」
言われてみると、あの時の僕が何をしたか一切説明していなかったな。黙っていればこの追及から逃れられるだろうか? ……駄目そうだ、子どもが僕をチラチラと睨んでいる。例の寄生虫やクィレルの反応からしても、僕しか犯人は居ないものな。
「ふむ、何か変わったことはなかったかね?」
「変わったこと、ですか?」
いろいろあり過ぎて困ると言わんばかりに顔を歪めないでくれ。それほぼ老いぼれに自白しているようなものだろ。
「そうじゃ、何でも構わんよ」
「なんでも……。僕が石を持っていたら急に色が変わってしまったというか、僕にも何が起こったのかわからなくて」
下手に子どもに説明したら、ここで全てを老いぼれに暴露されていたと思うとぞっとする。今後も黙っていることにしよう。
「それだけかね?」
「あー……っと、あとはその、ヴォ……あの『例のあの人』が、石の力が僕の中に入ったって言ってました」
「石の力が君の中に? ……ふむ。ハリーや、身体に何か変わったところはないかね?」
「いえ、特には」
子どもは平気そうにしている。が、今後は僕も注視しておくことにしよう。全部僕のものにするはずが、子どもに流れてしまった原因も出来れば把握しておきたい。
「そうか。念のためマダム・ポンフリーにわしから相談しておくので後で見てもらうのじゃ。何か妙なことがあれば、すぐに教えておくれ。それとハリー、物事には適切な名前というものがある。『例のあの人』と言わずヴォルデモートと呼びなさい」
老いぼれは、名前を恐れてしまうとそれだけ恐怖が大きくなると考えているようだ。……僕もいい加減に菓子の名前から改名しても良いのでは? ちょうど子どもと目が合ったため、黙って頷くことにする。
老いぼれはひと息つくとニッコリと笑った。
「ハリー。君は本当によくやってくれた。ロンドンに着いたは良いものの、誰もわしを呼んでおらんかったのじゃ。慌てて引き返した時には君がヴォルデモートを追い返しておった。本当に……無事でよかった」
安堵したようにほぅと息を吐く老いぼれに腹が立つ。危うく僕らは死ぬところで、無事だったのは結果論でしかない。
「その、ごめんなさい。ちゃんと守れなくて」
…………何故子どもが謝るのだろう。僕が原因だと薄々察しているのであれば、僕のせいにしてしまえば良いのに。
「ハリーや、ヴォルデモートは石を手に入れられなかった。それに石以上に大事なのは君じゃ、わしは君の無事な姿を見るまで随分と肝を冷やしたよ」
老いぼれは、石は壊そうとニコラス・フラメルと話し合ったのだと続けた。……ならば本当にあれはおびき寄せるための餌だったのか?
「でも、それだと死んでしまうんじゃ……?」
「そうじゃな、二人は死ぬじゃろう」
その後、ニコラス夫妻は身辺整理に必要な命の水は十分蓄えていること、死は彼らにとって大いなる冒険にすぎないのだと語り始めた。だが数百年も生きている人間がそう言ったところで説得力など皆無だ。
「『石』はそんなに素晴らしいものではない。大方の人間がお金と命を欲しがるがのう……。実に厄介なことに、人は時として自分を幸福にしてくれるものと、そうでないものを取り違えてしまうのじゃ」
老いぼれは鼻歌を歌いながら上を向いている。……何と言えば良いのだろう? こう、諭すような達観したような言い方が癪に障るのだ。明日も生きられるかどうかわからない人間に、存在すら不確かなありもしない幸福を説く、その高尚さと無神経さが忌々しい。
「先生、『石』が無くなってもヴォルデモートは別の手段で戻ろうとするのでしょうか?」
「そうじゃのう……きっと今頃乗り移る体を探していることじゃろう。生きているわけではないから、殺すこともできん……おぉそうじゃハリー! クィレルは生きておるよ。まだ意識は戻っておらんがの」
「よかったです……! 先生、もしよければ他にも教えていただけませんか?」
「わしに答えられることならもちろんだとも」
子どもも老いぼれも、クィレルが生きていたことに嬉しそうにしているが、あれはまだ忠誠を誓ったままではなかっただろうか? それは意識が戻った時に問題になりそうだが。
そして質問に答えよう、嘘はつかない、答えられない理由がある時は許してほしい、と話す老いぼれのなんと胡散臭いこと。僕もそうだが、それは肝心なことを黙っているだけじゃないのか?
「どうしてクィレル先生は、僕に触れると火傷をしたんでしょうか」
「君の母上は命を懸けて君を守ったのじゃ。ヴォルデモートにはどうしても理解できぬ力がある。それが愛じゃよ、ハリー。母上が君に遺したものは、目には見えぬが今も君を守り続けておる。ヴォルデモートをその身に宿したクィレルにとって、君に触れることは耐え難い苦痛だったのじゃよ」
……ならば僕はどうして平気なのだろう? 別に燃えていないし、子どもと共に居て耐え難い苦痛とやらに襲われた覚えも無い。僕の記憶や自認以外、アレがヴォルデモートだという証拠が積み上がっているのも何故。
子どもを見ると目に涙が浮かんでいた、老いぼれは気をつかっているのか窓辺に止まった小鳥を見ている。その後もゆっくりと質問は続いた。やはりあの透明マントは、老いぼれが子どもへと送ったものだったようだ。とはいえ、あのようなマントがあれば僕からも逃げられたのではないのだろうか? 預かっていた理由は何れ確認すべきか。
「あと、スネイプはどうしてあんな紛らわしいことばっかりしてたんですか?」
「スネイプ『先生』じゃろう?」
「ええ、その人です……」
老いぼれに指摘されて気付いたが、子どもは頑なにスネイプへ敬称を付けないな。老いぼれが言うには、スネイプは石の守りに協力しており、更にはクィレルの様子を見るようにも頼まれていたらしい。やはりスネイプのあの疑われるような見た目と態度が問題なのだろう。
「もう一つ、僕はどうして鏡の中から『石』を持ち出してしまったのでしょうか?」
「おぉよくぞ聞いてくれたのう! あれはわしの脳みそがきらりと閃いての、素晴らしい考えだったと思っている。……ここだけの話、実はの、『石』を見つけたい。じゃが使うつもりはない。そういう者だけが石を見つけることができるようにしたのじゃ。使いたい者には、ただの欲望が見えるだけ、というやつじゃな」
なんと性格の悪い罠なのか。つまり僕があの鏡をいくら調べたところで石を手にすることは出来ず、クィレルも子どもがあの場に居なければ、鏡の前で一生立ち往生していた訳だ。