茶柱の切迫した声が、
海上部隊との専用回線から第一作戦管制室へ飛び込んできた。
『司令官!』
坂柳理事長は人工島北部の戦況図から目を離さないまま、静かに答えた。
「分かっています」
『候補生を出すおつもりですか!』
茶柱の背後では、鳳翼作戦へ展開している艦艇の機関音と、
途切れなく交わされる部隊通信が聞こえていた。
教導隊は東京湾東部におり、今すぐ人工島へ引き返せる距離ではない。
坂柳理事長は北部地下区画から地上へ伸びる避難経路を見た。
BETAが出現した陥没孔。
地下医療区画。
接近中の第十二機動防衛群シールド。
そして、その到着までに生じる空白の十分間。
「シールド防衛群が到着するまで、北部避難路を維持する必要があります」
坂上の声が割って入る。
『俺たちが戻ります!』
「間に合いません」
『なら北部区画を放棄してください!』
茶柱の声には、普段の厳しさとは異なる激しさがあった。
命令へ反対したいのではない。
候補生を、本物の戦場へ出したくないのだ。
坂柳理事長は、その気持ちを理解していた。
だが、司令官として見なければならないものがある。
「北部地下医療区画には、
自力で移動できない患者が二十七名残っています」
回線が静まった。
前日の戦闘で負傷した正規軍衛士。
崩落した格納庫から救出された整備員。
設備事故で脚部や腰部を負傷し、
担架か医療搬送車でなければ移動できない者たち。
彼らがいる地下医療区画は、侵入したBETA群の進路上にあった。
患者を置き去りにして北部区画を放棄することはできない。
だが、搬送には時間がかかる。
坂柳理事長は穏やかな声を崩さずに続けた。
「候補生には、敵を撃破することを求めません」
「任務は北部避難経路の維持です」
「十分間だけ防衛線を支え、シールド防衛群の到着と同時に撤退させます」
茶柱は答えなかった。
海上から戻れない。
北部区画を放棄できない。
候補生以外に、すぐ動かせる戦術機がない。
司令官の判断が正しいことは分かっている。
それでも、教師として受け入れたくない。
長い沈黙の後、坂柳理事長は候補生用回線を開いた。
『候補生の皆さんへ』
第一演習場へ向かっていた生徒たちの端末と強化装備へ、司令官の声が届く。
「これは命令です」
その一言で、演習場の空気が変わった。
オレたちはすでに強化装備を身につけていた。
堀北。
須藤。
平田。
高円寺。
龍園。
一之瀬。
神崎。
神室。
橋本。
伊吹。
石崎。
各クラスから選ばれた戦術機適性上位者が格納庫前へ集められている。
だが、即座に実戦へ投入できる吹雪は八機だけだった。
残る機体は整備中か、訓練用設定から実戦仕様へ切り替える時間が足りない。
第一出撃隊は堀北、須藤、平田、高円寺。
第二出撃隊は龍園、一之瀬、神崎、オレ。
神室、橋本、伊吹、石崎は地上管制と予備要員へ回される。
須藤が整備員へ叫んだ。
「武装はどうする!」
整備班は候補生機へ取り付けられていた訓練用突撃砲を急いで外していた。
代わりに運び込まれたのは、
三十六ミリ弾と百二十ミリ砲弾を装填した実戦用突撃砲だった。
候補生が日常訓練で使用している模擬弾とは違う。
戦術機の装甲と地下施設の外壁を破壊できる、本物の武器。
整備員たちは武装を機体腕部へ接続しながら怒鳴る。
「安全装置は射撃許可まで解除するな!」
「百二十ミリ弾は一機二発!」
「長刀は装備しない!近接戦闘は禁止だ!」
今回の任務は、避難経路周辺へBETAを近づけないことだった。
陥没孔の奥へ入り、敵を追跡する必要はない。
戦車級を射撃で押し返し、医療搬送車が通る時間を作ればいい。
海上にいる真嶋からも、整備班へ遠隔指示が届く。
『五番機の弾薬接続を再確認しろ!』
『急いでも固定検査は省くな!』
自分が整備した機体へ候補生が乗る。
真嶋は現場へ戻れなくても、一つひとつの接続状態を確認しようとしていた。
八機の搭乗準備が完了する。
ハッチが閉じ、主機が順番に起動した。
低い振動が格納庫の床を伝わる。
その時、茶柱の声が全機回線へ入った。
『候補生、聞け!』
誰も返事を挟まない。
『敵を追うな!』
『前へ出るな!』
『撃破数を考えるな!』
須藤が操縦桿を強く握る。
龍園は正面の出撃口を見つめたまま動かない。
高円寺の表情からも、普段の余裕を感じさせる笑みが消えている。
茶柱は強く言い切った。
『お前たちの任務は十分間の防衛だ!』
『十分守り、全員で帰れ!』
第一小隊の四機が支持架を離れた。
続いて第二小隊。
八機の吹雪が演習場を出る。
人工島北部の空は、夜明け前にもかかわらず黒煙によってさらに暗く見えた。
複数の建物が損傷し、道路脇では整備車両が炎上している。
舗装路の中央には巨大な陥没孔が開き、
その周囲へ無数の戦車級が這い出していた。
シミュレーターでは何度も見た。
映像資料でも確認した。
だが、実物は違う。
異形の身体がコンクリートを擦る音。
何十体もの重量が重なって伝わる振動。
路面の段差や倒れた車両を越え、こちらへ迫ってくる動き。
画面では感じられなかった質量と圧力が、管制ユニットの装甲越しにも伝わってくる。
現時点で、要撃級や突撃級の姿は確認できない。
小型種が中心。
それでも数が多すぎた。
坂柳有栖が地上管制を担当している。
『防衛対象は北西地下入口です』
戦況図へ青い経路が表示された。
『医療班の搬送完了まで、残り九分四十秒』
坂柳は敵味方の反応を見ながら、静かに続けた。
『盤面を確認してください』
須藤が戦車級へ照準を合わせながら聞き返す。
『盤面?』
『チェスと同じです』
坂柳の端末上では、候補生機、避難車両、陥没孔、
敵反応がそれぞれ駒のように配置されていた。
『敵の大型種や戦車級の群れに目を奪われないでください』
『今回、守るべきキングは皆さん自身でも、陥没孔でもありません』
青く点滅する医療搬送車。
地下入口。
避難路。
『私たちのキングは、患者を乗せた搬送車です』
『敵を何体倒しても、車両を失えば敗北です』
『逆に、車両をすべて盤面の外へ逃がせば、
敵が残っていても私たちの勝利になります』
任務の意味が、改めて明確になる。
堀北が第一小隊へ命じた。
『第一小隊、道路封鎖線へ展開』
須藤が前方。
平田が右。
高円寺が左。
堀北は一歩後ろから、三機と避難路の位置を管理する。
第二小隊は別の道路へ展開した。
龍園が前方。
一之瀬は地下入口側。
神崎は右。
オレは左。
坂柳理事長の声が届く。
『候補生隊、射撃を許可します』
短い間。
『撃ってください』
八機の吹雪が一斉に突撃砲を構えた。
初めての実弾射撃。
引き金を絞った瞬間、三十六ミリ砲の轟音と反動が機体全体を揺らした。
砲口炎が暗い道路を白く照らし、無数の弾丸が戦車級の群れへ飛び込む。
着弾。
爆発。
粉塵。
アスファルトの破片が吹き上がる。
複数の敵反応が一度に消えた。
だが後続は止まらない。
倒れた個体を越え、陥没孔から次々と地表へ現れる。
平田の声に緊張が滲む。
『正面の数が多すぎる!』
堀北は即座に指示した。
『射撃を継続して!』
『撃破を確認する必要はないわ。避難路へ入ろうとする個体だけを止めて!』
八機が二度目の射撃を行う。
弾丸の一部が、すでに炎上していた大型整備車両へ命中した。
破損していた燃料系統へ引火する。
次の瞬間、車両全体が大爆発を起こした。
巨大な火柱が道路脇から立ち上がり、爆炎と黒煙が進路を塞ぐ。
強い熱風が吹雪の装甲へ押し寄せる。
炎の向こう側で、戦車級の群れが一時的に動きを鈍らせた。
須藤は好機だと判断し、機体を一歩前へ出そうとする。
堀北が即座に止めた。
『須藤くん、位置を維持して!』
『もっと近づけば、一度にまとめて倒せる!』
『前へ出ないで!』
『でも、この数じゃ――』
須藤機の左側へ、高円寺機が静かに並んだ。
『レッドヘアーくん』
『何だ!』
『命令を守りたまえ』
須藤が反発する。
『お前まで言うのかよ!』
『今は実戦だ』
高円寺の声には、いつもの軽さがなかった。
『君が一歩前へ出れば、堀北ガールと平田ボーイの射線が変わる』
『敵を多く倒す代わりに、味方を撃てない区域が増える』
『それは効率が悪い』
須藤は前方の敵と、左右にいる仲間の位置を見た。
自分が動けば、後方から撃つ堀北の射線を塞ぐ。
平田も右側へ移動しなければならなくなる。
『……分かった』
須藤機は元の位置へ戻った。
高円寺は正面へ短い連射を加える。
一体。
二体。
三体。
進路上へ出た個体だけを、必要最小限の弾数で止めていく。
敵を追わない。
撃破数を増やそうとしない。
避難路へ近づくものだけを排除する。
訓練では自分から積極的に動こうとしなかった男が、
実戦では誰よりも任務の条件を理解していた。
第二小隊側でも、陥没孔から続く戦車級の群れが道路へ広がっている。
龍園は敵の出現位置を見ながら坂柳へ尋ねた。
『穴そのものを塞げねぇのか』
『現時点で爆破した場合、地下医療区画まで崩落する可能性があります』
『なら、出てきた奴を止め続けるしかねぇな』
龍園は短い射撃を加え、道路中央へ入ろうとした戦車級を押し戻す。
一之瀬は地下入口の状況を見ていた。
『三台目の搬送車が出ます!』
地下から白い医療搬送車が現れる。
速度は遅い。
一般車両を補強しただけで、戦術機用の装甲はない。
内部には負傷者と医療班。
車両の排熱や人間の反応へ引かれたのか、複数の戦車級が進路を変えた。
神崎が先に気づく。
『右から来る!』
神崎機が射撃する。
だが最初の弾は、敵の手前へ着弾した。
距離が近い。
車両への誤射を恐れ、照準が僅かにずれた。
オレは一歩だけ前へ出た。
「神崎、車両の後ろではなく右側を見ろ」
照準を合わせる。
二発。
戦車級二体の動きが止まった。
神崎が息を吐く。
『助かった』
「まだ終わっていない。次を見ろ」
さらに三体が右側の瓦礫から現れた。
今度は神崎も落ち着いて照準する。
最初の一体。
続いて二体目。
残る一体はオレが止めた。
一之瀬は搬送車の横へ吹雪を移動させようとする。
『車両は私が守る!』
龍園が怒鳴った。
『近づきすぎるな!』
『でも、盾にならないと――』
『戦術機が転べば、BETAより先に車両を潰すぞ!』
一之瀬は自分と車両の距離を確認した。
近すぎる。
機体を僅かに外側へ移動させ、射線と避難路を確保する。
『分かった!』
恐怖によって判断が乱れる。
仲間の声で修正する。
そして、もう一度動く。
誰も完璧ではなかった。
それでも、全員が自分の役割を果たそうとしている。
作戦開始から三分。
医療搬送車は四台目まで地上へ出た。
だが、運転手たちの動きは徐々に遅くなっていた。
前方では戦車級が押し寄せ、周囲では実弾が飛び交い、
炎上した車両から黒煙が流れている。
一台が速度を落とすと、後続車両も停止しかける。
龍園が車両用の共通回線へ割り込んだ。
『おい、運転手ども』
突然の怒声に、先頭車両の運転手が返事をする。
『は、はい!』
『次の三十秒で、左の整備棟を道路へ落とす』
車両の左側には、長期間使われていなかった小型整備棟が建っている。
『倒壊区域へ残りたくなけりゃ、今すぐアクセルを踏め』
運転手が戸惑う。
『しかし、前方にBETAが――』
『そいつらは俺たちが撃つ』
龍園の声がさらに低くなる。
『今ここで止まれば、お前ら全員まとめて建物の下敷きだ』
『死にたくなきゃ走れ』
神崎が横から言う。
『龍園、必要以上に怖がらせるな』
『恐怖で止まってる奴には、もっと分かりやすい恐怖を見せる方が早ぇ』
龍園は悪びれない。
『三十秒後に潰すのは事実だ』
脅された運転手たちは、迷いを捨てた。
搬送車が次々と加速する。
一之瀬は車両の前方へ入ろうとする戦車級を射撃しながら、運転手へ呼びかけた。
『大丈夫です!』
『前だけを見てください!』
『私たちが道を開けます!』
龍園が恐怖で動かし。
一之瀬が安心を与えて前へ進ませる。
方法は正反対。
それでも、車両を止めないという目的は同じだった。
残り七分。
地面の奥から、それまでとは違う大きな振動が伝わった。
陥没孔の縁へ、巨大な腕がかかる。
コンクリートが内側から砕け、長い前肢と大きな身体がゆっくりと地表へ上がってきた。
要撃級。
一体。
その姿を見た瞬間、候補生たちの回線から声が消えた。
戦車級とは質量が違う。
教導隊が四機で戦っていた大型種。
接近戦は禁止されている。
だが、要撃級は避難路へ向かっている。
坂柳有栖が戦況図を見ながら静かに言った。
『盤面へクイーンが出ましたね』
須藤が叫ぶ。
『呑気に言ってる場合か!』
『いいえ。だからこそ、駒の価値を見誤らないでください』
坂柳は要撃級と搬送車の位置を比較する。
『要撃級は強力ですが、今回のキングではありません』
『あの個体を倒すことより、搬送車の進路から外すことを優先します』
『全機、後退してください』
八機が避難路から距離を取り、射線をそろえる。
『百二十ミリ砲を使用します』
候補生機へ与えられた百二十ミリ弾は少ない。
反動も大きい。
実弾での使用経験はない。
堀北が全体へ命じる。
『照準を要撃級の胴体中央へ集中!』
第一小隊。
第二小隊。
八機の突撃砲が同じ標的へ向く。
要撃級が地表へ完全に上がった。
一歩進むだけで、道路が大きく沈む。
長い腕が持ち上がる。
坂柳は巨大な敵を見ながら、駒の配置を確認した。
『キングを逃がすために、クイーンを一度止めます』
堀北が叫ぶ。
『全機、撃って!』
八機の百二十ミリ砲が同時に火を噴いた。
轟音が北部区画全体を震わせる。
八発の砲弾が要撃級へ集中し、ほぼ同時に爆発した。
巨大な火球が胴体を包み、爆風が路上の瓦礫を吹き飛ばす。
煙が広がる。
だが、その中から要撃級の影が前へ出た。
『止まってない!』
管制席の石崎が叫ぶ。
要撃級は身体を傾けながらも、こちらへ進んでくる。
片腕を振り上げた。
距離が近い。
堀北が二射目を指示する。
『各機、再装填!』
百二十ミリ砲弾の装填には時間がかかる。
八機の表示へ、再装填の進行状況が示される。
要撃級は、その時間を待ってくれない。
巨大な腕が第一小隊へ向かって振り下ろされようとする。
高円寺機が前へ出た。
堀北が叫ぶ。
『高円寺くん、位置を維持して!』
高円寺機は須藤と平田の前へ入る。
要撃級の攻撃を最も受けやすい位置。
『命令違反よ!』
『違う』
高円寺の声は冷静だった。
『射線を作る』
要撃級の腕が高円寺機へ迫る。
高円寺はぎりぎりまで動かなかった。
標的が自分へ完全に向いた瞬間。
跳躍ユニットを短く噴射する。
空へ跳ぶのではなく、地表を滑るような横方向への急加速。
巨大な腕が機体の背後を通過し、アスファルトへ激突した。
路面が砕ける。
要撃級の上半身が大きく前へ傾く。
高円寺は短く言った。
『今だ』
再装填完了。
八機の照準が、前へ傾いた要撃級へそろう。
『撃て!』
二射目。
百二十ミリ砲弾が一斉に発射された。
今度は傾いた胴体と肩部へ集中する。
連続した大爆発が要撃級を包んだ。
巨体が完全にバランスを失い、道路へ崩れ落ちる。
着地の衝撃で地面が揺れ、周辺建物の窓ガラスが一斉に割れた。
高円寺機は爆炎のすぐ近くにいた。
飛散した装甲片とコンクリート片が左肩へ衝突する。
警告表示。
『高円寺機、左肩部小破』
堀北の声が鋭くなる。
『なぜ前へ出たの!』
『あのままでは、再装填が間に合わなかった』
『だからといって、一機で攻撃を受ける位置へ出るなんて――』
『必要な危険だった』
高円寺の声は変わらない。
『私が作ったのは、全機が二射目を撃つための二秒だ』
堀北は反論を止めた。
結果だけを見れば、要撃級は止まった。
だが、一歩間違えば高円寺機が直撃を受けていた。
海上回線から茶柱が怒鳴る。
『高円寺!』
『聞こえているよ』
『帰還したら説教だ!』
『了解』
『勝手に死ぬな!』
ほんの僅かな沈黙。
高円寺は静かに答える。
『そのつもりはない』
要撃級を排除した時点で、残り時間は五分だった。
陥没孔からは、まだ戦車級が溢れてくる。
各機の弾薬残量が低下し、砲身温度も上がっている。
五台目。
六台目。
医療搬送車が避難路へ入る。
地下に残る患者は十二名。
第一小隊は陣形を維持していた。
須藤が前方を撃つ。
平田が右側を支える。
堀北が全体の射線を管理する。
高円寺機は左肩を損傷しているが、腕部と突撃砲の機能は正常だった。
須藤が言う。
『高円寺、少し下がれ』
『なぜだい?』
『肩をやられてるだろ』
『射撃には支障がない』
『俺が左側へ寄る』
『君は前衛だ』
『今は関係ねぇ!』
須藤は自分の位置を少し左へずらし、高円寺機の死角を補う。
『さっきの借りを作る気はねぇ』
高円寺は一瞬だけ黙った。
『私は貸したつもりはないよ』
『なら黙って守られろ』
高円寺の口元へ、小さな笑みが戻った。
『了解』
平田は二機の位置を確認しながら、右側の射線を維持する。
『正面から、まだ来る!』
堀北の命令で第一小隊が再び一斉射撃を行う。
道路へ砲弾が着弾し、複数の爆発によって路面が崩れる。
戦車級が移動できる幅が狭まり、敵の流れが一か所へ集中した。
第二小隊側でも、残弾は少なくなっていた。
龍園が表示を見る。
『俺は三割だ』
神崎が続く。
『俺は二割しか残っていない』
一之瀬が地下入口を確認する。
『搬送車は、あと四台です!』
龍園は戦車級の群れと、左側にある廃整備棟を交互に見た。
『綾小路』
「何だ」
『道を作るぞ』
龍園は建物の支柱へ照準を向ける。
『あの整備棟を道路へ落とせば、戦車級が通れる幅を半分以下にできる』
「地下への影響は?」
『地表だけで独立してる』
坂柳有栖が構造図を確認する。
『西方向へ倒壊させることができれば、地下医療区画への影響はありません』
その声には、どこか楽しむような響きが混ざっていた。
『盤面へ障害物を置き、敵の進路を限定する』
『ルークの通る列を塞ぐようなものですね』
龍園が鼻で笑う。
『何でもチェスにするな』
『あなたもよく似たことをしていますよ』
『自分の駒を脅して動かす点だけは、かなり独特ですが』
『動けば何でもいい』
龍園は搬送車の共通回線へ再び入る。
『運転手ども、残り四台も同じだ』
『次の車両が建物脇を抜けた瞬間、整備棟を倒す』
『後ろの車両は前と一メートル以上空けるな』
運転手が恐る恐る尋ねる。
『本当に倒すのですか』
『嘘だと思うなら止まって見てろ』
一之瀬がすぐに言葉を添える。
『大丈夫です』
『龍園くんの言い方は怖いですけど、倒壊方向はこちらで計算しています』
『前の車両から離れずに進んでください』
『必ず通します』
龍園が言う。
『余計なことを言うな』
『怖がらせすぎです』
『動けばいいんだよ』
二人の言い方は正反対だった。
だが、運転手たちは速度を上げた。
オレと龍園が整備棟の支柱へ射撃を始める。
神崎も加わる。
最初の支柱へ砲弾が集中し、コンクリートが砕ける。
続いて二本目。
建物全体が道路側へゆっくりと傾き始めた。
鉄骨が歪む音。
外壁から落ちる破片。
一之瀬が搬送車を誘導する。
『そのまま進んで!』
『止まらないでください!』
最後の車両が整備棟の脇を抜ける。
龍園が叫んだ。
『今だ!』
百二十ミリ砲弾を残る支柱へ撃ち込む。
直撃。
凄まじい爆発が建物下部で起きた。
支えを失った整備棟の上部が、巨大な質量を伴って道路へ崩れ落ちる。
鉄骨。
コンクリート壁。
屋根材。
内部に残されていた整備足場。
すべてが一体となって戦車級の群れへ降り注いだ。
地面が大きく揺れる。
粉塵と爆炎が道路を覆い、視界が一時的に失われる。
瓦礫は陥没孔を完全には塞がなかった。
それでも、戦車級が通れる幅は一機分にも満たないほど狭くなった。
敵群は瓦礫の向こうで滞留し、一度に防衛線へ向かえる数が大きく減る。
龍園が満足そうに言う。
『悪くねぇ』
坂柳が返す。
『施設修復には相当な費用が必要になりそうですね』
『学校へ請求しろ』
『龍園くん個人へ請求しておきます』
『好きにしろ』
残り二分。
北西方向から、シールド防衛群の反応が接近してくる。
重装甲の撃震六機。
候補生機より大型の突撃砲。
侵入口を完全に塞ぐための封鎖弾。
先頭機から通信が入った。
『こちらシールド3』
『北部防衛区域へ到着する』
候補生たちの回線へ、初めて安堵の気配が広がった。
坂柳理事長が命じる。
『候補生隊、撤退準備へ入ってください』
『搬送状況は?』
一之瀬が地下入口を見る。
最後の医療搬送車が斜面を上がり、避難路へ入った。
『最後の車両が地下入口を出ました!』
『患者二十七名と医療班、全員の退避を確認!』
坂柳有栖は戦況図を見つめた。
守るべき青い駒が、敵の射程外へ移動していく。
『キングの退避を確認しました』
小さく息を吐く。
『候補生隊の勝利です』
坂柳理事長の声が重なる。
『全機、撤退してください』
堀北が第一小隊へ命じる。
『順番に下がるわ』
第一小隊が射撃を交代しながら後退する。
第二小隊もそれに続く。
龍園は最後まで瓦礫の向こうを見ていた。
須藤も突撃砲を構えたまま、さらに一度撃とうとする。
高円寺が止めた。
『撤退命令だ』
『まだ撃てる』
『任務は終わった』
『でも敵は残ってる!』
『私たちは敵を全滅させるために来たのではない』
茶柱から最初に言われた言葉。
十分守り、全員で帰れ。
須藤は操縦桿を握りしめた。
やがて突撃砲を下げる。
『……分かった』
八機の吹雪が防衛線から離れる。
入れ替わるように、シールド防衛群の撃震六機が前へ出た。
候補生用の吹雪よりも重い機体が、一歩ごとに道路を大きく震わせる。
六機が大型突撃砲を構えた。
一斉射撃。
轟音の質が違った。
道路全体が連続した爆炎に覆われ、瓦礫が何度も跳ね上がる。
陥没孔周辺へ残っていた戦車級が、一気に押し戻された。
一機の撃震が、背部に搭載していた巨大封鎖弾を前へ向ける。
『地下医療区画の退避完了を確認』
『封鎖弾を使用する』
大型弾頭が陥没孔へ撃ち込まれた。
穴の奥へ落下する。
数秒後。
地中で大爆発が起きた。
道路全体が内側から持ち上がり、巨大な亀裂が周囲へ走る。
続いて地面が崩れた。
大量の土砂とコンクリートが陥没孔へ流れ込み、侵入口を埋めていく。
地下から上がっていた戦車級の反応が次々と途切れた。
人工島北部の戦闘は終了した。
候補生八機が第一演習場へ帰還する。
誰も歓声を上げなかった。
吹雪を支持架へ戻し、主機を停止する。
低い駆動音が一機ずつ消えていく。
ハッチが開き、候補生たちは昇降機で地上へ降りた。
足が震えている者もいた。
平田は昇降機から降りた直後、両膝へ手を置いて深く呼吸する。
一之瀬は強化装備の胸元を押さえ、目を閉じていた。
神崎は黙ったまま、自分の手を見ている。
須藤は拳を握りしめている。
龍園は振り返り、遠くに立ち上る北部区画の黒煙を見た。
高円寺は、左肩部の装甲を損傷した自分の吹雪を見上げている。
整備員たちがすぐに機体へ集まった。
海上の真嶋から遠隔指示が飛ぶ。
『九番機の肩部装甲を外せ!』
『内部フレームへ損傷があれば、次の起動は禁止だ!』
高円寺は整備作業を見ていた。
そこへ須藤が近づく。
「おい」
高円寺が振り向いた。
「何かな」
「さっきは助かった」
高円寺は須藤を見た。
「私一人で要撃級を倒したわけではない」
「それでも、お前が前へ出なかったら二射目は間に合わなかった」
「君たちが撃たなければ、私が作った二秒に意味はなかった」
須藤は少しだけ笑う。
「珍しくまともなことを言うな」
「私は常にまともだよ」
「それはねぇ」
高円寺の口元にも、僅かな笑みが浮かんだ。
堀北が二人のところへ来る。
表情は厳しい。
「高円寺くん」
「説教かい?」
「命令違反については、帰還した茶柱先生から受けて」
「そうしよう」
「でも」
堀北は一度言葉を止めた。
素直に感謝を伝えることへ、まだ僅かな抵抗があるように見えた。
「助かったわ」
高円寺は意外そうに目を細める。
「私の判断を認めるのかな」
「結果だけを見て認めているわけではない」
堀北は損傷した吹雪を見る。
「あの状況では、誰かが要撃級の攻撃を逸らさなければ二射目が間に合わなかった」
「必要な行動だったことも理解している」
「なら問題はないね」
「問題はあるわ」
堀北は即答した。
「次は動く前に伝えて」
「伝える時間があればね」
「時間がなくても、伝える努力をして」
「善処しよう」
完全には噛み合わない。
それでも、以前より相手の判断を理解しようとしている。
平田がようやく身体を起こした。
「全員、無事だった」
小さな声。
実感するように、もう一度言う。
「本当に、全員戻ってきた」
誰も失わなかった。
候補生たちにとって初めての実戦。
戦車級を倒した。
要撃級も共同で撃破した。
だが、それ以上に重要なのは。
地下医療区画にいた二十七名の患者と医療班を、全員避難させたことだった。
演習場へ坂柳理事長が現れた。
濃紺の司令官服。
周囲には副官と管制職員。
候補生たちは自然に整列した。
坂柳理事長は一人ずつ顔を見る。
堀北。
須藤。
平田。
高円寺。
龍園。
一之瀬。
神崎。
そしてオレ。
「任務、ご苦労さまでした」
誰もすぐには返事をできなかった。
身体は戦術機から降りている。
それでも耳には、まだ砲撃音と警報が残っている。
「皆さんの行動によって、北部医療区画から全員を避難させることができました」
坂柳理事長は続けた。
「戦死者はいません」
その言葉を聞き、平田が僅かに顔を伏せた。
一之瀬も目を閉じる。
緊張によって抑え込まれていた感情が、ようやく少しだけ緩んだのだろう。
「ですが」
坂柳理事長の声が僅かに強くなる。
「喜ぶ前に、一つ覚えておいてください」
候補生全員を見る。
「今日、皆さんが生きて帰ることができたのは、皆さんだけの力ではありません」
機体を整備した者。
弾薬を準備した者。
管制室から敵位置を送り続けた者。
患者を運んだ医療班。
避難車両を走らせた運転手。
十分後に到着したシールド防衛群。
海上から注意を送り続けた教導隊。
多くの人間の働きがつながっている。
「機体を整備した者」
「戦況を伝えた者」
「撤退時間を守った者」
「そして、皆さんの隣にいた仲間」
候補生たちは互いを見る。
須藤と高円寺。
龍園と一之瀬。
神崎。
堀北。
それぞれが、一人ではできなかった判断を補っていた。
「戦果を、自分一人のものにしないでください」
須藤は黙って聞いている。
龍園も皮肉を挟まない。
高円寺も、いつもの笑みを消していた。
「同時に」
坂柳理事長の声が穏やかになる。
「恐怖を感じたことを恥じる必要もありません」
「皆さんは、怖かったはずです」
誰も否定しなかった。
実戦である以上。
一度の被弾で死ぬ可能性がある。
隣の仲間が戻れない可能性もある。
「それでも、逃げずに自分の役割を果たしました」
坂柳理事長は、候補生たちへ深く頭を下げた。
「司令官として、感謝します」
候補生へ対して。
高育の司令官が頭を下げている。
演習場にいる整備員たちも、その姿を見ていた。
坂柳理事長は顔を上げる。
「そして、教育者として」
声に僅かな苦さが混ざる。
「皆さんを戦わせたことを、謝ります」
堀北が僅かに目を見開いた。
「本来、これは大人たちが止めるべき戦いです」
「ですが、我々は間に合わせることができませんでした」
言い訳はしない。
候補生しかいなかったから仕方がないとも言わない。
「皆さんの力を借りなければ、救えない人がいました」
「だから、私は候補生へ出撃命令を出しました」
「その責任は、私にあります」
候補生たちは、何も答えられない。
恨むべきなのか。
誇るべきなのか。
自分たちにも分からない。
「次は、皆さんを出撃させずに済むよう努力します」
坂柳理事長は一度言葉を切った。
「ですが、約束はできません」
それが現実だった。
東京ハイヴは残っている。
BETAは別の侵入路を作り続けている。
「だから皆さんも」
「次に備えてください」
誰も嫌だとは言わなかった。
本当は嫌なはずだ。
怖い。
もう一度同じ場所へ立てと言われれば、逃げ出したい者もいるかもしれない。
それでも、戦いが終わっていないことは全員が理解していた。
今回の侵入が、鳳翼作戦を妨害するためだったのか。
人工島内部へ侵入する経路を探っていたのか。
BETAの目的は分からない。
確かなのは、人類の防衛線が外側だけでなく、
内側からも狙われているということだった。
午後になっても、鳳翼作戦は中止されなかった。
人工島北部で戦闘が発生しても、
東京湾へ展開した部隊は配置を維持している。
東翼では、第一地下封鎖杭の設置が完了。
南翼では、第二封鎖線の構築が進む。
中央の無人探査艇は、東京湾地下に新しい空洞入口を発見した。
敵が一つの道を開こうとする間に、人類側も一つずつ道を閉じていく。
進み方は遅い。
それでも、人類も止まってはいなかった。
夜。
高度育成衛士高等学校。
人工島北部で発生していた火災は鎮火していた。
崩落した侵入口の周囲にはシールド防衛群が配置され、
再侵入に備えて警戒を続けている。
候補生たちは医務検査を終え、それぞれの自室へ戻った。
オレは寮の窓から東京湾を見た。
遠方の海上には、数え切れないほどの作業灯が並んでいる。
鳳翼作戦へ参加している艦艇と作業船。
東京ハイヴを包囲する巨大な翼を作るように、東西へ広がっていた。
端末へ、今日の戦闘記録が届く。
初実戦。
搭乗時間、四十五分十二秒。
射撃回数。
使用弾薬。
機体損傷なし。
撃破判定、戦車級六体。
要撃級一体を共同撃破。
数字だけを見れば、それだけだった。
だが、実際の戦場は数字より遥かに複雑だった。
砲撃の反動。
爆発によって揺れる機体。
通信回線から聞こえた仲間の声。
炎の横を走る医療搬送車。
高円寺が作った二秒。
龍園が恐怖によって運転手を走らせ、整備棟を倒した判断。
一之瀬が搬送車へ与えた安心。
神崎が外した一発と、その後に当てた弾丸。
堀北の命令。
須藤が前へ出るのを止めた一歩。
坂柳が敵ではなく、守るべきキングを見るよう全員へ示したこと。
どれか一つが欠けていれば。
全員は帰れなかったかもしれない。
オレは端末を閉じた。
人工島地下。
封鎖された旧物流トンネル。
崩れた土砂とコンクリートの奥では、戦車級の反応が消えている。
だが、さらに深い場所では別の振動が移動していた。
今回使用した侵入路から離れていく。
人工島とは逆方向。
お台場方面。
そして、東京ハイヴの中心部へ。
地下深くに存在する巨大構造が、再びゆっくりと脈動を始める。
鳳翼作戦によって、地表へ続く道が一つ塞がれた。
するとBETAは、その道へ執着せず、新しい経路を掘り始める。
一つを閉じれば、別の道を作る。
二つを閉じれば、さらに三つ目を探す。
人類側が盤面の一列を封じるたび。
敵もまた、別の駒を動かしてくる。
終わりの見えない攻防。
人類は東京湾へ巨大な翼を広げた。
だが、その翼の下では。
東京ハイヴもまた地中深くから。
東京のあらゆる場所へ届く無数の腕を。
静かに伸ばし始めていた。