白狼の騎兵 ~オルクセン国王直属騎兵史~   作:ポオツマス亭

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――よろしくお願いしますよ、アンダリエル少将。我が旅団長閣下。 A.ライオネル

――……ふん。調子のいい、人間の男。 D.アンダリエル



星暦八七六年二月I 《黒衣の復讐者と赤衣の騎兵将校》

 首都ヴィルトシュヴァインの空は、北方の冬の終わりらしい、透き通るような高い青に染まっていた。

 

 新緑の季節を控え、どこか乾いた風が街路樹を揺らす官邸前の広場を進む馬上に、一人の黒エルフの女性――ディネルース・アンダリエルはいた。先導する国王官邸のオーク族中佐の馬に続いていく。

 

 ディネルース・アンダリエル。

 

 かつて白銀の王国(エルフィンド)の過酷な森において、虐殺と迫害に晒されてオルクセンに亡命した黒エルフ族の氏族長である。

 

 彼女が纏うのは黒エルフ特有のしなやかな黒皮の狩猟服と、風になびく艶やかな栗髪。腰には鍛え抜かれた山刀があった。

 

 彼女の後ろには、ほんの一月ほど前にオルクセン国王グスタフ・ファルケンハインの慈悲によって命を救われ、ダークエルフの居留地であるヴァルターベルクの地に開墾の汗を流す一万二千の同胞たちの生活があった。

 

(……グスタフ王が、私を何のために呼びだしたというのだ)

 

 重厚な赤レンガ造りの国王官邸。その前に立つ巨大なオーク族の近衛兵たちは、ディネルースの姿を認めると、威厳に満ちた動作で小銃を掲げて敬礼を送った。

 

 かつては「野蛮な豚の化け物」と教え込まれていた異種族。だが今や彼らは、自分たち同胞に温かい食べ物と安全な土地、そして威厳を与えてくれた救世主であった。

 

 厚い絨毯が敷き詰められた廊下を進む。足音が吸い込まれていくような静寂の中、侍従官のオークに案内されたのは、官邸の最奥にある国王執務室であった。

 

「アンダリエル氏族長。陛下がお待ちです」

 

 重厚なオーク材の二重扉が、静かに押し開かれた。

 

 室内に満ちていたのは、上質な葉巻の煙と、高級な革の匂いだった。

 

 部屋の奥、巨大な執務机の後ろには、オルクセン王国の絶対的な指導者であり、全オルクセンの魔人種の父と仰がれるグスタフ王が鎮座していた。

 

 丸太のような巨腕と、威厳に満ちた深い眼光。その圧倒的な存在感は、室内にいる者全てを気押すほどの圧力を放っている。グスタフ王の警護役の巨狼族アドウィンもいる。

 

 だが――ディネルースの視線を奪ったのは、グスタフ王だけではなかった。

 

 執務室の窓際、豪華なソファーに、ゆったりと脚を組んで座っている「異質な男」が一人。

 

(人間……?)

 

 白エルフでもなく、オークやドワーフでもない。海を隔てた大国――キャメロット連合王国の人間族。

 

 年齢は三十代手前といったところだろうか。

 

 背が高く、無駄な脂肪の削ぎ落された引き締まった体躯。

 

 見事な私物と思われる嘉国陸軍(キャメロット・アーミー)赤衣(チューダー・レッド)の軍服を完璧に着こなし、胸元には数々の勲章と金色の飾緒が華やかに揺れていた。

 

 その男の立ち振る舞いには、生まれながらの名門貴族だけが纏う、洗練された「育ちの良さ」と「絶対的な余裕」が漂っている。

 

 滑らかな金髪と、知性と野生を交差させたような深い灰緑色(ヘーゼル)の瞳。男は手にした磁器のカップから静かに紅茶を啜り、ディネルースが入室すると、優雅な動作でカップをソーサーへと戻した。

 

「――きたか、ディネルース」

 

 重厚な低音が、部屋の空気を震わせた。

 

「こちらが『我が盟友』、キャメロット連合王国陸軍王立騎兵連隊少佐、そしてウィンドミル侯爵第一公子のアーチボルト・ライオネル。騎兵狂いの男だ」

 

 王の歯に衣着せぬ紹介に、赤衣の将校――ライオネル少佐は整った眉を苦笑交じりにひそめて、キャメロット訛りの低地オルクセン語で話し始めた。

 

「……陛下。『騎兵狂い』はないでしょうに。私はただ、馬という高貴な生き物と、それを駆る術を誰よりも愛しているだけに過ぎませんよ」

 

 その声は、低く落ち着いた、素晴らしい響きを持っていた。立ち上がった彼の身長は一八〇センチを超えており、人間にしては破格の長身だった。

 

 彼が受けてきた最高峰の社交教育が、立ち姿ひとつからも窺える。

 

 だが、ディネルースの研ぎ澄まされた戦士としての直感は、彼のその洗練された服の下に、猛獣のごとき冷徹な眼光が隠されていることを見逃さなかった。

 

 ディネルースは栗色の髪を揺らし、グスタフ王へと視線を戻した。

 

「陛下。お呼び立ての理由をお聞かせください。ヴァルターベルクの開墾作業は今が佳境です。わざわざ私をこのような場所へ呼び出し、キャメロットの貴族士官を引き合わせた理由は?」

 

 その言葉には、かつて白エルフたちに奪われた者の警戒心と、黒エルフ族の氏族長としての堅い誇りが滲んでいた。

 

「単刀直入に言おう……」

 

 グスタフ王は巨躯を乗り出し、太い指を組み合わせた。

 

「……私になにをしろと?我が王(マイン・ケーニッヒ)

 

「ダークエルフの女たちに、『本当』の騎兵を作って欲しい。彼が協力してくれる」

 

「……騎兵、ですと?」

 

 ディネルースの鋭い眉が跳ね上がった。

 

「正気ですか、陛下。我が同胞は確かに森での乗馬の心得はある。……だが、私たちは代々、弓と猟銃を手に山野を駆けまわる『猟兵(イェーガー)』だ。土を蹴り、整列して突撃するような騎兵など……白エルフどもならともかく、やったこともない!」

 

「分かっている」

 

 グスタフ王は静かに頷いた。

 

「我がオルクセン国軍の騎兵は、オーク族の重歩兵と並ぶ誇りだ。だが……巨大なコールドブラッドに跨る我が国軍の黒騎兵(シュヴァルツ・ライター)は、突撃力こそ絶大であり、小回りと機動力において限界がある」

 

 王は冷徹な将軍としての目でディネルースを見つめた。

 

「エルフィンドとの全面戦争は、遠からずやってくる。かの国の起伏にとんだ地形と平原、森林地帯を縦横無尽に駆け巡り、敵の側背を突き、補給線と通信門を断ち切る――過酷な連続行軍に耐えうる『真の騎兵』が、騎兵戦闘旅団が、我が軍には絶対に必要なのだ」

 

「だからといって、なぜ私たちが……!」

 

「――アンダリエル氏族長殿」

 

 それまで静観していたライオネル少佐が、一歩前に踏み出した。

 

 彼の履いていた黒革の乗馬ブーツが、重厚な絨毯を固く踏みしめる。

 

「君たちの身体能力、そして馬に対する素養は、すでにヴァルターベルクでの観察で把握させてもらっている」

 

「……私達を監視していたというのか?」

 

「『調査』と言ってほしいな」

 

 ライオネルは軽く微笑んだ。その灰緑色(ヘーゼル)の瞳は、まるで極上の名馬の馬体を見定めるブリーダーのように、鋭く、熱を帯びてディネルースの全身を走った。

 

「白エルフどもの優雅ぶった乗馬術とは違う。君たち黒エルフの騎乗は、馬の背と腰の動きに完全に同化している。鞍に頼らず、馬の息遣いを感じ取りながら手綱なしで弓を、銃を引くことすらできる……それは、天性の資質だ」

 

ライオネルはディネルースへ近づいた。背の高い彼が見下ろす形になるが、ディネルースは引かず、強い眼光で射返した。

 

「君たちの持つしなやかな筋力と、過酷な森で鍛え抜かれた野生の均衡感覚。それに我がキャメロットが誇る最高峰の乗馬術を合せたらどうなると思う?」

 

 ライオネルの声のトーンが、わずかに熱を帯びた。

 

「世界で最も早く、最も精悍で、もっとも恐ろしい『黒衣の騎兵』が誕生する……白エルフを屠る至高の刃だ」

 

「……っ!」

 

 『白エルフ(アールブ)』という言葉に、ディネルースの胸の奥で、押さえつけていた不倶戴天の復讐心が爆発するように燃え上がった。

 

 故郷を追われ、同胞を虐殺され、辱められたあの記憶。

 

 白エルフの整然とした列兵陣形。高慢な笑みを浮かべて自分たちを見下していた白エルフの将兵たち。

 

(白エルフを……食い破る刃……!)

 

「しかし、ライオネル少佐」

 

 ディネルースは感情を押し殺し、冷ややかに言い放った。

 

「あなたたち短命種(にんげん)に、何が分かると言うのです。私たちは白エルフへの復讐のために生きている。自らの血と肉を削ってでも、奴らの喉元を食い破る覚悟だ……貴族の道楽で馬を愛でているようなあなたに、私たちの血の匂いが耐えられますか?」

 

 挑戦的な言葉。

 

 それに対して、ライオネル少佐はその煽りを、優雅な笑みで受け流した。

 

「血の匂い、ですか」

 

 ライオネルは静かに掌をディネルースに見せる。

 

 彼の掌には、社交界の貴公子には不釣り合いな、分厚い手綱のタコと、無数の古傷が刻まれていた。

 

「私はキャメロット王立騎兵連隊の士官です。植民地での暴動鎮圧、過酷な砂漠での騎兵突撃……幾度となく馬上で剣を振るい、敵の血と馬の汗を浴びてきました」

 

 ライオネルの灰緑色(ヘーゼル)の瞳から、貴族の皮膜が剥がれ落ちる。

 

 そこに現れたのは、戦場で数百の騎兵を率いて死線を潜り抜けてきた、生粋の「軍人」の眼光だった。

 

「君たちが抱く復讐の情熱……素晴らしい。騎兵に最も必要なのは、馬を前へ押し進める強烈な精神の爆発だ。ただ兵器として訓練されただけの兵士など、本当の騎兵にはなれん」

 

 ライオネルはディネルースの目の前に立ち、その褐色の美しい顔を凝視した。

 

「君の目には……燃える様な火がある。復讐という名の、最高に美しい火だ。私はその火を、戦場を支配する絶対的な『技術』へと昇華させたいのです」

 

(…なっ)

 

 男の瞳に宿っていたのは、女に対するいやらしい視線でも、黒エルフに対する好奇心でもない。

 

――圧倒的な、騎兵という芸術への『情熱』と『狂気』。

 

 この男は本気なのだ。

 

 自分たち黒エルフという素材に心を奪われ、それを「世界最高の騎兵」へと鍛え上げることに、その知性と情熱のすべてを注ぎ込もうとしている。

 

 神経が、最高に昂るのを感じた。

 

 戦士として、同胞の命を預かる氏族長として――この男の放つ危険な魅力と、提示された「力」の誘惑に、ディネルースの心が強く揺さぶられていた。

 

「どうだ、ディネルース」

 

 グスタフ王が、二人の間に漂う張り詰めた空気を見守りながら、静かに問いかけた。

 

「我がオルクセンは、お前たちに最高の馬匹と、最新式の騎兵銃、そして最高の指導者を用意する……断ることも自由だ。お前たちがヴァルターベルクでただ静かに畑を耕し、平和に暮らしたいと言うのなら、私はそれを尊重しよう」

 

「……平和、ですか」

 

ディネルースは自嘲気味に呟いた。

 

「白エルフどもが、我が物顔で生きているこの世界で、私たちに平和など訪れるはずがない。同胞の無念を晴らさぬまま、土をいじって死んでいくことなど……私にはできません」

 

 彼女はゆっくりと視線を変え、ライオネル少佐と向き合った。

 

「ライオネル少佐。一つ聞かせてください」

 

「何なりと」

 

「貴方は人間だ。私たち黒エルフよりも命は短く、老いるのも早い……なぜ、見ず知らずの異種族である私たちのために、そこまで肩入れするのです?」

 

 ライオネルは一瞬、窓の外――はるか西の地平線を見やった。

 

「我が国キャメロットは、合理主義と工業の国です。だが……ゆえに失われつつあるものがある。馬と騎士が一体となって戦場を駆けた、あの壮麗な時代の精神だ」

 

 彼は再びディネルースを見つめ、その唇に情熱的な笑みを浮かべた。

 

「私は見たいのです。機械と蒸気が支配するこれからの時代に……世界で最も美しく、最も力強い騎兵軍団が立ち現れる瞬間を。君たち黒エルフなら、それができる」

 

 男の言葉には、一切の偽りがなかった。

 

 狂気と言ってもいいほどの、純粋な美学と情熱。

 

 ディネルースは自らの胸の奥で、固く閉ざされていた扉が音を立てて開くのを感じていた。

 

「……いいでしょう」

 

 ディネルースは腰の山刀を抜くと、その身の面をライオネルへ向けた。黒エルフの古風な誓いの作法である。

 

「私と、一万二千の同胞の命……貴方に預けます。ただし、生ぬるい訓練ならば、私が貴方の喉元をこの短剣で突き破る」

 

「ハハッ!」

 

 ライオネルは愉悦に満ちた声を上げて笑った。その動作には嘉国紳士(キャメリッシュ・ジェントルマン)としての気品と、戦士としての豪胆さが同居していた。

 

「望むところだ、アンダリエル氏族長! 私の訓練は過酷ですよ。夜明けから日没まで、馬上で土と汗にまみれてもらう。泣き言を言っても容赦はしない」

 

「泣き言など……白エルフの軟弱者どもに言っておきなさい!」

 

 二人の視線が、火花を散らして交錯した。

 

「決まりだな――明日より、ヴァルターベルクの南郊にある演習場を『黒エルフ騎兵旅団』の創設地とする」

 

 グスタフ王は、その光景を満足そうに頷きながら見つめ、太い葉巻に火をつけた。

 

紫煙をゆっくりと吹き出しながら、グスタフ王がどこか温かみのある声で呼びかけた。

 

「ああ、それとディネルース。君たちダークエルフのための、新たな『騎兵服』の用意もすでにできている。まずはこれを受け取るがいい。ヴァルターベルクまでの輸送の手配も完了している。入れ!」

 

王の言葉に応じて別室の扉が開き、侍従のオークやコボルトたちが重厚な衣裳盆を恭しく運んできた。

 

そこに折りたたまれていたのは――黒エルフのしなやかな肢体に合わせた、深みのある漆黒の生地に、オルクセンの威信を示す銀と赤の刺繍が施された、見事な仕立ての騎兵軍服であった。

 

「これは……」

 

 ディネルースが目を見張る前で、王は深く低く、重厚な声を響かせた。

 

「アーチボルト・ライオネル。貴官を私直属の軍事顧問に任命する。客員大佐として、仮称ダークエルフ騎兵旅団の指導にあたれ」

 

「御意、グスタフ陛下。この命に代えても、至高の騎兵を作り上げて見せましょう」

 

 ライオネルは胸に手を当て、完璧なキャメロット式の敬礼を捧げた。

 

 そしてグスタフ王は、真っ直ぐにディネルースを見つめた。

 

 その威厳に満ちた双眸には、一族を率いる一人の指導者への絶対的な信頼が宿っていた。

 

「そしてディネルース。君は旅団長だ。オルクセン国軍少将の位を与える」

 

「……! 私が……少将……?」

 

「お前たちが虐げられる時代は終わったのだ。これからはオルクセンの正規軍将校として、威厳を持って同胞を導け」

 

 言葉を失うディネルースに対し、ライオネル客員大佐は爽やかな笑みを浮かべ、新任の少将へ向けて優雅に一礼してみせた。

 

「よろしくお願いしますよ、アンダリエル少将。旅団長閣下」

 

「……ふん。調子のいい、人間の男」

 

 ディネルースは小さく鼻を鳴らしたものの、その目には力強い決意の光が宿っていた。

 

 漆黒の軍服を胸に抱き締め、彼女はオルクセンの絶対的指導者――グスタフ王へ向け、誇り高く背筋を伸ばして一礼した。

 

「……感謝いたします、我が王(マイン・ケーニッヒ)。この命と黒き刃、すべてを捧げて御期待に応えてみせます」

 

 透き通るような冬の終わりの空の下。

 

 復讐の火を宿した黒き乙女たちと、熱狂の騎兵士官、そして絶対の王によって――歴史を塗り替える「黒エルフ騎兵旅団」が、ここに産声を上げたのだった。

 

 

 

(続く)

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