アイドルたちは、今日も…… 作:しーすたー
目をそらしたほうが負け!
昼休みのレッスン室
午前中の授業を終えた私、花海咲季は、鏡の前でステップの確認を続けていた
あと少し
さっきよりも重心の移動が滑らかになっている
ここでやめてしまうより、体が感覚を覚えているうちに仕上げたほうが効率的だ
音楽を最初から流そうとしたところで、背後から声をかけられた
「咲季、そろそろ休憩したらどうだ?」
振り返ると、レッスン室の入り口にPが立っていた
「まだ昼休みは残っているわ」
時計を見る
確かに昼休みは半分以上過ぎているけれど、もう一度くらいなら最初から通して確認できる
「そういう意味じゃない
午前中も動きっぱなしだっただろ」
「問題ないわ
疲労もほとんど残っていないもの」
「さっきから、ターンを終えた時の軸が僅かにずれてるぞ」
「……よく見ているのね」
「それを確認するのも俺の仕事だからな」
「ほんの僅かなずれよ
次には修正できるわ」
「修正できるかどうかじゃなくて、疲れが動きに出てることが問題なんだ」
Pの指摘は正しい
自分でも、先ほどからターンを終えた時の姿勢が僅かに崩れていることには気づいていた
けれど、原因がわかっているのなら直せばいい
練習を中断するほどの問題ではないはずだ
「休むのも練習のうちだぞ」
「それは理解しているわ
でも、休憩が必要かどうかは、自分の体と相談して決めるべきでしょう?」
「相談した結果、無理をする方向にしか進まないから止めてるんだ」
「失礼ね。わたしはいつでも、自分の状態を冷静に分析しているわ」
「それなら、今から大人しく休んでくれるか?」
「それとこれとは話が別よ」
Pがため息をつく
わたしだって、Pに心配をかけたいわけではない
けれど、できることがあるのに何もしないでいる時間は落ち着かない
昨日の自分より、今日の自分
今日の自分より、明日の自分のほうが優れていたい
そのために使える時間を、無駄にはしたくなかった
「それなら、勝負で決めましょう」
「どうしてそうなるんだ?」
「意見が対立しているのなら、勝負で決着をつけるのが一番公平でしょう?」
「話し合いで解決するという選択肢は?」
「今、話し合っても平行線だったじゃない」
「それはそうだけど……」
Pは少し考えてから、私を見る
「何で勝負するんだ?」
「受けるのね?」
「内容を聞いてから決める」
「五番勝負よ
特別な道具を使わず、この場でできる種目を交互に提案するの
先に3勝したほうの勝ち」
「咲季が勝ったら?」
「今日の昼休みは、わたしがどう過ごしても口出ししないこと」
「俺が勝ったら、大人しく休む」
「ええ。それで構わないわ」
負けるつもりはない
Pの運動能力は把握している
決して鈍いわけではないけれど、日頃から鍛えているわたしに勝てるほどではない
「わかった。その勝負、受けるよ」
「決まりね」
わたしは音楽を止め、Pと向かい合う
「最初の種目は、わたしが決めてもいいかしら?」
「ああ」
「目を閉じた状態での片足立ち。先に床へ足をついたほうが負けよ」
「最初から咲季が得意そうなものを持ってきたな」
「勝つために自分の強みを生かすのは当然でしょう?」
二人で間隔を空け、右足を上げる
「それじゃあ、始めるわよ。3、2、1――開始」
目を閉じる
視界を失ったことで、足の裏へ意識が集中する
僅かな重心のずれを感じ取って修正する
体幹を保ち、呼吸を一定にする
これくらいなら、いつまででも続けられそうだ
しばらくすると、すぐ近くで小さな音がした
目を開ける
Pは両足を床についていた
「俺の負けだ」
「当然の結果ね」
「随分と嬉しそうだな」
「勝負に勝って嬉しくない人なんているの?」
まずは1勝
予想どおりの滑り出しだ
「次は俺が決めてもいいんだよな」
「ええ。何でもどうぞ」
Pは周囲を見回すと、使い終わった紙を1枚手に取った
それを丸め、レッスン室の隅に置かれているごみ箱を見る
「ここから、ごみ箱へ入れたほうの勝ち」
「それが勝負?」
「特別な道具は使ってないし、この場でできるぞ」
「条件は満たしているわね。受けるわ」
ごみ箱までの距離は、およそ3メートル
Pが先に紙を投げる
緩やかな放物線を描いた紙は、ごみ箱の縁に当たり、そのまま中へ落ちた
「入ったな」
「そのくらい、わたしにもできるわ」
同じように紙を丸める
重さと距離を確認し、力加減を調節する
これなら問題ない
投げた紙は狙いどおり、ごみ箱へ向かって飛んでいった
――けれど
紙は縁に当たり、外側へ転がった
「……今のは、ごみ箱の形状に問題があるんじゃないかしら」
「俺の時も同じごみ箱だったぞ」
「紙の丸め方によって、空気抵抗が変化するわ」
「それも自分で丸めたよな?」
「ええ。わかっているわ」
結果が出た勝負に、いつまでも言い訳をするつもりはない
悔しいけれど、この勝負はわたしの負けだ
「これで1対1ね」
「まだ余裕そうだな」
「当然でしょう。勝負はこれからよ」
3番目は、机の上に散らばっていた筆記用具を、同じ種類と本数になるよう2組に分け、どちらが早く、なおかつ使いやすく整理できるか
速さだけでなく、整理したあとの実用性も条件に加えた
合図と同時に、それぞれ自分の前に置かれた筆記用具を整理していく
Pは種類ごとにまとめただけだったけれど、わたしは種類と使用頻度に応じて配置した
「どう?」
「……咲季の勝ちだな」
「そうでしょう?」
「家事全般が得意なのは知ってたけど、片づけも速いんだな」
「この程度、特技として誇るほどでもないわ」
「それでも、すごいものはすごいよ」
素直に褒められると、少しだけ落ち着かない
けれど、今は勝負に集中するべきだ
これで2対1
あと1勝で、わたしの勝利が決まる
「次は俺の番だな」
「何をするの?」
「時計を見ずに、10秒ちょうどだと思ったところで手を挙げる
誤差が小さいほうの勝ち」
「いいわ。受けましょう」
Pがスマートフォンのタイマーを準備する
合図と同時に目を閉じ、心の中で時間を数える
焦る必要はない
一定のリズムを刻み、10秒に達したと判断した瞬間、手を挙げた
Pもほぼ同時だった
「結果は?」
「俺が10.08秒。咲季が9.71秒」
差は0.29秒
「……Pの勝ちね」
「認めるのか?」
「当然でしょう。数値ではっきりと結果が出ているもの」
悔しくないわけではない
膝の上で拳を握り、もう一度、自分が数えたリズムを思い返す
僅かに速かった
次に同じ勝負をする時は修正できる
これで2対2
最後の勝負で、すべてが決まる
「最終種目は、わたしが決める番ね」
「ああ。何にする?」
体力勝負なら負ける気はしない
けれど、それでは最初の勝負と似たようなものになってしまう
せっかくなら、別の方法でPに勝ちたい
少し考えた末、わたしはPの正面へ椅子を移動させた
「見つめ合いで勝負しましょう」
「見つめ合い?」
「瞬きをするか、先に目をそらしたほうが負け。それだけよ」
「随分と単純だな」
「単純な勝負ほど、実力の差が表れるものよ」
向かい合って座る
普段よりも距離が近い
けれど、その程度で動揺するわたしではない
「準備はいい?」
「ああ」
「それでは――開始」
Pの目をまっすぐに見つめる
Pもわたしから視線をそらさない
最初のうちは、何の問題もなかった
呼吸を整え、目へ余計な力を入れない
瞬きを我慢するだけなら、片足立ちより簡単だ
問題は、距離だった
正面から、これほど長くPの顔を見つめる機会は滅多にない
思っていたよりも睫毛が長い
いつもは柔らかい目をしているのに、真剣に見つめられると、少しだけ印象が違って見える
駄目
観察は勝負が終わってからにするべきだ
今は集中しないと
「咲季」
「何かしら」
「話すのは禁止じゃないよな?」
「ええ。ただし、わたしの集中を乱そうとしても無駄よ」
「そうか」
Pは視線をそらさないまま、僅かに笑った
「こうして近くで見ると、改めて綺麗だと思うな」
「――っ」
反射的に、Pから目をそらしてしまった
「あ」
Pの声が聞こえる
わたしはすぐに向き直ったけれど、もう遅い
「今、目をそらしたよな?」
「……そらしたわ」
「じゃあ、俺の勝ちだ」
「待って。今のは明らかに勝負とは無関係な発言でしょう?」
「話してもいいと言ったのは咲季だぞ」
「言ったけれど……」
規則を思い返す
瞬きをするか、先に目をそらしたほうが負け
会話は禁止していない
相手の集中を乱す行為についても、制限を設けていなかった
「……ルール上は問題ないわね」
「それなら、3対2で俺の勝ちだな」
「ええ。この勝負は、わたしの負けよ」
悔しい
よりによって、最後の最後で自分から目をそらすなんて
膝の上で握った拳へ、さらに力が入る
ルールにも結果にも異論はない
それでも、簡単に気持ちを切り替えられるほど、わたしは負けることに慣れていない
次は同じ手に引っかからない
何を言われても、絶対に目をそらさない
「そんなに悔しそうな顔をするなよ」
「負けて悔しがるのは当然でしょう?」
「昼休みの過ごし方を決めるだけの勝負だぞ」
「勝負の重要性は、規模では決まらないわ。勝負である以上、負けは負けよ」
「咲季らしいな」
Pは苦笑しながら立ち上がり、レッスン室の壁際に置いていた鞄から飲み物を取り出した
「ほら」
「これは?」
「咲季の分。水分補給は必要だろ」
受け取ると、よく冷えていた
わたしが普段選んでいるものと同じ種類だ
「ありがとう」
「ああ。それを飲んだら、約束どおり休むこと」
「わかっているわ
負けた以上、約束は守るもの」
時計を確認する
そこで、わたしはあることに気づいた
勝負を始めてから、思っていた以上に時間が経っている
もともと半分以上過ぎていた昼休みは、もうほとんど残っていなかった
わたしは飲み物を持ったまま、Pを見る
「……P」
「どうした?」
「もしかして、最初からこれが狙いだったの?」
「何のことだ?」
「勝負をしている間、わたしは練習をしていなかったわ」
片足立ち以外は、ほとんど体を動かしていない
筆記用具を片づけ、ごみ箱へ紙を投げ、時間を数えて、Pと見つめ合っただけ
勝負の結果がどうなろうと、Pはわたしに昼休みを取らせるという目的を達成できる
「わたしが勝っても、残り時間では満足な練習はできない
Pは勝敗に関係なく、最初から目的を達成するつもりだったのね」
「さて、どうだろうな」
「誤魔化しても無駄よ」
Pの顔を観察する
口元が僅かに緩んでいる
間違いない
「やられたわ」
勝負に負けたうえ、勝負を始めた時点でPの作戦に乗せられていた
二重の敗北
こんな屈辱は、簡単に忘れられそうにない
「でも、咲季も楽しそうだっただろ?」
「それとこれとは別よ」
否定はできないけれど
勝負そのものは楽しかった
Pと二人でくだらないことに本気になる時間も、決して悪いものではなかった
むしろ――もう少し続いてもよかったと思っている
「それから、ひとつ確認させて」
「何だ?」
「最後に言ったこと。あれは、わたしの集中を乱すためだけの嘘?」
Pが目を瞬かせる
「『綺麗だと思う』って話か?」
「わざわざ言い直さなくていいわ」
綺麗だと褒められること自体、珍しいわけではない
けれど、Pから言われた言葉まで、ほかと同じように聞き流せるわけではなかった
勝つために思ってもいないことを言っただけなら、そう認識しておく必要がある
「勝負のために言ったのは事実だな」
「そう」
胸の奥が、僅かに沈む
けれど、Pはそこで言葉を続けた
「ただし、嘘を言ったつもりはないぞ」
「……そう」
「咲季?」
「何?」
「今、少し笑わなかったか?」
「気のせいでしょう」
すぐに表情を整える
危なかった
ここで喜んでいると知られたら、完全にわたしの負けだ
もう勝負は終わっているけれど、それでも負けたくない
「とにかく、今日の結果は記録しておくわ」
「記録?」
「Pとの五番勝負、2勝3敗。次は必ず勝ち越す」
「次もやるのか?」
「当然でしょう。このままで終われると思っているの?」
わたしはスマートフォンを取り出し、予定表を開く
次に2人の時間を確保できそうなのは――
「次の日曜日、午後なら空いているわね」
「待て。もう予定を入れるつもりか?」
「再戦は早いほうがいいでしょう?」
「日曜日まで使う必要はないだろ。次の昼休みでいいんじゃないか?」
「昼休みでは時間が足りなくなる可能性があるわ。勝負を途中で終わらせるわけにはいかないもの」
「それはそうだけど……」
「Pの予定は?」
「今のところ、特にない」
「それなら決まりね」
予定表へ『Pと再戦』と入力する
Pと2人で休日を過ごすためではない
あくまで、今日の敗北を取り返すため
ほかの意図はない
少なくとも、Pにはそう思わせておけばいい
「今度は何を賭けるんだ?」
「これから考えるわ」
「休憩を賭けるのは、もうなしだからな」
「わかっているわよ」
次は必ず勝つ
そして、Pに何をしてもらうかは、それまでにじっくり考えればいい
わたしは飲み物の蓋を開けながら、隣に立つPを見上げる
「次は、目をそらさないわ」
「同じ勝負をするつもりなのか?」
「ええ。わたしが苦手を放置すると思う?」
「それなら、今度はもっと褒めることを考えておかないとな」
「望むところよ」
そう答えたけれど、少しだけ不安になる
次はどんなことを言われても、絶対に動揺しない
絶対に目をそらさない
そのためにはまず、Pが何を言ってくるのか、可能な限り想定しておく必要がある
――もっとも
想定するためにPから褒められる場面をいくつも考えることが、本当に勝利へつながるのか
その点だけは、まだ検討の余地がありそうだった