『百獣のカイドウ、化猫の宿で居候になる 』 作:パスカルDX
第10話 最強生物、娘の連合軍参加を断固拒否する
マグノリアから戻った翌朝。
化猫の宿の広間には、いつもと変わらない騒がしさが満ちていた。
窓から差し込む朝日。
厨房から漂う焼きたてのパンと肉の匂い。
食卓を囲み、今日の依頼について話し合う魔導士たち。
そして、その中央。
「話が違ェ」
低く、不満に満ちた声が響いた。
大きな食卓の前で、百獣のカイドウが腕を組んでいる。
その正面では、ウェンディが両手を腰へ当てていた。
「何がですか?」
「二杯と言った」
「二杯、飲みましたよね?」
「あれは昨日の分だ」
「昨日、何も壊さずに帰ってきたご褒美です」
「なら今日は今日の分がある」
「朝から飲む理由にはなりません!」
昨日。
マグノリアから帰還したカイドウは、ローバウルとの約束通り、果実酒を二杯飲んだ。
一杯目は、帰ってきた祝い。
二杯目は、妖精の尻尾の建物を壊さず、ナツやエルザと戦わずに我慢した褒美。
ただし。
カナの酒樽を抱えて出口へ向かった件については、ウェンディとローバウルの協議により「未遂」と判断された。
その結果、二杯目は本来の量より少しだけ減らされた。
カイドウは、そのことを一晩中根に持っていた。
「二杯目が少なかった」
「普通の杯より大きかったです」
「一杯目より三滴少ねェ」
「数えたんですか!?」
「音で分かる」
「そんな能力をもっと役立つことに使ってください!」
「酒より役立つことがあるか」
「たくさんあります!」
ウェンディが声を上げる。
机の端では、シャルルが朝食の魚を小さく切りながら呆れていた。
「マグノリアでも同じやり取りをして、帰ってきてからも続けているの?」
「白狸には関係ねェ」
「エクシードよ。昨夜、樽の前で寝ていたでしょう」
「見張りだ」
「誰から守っていたのよ」
「酒泥棒だ」
「狙っていたのはあなたでしょう!」
ウェンディが即座に指摘する。
「夜中に三回、樽へ近づきましたよね?」
「水を飲みに行っただけだ」
「水差しは反対側です」
「道を間違えた」
「三回もですか?」
「暗かった」
「カイドウさんは暗いところでも見えますよね?」
「……」
カイドウは黙った。
ウェンディが勝ち誇るわけでもなく、ただじっと見つめる。
数秒後。
カイドウは大皿から肉を取り、口へ入れた。
「飯が冷めるぞ」
「話を逸らしましたね!」
「食事中だ」
「最初にお酒の話を始めたのはカイドウさんです!」
宿の者たちから笑い声が上がった。
カイドウは周囲を睨んだものの、怒鳴りはしなかった。
昨日、列車の中で大声を出しすぎたため、ウェンディから「今日は朝食が終わるまで大声禁止」と言い渡されている。
破れば、今夜の一杯がなくなる。
そのため、百獣のカイドウは必死に声量を抑えていた。
「笑うな」
低い。
だが、普段よりかなり小さい声。
その不自然な小声が、さらに笑いを誘った。
「頑張っていますね」
ウェンディが微笑む。
「うるせェ」
「褒めたんです」
「子供扱いするな」
「大声を我慢できて偉いですよ」
「やめろ」
「お薬も飲めたら、もっと偉いです」
カイドウの顔が険しくなる。
食卓の脇。
濃い緑色の薬が、湯気を上げていた。
「昨日、列車で飲んだ」
「あれは乗り物酔いのお薬です」
「同じ薬だろ」
「違います。こちらは傷を治す薬です」
「傷は治った」
「ラクサスさんと戦った傷が、まだ少し残っています」
「あいつの攻撃は大したことねェ」
「では、どうして包帯が必要なんですか?」
「念のためだ」
「薬も念のためです」
「……」
見事に返され、カイドウは黙る。
シャルルが小さく笑った。
「完全に負けているわね」
「負けてねェ」
「薬を飲んだ方が、今日の一杯もおいしいですよ」
ウェンディが杯を持ち上げる。
カイドウは薬とウェンディを交互に見る。
「蜂蜜は」
「昨日より少し多めです」
「酒は」
「入っていません」
「使えねェな」
「毎回言わないでください!」
カイドウは杯を受け取り、一気に飲み干した。
顔が大きく歪む。
「まずい」
「はい。今日も元気ですね」
「それも毎回言うな」
いつも通りの朝。
いつも通りの光景。
だが。
食卓の奥に座るローバウルだけは、普段よりも口数が少なかった。
机の上には、昨日ウェンディがマカロフから受け取ってきた返書が置かれている。
妖精の尻尾の紋章が刻まれた封蝋は、すでに切られていた。
ローバウルは夜のうちに手紙を読み。
そして。
大きな決断を下していた。
「ウェンディ」
ローバウルが静かに名前を呼ぶ。
「はい、マスター」
ウェンディは空になった薬の杯を片づけながら振り返った。
「朝食が終わったら、広間へ残ってくれるかのう」
「分かりました」
「シャルルとカイドウもじゃ」
シャルルの耳が動く。
カイドウは肉を食べる手を止めた。
「おれもか」
「ああ」
「酒の話か」
「違う」
「なら借金か」
「それも違う」
「椅子の修理代なら、昨日は何も壊してねェ」
「今日はまだ朝よ」
シャルルが呟く。
カイドウは無視し、ローバウルを見た。
老いたギルドマスターの穏やかな顔。
しかし、その目は笑っていない。
マグノリアへ出発する前に感じた違和感。
マカロフが隠していた何か。
その答えが、ようやく話されるらしい。
「面倒な話か」
「そうかもしれん」
「なら飯を食ってからにしろ」
「そう言っておる」
「肉を追加する」
「話を遅らせようとしていませんか?」
ウェンディが尋ねる。
「腹が減ると頭が回らん」
「朝から何枚食べたんですか?」
「数えてねェ」
「さっき私のお肉は数えていたでしょう!」
カイドウは答えず、肉をもう一枚口へ入れた。
だが。
その目は、ローバウルの返書から離れなかった。
◇◇◇
朝食が終わり。
ほかの魔導士たちが依頼や日々の仕事へ向かった後。
広間には、ローバウル、ウェンディ、シャルル、カイドウが残った。
普段なら皿洗いを命じられる時間。
だが今日は、厨房から誰もカイドウを呼びに来ない。
広間の空気も、朝食中とは違っていた。
ローバウルは杖を手にし、食卓の中央へ立っている。
ウェンディは椅子へ座り。
シャルルは、その隣の机の上。
カイドウは大きな椅子へ腰を下ろし、腕を組んでいた。
「それで」
カイドウが口を開く。
「何を隠してやがる」
「最初から決めつけないでください」
ウェンディが注意する。
「マグノリアのジジイも、何か隠してた」
「マカロフさんです」
「あいつは、お前に関係があると言った」
ウェンディの表情が僅かに曇る。
マカロフは、ローバウルから話があるはずだと言っていた。
さらに。
近いうちに、また会うことになるかもしれないとも。
何のことなのか。
帰りの列車でも気になっていた。
だが、乗り物酔いしたカイドウの世話で、それどころではなくなっていた。
「マスター」
ウェンディはローバウルを見る。
「手紙には、何が書かれていたんですか?」
「まず、順を追って話そう」
ローバウルは静かに答える。
「最近、フィオーレ王国内で闇ギルドの活動が活発になっておる」
「闇ギルド……」
「魔法評議院に認められていない、犯罪者たちのギルドよ」
シャルルが説明する。
「依頼を受ける正規ギルドとは違って、暗殺や強盗、禁じられた魔法の研究まで行う集団もいるわ」
「盗賊みてェなもんか」
カイドウが言う。
「海賊より悪い奴らです」
ウェンディが答えた。
カイドウが片眉を上げる。
「海賊が全部悪いような言い方だな」
「カイドウさんは、元の世界で何をしていたんですか?」
「国を取った」
「悪いことですよね?」
「戦争に勝っただけだ」
「無理やり支配したんですよね?」
「細けェことは忘れた」
「忘れたふりをしていますよね」
ローバウルが杖で床を軽く叩く。
「今は闇ギルドの話じゃ」
「すみません」
ウェンディが姿勢を正す。
「その闇ギルドの中でも、とりわけ強大な勢力を持つ三つのギルドがある」
「三つ?」
「ああ。《バラム同盟》と呼ばれておる」
ローバウルは机の上へ、一枚の地図を広げた。
フィオーレ王国。
その周辺。
いくつもの印が記されている。
「《悪魔の心臓》、《冥府の門》、そして――《六魔将軍》」
最後の名を口にした時。
ローバウルの声が重くなった。
「六魔将軍」
ウェンディが繰り返す。
「六人しかいないのですか?」
「表向きはな」
ローバウルは頷く。
「じゃが、その六人は一人一人が一つのギルドを壊滅させられるほどの実力者だといわれておる。さらに、配下となる闇ギルドをいくつも従えておる」
「六人で将軍を名乗るのか」
カイドウが鼻で笑う。
「少ねェな」
「人数だけで判断しては駄目です」
「六人なら、六発で終わる」
「何を六発で終わらせるんですか?」
「殴る」
「話を聞いてください!」
ウェンディは頭を抱える。
ローバウルはカイドウへ視線を向けた。
「お主にとっては少なく思えるかもしれん。じゃが、この世界の魔法には、単純な力だけでは破れぬものも多い」
「どんな力だ」
「人の心を操る魔法。感覚を狂わせる魔法。物質を消す魔法。未来を読む力。その種類は数え切れん」
「面白ェ」
カイドウの口元が上がる。
「強いのか」
「危険だと言っているんです!」
ウェンディが強調する。
「強いなら同じだ」
「同じではありません!」
「そいつらが、何をした」
カイドウはウェンディではなく、ローバウルへ尋ねた。
ふざけた様子は消えている。
戦いの話になった途端。
その目には、百獣海賊団を率いた頭領の鋭さが戻っていた。
「六魔将軍は、古代魔法《ニルヴァーナ》を探しておる」
「ニルヴァーナ?」
ウェンディが首を傾げる。
「詳しいことは分かっておらん」
ローバウルは目を伏せた。
「じゃが、人の心の光と闇を入れ替える力を持つと伝えられておる」
「光と闇を?」
「ああ。正しき心を持つ者を悪へ堕とし、闇に染まった者を善へ変える。もし、その力が六魔将軍の手へ渡れば」
「正規ギルドの者を、敵に変えられる」
シャルルが険しい顔で言った。
「そういうことじゃ」
ローバウルが頷く。
ウェンディは両手を胸の前で握る。
仲間が敵になる。
信頼していた者が、自分の意志とは関係なく襲ってくる。
それは、単に強い魔法よりも恐ろしいかもしれない。
「ニルヴァーナの正確な場所は、六魔将軍もまだ掴んでおらん。じゃが、探索範囲は絞られつつある」
「なら、先に見つけて壊せばいい」
カイドウが言う。
「簡単に言わないでください」
「敵が狙う兵器だろ。壊せば終わる」
「古代魔法ですよ?」
「山より硬いのか」
「比べるものではありません!」
「なら、試せばいい」
カイドウは楽しそうだった。
強大な闇ギルド。
未知の古代魔法。
この世界へ来てから、ようやく戦いらしい戦いの匂いを感じたのだろう。
だが。
ローバウルが次に口にした言葉で、その笑みは消えることになる。
「六魔将軍の討伐とニルヴァーナの捜索のため、正規ギルドによる連合軍が組まれることとなった」
「連合軍……」
「一つのギルドだけでは危険が大きすぎる。そこで、複数の正規ギルドが精鋭を出し合う」
ローバウルは、マカロフの返書を机へ置いた。
「参加するのは、《妖精の尻尾》、《青い天馬》、《蛇姫の鱗》――そして、《化猫の宿》じゃ」
ウェンディの目が大きくなる。
「化猫の宿も?」
「ああ」
「だから、マカロフさんへ手紙を……」
「連合軍の参加について、正式に確認するためじゃった」
ローバウルは封筒へ手を置く。
「妖精の尻尾は参加を承諾した。青い天馬と蛇姫の鱗にも、すでに話が通っておる」
「妖精の尻尾からは、誰が来るんですか?」
「マカロフ殿の返書には、ナツ、グレイ、エルザ、ルーシィ、ハッピーを派遣するとある」
「ナツさんたちが」
昨日会ったばかりの者たち。
騒がしく。
何度も喧嘩をし。
それでも温かく迎えてくれた魔導士たち。
ウェンディは、彼らと再会できることへ、僅かに安心を覚えた。
「雷の小僧は来ねェのか」
カイドウが不満そうに尋ねる。
「ラクサスは別の用事があるそうじゃ」
「逃げたか」
「逃げていません!」
「次に会ったら、そう言ってやる」
「余計な挑発をしないでください!」
「青い天馬というのは?」
シャルルがローバウルへ尋ねる。
「美男美女が多いことで有名なギルドじゃな」
「美男?」
カイドウの眉が動く。
「男が来るのか」
「ギルドじゃから当然じゃろう」
「ウェンディに近づくかもしれん」
「連合軍の仲間ですよ!」
ウェンディが言う。
「知らねェ男だ」
「また始まったわ」
シャルルが額へ手を当てる。
ローバウルは構わず続けた。
「青い天馬からは、一夜、ヒビキ、イヴ、レンの四名」
「四人中、全員男か」
カイドウの顔が一気に険しくなる。
「駄目だ」
「何がですか?」
ウェンディが聞き返す。
「そのギルドとは組まん」
「カイドウさんが決めることではありません!」
「知らねェ男が四人もいる」
「敵と戦う仲間です!」
「お前へ話しかける」
「連携のためには話します!」
「笑うな」
「どうしてですか!」
「勘違いする」
「また、それですか!」
ウェンディの顔が赤くなる。
以前、診療所の助手へ水を渡されただけで尋問した時と同じだった。
「私が誰と話しても自由です!」
「男は駄目だ」
「駄目じゃありません!」
「怪しい」
「まだ会ってもいないでしょう!」
「会う前から怪しい」
「ただの偏見です!」
シャルルがローバウルを見る。
「まだ代表を言っていないのに、もうこの状態よ」
「予想はしておった」
ローバウルは苦笑した。
カイドウが反応する。
「代表?」
「化猫の宿から、連合軍へ送る魔導士じゃ」
「おれだな」
カイドウは当然のように言った。
「一番強い奴を送るんだろ」
「そのつもりはない」
ローバウルが即答する。
「なぜだ」
「お主はまだ、この世界の魔法や連合軍の規則に慣れておらん」
「敵を潰せば終わる」
「それが一番の問題じゃ」
「六人なら、すぐ終わるぞ」
「森や町まで終わらせる気でしょう」
シャルルが言う。
「場所による」
「否定しないのね」
「それに」
ローバウルはカイドウを真っ直ぐ見た。
「連合軍は、闇ギルドの壊滅だけが目的ではない。情報の収集、古代魔法の調査、捕らわれた者の救助。力任せでは解決できぬことも多い」
「なら、おれはウェンディの護衛で行く」
カイドウが言う。
ウェンディは目を瞬かせる。
「どうして私の名前が出るんですか?」
「代表はお前だろ」
広間が静かになった。
ウェンディはローバウルを見る。
ローバウルも、少し驚いたようにカイドウを見た。
「分かっておったのか」
「ジジイが、さっきからこいつばかり見てる」
カイドウの声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「マグノリアのジジイも、ウェンディに関係があると言っていた。連合軍の話をするために手紙を届けさせた。なら、送るのはこいつだ」
カイドウは腕を組んだまま、ローバウルを睨む。
「違うか」
ローバウルは、しばらく黙っていた。
やがて。
「その通りじゃ」
静かに答えた。
ウェンディの息が止まる。
「化猫の宿から連合軍へ派遣する精鋭は――ウェンディ。お前じゃ」
「私が……」
「ああ」
ローバウルは頷く。
「天空の滅竜魔法は、戦闘だけではない。治療、補助、状態異常の解除。複数のギルドが共に戦う連合軍において、お前の力は大きな助けとなる」
「でも」
ウェンディは自分の両手を見る。
「私で、本当に役に立てますか?」
「何を言っておる」
ローバウルは微笑む。
「お前だから頼むのじゃ」
「……」
「六魔将軍は恐ろしい敵じゃ。じゃが、連合軍には多くの優れた魔導士が集う。お前一人で戦うわけではない」
「シャルルも一緒ですか?」
「もちろんよ」
シャルルが先に答えた。
「ウェンディ一人で行かせるわけがないでしょう」
「ありがとう、シャルル」
「いい仲間たちと出会えるはずよ。それに、妖精の尻尾の人たちもいる」
「うん」
ウェンディの顔に、少しだけ勇気が戻る。
しかし。
「駄目だ」
低い声が広間へ響いた。
カイドウだった。
「カイドウさん?」
「行かせねェ」
ウェンディの表情が固まる。
ローバウルは予想していたように、静かにカイドウを見た。
「これはギルドマスターとしての決定じゃ」
「知らん」
「化猫の宿も、正規ギルドとして責任を果たさねばならん」
「ほかの奴を出せ」
「ウェンディが最も適しておる」
「こいつはガキだ」
「子供である前に魔導士じゃ」
「弱い」
「弱くありません!」
ウェンディが声を上げた。
カイドウの目が彼女へ向く。
「カイドウさんよりは弱いです。でも、私は天空の滅竜魔導士です」
「だから何だ」
「仲間を治せます。魔法で力を強くすることもできます。戦うことだってできます」
「六人の闇ギルドが相手だぞ」
「一人ではありません」
「知らねェ男どもと組むんだろ」
「そこが一番気になるんですか!?」
ウェンディの声が裏返る。
カイドウは立ち上がった。
巨大な椅子が後方へ押され、床を擦る。
壊れてはいない。
だが、広間の空気が一気に重くなった。
「闇ギルドだろうが、古代魔法だろうが、おれには関係ねェ」
低い声。
それは、敵へ向ける威圧ではなかった。
焦り。
苛立ち。
恐れを知らないはずの男が抱く、別の感情。
「こいつを行かせる必要はねェ。敵なら、おれが全部潰す」
「それでは連合軍になりません」
ウェンディが言う。
「おれ一人で十分だ」
「何でも一人で決めないでください!」
「お前は残れ」
「嫌です」
「あ?」
「私は行きます」
ウェンディはカイドウを真っ直ぐ見上げた。
小さな体。
だが、足は震えていない。
「マスターが、私を信じて選んでくれました」
「危険だから言ってる」
「分かっています」
「分かってねェ」
「分かっています!」
ウェンディの声が広間へ響く。
「怖いです!」
カイドウの動きが止まった。
「六魔将軍が強いって聞いて、ニルヴァーナの話を聞いて、怖くないわけではありません」
ウェンディは胸元で手を握る。
「でも。怖いからって、何もしないまま隠れているのは嫌です」
「お前が行かなくても、他の奴が戦う」
「その人たちが怪我をしたら、誰が治すんですか?」
「ほかの治癒魔導士だ」
「私にも治せます」
「お前が怪我をしたらどうする」
「自分で治します」
「治せねェ傷だったら」
「仲間が助けてくれます」
「仲間が敵になったら」
「それでも信じます」
「甘ェ!」
カイドウの怒声。
今度は抑えきれなかった。
窓が震え。
天井から細かな埃が落ちる。
ウェンディの肩が僅かに跳ねた。
それでも、目を逸らさない。
「甘いかもしれません」
「戦場じゃ、甘い奴から死ぬ」
「でも、カイドウさんは今、その甘い人たちと一緒に暮らしています」
「……」
「化猫の宿のみんなを信じていますよね?」
「知らん」
「私を信じていないんですか?」
その言葉に。
カイドウは何も返せなかった。
ウェンディは続ける。
「守ってくれるのは嬉しいです」
「……」
「でも。私が自分で決めることまで、全部止めないでください」
昨日まで。
町へ行けば手を繋ぎ。
水たまりがあれば抱き上げ。
知らない男が話しかければ睨み。
疲れれば腕へ乗せる。
それらは、ウェンディも少し困りながら受け入れていた。
カイドウなりの優しさだと分かっていたから。
だが。
魔導士としての道まで塞がれることは、受け入れられない。
「ヤマトさんも」
ウェンディが静かに言った。
カイドウの目が大きくなる。
「自分で決めたいって、言っていたんですよね」
「……その名を出すな」
「カイドウさんは、次に会えたら話を聞くって言いました」
「これは別だ」
「同じです」
「違う!」
「同じです!」
ウェンディも負けずに声を上げる。
「ヤマトさんを危険から守ろうとして、自由を奪ったんですよね?」
カイドウの顔が険しくなる。
「私はヤマトさんではありません。でも」
ウェンディは一歩前へ出る。
「私の自由も、奪わないでください」
広間が、完全な静寂に包まれた。
シャルルも。
ローバウルも。
何も言わない。
カイドウとウェンディだけが、互いを見つめている。
やがて。
カイドウは拳を握った。
指の関節が鳴る。
怒っているのか。
悔しいのか。
自分でも分からない。
ただ。
あの日。
鬼ヶ島から出たいと叫ぶヤマトへ。
自分がどのような顔を向けていたか。
今なら分かる気がした。
心配だった。
危険な海へ出れば、殺されるかもしれない。
自分の子を失うかもしれない。
その恐れを認められず。
支配という形で押しつけた。
今も。
同じことをしようとしている。
「……行くのか」
カイドウが尋ねた。
声は低い。
だが、先ほどまでの怒気は薄れている。
「はい」
「怖くてもか」
「はい」
「おれが止めても」
「行きます」
「頑固だな」
「カイドウさんに言われたくありません」
ウェンディは僅かに笑った。
カイドウは笑わない。
長い沈黙。
そして。
「なら、おれも行く」
「話を聞いていましたか!?」
ウェンディが叫ぶ。
シャルルが机からずり落ちかける。
「結局、それなの!?」
「お前の自由は奪わん」
カイドウは堂々と言った。
「好きに行け」
「では、カイドウさんは宿に――」
「おれも好きに行く」
「自由の使い方がおかしいです!」
「おれの自由だ」
「護衛するつもりですよね!?」
「ああ」
「連合軍の代表は私です!」
「知ってる」
「カイドウさんは選ばれていません!」
「勝手についていく」
「駄目です!」
「お前も勝手に行くんだろ」
「私はマスターに選ばれました!」
「なら、ジジイ。おれも選べ」
カイドウはローバウルを見る。
「断る」
「なぜだ」
「六魔将軍より先に、連合軍を壊しかねん」
「壊さん」
「妖精の尻尾で酒樽を抱えて逃げようとした男の言葉は信用できぬ」
「逃げてねェ」
「栓を開けようとしたそうじゃな」
「固さを見た」
「言い訳まで報告されておる」
「マグノリアのジジイ……」
カイドウの額に青筋が浮かぶ。
「次に会ったら、机ごと――」
「壊したら、お酒なしです」
ウェンディが言う。
カイドウの言葉が止まる。
「……何日だ」
「壊した物によります」
「机一つなら」
「一週間です」
「長ェ!」
「マカロフさんまで怪我をさせたら一か月です」
「酒なしで一か月だと?」
「はい」
「死ぬぞ」
「死にません!」
ローバウルは、二人のやり取りをしばらく見守っていた。
やがて、静かに口を開く。
「カイドウ」
「あ?」
「お主を正式な連合軍の一員として送ることはできぬ」
カイドウの顔が険しくなる。
「じゃが」
ローバウルは続けた。
「別の役目を頼むことはできる」
「マスター?」
ウェンディが振り返る。
「ウェンディとシャルルを、連合軍の集合地点まで送ってほしい」
「護衛か」
「ああ」
カイドウの口元が上がる。
「到着したら帰れ」
笑みが消えた。
「何?」
「連合軍の一員ではない。討伐には参加させられぬ」
「敵が目の前にいてもか」
「連合軍の指揮に従えぬ者を、戦場へ入れるわけにはいかん」
「おれが命令を聞くと思うか」
「じゃから帰れと言っておる」
「ジジイ」
「何じゃ」
「お前、喧嘩を売ってるのか」
「事実を言っておるだけじゃ」
二人の間に、重い空気が流れる。
ウェンディが慌てて立ち上がった。
「カイドウさん」
「何だ」
「集合地点まで、一緒に来てくれますか?」
「その先も行く」
「まずは、そこまでです」
「嫌だ」
「集合地点には、妖精の尻尾の皆さんもいます」
「ナツという小僧がいるな」
「はい」
「あいつが、お前を危険な場所へ連れていく」
「ナツさんたちと一緒に戦うんです」
「気に入らん」
「エルザさんもいます」
「鎧の女か」
「強くて、頼りになります」
「お前を守れるか試す」
「試さなくていいです!」
「青い天馬の男どももいる」
「まだ気にしているんですか!?」
「あいつらは、おれが見極める」
「集合地点で睨まないでください!」
「無理だ」
「努力してください!」
「蛇姫の鱗は?」
シャルルがローバウルへ尋ねる。
親バカの言い争いをいったん無視し、話を進めることにしたらしい。
「ジュラ、リオン、シェリーの三名じゃ」
「ジュラ」
カイドウが反応した。
「聖十大魔道の一人だそうです」
ウェンディが言う。
「聖十大魔道?」
「魔法評議院から、大陸でも特に優れた魔導士として認められた十人です」
「強いのか」
「とても強いと聞いています」
「そいつと戦う」
「駄目です!」
「強い奴がいるなら、確かめる」
「連合軍の仲間です!」
「仲間同士で力を確認するのは普通だ」
「カイドウさんの普通を持ち込まないでください!」
ローバウルは深い溜息を吐いた。
「集合地点へ着くまでに、注意事項を百個ほど作る必要がありそうじゃな」
「百個で足りるかしら」
シャルルが言う。
「おれを何だと思ってる」
「歩く災害です」
ウェンディが答えた。
カイドウの顔が固まる。
「お前、最近本当に言い方が酷くなったな」
「誰のせいですか?」
「白狸だ」
「私はエクシードよ!」
◇◇◇
話し合いは、一度休憩を挟むことになった。
正確には。
カイドウが「連合軍へ行くのは腹が減る」と言い出し、厨房へ肉を取りに行こうとしたためである。
「まだ朝食を食べたばかりです!」
「頭を使った」
「ほとんど反対していただけです!」
「反対にも力がいる」
「知りません!」
カイドウが厨房へ消えた後。
広間には、ローバウル、ウェンディ、シャルルが残った。
ウェンディは椅子へ座り、両手を膝の上に置いている。
先ほどは強く言い返した。
だが。
一人の魔導士として連合軍へ参加すること。
六魔将軍と戦うこと。
現実味が増すほど、不安も大きくなっていた。
「ウェンディ」
ローバウルが呼ぶ。
「はい」
「本当に行けるかのう」
先ほどまでとは違う。
ギルドマスターとしてではなく。
ウェンディを長く見守ってきた者としての問いだった。
「怖いなら、断ってもよい」
「でも、さっきは私が適任だって」
「適任であることと、必ず行かねばならぬことは別じゃ」
ローバウルは穏やかに笑う。
「お前が自分で選ぶことが大切じゃ」
ウェンディは、俯いた。
カイドウには、自由を奪わないでほしいと言った。
だが。
自由に選べるからこそ。
自分の選択へ責任を持たなければならない。
「私」
ウェンディは顔を上げる。
「行きたいです」
「そうか」
「怖いです。でも、私の力が必要な人がいるなら、助けたいです」
「ああ」
「妖精の尻尾の皆さんとも、もっとお話ししたいです」
「青い天馬の男たちとも?」
シャルルが少し意地悪そうに尋ねた。
「それは普通にお話しします!」
「カイドウへ聞かれたら大変ね」
「どうして、カイドウさんはあんなに男の人を警戒するんでしょう」
「親バカだからよ」
「本人は否定しています」
「本人以外は全員認めているわ」
シャルルは椅子の背へ寄りかかる。
「でも、あそこまで反対するのは、あなたを失うのが怖いからでしょうね」
「カイドウさんが?」
「そうよ」
「怖いって思うんでしょうか」
「当然でしょう」
シャルルは静かな声で言った。
「カイドウは、自分の力で何でも守れると思っている。でも、本当は一度も守り方を知らなかったのよ」
「……ヤマトさん」
「ええ」
「カイドウさんは、ヤマトさんを守ろうとしていたんでしょうか」
「本人は、そう思っていたのかもしれないわ」
だが。
その結果。
ヤマトの自由を奪い。
心を遠ざけた。
ウェンディは、自分がカイドウへ言った言葉を思い返す。
私の自由も奪わないでほしい。
きっと、カイドウにとっては痛い言葉だった。
「言いすぎたでしょうか」
「いいえ」
シャルルは即答した。
「言わなければ、あの男は分からないわ」
「でも」
「ウェンディ」
ローバウルが優しく呼ぶ。
「大切に思うからこそ、反対することもある。じゃが、大切に思うからこそ、相手の道を認めねばならぬこともある」
「はい」
「カイドウも、今それを学んでおる」
「私が教えているんですか?」
「そうかもしれんのう」
ローバウルは笑った。
「異世界の最強生物を育てるとは、ウェンディも大したものじゃ」
「私が育てているんですか!?」
「娘に育てられる父親ね」
「親子じゃありません!」
ウェンディが赤くなって否定する。
その時。
厨房から、カイドウが戻ってきた。
両手には、大きな皿。
肉が山積みになっている。
「何の話だ」
「カイドウさんを、私が育てているという話です」
ウェンディが正直に答えた。
カイドウの顔が固まる。
「誰がお前に育てられてる」
「薬を飲ませています」
「健康管理です」
「酒を管理されています」
「飲みすぎ防止です」
「壊した物の片づけ方も教えています」
「掃除の勉強です」
「乗り物に酔った時も、私が治しました」
「……」
カイドウは何も言えなくなった。
シャルルが笑う。
「完全に育てられているわね」
「うるせェ!」
カイドウの怒声が響く。
直後。
ウェンディが静かに言った。
「今夜のお酒」
「……」
カイドウは口を閉じた。
声量を抑え、もう一度言う。
「うるせェ」
「できましたね」
「褒めるな」
◇◇◇
昼過ぎ。
化猫の宿の広間では、連合軍参加の準備が始まっていた。
出発は三日後。
集合地点は、六魔将軍が探索しているとされる森の近く。
正規ギルド四つの精鋭たちが、青い天馬の所有する別荘へ集まる予定だった。
ウェンディは必要な薬草や治療道具を机へ並べている。
傷薬。
解毒剤。
魔力回復薬。
包帯。
保存食。
水筒。
シャルルは一つずつ確認し、必要な物と不要な物を分けていた。
「包帯は、もう少し多い方がいいわ」
「そうだね」
「解毒剤も、六魔将軍の魔法が分からない以上、種類を増やしましょう」
「うん」
「肉は樽で持っていく」
カイドウが大きな肉の塊を机へ置く。
「いりません」
ウェンディが即答した。
「戦いには飯が必要だ」
「保存食があります」
「こんな小せェ物で足りるか」
「カイドウさんは戦いに参加しないでしょう!」
「お前が食う」
「この量をですか!?」
机の上には、ウェンディの体ほどもある肉の塊。
どう考えても食べきれない。
「成長期だ」
「戦いの前にお腹を壊します!」
「焼けばいい」
「誰が焼くのよ」
シャルルが尋ねる。
「おれが炎を吐く」
「荷物ごと燃えるので駄目」
「加減する」
「信用できません」
「最近は上手くなった」
「この前、魚を焼こうとして池を沸騰させたでしょう!」
「魚は焼けた」
「全部浮いてきたわ!」
「取りやすくなった」
「そういう問題じゃない!」
カイドウは肉を引っ込めない。
ウェンディも受け入れない。
肉を挟み、二人のにらみ合いが続く。
「一切れだけです」
ウェンディが譲歩する。
「半分だ」
「多すぎます」
「三分の一」
「五分の一」
「四分の一」
「……分かりました」
交渉の末。
巨大な肉の四分の一を、保存食として持っていくことになった。
それでも、ウェンディの鞄には入らない。
「おれが持つ」
カイドウが言う。
「集合地点までですよ?」
「ああ」
「着いたら持って帰ってください」
「連合軍へ置いていく」
「そんなに食べられません!」
「ナツという小僧が食うだろ」
「確かに食べそうですけど」
「なら問題ねェ」
「カイドウさん」
ウェンディは少し困った顔をする。
「妖精の尻尾の皆さんへ餌を持っていくわけではありません」
「食料だ」
「言い方が違うだけです!」
次に、カイドウは大きな布袋を置いた。
「これは何ですか?」
「酒だ」
「置いていきます」
「なぜだ!」
「カイドウさんは集合地点までです!」
「旅には酒がいる」
「集合地点へ着く前に飲むでしょう!」
「一杯だけだ」
「毎回その言葉から始まります!」
「中には薬用の酒もある」
「嘘ですね」
「……少しは」
「全部置いていきます!」
ウェンディが袋を取り上げようとする。
カイドウは片手で持ち上げる。
「返してください!」
「おれのだ」
「宿のお酒ですよね!?」
「借りた」
「マスターの許可は?」
「まだだ」
「それは借りたと言いません!」
「先に持ってきただけだ」
「盗んだんです!」
ローバウルが帳面を開く。
「酒代を借金へ追加しておくかのう」
「待て、ジジイ」
「持ち出そうとしたのじゃろう?」
「まだ宿の中だ」
「では、今すぐ戻せば追加せん」
カイドウは酒袋を見る。
ローバウルを見る。
ウェンディを見る。
「一瓶だけ」
「駄目です」
「半分」
「瓶は割れません」
「一口分」
「今夜の一杯があります」
「旅用だ」
「水を飲んでください」
カイドウは長く悩み。
最終的に酒袋を床へ置いた。
「話が違う」
「誰とも約束していません!」
◇◇◇
準備の途中。
宿へ一人の使者がやってきた。
青い天馬から派遣された連絡役の魔導士だった。
青い髪を整えた若い男。
白い制服。
胸には、青い天馬の紋章。
「化猫の宿の皆様へ、連合軍の集合場所と時刻をお伝えに参りました」
礼儀正しく頭を下げる。
ウェンディが前へ出た。
「ありがとうございます」
「あなたが、化猫の宿代表のウェンディ・マーベルさんですね」
「はい」
使者の若者は、ウェンディへ笑顔を向ける。
「お噂は聞いております。天空の滅竜魔導士であり、優れた治癒魔法の使い手だと」
「そ、そんな。私はまだ勉強中です」
「ご謙遜を。今回の連合軍に、あなたのような方が参加してくださるのは心強い」
ウェンディは、少し照れたように笑う。
「私も精いっぱい頑張ります」
「ええ。青い天馬一同、あなたを歓迎いたします」
若者が胸へ手を当て、優雅に一礼する。
その背後。
空気が重くなった。
使者の笑顔が固まる。
ゆっくり振り返る。
カイドウが立っていた。
巨大な体。
二本の角。
腕を組み。
鋭い目で使者を見下ろしている。
「誰だ、お前」
低い声。
「カイドウさん」
ウェンディが振り返る。
「青い天馬の使者さんです!」
「名は」
「え?」
「名前だ」
「アルバンと申します」
「歳は」
「二十ですが」
「家族は」
「両親と弟が……」
「住んでる場所は」
「青い天馬の近くですが」
「女はいるか」
「はい?」
「カイドウさん!」
ウェンディが顔を赤くして割って入る。
「どうして、また尋問しているんですか!」
「こいつが、お前に妙な笑顔を向けた」
「礼儀正しく挨拶してくれただけです!」
「手を胸へ当てた」
「青い天馬の挨拶でしょう!」
「声が甘い」
「元からです!」
使者のアルバンは、状況を理解できず立ち尽くしている。
シャルルが小声で説明した。
「気にしないで。この男、ウェンディに男性が近づくと、いつもこうなるの」
「お父上ですか?」
「違ェ!」
カイドウの怒声。
アルバンの髪が風圧で揺れる。
ウェンディが耳を押さえた。
「大声を出さないでください!」
「父親じゃねェ」
「では、保護者の方ですか?」
「違う」
「護衛だ」
「頼んでいません!」
「ですが」
アルバンは、カイドウとウェンディを交互に見る。
「代表者の安全を心配されるお気持ちは分かります」
「分かるか」
「あ、はい」
「なら、集合地点の男どもへ伝えろ」
カイドウが一歩近づく。
「ウェンディへ近づく時は、五歩離れろ」
「カイドウさん!」
「必要な話以外するな」
「連合軍の仲間です!」
「勝手に触るな」
「誰も触りません!」
「笑顔も控えろ」
「無理な要求をしないでください!」
アルバンは冷や汗を浮かべながら、連絡書をウェンディへ渡した。
「しゅ、集合は三日後の正午。こちらの地図に記された青い天馬の別荘です」
「ありがとうございます」
「迎えの馬車も手配できますが……」
「必要ねェ」
カイドウが答える。
「カイドウさんが決めないでください!」
「馬車は危険だ」
「普通の乗り物です!」
「酔う」
「それはカイドウさんだけです!」
「馬車へ乗ったら、戦う前に気分が悪くなる」
「カイドウさんは集合地点まででしょう!」
「龍で行く」
「駄目です!」
使者のアルバンは、戸惑いながら尋ねる。
「あの……こちらの方も、連合軍へ?」
「参加しません」
ウェンディが答える。
「参加する」
カイドウが同時に言う。
「どちらですか?」
「しません!」
「する」
「マスターが許可していません!」
「勝手に行く」
「駄目です!」
アルバンはシャルルを見る。
「どちらなのでしょう」
「集合地点までは来るわ。その先は、私たちが全力で帰す予定よ」
「帰らん」
「帰します」
「無理だ」
「お酒なしにするわよ」
「お前に決める権利はねェ」
「ウェンディへ提案するわ」
「卑怯だぞ、白狸」
「エクシードよ」
青い天馬の使者は。
連合軍の敵より、この巨大な男を帰らせる方が困難なのではないか。
そう思い始めていた。
◇◇◇
使者を見送った後。
ウェンディは、カイドウを広間の中央へ正座させた。
「なぜ、おれが座る」
「使者さんを怖がらせたからです」
「勝手に怖がった」
「睨みました」
「見ただけだ」
「家族構成まで聞きました!」
「敵かもしれん」
「正規ギルドの使者です!」
「闇ギルドが化けてるかもしれん」
「そんな魔法の気配はありませんでした!」
「お前が気づかなかっただけだ」
「カイドウさん」
ウェンディは腕を組む。
「私を信じてください」
「信じてる」
「では、私が判断した人も少しは信じてください」
「それは別だ」
「別ではありません!」
「お前は人を疑わなさすぎる」
「カイドウさんは疑いすぎです!」
「男は特に駄目だ」
「どうしてですか!」
「お前は分かってねェ」
「何をですか!?」
「男が何を考えてるかだ」
「カイドウさんも男ですよね?」
「おれはいい」
「何が違うんですか!」
「おれは、お前を守る」
「ほかの人も、仲間として守ってくれるかもしれません!」
「信用できん」
カイドウは不満そうに腕を組む。
正座をしているため、膝が座布団から完全にはみ出していた。
「青い天馬には、美男が多いといわれておるからのう」
ローバウルが余計な情報を口にした。
カイドウの顔がさらに険しくなる。
「美男?」
「そう呼ばれておる」
「全員敵だ」
「何でですか!?」
ウェンディの声が響く。
「六魔将軍と戦う前に、味方を敵にしないでください!」
「お前に近づいたら敵だ」
「近づきます! 連携するんですから!」
「五歩だ」
「戦いの時に距離を測れません!」
「なら十歩だ」
「増やさないでください!」
「カイドウ」
シャルルが真顔で言う。
「ウェンディが誰かと恋をしたら、どうするつもり?」
「恋?」
ウェンディの顔が真っ赤になる。
「シャルル!?」
カイドウは、しばらく言葉の意味を考えた。
そして。
広間の空気が冷えた。
「誰だ」
「まだ誰とも言っていないわ」
「相手は誰だ」
「仮の話よ」
「どこにいる」
「いないわ」
「男か」
「恋の相手なら、そういう場合もあるでしょう」
「潰す」
「最悪の答えね」
「駄目です!」
ウェンディがカイドウの前へ立つ。
「何もしていない人を潰さないでください!」
「お前に近づく」
「将来の話です!」
「今から消せばいい」
「誰をですか!」
「候補を全部だ」
「フィオーレ王国の男性を全員敵にするつもり!?」
シャルルが叫ぶ。
カイドウは真剣な顔で考える。
「多いな」
「人数の問題ではありません!」
「なら、条件をつける」
「どんな条件よ」
「おれより強い」
「ほとんどいません!」
ウェンディが叫ぶ。
「おれに一発耐える」
「結婚相手を決める試験みたいにしないでください!」
「酒を飲まん」
「自分が飲むのにですか!?」
「お前に飲ませねェ奴」
「私は飲みません!」
「薬をきちんと飲む」
「そこは自分も守ってください!」
「お前を泣かせねェ」
最後の条件だけ。
カイドウの声が少し低くなった。
ウェンディは言葉を止める。
「泣かせたら」
カイドウの目が鋭くなる。
「世界の果てまで追って潰す」
「そこまでしなくていいです!」
「やっぱり親バカね」
シャルルが呆れた。
「違ェ!」
「恋の相手に条件を出している時点で父親でしょう!」
「護衛だ!」
「護衛は結婚相手を審査しないわ!」
ウェンディは、耳まで赤くしていた。
「もう、その話は終わりです!」
「候補がいるのか」
「いません!」
「本当か」
「本当です!」
「青い天馬の奴では」
「今日初めて会いました!」
「ならいい」
「何でカイドウさんが安心するんですか!」
六魔将軍討伐の準備。
それより先に。
カイドウの親バカをどう抑えるかが、大きな課題となっていた。
◇◇◇
その夜。
広間の灯りが落ち。
宿の者たちが眠りについた後。
ウェンディは、自分の部屋で荷物を確認していた。
三日後の出発。
まだ時間はある。
それでも、落ち着かなかった。
机の上には、連合軍の集合地点が記された地図。
六魔将軍についての簡単な資料。
自分用の治療道具。
読み返すたび。
敵の危険性が分かる。
六人の魔導士。
それぞれが強大な魔法を持つ。
闇ギルドを従え。
ニルヴァーナを狙っている。
「大丈夫」
ウェンディは、自分へ言い聞かせる。
「ナツさんたちもいる。ほかのギルドの皆さんも」
だが。
手は僅かに震えていた。
その時。
扉の外から声がした。
「起きてるか」
「カイドウさん?」
扉を開ける。
廊下には、カイドウが座っていた。
また見張りをしていたらしい。
「どうしたんですか?」
「灯りがついてた」
「準備をしていました」
「寝ろ」
「まだ早いです」
「明日も準備するんだろ」
「はい」
「なら休め」
カイドウは、ウェンディの顔を見る。
目元。
呼吸。
無理に笑おうとしていることまで。
すぐに分かった。
「怖いか」
昼間にも聞かれた問い。
ウェンディは、一瞬だけ迷った。
「少し」
「行かなくていい」
「行きます」
「死ぬかもしれん」
「はい」
「おれが行けば、死なせねェ」
「カイドウさんが一人で全部戦ったら、ほかの人が怪我をするかもしれません」
「しねェ」
「戦いになると、周りが見えなくなるでしょう?」
「見えてる」
「ラクサスさんと戦った時、私を吹き飛ばしました」
「……」
カイドウは黙る。
痛いところを突かれた。
「だから」
ウェンディは、廊下へ出る。
カイドウの隣へ座った。
小さな体と、巨大な体。
「連合軍では、みんなで力を合わせるんです」
「おれは、そういうのが嫌いだ」
「どうしてですか?」
「弱い奴へ合わせることになる」
「でも、一人ではできないこともあります」
「おれにはない」
「本当に?」
「ああ」
「では、どうして今、私に薬を作ってもらっているんですか?」
「……」
「料理も、服も、家も。カイドウさん一人では作っていませんよね」
「作れる」
「皿を二十三枚割りました」
「今は割らん」
「昨日、一枚ひびが入りました」
「元からだ」
「私が見ていました!」
ウェンディは少し笑う。
「誰にでも、一人でできないことはあります」
「お前もか」
「はい」
「なら、おれを連れていけ」
「そういう意味ではありません!」
「おれがいれば、できることが増える」
「壊れるものも増えます!」
カイドウは不満そうに鼻を鳴らした。
しばらく。
二人は黙って廊下へ座っていた。
窓から月明かりが差し込む。
森の中から、夜鳥の声が聞こえる。
「カイドウさん」
「何だ」
「私が帰ってこなかったら、どうしますか?」
空気が変わった。
カイドウの顔から、僅かな表情が消える。
「帰ってくる」
「もしもの話です」
「そんな話はするな」
「でも」
「帰ってくる」
低く。
強い声だった。
「お前が帰らねェなら、おれが連れ戻す」
「どこからですか?」
「地獄でも、天国でもだ」
「カイドウさんは、天国へ入れますか?」
「門を壊す」
「壊さないでください」
「止める奴も潰す」
「天国で暴れないでください!」
「なら帰ってこい」
カイドウは、ウェンディを見下ろす。
「絶対にだ」
ウェンディは、その目を見た。
冗談ではない。
カイドウなら、本当に死者の世界まで殴り込もうとするだろう。
「はい」
ウェンディは頷いた。
「必ず帰ってきます」
「約束だ」
「はい」
「破ったら酒を飲む」
「私が帰ってこないのに?」
「毎日樽で飲む」
「それは困ります!」
「なら帰れ」
「分かりました」
ウェンディは笑った。
「カイドウさんが飲みすぎないように、ちゃんと帰ってきます」
「ああ」
「でも、カイドウさんも約束してください」
「何だ」
「私がいない間、勝手に追いかけてこないこと」
「断る」
「即答しないでください!」
「危険を感じたら行く」
「集合地点から帰ってください」
「敵の気配がしたら行く」
「六魔将軍の近くなので、ずっと敵の気配があります!」
「なら残る」
「駄目です!」
「お前の自由を奪わねェ」
「はい」
「おれの自由も奪うな」
「そういう使い方はずるいです!」
カイドウは、僅かに笑う。
「ウォロロロ」
「笑って誤魔化さないでください」
「心配するな」
「どちらがですか?」
「おれは、すぐには行かん」
「すぐには?」
「お前が助けを呼ぶまでは待つ」
ウェンディの目が大きくなる。
カイドウにしては、大きな譲歩だった。
「本当ですか?」
「ああ」
「勝手に気配を感じたと言って、来ませんか?」
「お前が呼ぶまでだ」
「約束ですよ」
「ああ」
ウェンディは、小指を差し出した。
カイドウが眉を寄せる。
「何だ」
「約束する時にするんです」
「指が小せェ」
「カイドウさんが大きいんです」
カイドウは、巨大な小指を差し出す。
ウェンディの小指では、半分も回らない。
それでも。
二人は指を絡めた。
「約束です」
「ああ」
「絶対ですよ」
「お前も帰ってこい」
「はい」
月明かりの下。
最強生物と、小さな天空の少女は約束を交わした。
だが。
カイドウの顔には、まだ納得していない色が残っている。
「ただし」
「まだあるんですか?」
「青い天馬の男が怪しかったら、呼べ」
「呼びません」
「五歩以内へ近づいたら」
「連携のためです!」
「触ったら」
「怪我の治療をすることもあります!」
「笑いかけたら」
「普通の会話です!」
「告白したら」
「そんなことはありません!」
「万が一だ」
「全部、私が自分で判断します!」
親バカは。
重要な約束を交わしても、少しも治っていなかった。
◇◇◇
翌朝。
化猫の宿の入り口には、一枚の大きな板が立てられていた。
板には、太い文字でこう書かれている。
『連合軍参加におけるカイドウの注意事項』
一、集合地点では暴れない。
二、連合軍の魔導士へ勝負を挑まない。
三、青い天馬の男性を睨まない。
四、ウェンディとの距離を勝手に決めない。
五、酒を持ち込まない。
六、ニルヴァーナを勝手に壊しに行かない。
七、ウェンディを無理やり連れ帰らない。
八、ナツと意気投合して乗り物を壊さない。
九、エルザを勧誘しない。
十、集合地点へ到着したら、素直に帰る。
十項目。
その下には。
さらに細かな注意事項が九十個、続いていた。
カイドウは板を見上げる。
「誰が書いた」
「私とシャルルです」
ウェンディが答える。
「百個もあるぞ」
「マスターの提案です」
「多すぎる」
「カイドウさんだからです」
「全部覚えられん」
「読み上げます」
「面倒だ」
「その言葉は禁止です」
シャルルが板の横へ飛ぶ。
「では、一番から確認するわよ」
「断る」
「今夜のお酒」
「聞く」
「本当に酒へ弱いわね」
「酒に弱いんじゃねェ。酒を大切にしてる」
「同じです!」
ウェンディは注意事項の書かれた紙をもう一枚取り出す。
「それから、集合地点へ着いた後の約束です」
「呼ばれるまで動かねェ」
「はい」
「青い天馬の男が怪しくても」
「動きません」
「お前が泣いても」
「その時は助けてください!」
「なら、ずっと近くにいる」
「話を戻さないでください!」
ローバウルは、三人を見ながら穏やかに笑っていた。
四つの正規ギルド。
妖精の尻尾。
青い天馬。
蛇姫の鱗。
化猫の宿。
それぞれの精鋭が集まり。
闇ギルド六魔将軍へ挑む。
大きな戦いが。
確実に近づいていた。
そして。
百獣のカイドウにとって。
六魔将軍より。
ニルヴァーナより。
何よりも恐ろしい戦いが始まろうとしている。
ウェンディを信じ。
自分の手を離し。
遠くから見守ること。
それは、敵を殴り倒すよりも遥かに難しい。
「ウェンディ」
「はい?」
「やはり、おれも連合軍へ入る」
「駄目です」
「代表を二人にしろ」
「駄目です」
「化猫の宿から百人出す」
「そんなに魔導士はいません!」
「なら、宿ごと動かす」
「どうやってですか!?」
「龍になって運ぶ」
「壊れます!」
「加減する」
「絶対に駄目です!」
ウェンディの声が朝の森へ響く。
シャルルは頭を抱え。
ローバウルは笑い。
カイドウは、まだ諦めていなかった。
六魔将軍討伐連合軍。
その出発まで。
あと三日。
最初に倒すべき相手は。
闇ギルドではなく。
親バカを拗らせた最強生物なのかもしれなかった。
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