夜明けの空にただ一つ、明けの明星だけがぽつんと浮かんでいるのを見て人々は「太陽の使者」、「幕開けを告げる希望の星」と賛美した。だが、金星に浮遊都市が建設され始め、人類の手が及んでくる頃には、既に「明けの明星」は死語となってしまっていた。
我々は地球連邦政府と良好な関係を保ちつつ、この金星を以て人類に尽くすことだけを考える。目下の溶鉱炉を飼い慣らし、さらなる発展につなげるのだ。
(最初の金星国民投票で野党側に競り勝った大統領の就任演説より)
受信装置が届くにはまだ時間がかかるらしい。ノドカは何かを計算したり、光操作の練習をしている。
「これなら大丈夫そう。割と正確に速度を動かせるようです。」
「でも一応あと10回ほど反復しますか。」
「イリュージョンっ!」
「ねぇノドカ、その呪文は絶対ないといけないの?」
「な、な、なんですか!?悪いですか!?」
「いや、いいけど…」
ノドカは恥ずかしがっている。この笑顔を守れなければ人類に生きる意義はない。
しばらく経って、君はあることに気づいた。
テルがいない…
そういえば、最近はテルと仲良くなってきた気がするけど、毎日数時間いなくなる時がある。どうしてるんだろう?
テルがよく山の方角へ出かけて行っているのを見ていたので、君はその方角に進んでみることにした。
この辺りからはいよいよ森が深くなってくる…でも、テルはこっちにきてたしなぁ…
そして、君はあることに気がつき足を止める。
テルを山の中で尾行するって…嫌なことを思い出した。
そう、君がやっていることはあの老人のやったことと一緒だった。あの時とは違って、悪い結果にならないと良いが。
あっ、あれは?
ガサゴソ、と揺れる茂みに見慣れた丸い耳が、ちらりと見えた気がした。
「テル?」
耳が動く。これもまた、見慣れた動作だ。
「テル、おーい」
「あっ」
あっ
どんな悲劇も気づいた時にはもう遅いものだ。
テルはあの日と同じように、だが自分の口の周りだけを血まみれにしていた。
ヘイローこそついていたが、その時のテルは森の中の中位捕食者でしかなかった。
咄嗟に目を背けた。
分かっていたはずだ。これは何もおかしなことではない。そして、自分はこれをどこか頭の片隅で予測していたはずだ。なのに何故、こんなに怖いのか。
君は耐え切れず来た方向に走り出した。
一心不乱に走ると、君の体はすぐに森を抜けた。混乱していた。でも、見間違いでなければ...
ヘイローを持っているオコジョがほかにいないとすればあれは明らかに捕食中のテルだった。だが、だがしかし、
見慣れたようなオコジョ特有の丸い耳...もし、もし見間違いでないなら...
その耳はテルではなく、テルの食べていた肉の塊に付いていた。
日が暮れて、気が付くとテルが窓から帰ってきた。君は一瞬身じろぎする。
「キィィ」
「おっ?あーテルちゃんは今日も可愛いですねぇ//////」
ノドカはそんなテルに夢中だ。ノドカに今日のことを話したら一体どうなるのだろうか。
「さぁさぁ、シグレちゃんも抱いてみてください//////」
ノドカは君にテルを差し出す。君は恐れた。一瞬だけ、目の前のオコジョを怪物のように思った。
けれど、君は抱いた。震える腕で。それは、抱かなければならないと思ったからだ。それは、飼い主であるという責任からだった。それは、ノドカを困惑させないためだった。それは、
冷静になってテルを見つめようとしたからだった。
君は考える。テルは、もうオコジョではないのかもしれない、と。なにしろ最初にテルを阻害したのはおそらくあの、オコジョの群れだ。そして、テルが死のうとしていたのはおそらく群れの仲間たちに突き放された絶望感によるものだ。だとすれば、オコジョがテルにとってもう同種でないとテルが割り切っているのなら、テルがオコジョを食べるのは、なにもおかしくないことなんじゃないのか。それでも、不気味な感じはぬぐえなかった。なんにしろ、それはもともとは同種であったはずなんだから。
そして君は、ふと思ってしまった。
もし、もし仮にだ。自分が世間から完全に疎外され、すべての人間が敵となったら。
私は、人を食べれるようになるのだろうか。
思わず自分の発想にぞっとしてしまう。そして慌てて、そんなことは絶対にないと確信する。たとえ人間社会から疎外されても、たとえどれだけの人に恨まれようと、ノドカだけは一緒だ。それが揺らぐことはない。
キィィとテルが鳴いた。ノドカはそんな様子を愛おしそうに眺めている。こんなことを考え続けるのは、場違いだったかもしれない。
夜はもう深い。いつもより大分明るいライトが、机の上でまばゆく光っていた。