『百獣のカイドウ、化猫の宿で居候になる 』   作:パスカルDX

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第16話 最強生物、記憶を失った男と赤髪の剣士を見守る

第16話 最強生物、記憶を失った男と赤髪の剣士を見守る

 

 

 地下遺跡の最奥。

 

 冷たい石壁に囲まれた広間には、湿った土と古びた鉄の匂いが満ちていた。

 

 青白い炎が壁際で揺れ、その不安定な光が、床へ浮かび上がった黒い魔法陣を照らしている。

 

 広間の中央。

 

 長い銀髪の少女は、両腕を黒い鎖で壁へ繋がれていた。

 

 細い腕。

 

 汚れた服。

 

 青白い顔。

 

 そして、皮膚の上を生き物のように這い回る、不気味な黒い紋様。

 

「逃げて……」

 

 少女の唇が震えた。

 

「私の中に……六魔将軍の魔法がいる……!」

 

 その言葉と同時に。

 

 少女の背後から立ち上がっていた巨大な闇が、ゆっくりと形を変え始めた。

 

 最初は、煙のようだった。

 

 輪郭もなく。

 

 ただ濃い魔力だけが集まり。

 

 やがて。

 

 細長い腕。

 

 歪んだ指。

 

 顔のない頭部。

 

 人に似ていながら、決して人ではない異形の姿へ変わっていく。

 

 その闇が広がるたび。

 

 少女の体へ刻まれた紋様も濃くなった。

 

「ウェンディ」

 

 カイドウが低く呼ぶ。

 

「おれの後ろにいろ」

 

「でも、あの子を助けないと!」

 

「分かってる」

 

 カイドウは、少女と闇の間へ視線を向けたまま答えた。

 

 人獣型となった巨体。

 

 腕を覆う青い鱗。

 

 鋭く伸びた牙。

 

 黄金色の瞳には、戦場で敵を見定める冷たい光が宿っている。

 

「助ける。だが、勝手に近づくな」

 

「はい」

 

「一人で治療しようとするな」

 

「はい」

 

「魔力を使い切るな」

 

「分かっています!」

 

「返事が早ェな」

 

「今は急いでいるんです!」

 

 ウェンディが少し頬を膨らませる。

 

 この状況でも、二人のやり取りは変わらない。

 

 シャルルはウェンディの肩へ乗りながら、黒い闇を睨んでいた。

 

「少女本人が操っているわけではなさそうね」

 

「ええ」

 

 サクラが純白の翼を広げる。

 

 桜色の髪が魔力に揺れ。

 

 背後には、淡い光輪が現れていた。

 

「何者かの魔法を、体内へ埋め込まれています」

 

「呪いに近いな」

 

 エルザは剣を抜いた。

 

 銀色の刃に青白い炎が映り込む。

 

「本人の意思とは無関係に、侵入者を攻撃させる仕掛けか」

 

「かなり悪趣味じゃ」

 

 ジュラが床へ手を触れる。

 

 石床から地面の状態を読み取り。

 

 魔法陣の広がりを確認していた。

 

「この広間全体が、少女の魔力と繋がっておる」

 

「鎖を壊したら?」

 

 ウェンディが尋ねる。

 

「少女の中にある魔法が暴走する可能性があります」

 

 サクラが答える。

 

「先に、あの闇を切り離さなければ」

 

「切り離す?」

 

「天使魔法で、外側の呪術を浄化します」

 

 サクラの背後へ。

 

 白い羽根が集まっていく。

 

「ただし、少女の体へ深く根を張っています。強引に剥がせば、本人の魔力経路まで傷つけてしまう」

 

「なら、私が治療します」

 

 ウェンディは一歩前へ出ようとした。

 

 カイドウの尾が、彼女の腰へ回る。

 

「きゃっ!」

 

 そのまま、元の位置へ戻された。

 

「勝手に行くなと言っただろ」

 

「まだ一歩だけです!」

 

「一歩で罠へ入った奴が言うな」

 

「それは……」

 

 先ほど。

 

 黒い結界へ閉じ込められたことを思い出し。

 

 ウェンディは言葉を詰まらせた。

 

「でも、あの子は苦しんでいます」

 

「見れば分かる」

 

「では」

 

「おれが前へ出る」

 

「カイドウさんが近づいたら、少女ごと吹き飛ばしかねません!」

 

「吹き飛ばさねェ」

 

「怒ると周りが見えなくなるでしょう!」

 

「見えてる」

 

「別荘の屋根を外しました!」

 

「中を見るためだ」

 

「床にも穴を開けました!」

 

「小せェ穴だ」

 

「カイドウさんが通れる大きさでした!」

 

 カイドウの感覚では小さいらしい。

 

 エルザは、二人の言い争いを聞きながらも、少女から目を離していなかった。

 

「サクラ」

 

「ああ」

 

「私が闇を抑える。その間に浄化できるか?」

 

「可能です」

 

「ジュラは魔法陣を固定してくれ」

 

「承知した」

 

「ウェンディは」

 

 エルザが振り返る。

 

「少女の生命力を確認しながら、サクラを補助してくれ」

 

「はい!」

 

「シャルルはウェンディから離れるな」

 

「当然よ」

 

「カイドウは」

 

「ウェンディの横だ」

 

 本人が先に答えた。

 

 エルザの眉が僅かに動く。

 

「前線を頼もうと思ったのだが」

 

「嫌だ」

 

「即答か」

 

「ウェンディから離れねェ」

 

「敵の攻撃を止める役目だ」

 

「ここからでも止められる」

 

「どうやって?」

 

「飛んできたら殴る」

 

「近づいてからでは遅い」

 

「なら、おれが闇を抑える」

 

「少女へ余計な衝撃を与えるな」

 

「注文が多い女だな」

 

「戦場では当然だ」

 

 エルザとカイドウが睨み合う。

 

「カイドウさん」

 

 ウェンディが上着を引いた。

 

「エルザさんの言うことを聞いてください」

 

「お前を守るためだ」

 

「エルザさんも、私を守ろうとしてくれています」

 

「なら、お前の近くへ置け」

 

「カイドウさんが近くにいれば大丈夫です!」

 

 その一言に。

 

 カイドウの眉間の皺が僅かに薄くなった。

 

「……仕方ねェ」

 

「扱いやすいな」

 

 エルザが小さく呟く。

 

「何か言ったか」

 

「何でもない」

 

 サクラは翼を広げた。

 

「始めます」

 

 その瞬間。

 

 銀髪の少女が大きく仰け反った。

 

「あああああっ!」

 

 悲鳴。

 

 背後の闇が、巨大な口のように裂ける。

 

 そこから黒い魔力の塊が、無数に飛び出した。

 

「来るぞ!」

 

 エルザが前へ出る。

 

 剣が閃き。

 

 黒い塊が空中で切り裂かれる。

 

 ジュラが両手を床へつける。

 

「岩鉄壁!」

 

 石床が盛り上がり。

 

 ウェンディたちの前へ、厚い岩壁が作られた。

 

 そこへ黒い魔力が衝突する。

 

 重い衝撃音。

 

 岩壁の表面へ亀裂が走る。

 

 だが。

 

 崩れない。

 

「今です!」

 

 サクラの翼から、白い羽根が放たれた。

 

「天使魔法――ラファエル!」

 

 純白の光。

 

 治癒と浄化を司る天使の姿が、サクラの背後へ現れる。

 

 巨大な両手が。

 

 少女の背後にある闇を包み込む。

 

 黒と白。

 

 相反する魔力がぶつかり。

 

 地下遺跡全体が震えた。

 

「ウェンディさん!」

 

「はい!」

 

 ウェンディは両手を前へ出す。

 

「トロイア!」

 

 柔らかな風が少女を包む。

 

 乱れた魔力。

 

 暴れる生命力。

 

 それらを整えようと、天空の魔法が流れ込んでいく。

 

 少女の顔から。

 

 僅かに苦しみが消えた。

 

「効いています!」

 

 ウェンディが声を上げる。

 

「そのまま続けてください!」

 

 サクラは、さらに魔力を強める。

 

 だが。

 

 闇が。

 

 少女の背後から伸びた腕を、ウェンディへ向けた。

 

「危ない!」

 

 シャルルが叫ぶ。

 

 黒い腕は。

 

 岩壁を回り込み。

 

 蛇のように伸びる。

 

 エルザは遠い。

 

 サクラは浄化へ集中している。

 

 ジュラは魔法陣を抑えている。

 

 ウェンディは治療中。

 

 次の瞬間。

 

 黒い腕が。

 

 横から殴り飛ばされた。

 

 ごうっ、と空気が爆ぜる。

 

 闇の腕は石壁へ叩きつけられ。

 

 黒い煙となって崩れた。

 

「おれの前で」

 

 カイドウが拳を下ろす。

 

「こいつへ触れるな」

 

 低い声。

 

 ウェンディの横から。

 

 一歩も動いていない。

 

 ただ。

 

 黒い腕が届く瞬間だけ。

 

 拳を伸ばし。

 

 正確に破壊した。

 

「カイドウさん」

 

「治療へ集中しろ」

 

「はい!」

 

 ウェンディは。

 

 もう一度、少女へ風を送る。

 

 カイドウはその隣で。

 

 少女の闇。

 

 床の魔法陣。

 

 天井。

 

 背後。

 

 すべてを見ている。

 

 守るために。

 

 壊さないように。

 

 力を抑えながら。

 

「もう少しです!」

 

 サクラの声。

 

 ラファエルの光が。

 

 闇の中心へ食い込む。

 

 少女の体へ刻まれていた黒い紋様が。

 

 少しずつ薄くなっていった。

 

「いや……」

 

 少女が震える。

 

「出ていって……」

 

 涙が頬を流れる。

 

「私の中から……出ていって!」

 

 少女自身も。

 

 闇へ抵抗している。

 

「聞こえています!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「私たちが助けます!」

 

「私を……」

 

「大丈夫です!」

 

「私は、たくさんの人を……」

 

「あなたの意思じゃありません!」

 

 ウェンディの風が。

 

 少女の胸へ届く。

 

「悪い魔法に操られていただけです!」

 

「でも……」

 

「今、助かりたいって思っていますよね!」

 

 少女の瞳が揺れる。

 

「生きたいって!」

 

「……」

 

「なら、諦めないでください!」

 

 ウェンディの声。

 

 優しい。

 

 それでいて。

 

 強い。

 

「一緒に戦ってください!」

 

 少女の指が。

 

 僅かに動いた。

 

 黒い鎖を掴む。

 

「私……」

 

 弱々しい声。

 

「生きたい……」

 

 その瞬間。

 

 少女の内側から。

 

 淡い銀色の光が溢れた。

 

 黒い紋様が。

 

 一気に体から浮かび上がる。

 

「今です!」

 

 サクラが翼を大きく広げた。

 

「天使魔法――聖浄!」

 

 ラファエルの両手から。

 

 白い光が少女を包み込む。

 

 浮かび上がった黒い紋様が。

 

 光の中で焼け。

 

 崩れ。

 

 悲鳴のような音を上げながら消えていく。

 

 最後に。

 

 少女の背後の巨大な闇が、大きく仰け反った。

 

 顔のない頭部が。

 

 カイドウの方を向く。

 

「……」

 

 カイドウも。

 

 それを睨み返す。

 

 闇の中から。

 

 誰かの声が聞こえた。

 

『天空の巫女は、渡さない』

 

 カイドウの瞳が鋭くなる。

 

「おれの前で言うか」

 

 拳を握る。

 

「誰のもんでもねェ」

 

 黒い稲妻が走る。

 

「ウェンディは、ウェンディだ」

 

 カイドウの拳が。

 

 闇の中心へ突き刺さった。

 

 今度は。

 

 少女へ衝撃が伝わらないよう。

 

 闇だけを。

 

 正確に。

 

 打ち抜く。

 

 轟音。

 

 黒い影は。

 

 内側から砕け散った。

 

          ◇◇◇

 

 黒い魔法が消えると。

 

 地下遺跡には、急に静寂が戻った。

 

 床へ浮かんでいた魔法陣も薄れ。

 

 青白い炎だけが、壁際で静かに揺れている。

 

 銀髪の少女は。

 

 鎖に繋がれたまま、力を失って俯いた。

 

「大丈夫ですか!」

 

 ウェンディが駆け寄ろうとする。

 

 カイドウの尾が、また腰へ回った。

 

「待て」

 

「もう魔法は消えました!」

 

「本当か確認する」

 

「サクラさん!」

 

 ウェンディは助けを求めるように見る。

 

 サクラは少女の周囲を調べた。

 

 白い羽根を舞わせ。

 

 魔力の残滓。

 

 体内の呪い。

 

 床の術式。

 

 すべてを確認する。

 

「危険な魔力は消えています」

 

「ほら!」

 

 ウェンディが言う。

 

 カイドウは尾を離した。

 

「ただし、慎重に」

 

「分かっています!」

 

 ウェンディは少女の前へ膝をついた。

 

「聞こえますか?」

 

 少女は。

 

 ゆっくりと顔を上げた。

 

 瞳は淡い紫色。

 

 疲れ切っている。

 

 それでも。

 

 先ほどまでの黒い濁りはない。

 

「あなたが……」

 

「ウェンディです」

 

「天空の……」

 

「はい。天空の滅竜魔導士です」

 

 少女の瞳から。

 

 また涙が流れた。

 

「ごめんなさい」

 

「どうして謝るんですか?」

 

「私は……あなたを捕まえるための罠だった」

 

「でも、あなたも捕まっていました」

 

「私の中へ、魔法を入れられて……」

 

 少女は、自分の腕を見る。

 

 黒い紋様は消えている。

 

 その代わり。

 

 鎖による赤い傷。

 

 古い注射痕。

 

 いくつもの細かな傷が残っていた。

 

「治療します」

 

 ウェンディは両手をかざした。

 

「待って」

 

 少女が怯えたように身を引く。

 

「怖くありません」

 

「でも、私に近づいたら」

 

「もう魔法は消えています」

 

「また出るかもしれない」

 

「その時は」

 

 ウェンディは笑った。

 

「みんながいます」

 

 シャルル。

 

 サクラ。

 

 エルザ。

 

 ジュラ。

 

 そして。

 

 後ろで腕を組むカイドウ。

 

「カイドウさんもいます」

 

「おれを最後に言うな」

 

「順番は関係ありません!」

 

 銀髪の少女は。

 

 カイドウを見上げた。

 

 巨大な男。

 

 龍の鱗。

 

 鋭い牙。

 

 敵よりも恐ろしく見える。

 

 少女の肩が僅かに震えた。

 

「怖がらせないでください」

 

 ウェンディがカイドウを睨む。

 

「何もしてねェ」

 

「顔が怖いです」

 

「生まれつきだ」

 

「少し笑ってください」

 

「それはやめた方がいいわ」

 

 シャルルが止めた。

 

「さらに怖くなる可能性があるもの」

 

「白狸」

 

「エクシードよ」

 

 少女は。

 

 僅かに。

 

 本当に僅かに。

 

 笑った。

 

 ウェンディの顔が明るくなる。

 

「笑えましたね」

 

「……うん」

 

「では、治療します」

 

 柔らかな風が。

 

 少女の体を包む。

 

 鎖の傷。

 

 黒い魔法によって傷ついた魔力経路。

 

 衰弱した体。

 

 少しずつ。

 

 治癒されていく。

 

「名前を聞いてもいいですか?」

 

 少女は、しばらく黙った。

 

 やがて。

 

「分からない」

 

 小さく答えた。

 

「分からない?」

 

「名前を……忘れたの」

 

 ウェンディの手が止まりかける。

 

「記憶がないんですか?」

 

「全部じゃない」

 

 少女は目を閉じる。

 

「六魔将軍に捕まったこと。誰かを探していたこと。風の魔導士を見つけろと言われたこと」

 

「誰かを探していた?」

 

「でも、その人が誰かは……」

 

 少女は頭を押さえる。

 

「思い出そうとすると、痛い……」

 

「無理をしないでください!」

 

 ウェンディは治療の風を強める。

 

「今は休んで」

 

「でも」

 

「安全な場所へ戻ってから、少しずつ思い出しましょう」

 

「安全な場所……」

 

 少女は、その言葉を確かめるように呟いた。

 

「そんな場所が、私にもあるの?」

 

「あります」

 

 ウェンディは即答した。

 

「今は、私たちと一緒に来てください」

 

「でも、私は罠だった」

 

「あなたのせいじゃありません」

 

「また操られるかもしれない」

 

「その時は助けます」

 

「どうして?」

 

 少女の問い。

 

 ウェンディは少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「助けてほしいって言ったからです」

 

 優しく答えた。

 

 少女の瞳から。

 

 静かに涙が流れた。

 

          ◇◇◇

 

 少女を拘束していた鎖は、ジュラの大地魔法によって丁寧に外された。

 

 カイドウは最初、自分で引きちぎろうとした。

 

 だが。

 

「少女の腕まで外れます!」

 

 ウェンディに怒鳴られ。

 

 不満そうに離れた。

 

「加減する」

 

「今は信用できません!」

 

「結界は開けたぞ」

 

「腕から血が出ていました!」

 

「治った」

 

「怪我を基準にしないでください!」

 

 少女は。

 

 自分の足で立とうとした。

 

 だが。

 

 長く拘束されていたため、足へ力が入らない。

 

「きゃっ」

 

 崩れ落ちる体を。

 

 ウェンディが支えようとする。

 

 その前に。

 

 カイドウの腕が伸びた。

 

 少女の体を、片手で支える。

 

「……」

 

 少女は固まった。

 

 カイドウも固まる。

 

 ウェンディが見上げる。

 

「カイドウさん」

 

「何だ」

 

「優しくしてください」

 

「支えてるだけだ」

 

「顔が怖いです」

 

「生まれつきだ」

 

 少女は。

 

 恐る恐る、カイドウを見る。

 

「食うの?」

 

 カイドウの眉が動いた。

 

「誰がだ」

 

「龍だから……」

 

「人間だ」

 

「角がある」

 

「元からだ」

 

「牙も」

 

「元からだ」

 

「大きい」

 

「元からだ」

 

「酒臭い」

 

「誰が酒臭い!」

 

 カイドウの怒声が響く。

 

 地下遺跡が震え。

 

 少女の肩も大きく跳ねた。

 

「大声を出さないでください!」

 

 ウェンディが怒る。

 

「酒臭くねェ!」

 

「昨日飲みましたよね?」

 

「一杯だけだ!」

 

「匂いは残ります!」

 

「桜頭も飲んでた!」

 

「私は茶です」

 

 サクラが冷静に答える。

 

「人へ罪を押しつけないでください」

 

「罪じゃねェ」

 

「今は少女を怖がらせたことを謝ってください」

 

 ウェンディが両手を腰へ当てる。

 

 カイドウは。

 

 腕の中の少女を見る。

 

 少女は怯えながらも。

 

 少しだけ。

 

 口元へ笑みを浮かべていた。

 

「……悪かった」

 

 カイドウが言う。

 

 少女の目が大きくなる。

 

「謝るんだ」

 

「カイドウさんも成長中なんです」

 

 ウェンディが嬉しそうに答えた。

 

「誰が成長中だ」

 

「私が育てています」

 

「育てられてねェ!」

 

 地下遺跡へ。

 

 少しだけ笑い声が広がった。

 

 張りつめていた空気が。

 

 ほんの僅かに緩む。

 

「少女を運ぶ必要があります」

 

 サクラが言う。

 

「歩ける状態ではありません」

 

「私が支えます」

 

 ウェンディが答える。

 

「お前も疲れてるだろ」

 

 カイドウが止めた。

 

「でも」

 

「おれが持つ」

 

 カイドウは少女を片腕へ載せる。

 

 そのまま。

 

 反対側の腕をウェンディへ伸ばした。

 

「え?」

 

「お前も乗れ」

 

「歩けます!」

 

「顔が白い」

 

「休憩しました!」

 

「結界へ閉じ込められた」

 

「もう回復しています!」

 

「魔力を使った」

 

「治療は必要でした!」

 

「乗れ」

 

「嫌です!」

 

「なら肩だ」

 

「どこにですか!?」

 

 片腕には銀髪の少女。

 

 反対の肩には、ウェンディを乗せようとしている。

 

「カイドウさん」

 

 エルザが呆れたように言う。

 

「二人とも荷物ではない」

 

「知ってる」

 

「なら歩かせろ」

 

「一人は歩けねェ」

 

「ウェンディは歩ける」

 

「疲れてる」

 

「本人が大丈夫だと言っている」

 

「信用できん」

 

 ウェンディは頬を膨らませる。

 

「そこまで心配しなくても大丈夫です!」

 

「さっきも同じことを言った」

 

「……」

 

「結界へ閉じ込められた」

 

「それを毎回使うつもりですか?」

 

「ああ」

 

「ずるいです!」

 

 最終的に。

 

 銀髪の少女はカイドウが運び。

 

 ウェンディは自分で歩く。

 

 ただし。

 

 カイドウから二歩以上離れない。

 

 という妥協案になった。

 

「五歩じゃなかったの?」

 

 シャルルが尋ねる。

 

「今は二歩だ」

 

「なぜ縮まったのよ」

 

「罠がある」

 

「ずっと二歩へするつもりでしょう?」

 

「状況による」

 

「親バカね」

 

「違ェ!」

 

 カイドウの怒声。

 

 腕の中の少女が、また肩を震わせる。

 

「大声!」

 

「……悪かった」

 

 二度目の謝罪。

 

 少女は。

 

 今度こそ。

 

 小さく笑った。

 

          ◇◇◇

 

 地下遺跡から出るため。

 

 調査班は、閉じられた石門を調べていた。

 

 入口は。

 

 巨大な岩壁で塞がれている。

 

 ジュラが手を触れる。

 

「岩の向こうへ、複雑な術式が張られておる」

 

「壊せるか?」

 

 エルザが尋ねる。

 

「時間をかければ」

 

「時間がもったいねェ」

 

 カイドウが少女を抱えたまま、岩壁の前へ立つ。

 

「待ってください」

 

 サクラが止める。

 

「何だ」

 

「少女を抱えたまま殴らないでください」

 

「反対の手だ」

 

「衝撃が伝わります」

 

「加減する」

 

「その言葉を、今日は何度聞いたでしょう」

 

「今回は本当だ」

 

「毎回そう言います!」

 

 ウェンディが横から言う。

 

「では、少女を私が支えます」

 

「駄目だ」

 

「どうしてですか?」

 

「お前が重い物を持つ」

 

「女の子一人です!」

 

「疲れてる」

 

「大丈夫です!」

 

「それは禁止だ」

 

「いつからですか!?」

 

 サクラが額へ手を当てた。

 

「カイドウ」

 

「何だ」

 

「少女をエルザへ預けてください」

 

 カイドウはエルザを見る。

 

 鎧。

 

 剣。

 

 強い。

 

 女性。

 

 知らない男ではない。

 

「……いいだろ」

 

「判断基準は何ですか?」

 

 エルザが少女を受け取る。

 

 少女は少し緊張したものの。

 

 エルザの腕の中へ大人しく収まった。

 

「安心しろ」

 

 エルザは優しく言った。

 

「すぐに外へ出る」

 

「……うん」

 

 エルザの声。

 

 その表情。

 

 少女の瞳が。

 

 僅かに揺れた。

 

「赤い髪」

 

「どうした?」

 

「誰かに似てる」

 

 エルザの動きが止まる。

 

「誰に?」

 

「分からない」

 

 少女は頭を押さえた。

 

「赤い髪の女の人。泣いてた。誰かの名前を呼んでた」

 

「名前?」

 

「ジェ……」

 

 少女の唇が動く。

 

「ジェラ……」

 

 エルザの顔から。

 

 色が消えた。

 

「何と言った?」

 

 声が。

 

 僅かに震える。

 

「ジェラール?」

 

 その名前が。

 

 地下遺跡へ落ちた。

 

 ウェンディ。

 

 シャルル。

 

 サクラ。

 

 ジュラ。

 

 全員が。

 

 エルザを見る。

 

「エルザさん?」

 

 ウェンディが心配そうに呼ぶ。

 

 エルザは。

 

 少女の肩を掴みかけ。

 

 すぐに。

 

 相手が傷ついていることを思い出し、手を止めた。

 

「その名前を、どこで聞いた」

 

「分からない」

 

「思い出せないか?」

 

「頭が痛い……」

 

「無理をしないでください!」

 

 ウェンディが近づく。

 

「エルザさんも、落ち着いて」

 

「……ああ」

 

 エルザは頷いた。

 

 だが。

 

 その瞳は。

 

 少女から離れない。

 

 ジェラール。

 

 かつて。

 

 楽園の塔で共に過ごした少年。

 

 大切な仲間。

 

 そして。

 

 自分を裏切り。

 

 多くの犠牲を生み。

 

 最後には、塔の崩壊と共に姿を消した男。

 

 生きているのか。

 

 死んでいるのか。

 

 それすら分からない。

 

「偶然かもしれません」

 

 サクラが静かに言う。

 

「同じ名の人物である可能性も」

 

「分かっている」

 

 エルザは答えた。

 

 分かっている。

 

 だが。

 

 胸の奥が。

 

 激しくざわついていた。

 

「ジェラールは」

 

 エルザの声が低くなる。

 

「青い髪の男だ」

 

 少女の瞳が大きくなる。

 

「青い髪……」

 

「知っているのか?」

 

「夢で……」

 

 少女は目を閉じる。

 

「誰かが、私を助けようとしていた」

 

「青い髪の男が?」

 

「うん」

 

「どこにいる!」

 

 エルザの声が強くなる。

 

 少女が怯える。

 

「エルザさん!」

 

 ウェンディが止める。

 

 エルザは。

 

 自分の声に気づいた。

 

「すまない」

 

 少女へ頭を下げる。

 

「怖がらせるつもりはなかった」

 

「エルザ」

 

 カイドウが呼ぶ。

 

「何だ」

 

「その男は、敵か」

 

 エルザはすぐには答えなかった。

 

 ジェラール。

 

 自分にとって。

 

 その問いは。

 

 簡単には答えられない。

 

「分からない」

 

「なら、会って確かめろ」

 

「……」

 

「生きてるならな」

 

 カイドウの言葉は。

 

 乱暴で。

 

 単純だった。

 

 だが。

 

 今のエルザには。

 

 それが必要だった。

 

「そうだな」

 

 エルザは小さく頷く。

 

「会わなければ、何も分からない」

 

「その通りです」

 

 ウェンディが優しく言った。

 

「きっと、この先にいます」

 

「なぜ分かる?」

 

「風に、もう一人の匂いがあります」

 

 ウェンディは、閉ざされた岩壁を見る。

 

「さっきまでは気づきませんでした。でも」

 

 銀髪の少女を覆っていた闇が消えたことで。

 

 別の匂いが、はっきりした。

 

「人がいます」

 

「男か」

 

 カイドウが聞く。

 

「はい」

 

「青い髪か」

 

「匂いでは分かりません!」

 

「強いか」

 

「弱っています」

 

「怪しいな」

 

「まだ会っていません!」

 

「ジェラールかもしれない」

 

 エルザが岩壁を見る。

 

「なら」

 

 カイドウは拳を握った。

 

「開けるぞ」

 

「待ってください!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「また力任せですか!?」

 

「中に人がいる」

 

「だからこそ、慎重に!」

 

「向こう側まで吹き飛ばさねェ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「壁だけですか?」

 

「ああ」

 

「天井も壊しません?」

 

「ああ」

 

「床も?」

 

「ああ」

 

「遺跡全体は?」

 

「しつこい」

 

「カイドウさんだからです!」

 

 カイドウは。

 

 右拳を岩壁へ当てた。

 

 殴らない。

 

 押しつける。

 

 力を。

 

 少しずつ。

 

 岩へ流し込む。

 

 みし。

 

 岩壁に亀裂が入る。

 

「ゆっくりです!」

 

 ウェンディの声。

 

「分かってる」

 

「力を入れすぎないで!」

 

「ああ」

 

「エルザさんたちへ石を飛ばさないで!」

 

「ああ」

 

「少女を怖がらせないで!」

 

「お前は母親か」

 

「カイドウさんの教育係です!」

 

「誰が教育されてる!」

 

 岩壁へ。

 

 さらに亀裂が広がる。

 

 だが。

 

 崩れない。

 

 最後に。

 

 カイドウが軽く手を押した。

 

 岩壁は。

 

 中央から左右へ分かれるように。

 

 ゆっくり倒れた。

 

 轟音は小さい。

 

 石片も飛ばない。

 

 天井も崩れない。

 

「……」

 

 全員が。

 

 開いた道を見る。

 

 次に。

 

 カイドウを見る。

 

「何だ」

 

「上手くできましたね!」

 

 ウェンディの顔が明るくなる。

 

「褒めるな」

 

「本当にすごいです!」

 

「壁を壊しただけだ」

 

「周りを壊さずにです!」

 

「子供扱いするな」

 

「カイドウさん、成長しました!」

 

「うるせェ!」

 

 怒鳴りかけ。

 

 腕の中からエルザへ移された少女を思い出す。

 

 声を抑える。

 

「……うるせェ」

 

「大声を我慢できましたね!」

 

「もう黙れ」

 

 エルザは。

 

 少しだけ口元を緩めた。

 

 だが。

 

 すぐに。

 

 開かれた道の先へ視線を向ける。

 

 暗い通路。

 

 奥。

 

 微かな灯り。

 

 そして。

 

 人の気配。

 

「行くぞ」

 

 エルザの声に。

 

 いつもの力強さが戻る。

 

 だが。

 

 剣を握る手は。

 

 僅かに震えていた。

 

          ◇◇◇

 

 通路の先。

 

 小さな地下牢があった。

 

 鉄格子。

 

 古びた寝台。

 

 壊れた水差し。

 

 床には。

 

 一人の男が横たわっている。

 

 青い髪。

 

 額の右側へ刻まれた赤い紋様。

 

 痩せた体。

 

 傷だらけの衣服。

 

 その姿を見た瞬間。

 

 エルザの足が止まった。

 

「……」

 

 剣を持つ手が下がる。

 

 瞳が見開かれる。

 

 唇が震える。

 

「ジェラール」

 

 その名が。

 

 声になった。

 

 男は動かない。

 

 目を閉じている。

 

 呼吸はある。

 

 だが。

 

 弱い。

 

「ジェラール!」

 

 エルザは駆け出した。

 

 鉄格子へ手をかける。

 

 鍵がかかっている。

 

 剣を振り上げる。

 

「待て」

 

 カイドウが肩を掴んだ。

 

「離せ!」

 

「中に罠がある」

 

「それでも!」

 

「お前が入って捕まったら、誰がこいつを助ける」

 

 エルザの動きが止まる。

 

 カイドウの声は。

 

 冷静だった。

 

「ウェンディ」

 

「はい」

 

「中の魔力は」

 

 ウェンディは目を閉じる。

 

 牢の中。

 

 青い髪の男。

 

 周囲。

 

 床。

 

 鉄格子。

 

「男の人以外に、大きな魔力はありません」

 

「小さいものは?」

 

「鉄格子に、呪いがかかっています」

 

「触れた奴を攻撃するか」

 

「たぶん」

 

 エルザは。

 

 自分の手を見る。

 

 先ほど。

 

 鉄格子へ触れた。

 

「エルザさん!」

 

 ウェンディが駆け寄る。

 

 エルザの右手。

 

 手首から。

 

 黒い紋様が浮かび始めていた。

 

「離れてください!」

 

 サクラが浄化の光を向ける。

 

 白い羽根。

 

 黒い紋様が。

 

 手首から先へ広がる前に焼かれ。

 

 煙となって消える。

 

「大丈夫ですか?」

 

 ウェンディがエルザの手を取る。

 

「痛みは?」

 

「少し痺れるだけだ」

 

「治療します」

 

「すまない」

 

 エルザは。

 

 珍しく。

 

 素直に手を預けた。

 

 視線は。

 

 牢の中の男へ向いたまま。

 

「心配なのですね」

 

 サクラが言う。

 

「……ああ」

 

 エルザは否定しなかった。

 

「生きていると、思っていなかった」

 

 楽園の塔。

 

 最後に見た姿。

 

 大きな魔力。

 

 崩壊。

 

 光。

 

 その後。

 

 何も分からなくなった。

 

「生きているなら」

 

 エルザの声が震える。

 

「なぜ、こんな場所に」

 

「六魔将軍が利用したのでしょう」

 

 サクラが鉄格子を調べる。

 

「記憶や魔力を封じ、何らかの目的に」

 

「ジェラールを?」

 

 エルザの顔が険しくなる。

 

「何のために」

 

 答えは。

 

 まだない。

 

 カイドウは鉄格子の前へ立った。

 

「どけ」

 

「カイドウ」

 

 サクラが止める。

 

「また魔法が仕掛けられています」

 

「触らなければいい」

 

「どうするのです?」

 

 カイドウは。

 

 鉄格子の外側。

 

 石壁へ手をかけた。

 

「牢ごと開ける」

 

「待って!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「中のジェラールさんまで崩れます!」

 

「壁だけ外す」

 

「さっき上手くできたからって、すぐ試さないでください!」

 

「できる」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

 エルザが。

 

 カイドウを見る。

 

「頼む」

 

 ウェンディの目が大きくなる。

 

 エルザが。

 

 他人へ。

 

 助けを求めた。

 

「ジェラールを傷つけないように」

 

「ああ」

 

「絶対にだ」

 

「分かってる」

 

 カイドウは。

 

 鉄格子の左右の石壁へ。

 

 両手を置いた。

 

 力を入れる。

 

 壁が軋む。

 

 だが。

 

 牢の内部へ崩れないよう。

 

 外側へ。

 

 手前へ。

 

 ゆっくりと引く。

 

「もう少し右です!」

 

 ウェンディが指示する。

 

「分かってる」

 

「上の石も落ちそうです!」

 

「見えてる」

 

「ジェラールさんの頭の上!」

 

「落とさねェ」

 

「ゆっくり!」

 

「しつこい!」

 

「カイドウさんだからです!」

 

 最後に。

 

 鉄格子を支えていた壁が。

 

 大きな一枚の石板のように。

 

 手前へ外れた。

 

 牢の入口が開く。

 

 中の男は。

 

 無傷。

 

 エルザが。

 

 すぐに駆け込んだ。

 

「ジェラール!」

 

 膝をつく。

 

 青い髪の男の肩を抱き起こす。

 

 顔。

 

 呼吸。

 

 鼓動。

 

 確かに。

 

 生きている。

 

「ジェラール」

 

 エルザの声が。

 

 今まで聞いたことがないほど。

 

 優しく。

 

 弱かった。

 

「目を開けてくれ」

 

 男の瞼が。

 

 僅かに動く。

 

「ジェラール!」

 

 ゆっくり。

 

 目が開く。

 

 濃い緑色の瞳。

 

 焦点が合わない。

 

 男は。

 

 目の前にいるエルザを見る。

 

「……」

 

「私が分かるか?」

 

 エルザが尋ねる。

 

「エルザだ」

 

「……エルザ」

 

 男の唇が動く。

 

 エルザの顔が。

 

 僅かに明るくなる。

 

「そうだ」

 

「俺は……」

 

 男は頭を押さえた。

 

「俺は……誰だ?」

 

 エルザの表情が固まった。

 

「何を」

 

「ここは、どこだ」

 

「ジェラール?」

 

「その名前が」

 

 男――ジェラールは。

 

 苦しそうに眉を寄せる。

 

「俺の名前なのか?」

 

「……」

 

「君は、誰だ」

 

 エルザの瞳が揺れた。

 

 先ほどよりも。

 

 遥かに深く。

 

「私を」

 

 声がかすれる。

 

「覚えていないのか?」

 

 ジェラールは。

 

 エルザを見る。

 

 赤い髪。

 

 鎧。

 

 剣。

 

 心配そうな瞳。

 

「すまない」

 

 一人称は、確かに俺。

 

 声も。

 

 顔も。

 

 ジェラール本人。

 

 だが。

 

 その目に。

 

 かつての記憶はなかった。

 

「何も、思い出せない」

 

 エルザの手が。

 

 ジェラールの肩を強く掴む。

 

「無理に思い出さなくていいです!」

 

 ウェンディが近づいた。

 

「頭へ、強い魔法の痕跡があります」

 

「記憶を封じられているのか?」

 

「たぶん」

 

 ウェンディは、ジェラールの額へ手をかざす。

 

 赤い紋様。

 

 その奥。

 

 乱れた魔力。

 

 傷ついた記憶の流れ。

 

「治せるか?」

 

 エルザが尋ねる。

 

「今すぐ全部は無理です」

 

「……」

 

「でも、体の傷と魔力の乱れは治せます」

 

「頼む」

 

「はい」

 

 ウェンディの風が。

 

 ジェラールを包む。

 

 ジェラールは。

 

 治療を受けながら。

 

 ウェンディを見る。

 

「君は?」

 

「ウェンディです」

 

「俺を知っているのか?」

 

「名前だけです」

 

 ウェンディはエルザを見る。

 

「エルザさんが、知っています」

 

 ジェラールの目が。

 

 エルザへ向く。

 

「君は」

 

「エルザ・スカーレットだ」

 

「俺と、どんな関係なんだ?」

 

 エルザは。

 

 答えられなかった。

 

 幼なじみ。

 

 仲間。

 

 憧れ。

 

 裏切った者。

 

 許せない者。

 

 忘れられない者。

 

 救いたかった者。

 

 何と呼べばいいのか。

 

 分からない。

 

「昔」

 

 ようやく。

 

 エルザは口を開いた。

 

「同じ場所で生きていた」

 

「同じ場所?」

 

「ああ」

 

「俺は、君へ何をした」

 

 エルザの呼吸が止まる。

 

 ジェラールは。

 

 何も覚えていない。

 

 それでも。

 

 エルザの顔を見て。

 

 感じ取ったのだろう。

 

「俺を見る君の目は」

 

 ジェラールが言う。

 

「心配しているだけじゃない」

 

「……」

 

「俺は、君を傷つけたのか?」

 

 エルザの唇が震えた。

 

「今は」

 

 すぐに答えたのは。

 

 カイドウだった。

 

「それを聞く時じゃねェ」

 

 ジェラールがカイドウを見る。

 

 巨大な男。

 

 角。

 

 鱗。

 

 鋭い目。

 

「あなたは?」

 

「百獣のカイドウだ」

 

「俺の仲間か?」

 

「違う」

 

「敵か?」

 

「今は違う」

 

「分からないな」

 

「おれも分からん」

 

 カイドウは腕を組む。

 

「お前が誰で、何をしたかは知らねェ」

 

「……」

 

「だが、弱ってる時に昔の罪を聞いても、何も変わらん」

 

 エルザがカイドウを見る。

 

「思い出してから」

 

 カイドウは続ける。

 

「謝るなり、殴られるなりしろ」

 

「カイドウさん!」

 

 ウェンディが注意する。

 

「殴られることを前提にしないでください!」

 

「傷つけたんだろ」

 

「事情があります!」

 

「なら、聞くのは後だ」

 

 ジェラールは。

 

 カイドウの言葉を聞き。

 

 僅かに目を伏せた。

 

「俺は」

 

 自分の手を見る。

 

「罪を犯したのか」

 

「分からん」

 

「でも」

 

「今のお前は、何も覚えてねェ」

 

「……」

 

「なら、今から何をするかを決めろ」

 

 カイドウの言葉に。

 

 エルザの目が僅かに見開かれる。

 

 過去ではなく。

 

 今。

 

 自分も。

 

 ウェンディとの日々の中で。

 

 それを学び始めた。

 

「カイドウさん」

 

 ウェンディが小さく笑う。

 

「何だ」

 

「いいことを言いました」

 

「普通だ」

 

「本当に成長していますね」

 

「褒めるな」

 

 ジェラールは。

 

 ウェンディを見る。

 

 カイドウを見る。

 

 最後に。

 

 エルザを見る。

 

「エルザ」

 

 名前を呼ぶ。

 

 エルザの肩が僅かに揺れた。

 

「何だ」

 

「俺が、君を傷つけたなら」

 

「今は言わなくていい」

 

「でも」

 

「まず、生きろ」

 

 エルザの声は。

 

 強かった。

 

 だが。

 

 目には。

 

 はっきりと心配が浮かんでいた。

 

「記憶を取り戻すのは、その後でいい」

 

「……」

 

「私は」

 

 エルザは一度、言葉を止める。

 

「お前が生きていたことを、今は喜びたい」

 

 ジェラールの瞳が。

 

 僅かに揺れた。

 

「俺を」

 

「心配している」

 

 エルザは、正直に答えた。

 

「ああ」

 

「どうして?」

 

「分からないなら、今は分からなくていい」

 

「……」

 

「私が分かっていれば、それでいい」

 

 ジェラールは。

 

 エルザの顔を見つめた。

 

 記憶はない。

 

 名前を呼ばれても。

 

 何も思い出せない。

 

 それでも。

 

 胸の奥に。

 

 説明できない痛みが生まれた。

 

「赤い髪」

 

 ジェラールが呟く。

 

「何だ?」

 

「懐かしい気がする」

 

 エルザの目から。

 

 一粒だけ。

 

 涙がこぼれた。

 

 すぐに拭う。

 

 誰にも見られないように。

 

 だが。

 

 カイドウは見ていた。

 

 ウェンディも。

 

 シャルルも。

 

 見ていた。

 

「エルザさん」

 

「何でもない」

 

「でも」

 

「今は治療が先だ」

 

 エルザは立ち上がろうとする。

 

 その袖を。

 

 ジェラールが弱く掴んだ。

 

「行かないでくれ」

 

 エルザの動きが止まる。

 

「俺は」

 

 ジェラールの声が震える。

 

「何も分からない」

 

「……」

 

「この場所も、自分の名前も」

 

「……」

 

「でも」

 

 エルザの袖を掴む手へ。

 

 少し力が入る。

 

「君が離れると、怖い」

 

 エルザは。

 

 何も言えなかった。

 

 ただ。

 

 ゆっくりと。

 

 ジェラールの手へ自分の手を重ねた。

 

「離れない」

 

 静かに答える。

 

「今は」

 

 その言葉に。

 

 ジェラールは目を閉じた。

 

 安心したように。

 

          ◇◇◇

 

 銀髪の少女とジェラール。

 

 二人を救出した調査班は。

 

 地上へ戻る準備を進めていた。

 

 ジェラールは、まだ自分で歩けない。

 

 ウェンディの治療によって状態は安定したものの。

 

 魔力はほとんど残っていない。

 

「俺は歩ける」

 

 ジェラールは立ち上がろうとする。

 

 足が震える。

 

 すぐに体勢を崩す。

 

 エルザが支える。

 

「無理をするな」

 

「でも」

 

「今のお前は、歩けない」

 

「迷惑をかける」

 

「それを心配する必要はない」

 

 エルザは。

 

 ジェラールの腕を自分の肩へ回す。

 

「私が運ぶ」

 

「君が?」

 

「嫌か?」

 

「そうじゃない」

 

 ジェラールは困ったように言う。

 

「俺は、重い」

 

「鍛えている」

 

 エルザは。

 

 ジェラールを背負おうとする。

 

 その時。

 

 巨大な手が伸びた。

 

 カイドウが。

 

 ジェラールの襟首を掴む。

 

「うわっ」

 

 そのまま持ち上げた。

 

「カイドウ!」

 

 エルザが怒鳴る。

 

「何をする!」

 

「お前は少女を持て」

 

 カイドウは、銀髪の少女を指差す。

 

「こいつは、おれが持つ」

 

「持ち方が雑だ!」

 

「落とさねェ」

 

「首が締まっている!」

 

 ジェラールが苦しそうに声を出す。

 

「俺は……荷物じゃない……」

 

「喋れるなら問題ねェ」

 

「問題です!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「ちゃんと抱えてください!」

 

「男だぞ」

 

「怪我人です!」

 

「男を抱える趣味はねェ」

 

「肩へ担いでください!」

 

「それならいい」

 

 カイドウは。

 

 ジェラールを肩へ担いだ。

 

 米袋のように。

 

「……」

 

 ジェラールの顔が。

 

 カイドウの背中側へ垂れる。

 

「これは」

 

 ジェラールが呟く。

 

「本当に正しい運び方なのか?」

 

「落ちねェ」

 

「血が頭へ集まる」

 

「我慢しろ」

 

「カイドウさん!」

 

 ウェンディが叱る。

 

「向きを変えてください!」

 

「面倒だ」

 

「その言葉は禁止です!」

 

 カイドウは渋々。

 

 ジェラールの上半身が前へ来るように担ぎ直した。

 

 ジェラールは。

 

 カイドウの肩の上からエルザを見る。

 

「君が背負ってくれた方が、安心できた」

 

 エルザの顔が僅かに赤くなる。

 

 カイドウの眉が動く。

 

「お前」

 

「何だ」

 

「赤髪の女へ甘えるな」

 

「なぜ?」

 

「知らん」

 

「カイドウさん」

 

 ウェンディが呆れる。

 

「今度はエルザさんまで守るんですか?」

 

「違ェ」

 

「でも、ジェラールさんを警戒しています」

 

「こいつが怪しい」

 

「記憶を失っています!」

 

「男だ」

 

「また、それですか!」

 

 エルザは。

 

 少しだけ笑った。

 

 ジェラールは、その笑顔を見る。

 

「エルザ」

 

「何だ?」

 

「笑うんだな」

 

「私だって笑う」

 

「綺麗だ」

 

 地下遺跡が。

 

 一瞬。

 

 静かになった。

 

 エルザの顔が。

 

 耳まで赤くなる。

 

「な、何を」

 

「感じたことを言っただけだ」

 

 記憶がない。

 

 だからこそ。

 

 過去の罪も。

 

 複雑な関係も。

 

 何も知らず。

 

 素直に言葉を口にする。

 

 カイドウの目が鋭くなる。

 

「おい」

 

「何だ?」

 

「赤髪へ近づくな」

 

「今、あなたが俺を担いでいる」

 

「口も閉じろ」

 

「なぜ?」

 

「気に入らん」

 

「カイドウさん!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「ジェラールさんは怪我人です!」

 

「怪我人なら、余計なことを言うな」

 

「褒めただけでしょう!」

 

「男は、そういうところから始まる」

 

「何がですか!?」

 

「お前は知らなくていい」

 

「また、それですか!」

 

 サクラは。

 

 額へ手を当てる。

 

「カイドウ」

 

「何だ」

 

「あなたはウェンディさんだけでなく、エルザまで監視するつもりですか?」

 

「こいつは強い」

 

「なら守る必要はないでしょう」

 

「男を見る目が怪しい」

 

「誰のことだ!」

 

 エルザが怒鳴る。

 

 ジェラールは。

 

 カイドウの肩の上で。

 

 少しだけ笑った。

 

「賑やかな人たちだ」

 

「あなたが言わないでください!」

 

 ウェンディの声が。

 

 地下通路へ響いた。

 

          ◇◇◇

 

 地上へ戻る直前。

 

 銀髪の少女が。

 

 突然、足を止めた。

 

 エルザに支えられながら。

 

 背後を振り返る。

 

「どうしました?」

 

 ウェンディが尋ねる。

 

「何か」

 

 少女の顔が青ざめる。

 

「来る」

 

 地下遺跡の奥。

 

 先ほどまで静かだった闇。

 

 そこから。

 

 ゆっくりと。

 

 魔力が近づいてくる。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 強い。

 

 先ほどの闇ギルドの配下とは違う。

 

 明確な圧力。

 

「六魔将軍か」

 

 サクラの翼が広がる。

 

「全員、急いで地上へ!」

 

「逃げるのか」

 

 カイドウの口元が上がる。

 

「カイドウ」

 

 サクラが睨む。

 

「怪我人が二人います」

 

「おれが止める」

 

「単独戦闘は禁止です」

 

「なら、お前らは先に行け」

 

「指示に従ってください」

 

「目の前に敵が来る」

 

「撤退が優先です!」

 

 カイドウは。

 

 ウェンディを見る。

 

 銀髪の少女。

 

 ジェラール。

 

 二人とも。

 

 弱っている。

 

 ウェンディも魔力を消耗している。

 

「……分かった」

 

 カイドウが答える。

 

 サクラの目が大きくなる。

 

「従うのですか?」

 

「怪我人がいる」

 

「カイドウさん」

 

 ウェンディが嬉しそうに言う。

 

「本当に成長しています!」

 

「今は褒めるな」

 

「でも」

 

「走れ」

 

「はい!」

 

 調査班は。

 

 急いで地上へ向かう。

 

 背後。

 

 闇の中。

 

 誰かの声が聞こえた。

 

「ジェラール」

 

 その名。

 

 カイドウの肩の上で。

 

 ジェラールの体が震えた。

 

「俺を」

 

 頭を押さえる。

 

「知っている?」

 

「止まるな!」

 

 エルザが叫ぶ。

 

「今は進め!」

 

「でも」

 

「私を信じろ!」

 

 エルザの声に。

 

 ジェラールは顔を上げる。

 

「……ああ」

 

「誰であろうと」

 

 エルザは後ろを振り返らない。

 

「お前を、また利用させはしない」

 

 ジェラールの瞳が揺れる。

 

 記憶はない。

 

 何も分からない。

 

 それでも。

 

 エルザの言葉だけは。

 

 信じたいと思った。

 

 地下遺跡の奥から。

 

 笑い声が響く。

 

「記憶を失った人形」

 

「誰だ!」

 

 エルザが叫ぶ。

 

「お前は、まだ役目を終えていない」

 

 青い炎が。

 

 一斉に消えた。

 

 暗闇。

 

 その中で。

 

 複数の赤い瞳が開く。

 

 だが。

 

 調査班は止まらない。

 

 地上へ。

 

 仲間のいる場所へ。

 

 ジェラールと謎の少女を守りながら。

 

 走り続ける。

 

 そして。

 

 最後尾。

 

 カイドウは。

 

 肩にジェラールを担いだまま。

 

 暗闇を振り返った。

 

「人形だと?」

 

 黄金色の瞳が。

 

 闇を睨む。

 

「こいつは、今から自分で決める」

 

 低い声。

 

「次に触ったら」

 

 黒い稲妻が。

 

 カイドウの周囲へ走る。

 

「お前らごと、この遺跡を地上へ引きずり出す」

 

 暗闇の笑い声が。

 

 僅かに止まった。

 

 カイドウは。

 

 それ以上、追わない。

 

 ウェンディとの約束。

 

 サクラの命令。

 

 怪我人。

 

 すべてを守り。

 

 前へ進む。

 

 地下遺跡の出口から。

 

 日の光が見えてきた。

 

 銀髪の謎の少女。

 

 そして。

 

 記憶を失った青い髪の魔導士、ジェラール。

 

 二人の出現は。

 

 六魔将軍とニルヴァーナの謎を。

 

 さらに深いものへ変えていく。

 

 なぜ。

 

 六魔将軍はジェラールを捕らえていたのか。

 

 謎の少女は、誰を探していたのか。

 

 なぜ。

 

 ジェラールの姿を夢で見たのか。

 

 そして。

 

 記憶を失った彼が。

 

 エルザの赤い髪だけを懐かしいと感じた理由は。

 

 まだ。

 

 誰にも分からなかった。




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