マブラヴ・カーストルーム   作:EXTERMINATION

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第12話 帰投の翌朝

初実戦の翌朝。

 

高度育成衛士高等学校の第一講義棟には、

普段より早い時間から明かりが点いていた。

 

窓の外はまだ薄暗い。

 

東京湾の上には灰色の雲が広がり、

海上に設置された鳳翼作戦の作業灯だけが、夜の名残のように浮かんでいる。

 

人工島北部。

 

昨日、BETAが地中から出現した区画は、厚い装甲壁によって封鎖されていた。

 

崩落した旧物流トンネルの周囲には、

第十二機動防衛群シールドの撃震が配置されている。

 

巨大な機体が微動だにせず立ち、地中から届く僅かな振動を監視していた。

 

一見すれば、戦闘は終わったように見える。

 

だが、島内の誰もそうは思っていなかった。

 

BETAは外からだけではなく、足元から現れる。

 

その事実が、人工島全体の空気を変えていた。

 

オレたち候補生予備隊は、午前五時から第一講義室へ集められている。

 

堀北。

 

須藤。

 

平田。

 

高円寺。

 

龍園。

 

一之瀬。

 

神崎。

 

そしてオレ。

 

昨日、吹雪へ搭乗した八名。

 

他の候補生は別室で通常訓練を受けている。

 

この部屋にいるのは、初実戦の事後検証対象者だけだった。

 

全員の前には端末。

 

正面には大型スクリーン。

 

画面には昨日の戦場が映っている。

 

崩れた整備棟。

 

炎上する車両。

 

道路を埋める戦車級。

 

地中から現れる要撃級。

 

そして、それに向き合う八機の吹雪。

 

映像は音声も含めて記録されている。

 

誰が何を言ったのか。

 

誰がどこへ動いたのか。

 

すべてが残っている。

 

「再生を始める」

 

茶柱が言った。

 

前方には茶柱、坂上、星之宮、真嶋。

 

四人とも昨日の鳳翼作戦から帰還したばかりだ。

 

茶柱の不知火は外装に複数の損傷。

 

坂上の陽炎も右脚部へ被弾。

 

星之宮機は突撃砲を一門失っている。

 

真嶋の撃震には、海中から現れた要撃級と接近戦を行った跡が残っていた。

 

教師陣も無傷ではない。

 

それでも候補生より早く、この部屋へ来ていた。

 

映像が始まる。

 

人工島北部。

 

陥没。

 

戦車級の群れ。

 

昨日と同じ光景。

 

だが、実際に操縦席で見た時とは違う。

 

俯瞰映像。

 

上空監視機。

 

各機の視界。

 

管制記録。

 

複数の情報が同時に表示される。

 

「停止」

 

茶柱が映像を止めた。

 

候補生八機が、演習場を出た直後。

 

まだ敵と接触していない。

 

「この時点での問題を言え」

 

誰もすぐには答えなかった。

 

須藤が画面を見る。

 

「俺たちの間隔が狭い」

 

茶柱が須藤を見る。

 

「続けろ」

 

「前の機体が止まったら、後ろも避けられねぇ」

 

「その通りだ」

 

須藤は少し意外そうな顔をした。

 

褒められると思っていなかったのだろう。

 

茶柱は映像を拡大する。

 

第一小隊。

 

堀北。

 

須藤。

 

平田。

 

高円寺。

 

四機が演習場出口で僅かに密集している。

 

「実機出撃に慣れていないため、前の機体を見すぎている」

 

茶柱は説明する。

 

「敵を見ていない。地形も見ていない。仲間の背中だけを追っている」

 

堀北が手元の端末へ入力する。

 

「今回は事故が起きなかった」

 

茶柱の声が冷たくなる。

 

「だが、出口付近で一機が転倒していれば、後続全機が止まっていた」

 

須藤が腕を組む。

 

「初実戦だったんだから、仕方ねぇだろ」

 

「仕方ないで終わらせるなら、検証を行う意味はない」

 

茶柱は須藤を見る。

 

「失敗したことを責めているのではない」

 

一度言葉を切る。

 

「同じ失敗を、次も初めてのように繰り返すことを責めている」

 

須藤は何も返さなかった。

 

映像が進む。

 

最初の射撃。

 

八機の突撃砲。

 

砲口炎。

 

道路に連続する着弾。

 

戦車級の群れが爆煙へ消える。

 

画面越しでも、実弾射撃の衝撃が伝わる。

 

「停止」

 

今度は坂上。

 

着弾地点が表示される。

 

一発。

 

二発。

 

三発。

 

多数の弾丸が同じ地点へ集中していた。

 

「火力の無駄だ」

 

坂上が言う。

 

「全員が先頭の敵を狙っている」

 

神崎が映像を見る。

 

「射撃区域の分担がありませんでした」

 

「そうだ」

 

「ですが、事前に敵の数が分からなかった」

 

「分からないなら、なおさら分けろ」

 

坂上が地図へ線を引く。

 

道路左。

 

中央。

 

右。

 

「第一小隊が左と中央。第二小隊が中央と右。最低限、それだけでも重複は減る」

 

龍園が鼻で笑う。

 

「初めて本物を見りゃ、全員一番近い奴を撃つ」

 

坂上は龍園へ視線を向ける。

 

「お前も同じだったな」

 

映像が切り替わる。

 

龍園機。

 

一射目。

 

一之瀬機と同じ敵へ射撃。

 

弾道が重なる。

 

「戦果を焦ったか?」

 

「違ぇよ」

 

龍園は否定した。

 

「目の前の奴を消した方が早かった」

 

「一体を早く消し、次の三体へ弾を残さない」

 

坂上の声は厳しい。

 

「それを焦りという」

 

龍園の目が僅かに細くなる。

 

反論はしなかった。

 

映像が進む。

 

医療搬送車。

 

戦車級が方向を変える。

 

神崎の最初の射撃が外れる。

 

オレが続けて撃つ。

 

「停止」

 

神崎が自分から口を開いた。

 

「俺の照準が高い」

 

坂上が頷く。

 

「理由は」

 

「搬送車両が近く、地面へ着弾させることを恐れました」

 

「その判断自体は間違っていない」

 

坂上は画面を拡大する。

 

「だが、恐れて照準を上げれば命中しない。撃てないなら撃つな。別の位置へ動け」

 

神崎は拳を握る。

 

「はい」

 

一之瀬が横から神崎を見る。

 

「でも、二回目は当たったよ」

 

神崎は一之瀬へ視線を向ける。

 

「一回目を外した事実は消えない」

 

「消さなくていいんじゃないかな」

 

一之瀬は静かに答える。

 

「次に当てるために覚えておけば」

 

神崎は少しだけ表情を緩めた。

 

検証は続く。

 

堀北の指示。

 

須藤の前進。

 

高円寺の制止。

 

龍園による整備棟倒壊。

 

一之瀬の搬送車防護。

 

一つずつ停止される。

 

成功した行動も、結果だけでは評価されない。

 

「なぜ、その位置を選んだ」

 

「他に方法はなかったのか」

 

「一秒遅れていたらどうなった」

 

「仲間が動かなかった場合は」

 

教官たちは何度も問う。

 

答えのない質問もある。

 

それでも考えさせる。

 

画面に要撃級が現れる。

 

地中から這い上がる巨体。

 

八機が百二十ミリ砲を構える。

 

一斉射撃。

 

爆炎。

 

煙の中から進み続ける要撃級。

 

教室の空気が僅かに強張る。

 

昨日の恐怖が戻ってくる。

 

映像であっても、あの時の振動や警告音を思い出す。

 

「ここからは高円寺の行動を検証する」

 

茶柱が言う。

 

高円寺機が前へ出る。

 

要撃級の攻撃を引きつける。

 

横方向への噴射。

 

回避。

 

候補生全機の再装填。

 

二射目。

 

要撃級撃破。

 

茶柱が映像を停止。

 

「高円寺」

 

「何かな」

 

「自分の行動を説明しろ」

 

高円寺は画面を見る。

 

「再装填完了まで、およそ二秒足りなかった」

 

「だから前へ出た?」

 

堀北が尋ねる。

 

「そうだよ」

 

「命令では位置を維持することになっていた」

 

「維持すれば、要撃級の攻撃がレッドヘアーくんか平田ボーイへ届いた」

 

須藤が高円寺を見る。

 

高円寺は続ける。

 

「私が最も正確に回避できると判断した」

 

「自信過剰ね」

 

堀北の声は冷たい。

 

「否定はしない」

 

高円寺は平然としている。

 

茶柱が問いかける。

 

「失敗した場合は?」

 

「私の機体が損傷した」

 

「それだけか?」

 

高円寺は少し考える。

 

「私の機体が倒れれば、後方の射線を塞ぐ」

 

「他には」

 

「要撃級がさらに前進する」

 

「他には」

 

高円寺の表情から、僅かに余裕が消える。

 

「レッドヘアーくんたちが、私を助けようとする可能性がある」

 

「そうだ」

 

茶柱は画面へ複数の予測線を表示する。

 

高円寺機が回避に失敗。

 

転倒。

 

須藤が前進。

 

平田が援護。

 

堀北が射撃位置を変更。

 

八機の射線が崩れる。

 

医療搬送車が止まる。

 

「お前の判断が成功したことで、全員が助かった」

 

茶柱は言う。

 

「だが、お前が失敗すれば、全員が崩れた」

 

高円寺は黙っている。

 

「自分が成功することだけを前提にするな」

 

「私が失敗する可能性を考えろと?」

 

「違う」

 

茶柱は即座に否定する。

 

「お前が失敗しても、部隊が生き残る形を作れ」

 

高円寺の目が僅かに動く。

 

「それが連携だ」

 

しばらく沈黙。

 

やがて高円寺は小さく頷いた。

 

「了解」

 

須藤が驚いたように高円寺を見る。

 

高円寺は反論しなかった。

 

自分の行動が間違いだったとは思っていないだろう。

 

だが、茶柱の指摘も理解している。

 

茶柱は堀北を見る。

 

「小隊長としてはどうだ」

 

堀北は映像を見た。

 

高円寺の前進。

 

自分の驚き。

 

二射目の命令。

 

「私が、高円寺くんの動きを想定していませんでした」

 

「当然だ。命令違反だからな」

 

「ですが、高円寺くんが前へ出なければ危険だったことも、私は気づけなかった」

 

堀北は悔しそうに拳を握る。

 

「小隊全体の再装填時間を、把握できていませんでした」

 

茶柱は頷く。

 

「高円寺だけの問題ではない」

 

堀北が顔を上げる。

 

「小隊長が戦場を完全に把握することは不可能だ」

 

「では、どうすれば」

 

「部下に見せろ」

 

茶柱は答える。

 

「お前が見えないものを、他の者に見せる」

 

「報告させる?」

 

「それも一つだ」

 

「でも、高円寺くんは必要な時まで報告しません」

 

「なら、報告の基準を決めろ」

 

堀北は以前の訓練を思い出したようだった。

 

発見した時点で報告する。

 

自分から動かない高円寺へ、明確な命令を出す。

 

「曖昧な命令は、曖昧な結果を生む」

 

茶柱は言う。

 

「人間は、お前の期待通りには動かない」

 

須藤を見る。

 

高円寺を見る。

 

平田を見る。

 

「だから相手を知れ」

 

坂柳理事長の演説と同じ。

 

隣の者を知る。

 

堀北は小さく答えた。

 

「はい」

 

映像は、撤退場面へ進む。

 

シールド防衛群の到着。

 

候補生隊の後退。

 

須藤が撃ち続けようとする。

 

高円寺が止める。

 

「ここは評価する」

 

茶柱が言った。

 

須藤が顔を上げる。

 

「須藤。お前は敵を追わなかった」

 

「命令だったからな」

 

「以前のお前なら、無視したかもしれない」

 

「……かもな」

 

須藤は否定しなかった。

 

「なぜ止まれた」

 

須藤は少し考える。

 

「高円寺が言ったからだ」

 

高円寺が僅かに眉を上げる。

 

「私が?」

 

「ああ」

 

須藤は画面を見たまま言う。

 

「こいつが前に出た時、ふざけてねぇって分かった」

 

高円寺は何も答えない。

 

「そんな奴が任務は終わったって言うなら、終わりなんだろうと思った」

 

茶柱が問う。

 

「私の命令では止まらないのか?」

 

須藤は僅かに慌てる。

 

「そういう意味じゃねぇ」

 

教室に小さな笑いが起こった。

 

張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

 

星之宮が肩をすくめる。

 

「佐枝ちゃん、人望で負けてる?」

 

「黙っていろ」

 

「冗談だって」

 

茶柱は星之宮を睨む。

 

だが、それ以上は追及しなかった。

 

最後。

 

坂柳理事長の言葉。

 

候補生へ感謝し、戦わせたことを謝罪した場面。

 

映像が終わる。

 

スクリーンが暗くなる。

 

「昨日の任務は成功だ」

 

茶柱が告げた。

 

「戦死者なし。搬送対象者全員救出。候補生機の損傷は一機のみ」

 

高円寺機。

 

左肩小破。

 

「だが、成功したから問題がなかったわけではない」

 

端末に、それぞれの評価表が送られる。

 

操縦。

 

射撃。

 

連携。

 

判断。

 

命令遵守。

 

精神状態。

 

細かい項目。

 

高円寺は操縦、判断、射撃で最高評価。

 

命令遵守だけが低い。

 

須藤は射撃と前衛適性が高い。

 

視野と弾薬管理が低い。

 

堀北は指揮と情報処理。

 

臨機応変さに課題。

 

平田は護衛と連携。

 

優先順位の決定が低い。

 

龍園は戦場構築と即応判断。

 

独断性と危険管理に問題。

 

一之瀬は護衛能力。

 

自機を危険へ置きすぎる傾向。

 

神崎は正確性。

 

緊張時の初動。

 

オレの評価は。

 

操縦。

 

射撃。

 

判断。

 

すべて上位。

 

だが、突出した数値にはなっていない。

 

茶柱の記載。

 

「状況全体を把握している可能性あり。自発的な指揮を避ける傾向」

 

やはり気づかれている。

 

「本日の訓練は、午後から開始する」

 

茶柱が言う。

 

須藤が驚く。

 

「今からじゃねぇのか」

 

「午前中は休息だ」

 

誰もすぐには反応しなかった。

 

茶柱の口から休めと言われるとは思っていなかったのだろう。

 

「実戦後の身体は、自分で思う以上に疲労している」

 

坂上が続ける。

 

「手の震え、吐き気、不眠、過度な興奮。異常ではない」

 

平田が僅かに視線を下げる。

 

眠れなかったのかもしれない。

 

「隠すな」

 

坂上は全員を見る。

 

「精神状態を申告することは、弱さではない」

 

須藤が自分の手を見る。

 

「俺は平気だ」

 

「それを決めるのは医療班だ」

 

「自分のことだぞ」

 

「自分だから、正確に見えないことがある」

 

高円寺が須藤へ言う。

 

「君は昨日から三度、右手を握り直しているよ」

 

須藤が高円寺を見る。

 

「見てたのか」

 

「目に入っただけさ」

 

須藤の右手。

 

僅かな震え。

 

操縦桿を握っていた感覚が残っているのだろう。

 

須藤は拳を握る。

 

隠そうとする。

 

だが、すぐに力を抜いた。

 

「……医療班に行けばいいんだな」

 

坂上が頷く。

 

「そうしろ」

 

事後検証終了。

 

候補生たちは医療区画へ移動する。

 

簡易検査。

 

心拍。

 

睡眠。

 

神経反応。

 

心理面談。

 

オレは特に問題なし。

 

須藤は軽度の興奮状態。

 

平田は睡眠不足。

 

一之瀬は搬送車へ接近した戦車級の映像が、何度も頭へ浮かぶと申告した。

 

高円寺は正常。

 

龍園も大きな異常はなし。

 

ただし、戦闘後も長時間交感神経の興奮が続いていた。

 

本人は気にしていない。

 

医療区画を出る。

 

廊下の窓から北部区画が見える。

 

昨日崩した整備棟。

 

巨大な瓦礫。

 

封鎖された穴。

 

工事車両が何十台も動いている。

 

「俺たちが壊したんだよな」

 

須藤が言う。

 

龍園が隣で答える。

 

「俺と綾小路だ」

 

「細けぇな」

 

「事実だろ」

 

「修理、どれくらいかかるんだろう」

 

平田が心配そうに見る。

 

高円寺が答える。

 

「完全復旧には数か月だろうね」

 

「そんなに?」

 

「ただし、軍事施設は機能優先で復旧する。外見は後回しさ」

 

須藤が瓦礫を見る。

 

「学校に見えなくなってきたな」

 

誰も否定しなかった。

 

入学時。

 

校舎。

 

寮。

 

演習場。

 

学校であることを示す建物が多かった。

 

今は防壁。

 

戦術機。

 

装甲車両。

 

封鎖区画。

 

作戦灯。

 

日を追うごとに軍事基地の側面が強くなっている。

 

昼前。

 

候補生たちは食堂へ集まった。

 

昨日の出撃者以外には、通常通りの授業が行われている。

 

それでも話題は、鳳翼作戦と北部戦闘。

 

池が須藤へ詰め寄る。

 

「本物のBETA、どうだった?」

 

須藤が食事を口へ運びながら答える。

 

「でかい」

 

「それだけ?」

 

「数も多い」

 

「怖くなかったのか?」

 

須藤の手が僅かに止まる。

 

以前なら、怖くないと即答しただろう。

 

だが今回は。

 

「怖ぇに決まってんだろ」

 

池が驚く。

 

須藤は続ける。

 

「でも、怖いからって止まったら、後ろの車がやられる」

 

「よく動けたな」

 

「動くしかなかった」

 

須藤の返答は簡単だった。

 

英雄の言葉ではない。

 

自慢もない。

 

実際に戦場を見た者の言葉。

 

少し離れた席では、軽井沢と佐藤麻耶、松下千秋が三人で食事をしていた。

 

目の前にあるのは、いつもと変わらない食堂の定食だった。

 

だが三人とも、最初の数分は箸を動かすことさえ忘れていた。

 

周囲では北部区画の戦闘について話す声が聞こえている。

 

実弾。

 

BETA。

 

搬送車。

 

要撃級。

 

どれも、中学までの学校生活にはなかった言葉ばかりだった。

 

佐藤が小さく息を吐く。

 

「なんかさ」

 

軽井沢が顔を上げた。

 

「何?」

 

「こういう話ばっかりしてると、私たち本当に高校生なのかなって思わない?」

 

松下も頷く。

 

「分かる。朝起きて訓練して、授業受けて、また警報が鳴って」

 

「普通の女子高生って、もっと別のことで悩んでるよね」

 

軽井沢は箸で小さくご飯を崩しながら言った。

 

「服とか」

 

佐藤の表情が少し明るくなる。

 

「そう、それ!」

 

「もっと服とかアクセとか買いたいよねぇ」

 

松下も会話へ乗る。

 

「分かる。制服と強化装備ばっかりじゃ、さすがに飽きる」

 

軽井沢は自分の袖を見る。

 

「強化装備って体にぴったりしすぎるし、全然かわいくないし」

 

佐藤が笑う。

 

「機能重視だから仕方ないでしょ」

 

「分かってるけどさ」

 

軽井沢は少し不満そうに言った。

 

「髪型とかも、もっとちゃんとしたいし」

 

「訓練ある日は崩れるから無理じゃない?」

 

松下が現実的に返す。

 

「だから休みの日」

 

軽井沢は即答した。

 

「休みの日に三人で買い物行こうよ」

 

佐藤が目を輝かせる。

 

「いいね!」

 

「アクセとか見たい」

 

「ピアスは規則で駄目じゃなかった?」

 

松下が尋ねる。

 

「別にピアスじゃなくても、イヤリングとかあるじゃん」

 

軽井沢は指で耳元を示した。

 

「ブレスレットとか、ネックレスとか」

 

「戦術機に乗る時は外さないと怒られるけどね」

 

佐藤の言葉に、三人は少しだけ笑った。

 

松下が続ける。

 

「でも、私たち花の女子高生だもんね」

 

軽井沢が吹き出す。

 

「自分で言う?」

 

「だって本当でしょ」

 

「まぁ、そうだけど」

 

佐藤も笑いながら頷いた。

 

「せっかく高校生なんだから、制服で遊びに行ったり、写真撮ったりしたいよね」

 

「プリクラも撮りたい」

 

軽井沢。

 

「まだ一回も撮ってないじゃん」

 

「この島にプリクラ機あるの?」

 

松下。

 

「購買区画の奥に一台あるって聞いた」

 

佐藤が言う。

 

「古い機種らしいけど」

 

「古くてもいいよ」

 

軽井沢は少し楽しそうに答えた。

 

「三人で撮って、変な落書きしよう」

 

「軽井沢さん、絶対盛るでしょ」

 

松下が言う。

 

「当たり前じゃん」

 

「現実より目を大きくするやつ」

 

「それは佐藤さんもでしょ」

 

「私は自然にするし」

 

「絶対嘘」

 

三人の会話は、少しずついつもの調子へ戻っていく。

 

戦術機。

 

BETA。

 

東京ハイヴ。

 

それらが消えたわけではない。

 

次の警報がいつ鳴るかも分からない。

 

それでも。

 

かわいい服が欲しい。

 

アクセサリーを選びたい。

 

友達と写真を撮りたい。

 

放課後に寄り道したい。

 

そんな何でもない願いは、まだ三人の中に残っていた。

 

松下が箸を置く。

 

「じゃあ決まりね」

 

「何が?」

 

佐藤が尋ねる。

 

「次にちゃんと休みが取れたら、三人で買い物」

 

軽井沢も頷く。

 

「絶対行こう」

 

佐藤が笑う。

 

「うん」

 

その約束が、いつ叶うかは分からない。

 

それでも三人は。

 

戦場の話ではなく。

 

次の休日の話をしながら。

 

少し冷めた食事を、最後まで食べ続けた。

 

少し離れた席。

 

ひよりが資料を広げている。

 

食事にはほとんど手をつけていない。

 

龍園が向かいへ座った。

 

「何見てる」

 

ひよりが顔を上げる。

 

「鳳翼作戦の公開資料です」

 

「昨日も見てただろ」

 

「昨日とは内容が変わっています」

 

龍園は勝手に端末を覗く。

 

東京湾地下地図。

 

封鎖杭。

 

振動。

 

昨日の侵入経路。

 

「何か気づいたか」

 

ひよりは少し迷った。

 

「確信はありません」

 

「構わねぇ」

 

「昨日、BETAは旧物流トンネルを利用しました」

 

「それがどうした」

 

「偶然ではないと思います」

 

龍園が眉を動かす。

 

ひよりは複数の地図を重ねる。

 

現在の人工島。

 

建設中の古い人工島。

 

戦前計画。

 

地下配管。

 

廃棄された連絡坑。

 

「BETAの掘削経路が、人類側の地下構造へ重なりすぎています」

 

「空洞の方が掘りやすいだけじゃねぇのか」

 

「それもあると思います」

 

ひよりは頷く。

 

「ですが、昨日使われた物流トンネルは、途中で埋め戻されています」

 

「BETAが掘り当てた」

 

「はい」

 

「偶然だろ」

 

「それだけなら」

 

ひよりは別の地点を示す。

 

東部防壁地下。

 

軍港給水管。

 

北側地下電力路。

 

過去三か月の振動は、それらの周囲へ集中している。

 

龍園の目が細くなる。

 

「島の構造を知ってるみてぇだな」

 

「そこまでは言えません」

 

「言ってるのと同じだ」

 

「BETAが地図を読んでいるとは思いません」

 

ひよりは言葉を選ぶ。

 

「ですが、地中の振動、熱、電力、空気の流れ。

何かを利用して、人類の地下設備を探している可能性があります」

 

龍園は黙って地図を見る。

 

「どこへ報告した」

 

「まだです」

 

「なぜだ」

 

「確信がないからです」

 

「確信してからじゃ遅ぇ」

 

龍園はひよりの端末を取る。

 

「坂柳に送れ」

 

「坂柳さんに?」

 

「司令部へ直接送っても、候補生の推測で終わる」

 

龍園はAクラス席を見る。

 

坂柳有栖。

 

神室。

 

橋本。

 

「お姫様なら、使える形にする」

 

ひよりは少し考えた。

 

「龍園くんが報告するのでは?」

 

「俺が言えば、あいつはまず疑う」

 

「仲が悪いんですね」

 

「良くする必要がねぇ」

 

ひよりは小さく笑った。

 

「では、私から送ります」

 

端末で資料をまとめる。

 

龍園は食事を始める。

 

「お前」

 

「はい?」

 

「飯も食え」

 

ひよりの食事はほとんど残っている。

 

「後でいただきます」

 

「冷めるぞ」

 

「もう冷めています」

 

龍園は僅かに顔をしかめた。

 

「なら早く食え」

 

「心配してくれているんですか?」

 

「体力基準で実機に乗れてねぇ奴が、飯まで抜いたらどうしようもねぇだろ」

 

「そうですね」

 

ひよりは素直に箸を取った。

 

龍園はそれ以上何も言わない。

 

だが、ひよりが食べ始めたことを確認してから、自分の食事へ戻った。

 

しばらくの間、二人の間には食器の触れ合う音だけが流れた。

 

ひよりは数口食べた後、端末の横へ置いていた一冊の本へ目を向ける。

 

龍園も、その視線に気づいた。

 

「また本か」

 

「はい。地下生態系についての学術書です」

 

「食事中まで読む内容じゃねぇな」

 

「今日は読んでいません」

 

「開いてあるだろ」

 

「気になる箇所に印をつけていただけです」

 

龍園は本の表紙を見る。

 

専門用語ばかりが並んだ、候補生向けとは思えない分厚い本だった。

 

「面白ぇのか、それ」

 

「面白いですよ」

 

「地下の虫や菌の話がか?」

 

「それだけではありません」

 

ひよりは箸を置かずに答えた。

 

「光の届かない環境で、生物がどのように適応するのか。

限られた資源をどう分け合い、あるいは奪い合うのか。

ハイヴ内部を考えるうえでも参考になります」

 

龍園が僅かに目を細める。

 

「BETAを生態系として見るのか」

 

「完全に同じではありません」

 

「ですが、敵をただの怪物と考えるより、

環境に適応した存在として見た方が、行動を予測しやすいかもしれません」

 

「本から戦い方を探してんのか」

 

「本は、知らない人の経験を借りられますから」

 

ひよりは少し笑った。

 

「自分一人では、一生かかっても体験できないことを知ることができます」

 

龍園は箸を動かしながら言う。

 

「書いた奴が間違ってる場合もある」

 

「もちろんです」

 

「なら信用できねぇだろ」

 

「一冊だけを正しいと思わなければいいんです」

 

ひよりは穏やかに答えた。

 

「違う意見の本を読み比べて、自分で考えます」

 

「面倒な読み方だな」

 

「龍園くんも似たような読み方をしているのではありませんか?」

 

龍園の箸が僅かに止まった。

 

「何の話だ」

 

「以前、『堕落論』を読んでいましたよね」

 

「見てたのか」

 

「隠していませんでしたから」

 

「お前みたいに四六時中、本を見てる奴に見つかっただけだ」

 

ひよりは小さく笑う。

 

「意外でした」

 

「何がだ」

 

「龍園くんは小説よりも、経営学や心理学の本を読む人だと思っていました」

 

「それも読む」

 

「やはり」

 

龍園は特に否定しなかった。

 

机上の端末には、戦術資料だけでなく、

組織論や集団心理に関する書籍の記録も残っている。

 

「人間を動かすなら、人間が何で動くかを知る必要がある」

 

「恐怖ですか?」

 

「恐怖だけじゃねぇ」

 

龍園は即座に答えた。

 

「欲。損得。意地。仲間意識。自分だけは助かるって思い込み」

 

「随分たくさんありますね」

 

「人間は単純に見えて面倒だからな」

 

「だから学術書を?」

 

「使えるものは使う」

 

龍園らしい答えだった。

 

ひよりは少し考えた後、尋ねる。

 

「では、『堕落論』は何に使うんですか?」

 

龍園は面倒そうに視線を上げた。

 

「何でも使うために読むわけじゃねぇ」

 

「そうなのですか?」

 

「人間が追い詰められた時、綺麗事だけじゃ生きられねぇって話は嫌いじゃない」

 

龍園は窓の外に並ぶ戦術機を見た。

 

「立派な理想を並べてる奴ほど、土壇場で崩れることもある」

 

「ですが、堕ちたからこそ人間らしく生きられる、という考え方でもあります」

 

「お前はそう読むのか」

 

「はい」

 

ひよりは頷いた。

 

「完璧でなくてもいい。弱さや醜さを認めた後で、

どう生きるかが大切なのだと思います」

 

龍園は僅かに笑った。

 

「随分と都合のいい読み方だな」

 

「本の読み方は、読む人の数だけありますから」

 

「作者に怒られるぞ」

 

「龍園くんも、作者の意図だけを探して読むタイプではないでしょう?」

 

「まぁな」

 

二人の視線が一瞬だけ重なる。

 

龍園は人間の弱さを、支配や交渉へ利用するために読む。

 

ひよりは同じ弱さを、理解し、受け入れるために読む。

 

選ぶ本も。

 

文章から得るものも違う。

 

それでも、人間は理屈だけでは動かないという点では、二人の考えは近かった。

 

ひよりが言う。

 

「龍園くんは、思っていたより読書家なんですね」

 

「お前と一緒にするな」

 

「私は嬉しいです」

 

「何でだ」

 

「本の話ができる人が、クラスにいるので」

 

龍園は明らかに面倒そうな顔をした。

 

「俺は読書会をやる気はねぇぞ」

 

「では、読み終えた本を教えていただくだけでも」

 

「断る」

 

「『堕落論』の次は何を読むんですか?」

 

「聞いてねぇな」

 

「経営学ですか?心理学ですか?」

 

「飯を食え」

 

龍園は会話を打ち切るように言った。

 

ひよりは楽しそうに箸を動かす。

 

「はい」

 

「あと、本を読みながら食うな」

 

「今日は読んでいません」

 

「読みそうな顔をしてる」

 

「どんな顔でしょう」

 

「お前の顔だ」

 

ひよりは声を立てずに笑った。

 

龍園はそれ以上何も言わず、自分の食事へ戻る。

 

だが、食事を終える少し前。

 

「地下生態系の本」

 

龍園が不意に言った。

 

「はい?」

 

「読み終わったら、使えそうなところだけまとめろ」

 

ひよりの表情が明るくなる。

 

「龍園くんも読みますか?」

 

「全部読むとは言ってねぇ」

 

「では、要点をお伝えします」

 

「戦術に使える部分だけだ」

 

「分かりました」

 

龍園は興味がないような顔をしていた。

 

それでも、ひよりが嬉しそうに本を閉じたことを確認すると、僅かに口元を緩めた。

 

数分後。

 

坂柳の端末へ、ひよりから資料が届く。

 

坂柳は画面を開く。

 

神室が横から覗く。

 

「何?」

 

「椎名さんからです」

 

「珍しいね」

 

橋本も近づく。

 

「CクラスからAクラスへ情報提供か。裏がありそうだ」

 

「あなたは何でも裏を考えますね」

 

坂柳は資料を読む。

 

最初は穏やかな表情。

 

だが、地下経路の重なりを確認すると、笑みが薄くなる。

 

「神室さん」

 

「何」

 

「父へ連絡します」

 

「そんなに重要?」

 

「重要かどうかを、確かめる必要があります」

 

坂柳はすぐに司令部回線を申請した。

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