『百獣のカイドウ、化猫の宿で居候になる 』   作:パスカルDX

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第17話 天空の少女、同じ顔の違う人を思い出す

第17話 天空の少女、同じ顔の違う人を思い出す

 

 

 地下遺跡の出口から差し込む光は、ひどく眩しかった。

 

 長い時間、青白い炎と湿った石壁に囲まれていたせいだろう。

 

 地上へ続く最後の階段を上がった瞬間、ウェンディは思わず目を細めた。

 

 木々の間から差し込む午後の陽光。

 

 葉を揺らす風。

 

 湿り気を含んだ土の匂い。

 

 遠くで鳴く鳥の声。

 

 先ほどまでいた地下遺跡とは、まるで別の世界のようだった。

 

「外です!」

 

 ウェンディは安堵の声を上げた。

 

「ようやく出られたわね」

 

 シャルルが肩の上で息を吐く。

 

 その後ろから、サクラ、エルザ、ジュラが続く。

 

 エルザは銀髪の少女を支え。

 

 カイドウは、記憶を失った青い髪の男――ジェラールを肩に担いでいた。

 

「カイドウさん」

 

「何だ」

 

「もう少し優しく運べませんか?」

 

「落としてねェ」

 

「落とさなければいいわけではありません!」

 

 ジェラールは、カイドウの肩の上で力なく揺れている。

 

 意識はある。

 

 だが、長期間拘束されていたことに加え、魔力も体力もほとんど残っていない。

 

「俺は……歩ける」

 

 ジェラールがかすれた声で言った。

 

「無理です」

 

 ウェンディは即座に否定した。

 

「足に力が入っていません」

 

「でも、この運ばれ方は……」

 

「何だ」

 

 カイドウが低く尋ねる。

 

「頭に血が集まる」

 

「さっき向きを直しただろ」

 

「胃が肩へ押しつけられている」

 

「我慢しろ」

 

「怪我人に我慢させないでください!」

 

 ウェンディが両手を腰へ当てる。

 

 カイドウは足を止めた。

 

 ジェラールを肩から下ろす。

 

「なら、お前が持て」

 

「私には無理です!」

 

「話が違う」

 

「普通に支えてください!」

 

 カイドウはジェラールを見る。

 

 次にエルザを見る。

 

「赤髪」

 

「エルザだ」

 

「お前が持つか」

 

「最初から、そのつもりだった」

 

 エルザは銀髪の少女をサクラへ預けると、ジェラールのそばへ歩み寄った。

 

「ジェラール」

 

「……エルザ」

 

「私の肩へ腕を回せ」

 

「重いぞ」

 

「問題ない」

 

 エルザは、ジェラールの腕を自分の肩へ回した。

 

 腰へ手を添え。

 

 慎重に支える。

 

 ジェラールは少し戸惑いながらも、エルザへ体重を預けた。

 

「すまない」

 

「謝る必要はない」

 

「でも」

 

「今は歩くことだけ考えろ」

 

 エルザの声は強い。

 

 けれど。

 

 その手は、普段の彼女からは想像できないほど丁寧だった。

 

 ジェラールの体が少し傾けば、すぐに抱き寄せる。

 

 足元の石に躓きそうになれば、歩幅を合わせる。

 

 額へ汗が浮かべば、心配そうに顔を覗き込む。

 

 エルザが。

 

 ジェラールを心配している。

 

 その気持ちは、誰の目にも明らかだった。

 

「エルザさん」

 

 ウェンディが近づく。

 

「別荘へ戻るまで、何度か休憩しましょう」

 

「ああ」

 

「ジェラールさんの体は、かなり弱っています」

 

「分かった」

 

「無理をさせないでくださいね」

 

「もちろんだ」

 

 ウェンディは頷いた。

 

 そして。

 

 ジェラールの顔を見る。

 

 青い髪。

 

 右目の周囲に刻まれた赤い紋様。

 

 整った顔立ち。

 

 記憶を失い。

 

 何も分からないという不安を抱えた瞳。

 

「……」

 

 ウェンディの胸の奥が。

 

 小さく痛んだ。

 

 似ている。

 

 あまりにも。

 

 同じだった。

 

 顔も。

 

 声も。

 

 雰囲気さえ。

 

 けれど。

 

 違う。

 

 ウェンディが知っているのは。

 

 ジェラールではない。

 

 同じ顔をした。

 

 別の人。

 

「ウェンディ?」

 

 シャルルの声。

 

 ウェンディは、はっとした。

 

「どうしたの?」

 

「な、何でもないよ」

 

「さっきから、ジェラールを見ているわ」

 

「治療したから、具合が心配で」

 

「そう?」

 

「うん」

 

 ウェンディは笑った。

 

 けれど。

 

 シャルルは、少しだけ目を細めた。

 

 ウェンディは嘘が得意ではない。

 

 顔に出る。

 

 声にも出る。

 

 何かを隠している時は。

 

 特に。

 

「ウェンディ」

 

 カイドウが呼ぶ。

 

「はい?」

 

「顔が妙だ」

 

「妙って何ですか!」

 

「何か隠してる」

 

「隠していません!」

 

 ウェンディの返事が早すぎた。

 

 カイドウの目が細くなる。

 

「怪しいな」

 

「怪しくありません!」

 

「ジェラールを知ってるのか」

 

 ウェンディの肩が僅かに跳ねた。

 

 ほんの少し。

 

 だが。

 

 カイドウは見逃さない。

 

「やはり知ってるな」

 

「し、知りません!」

 

「嘘だ」

 

「嘘じゃありません!」

 

「目が泳いでる」

 

「泳いでません!」

 

「声も上ずってる」

 

「元からです!」

 

「元からではないわ」

 

 シャルルが冷静に言った。

 

「シャルル!」

 

「隠し事をしているでしょう」

 

「してないよ!」

 

「ウェンディ」

 

 カイドウが一歩近づく。

 

「正直に言え」

 

「本当に、ジェラールさんは知りません!」

 

 その言葉だけは。

 

 嘘ではなかった。

 

 ウェンディは。

 

 ジェラール本人を知らない。

 

 初めて会った。

 

 過去に何をしたのかも。

 

 なぜエルザが、これほどまで心配しているのかも。

 

 何も知らない。

 

 ただ。

 

 その顔を。

 

 その声を。

 

 知っているだけだ。

 

「……」

 

 カイドウは、ウェンディをじっと見た。

 

 完全に納得していない。

 

 だが。

 

 ウェンディの言葉に。

 

 真実が含まれていることも感じたのだろう。

 

「なら、何を知ってる」

 

「何も」

 

「ウェンディ」

 

 エルザの声がした。

 

 ウェンディは振り返る。

 

 ジェラールを支えたエルザが、真剣な目でこちらを見ていた。

 

「お前は」

 

 一度。

 

 言葉を選ぶように間を置く。

 

「この男の顔を見たことがあるのか?」

 

 ウェンディの呼吸が止まった。

 

 エルザの問いは。

 

 正確だった。

 

 ジェラールを知っているかではない。

 

 この顔を見たことがあるか。

 

「……」

 

 ウェンディは。

 

 答えられなかった。

 

 沈黙。

 

 森の風が。

 

 水色の髪を揺らす。

 

「ウェンディ」

 

 シャルルが心配そうに呼ぶ。

 

「どういうことなの?」

 

 ウェンディは。

 

 俯いた。

 

 言うべきなのか。

 

 黙っているべきなのか。

 

 分からない。

 

 ミストガン。

 

 かつて。

 

 幼い自分を助けてくれた人。

 

 森の中を歩き。

 

 守り。

 

 自分のそばにいてくれた人。

 

 あの人は。

 

 ジェラールと同じ顔をしていた。

 

 だが。

 

 ジェラールではない。

 

 ミストガンは。

 

 もっと静かで。

 

 いつも口元を布で隠し。

 

 杖を持ち。

 

 深い眠りの魔法を使い。

 

 誰にも素顔を見せようとしなかった。

 

 それでも。

 

 ウェンディには。

 

 一度だけ。

 

 その顔を見せてくれた。

 

「話したくないなら、無理にとは言わない」

 

 エルザが言った。

 

 声は優しい。

 

「だが」

 

 ジェラールへ視線を向ける。

 

「この男の記憶に関係するなら、知りたい」

 

「……」

 

「ジェラールが何者なのか」

 

 エルザの手が。

 

 彼を支える腕へ少し力を込める。

 

「私も、分からなくなっている」

 

 楽園の塔で見たジェラール。

 

 自分たちを支配し。

 

 仲間を利用し。

 

 塔を完成させようとした男。

 

 だが。

 

 今、目の前にいるジェラールは。

 

 記憶を失い。

 

 不安に怯え。

 

 エルザが離れることを怖がっている。

 

 本当に同じ人物なのか。

 

 もし。

 

 ウェンディが。

 

 同じ顔をした別の人物を知っているなら。

 

 何かが分かるかもしれない。

 

「ウェンディさん」

 

 サクラも静かに言う。

 

「あなたが知っていることを、話していただけませんか?」

 

「……」

 

「責めるつもりはありません」

 

「そうじゃないんです」

 

 ウェンディは小さく答えた。

 

「言いたくないんじゃなくて」

 

「では?」

 

「私も、混乱していて」

 

 ウェンディは。

 

 ゆっくり顔を上げた。

 

 ジェラールを見る。

 

 同じ顔。

 

 だが。

 

 違う人。

 

「ジェラールさんのことは、知りません」

 

 はっきり言う。

 

「今日、初めて会いました」

 

「なら」

 

「でも」

 

 ウェンディは続けた。

 

「同じ顔の人を、知っています」

 

 全員の表情が変わった。

 

「同じ顔?」

 

 エルザが聞き返す。

 

「はい」

 

「双子か?」

 

 カイドウが言う。

 

「分かりません」

 

「名前は?」

 

 ウェンディは。

 

 その名を口にする。

 

「ミストガン」

 

 森の中へ。

 

 静かに。

 

 名前が落ちた。

 

「ミストガン?」

 

 エルザの顔が驚きへ変わる。

 

「妖精の尻尾の?」

 

 サクラも反応する。

 

「知っているんですか?」

 

 ウェンディが尋ねる。

 

「知っています」

 

 サクラは頷いた。

 

「妖精の尻尾所属のS級魔導士。ギルドへ姿を見せる時は、ほかの者を眠らせ、誰にも素顔を見せません」

 

「やっぱり」

 

 ウェンディが呟く。

 

「ウェンディ」

 

 エルザの目が鋭くなる。

 

「お前は、ミストガンの素顔を見たのか?」

 

「はい」

 

「その顔が」

 

 エルザはジェラールを見る。

 

「ジェラールと同じだと?」

 

「はい」

 

 エルザは。

 

 言葉を失った。

 

 ジェラール本人も。

 

 自分と同じ顔を持つ男の話を、困惑した様子で聞いている。

 

「俺と」

 

 ジェラールは自分の頬へ触れた。

 

「同じ顔の男がいる?」

 

「はい」

 

「名前はミストガン」

 

「そうです」

 

「俺の兄弟か?」

 

「分かりません」

 

「俺は、その男を知っているのか?」

 

「それも」

 

 ウェンディは首を横へ振る。

 

「私には分かりません」

 

 ジェラールは、目を伏せた。

 

 自分が誰かも分からない。

 

 そこへ。

 

 同じ顔をした別の男の存在。

 

 混乱は、さらに深くなる。

 

「そのミストガンという男は」

 

 カイドウが尋ねる。

 

「お前と、どういう関係だ」

 

「私を助けてくれた人です」

 

 カイドウの目が僅かに鋭くなる。

 

「助けた?」

 

「はい」

 

「いつだ」

 

「小さい頃です」

 

 ウェンディは。

 

 ゆっくりと記憶を辿る。

 

          ◇◇◇

 

 それは。

 

 ウェンディが、今よりもずっと幼かった頃。

 

 森。

 

 見知らぬ土地。

 

 独り。

 

 どうして、そこにいたのか。

 

 すべてをはっきり覚えているわけではない。

 

 ただ。

 

 寂しかった。

 

 怖かった。

 

 助けを求めても。

 

 誰も来なかった。

 

 そんな時。

 

 一人の魔導士が現れた。

 

 長い外套。

 

 顔を隠す布。

 

 背中には複数の杖。

 

 静かな声。

 

『大丈夫か』

 

 ウェンディは。

 

 最初。

 

 その男を怖がった。

 

 顔が見えない。

 

 何を考えているか分からない。

 

 けれど。

 

 男は。

 

 無理に近づかなかった。

 

 食べ物を置き。

 

 水を渡し。

 

 少し離れた場所へ座った。

 

『俺は、ミストガンだ』

 

 一人称は、俺。

 

 声は。

 

 今、目の前にいるジェラールとよく似ていた。

 

 だが。

 

 もっと静かで。

 

 どこか悲しそうだった。

 

『お前を、安全な場所まで送る』

 

 ミストガンは。

 

 ウェンディと共に旅をした。

 

 魔物が現れれば。

 

 杖を使って眠らせた。

 

 雨が降れば。

 

 外套を貸してくれた。

 

 ウェンディが歩けなくなれば。

 

 何も言わず、背負った。

 

『重くない?』

 

『軽すぎる』

 

『私、ちゃんと食べてるよ』

 

『もっと食べろ』

 

 今。

 

 カイドウが言うことと。

 

 少し似ている。

 

 けれど。

 

 ミストガンは。

 

 カイドウほど大声を出さない。

 

 酒も飲まない。

 

 物も壊さない。

 

「そこは大きく違いますね」

 

 サクラが言った。

 

「おい」

 

 カイドウが睨む。

 

「事実です」

 

「話の途中だぞ!」

 

 ウェンディが注意する。

 

「静かに聞いてください!」

 

「分かってる」

 

 ウェンディは。

 

 話を続けた。

 

 旅の途中。

 

 ある夜。

 

 ミストガンは。

 

 焚き火のそばで。

 

 顔を覆っていた布を外した。

 

 傷の手当てをするためだった。

 

 その時。

 

 ウェンディは。

 

 初めて彼の素顔を見た。

 

 青い髪。

 

 右目の周囲にある赤い紋様。

 

 整った顔。

 

「ジェラールさんと」

 

 ウェンディは目の前の男を見る。

 

「同じでした」

 

「完全に?」

 

 エルザが尋ねる。

 

「はい」

 

「見間違いではなく?」

 

「ありません」

 

「声も?」

 

「よく似ています」

 

「魔力は?」

 

 サクラの問い。

 

 ウェンディは少し考える。

 

「違います」

 

「違う?」

 

「はい」

 

 ジェラールから感じる魔力。

 

 今は弱っている。

 

 だが。

 

 その奥にある力は。

 

 星。

 

 天体。

 

 空間。

 

 重く、鋭い魔力。

 

 ミストガンの魔力は。

 

 もっと複雑だった。

 

 魔力そのものというより。

 

 複数の杖と。

 

 魔法陣と。

 

 異なる性質の術式を組み合わせていた。

 

「それから」

 

 ウェンディは続ける。

 

「匂いも違います」

 

「匂い?」

 

 ジェラールが聞き返す。

 

「滅竜魔導士は、匂いをよく覚えます」

 

「俺と、その男は違う匂いなのか」

 

「はい」

 

「なら」

 

 ジェラールは。

 

 少しだけ安堵したように息を吐いた。

 

「少なくとも、俺自身がミストガンではない」

 

「そうだと思います」

 

 エルザは。

 

 まだ混乱した顔をしていた。

 

「なぜ、同じ顔なんだ」

 

「分かりません」

 

「双子?」

 

 ウェンディが尋ね返す。

 

「ジェラールに兄弟がいたという話は、聞いたことがない」

 

 エルザは答えた。

 

「私が知らなかっただけかもしれないが」

 

「ミストガンは」

 

 サクラが考え込む。

 

「妖精の尻尾でも、ほとんど素性を明かしていません」

 

「マカロフさんは知っているのでは?」

 

「可能性はあります」

 

「では」

 

 エルザの表情が引き締まる。

 

「別荘へ戻ったら、妖精の尻尾へ通信を」

 

「そうしましょう」

 

 サクラは頷いた。

 

 カイドウは。

 

 ウェンディを見ていた。

 

「それで」

 

「はい?」

 

「そのミストガンという男は、どこへ行った」

 

 ウェンディの表情が曇る。

 

「途中で、いなくなりました」

 

「いなくなった?」

 

「はい」

 

「お前を助けたと言っただろ」

 

「化猫の宿へ近い場所まで送ってくれました」

 

「最後まで送ってねェのか」

 

「事情があったんです」

 

「何のだ」

 

「分かりません」

 

「勝手に消えたのか」

 

「カイドウさん」

 

 ウェンディは少し困った顔をした。

 

「ミストガンさんを悪く言わないでください」

 

「お前を置いて消えた」

 

「でも」

 

「ガキを一人にした」

 

「私を助けてくれました!」

 

 ウェンディの声が強くなる。

 

 カイドウは黙った。

 

「ミストガンさんがいなかったら」

 

 ウェンディは胸元で手を握る。

 

「私は、もっと早く倒れていたかもしれません」

 

「……」

 

「魔物にも襲われていたかもしれない」

 

「……」

 

「食べ物も、水も、何もありませんでした」

 

 ウェンディの瞳が。

 

 遠い過去を見ている。

 

「助けてくれたんです」

 

 カイドウは。

 

 その顔を見た。

 

 感謝。

 

 寂しさ。

 

 少しの痛み。

 

 ウェンディにとって。

 

 ミストガンは。

 

 大切な人だ。

 

「なぜ、今まで言わなかった」

 

 シャルルが尋ねた。

 

 責める声ではない。

 

 少し寂しそうだった。

 

「私にも」

 

「ごめんね、シャルル」

 

「私たちは、ずっと一緒だったでしょう」

 

「うん」

 

「話してくれてもよかった」

 

「そうだね」

 

 ウェンディは俯く。

 

「でも」

 

「でも?」

 

「ミストガンさんは、誰にも素顔を知られたくなさそうだったから」

 

 あの夜。

 

 素顔を見られたミストガンは。

 

 ウェンディへ言った。

 

『この顔のことは、誰にも話すな』

 

『どうして?』

 

『お前を危険へ巻き込む』

 

 幼いウェンディには。

 

 意味が分からなかった。

 

 それでも。

 

 約束した。

 

『分かった』

 

 だから。

 

 今まで。

 

 シャルルにも。

 

 ローバウルにも。

 

 話していなかった。

 

「約束だったんです」

 

 ウェンディが言う。

 

「誰にも言わないって」

 

「今は言ったぞ」

 

 カイドウが指摘する。

 

「ジェラールさんが現れたからです」

 

「約束を破ったな」

 

「……はい」

 

「なら、あの男に怒られる」

 

「たぶん」

 

「怖いか」

 

「少し」

 

 ウェンディは苦笑した。

 

「でも」

 

 ジェラールを見る。

 

「エルザさんが心配しています」

 

 エルザの瞳が揺れる。

 

「ジェラールさんも、何も分からなくて困っています」

 

「……」

 

「だから」

 

 ウェンディは。

 

 まっすぐ言った。

 

「今は、話すべきだと思いました」

 

 カイドウは。

 

 少しだけ目を細める。

 

「なら、いい」

 

「え?」

 

「約束は、何でも守ればいいわけじゃねェ」

 

「カイドウさんが言うんですか?」

 

 シャルルが呆れる。

 

「おれは必要な約束は守る」

 

「酒の量を何度ごまかしました?」

 

「細けェことは忘れた」

 

「都合の悪いことだけですね!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

 重かった空気が。

 

 少しだけ和らいだ。

 

          ◇◇◇

 

 調査班は。

 

 その場で短い休憩を取ることにした。

 

 ジェラールと銀髪の少女。

 

 二人とも。

 

 今すぐ長距離を移動できる状態ではない。

 

 大きな木の下。

 

 ジュラが大地魔法で平らな場所を作り。

 

 サクラが光の結界を張る。

 

 ウェンディは、ジェラールの治療を続けていた。

 

「痛いところはありますか?」

 

「頭が重い」

 

「記憶を封じた魔法の影響だと思います」

 

「治るのか?」

 

「すぐには難しいです」

 

「そうか」

 

 ジェラールは目を閉じる。

 

「俺は」

 

 かすれた声。

 

「何も思い出さない方がいいのかもしれない」

 

 エルザの表情が変わる。

 

「なぜ、そう思う」

 

「君の顔を見れば分かる」

 

「……」

 

「俺の過去は、いいものではない」

 

「ジェラール」

 

「さっきの男も言っていた」

 

 ジェラールはカイドウを見る。

 

「俺は誰かを傷つけた」

 

「おれは、そうかもしれんと言っただけだ」

 

「エルザは否定しなかった」

 

 エルザは。

 

 ジェラールから目を逸らさなかった。

 

「否定できない」

 

「やはり」

 

「だが」

 

 エルザは続ける。

 

「記憶を取り戻さない方がいいとは思わない」

 

「なぜ?」

 

「罪があるなら、向き合う必要がある」

 

「俺にできるのか」

 

「一人では無理かもしれない」

 

「……」

 

「その時は」

 

 エルザは少しだけ言葉を詰まらせた。

 

「私がいる」

 

 ジェラールの瞳が。

 

 僅かに見開かれる。

 

「君が?」

 

「ああ」

 

「俺は、君を傷つけたんだろう」

 

「そうだ」

 

「それでも?」

 

「それでもだ」

 

 エルザの声は震えていない。

 

 強く。

 

 まっすぐだった。

 

「傷つけられたからこそ」

 

 赤い髪が風に揺れる。

 

「お前が、どうしてそうなったのかを知りたい」

 

「……」

 

「本当に、お前自身の意思だったのか」

 

 エルザは。

 

 過去のジェラールを思い出す。

 

 幼い頃。

 

 楽園の塔。

 

 仲間を励まし。

 

 自分たちを逃がそうとした少年。

 

 優しかった。

 

 強かった。

 

 誰よりも自由を望んでいた。

 

 そんな彼が。

 

 突然変わった。

 

 邪悪な何かへ取り憑かれたように。

 

 塔を支配し。

 

 人々を利用した。

 

「私は」

 

 エルザが言う。

 

「お前が、最初から悪人だったとは思えない」

 

「どうして、そう言える」

 

「昔のお前を知っているからだ」

 

 ジェラールは。

 

 エルザの目を見る。

 

「俺は」

 

 胸へ手を当てる。

 

「君を知っていたんだな」

 

「ああ」

 

「大切だった?」

 

 エルザの呼吸が止まる。

 

 ウェンディも。

 

 シャルルも。

 

 サクラも。

 

 少し離れたカイドウも。

 

 反応する。

 

「何を聞いてる」

 

 カイドウが低く言った。

 

「カイドウさん!」

 

「赤髪が困ってる」

 

「二人の話です!」

 

「男は、すぐそういうことを聞く」

 

「記憶がないんです!」

 

 ジェラールは、カイドウを見る。

 

「あなたは、俺がエルザへ近づくのが嫌なのか?」

 

「ああ」

 

「なぜ?」

 

「怪しい」

 

「記憶がないから?」

 

「男だからだ」

 

「それだけ?」

 

「ああ」

 

「カイドウさん!」

 

 ウェンディの声が響く。

 

「エルザさんのことまで心配しすぎです!」

 

「こいつは危なっかしい」

 

「誰がだ!」

 

 エルザが怒鳴る。

 

「お前だ」

 

「私は自分の身を守れる!」

 

「男を見る目は別だ」

 

「余計なお世話だ!」

 

 ジェラールは。

 

 少しだけ笑った。

 

「やはり、賑やかだ」

 

 エルザの顔が。

 

 僅かに赤くなる。

 

「笑うな」

 

「すまない」

 

「謝るな」

 

「どちらだ」

 

「今は笑っていろ」

 

 エルザは。

 

 少しだけ目を逸らす。

 

「生きているなら、それでいい」

 

 ジェラールは。

 

 その横顔を見つめた。

 

「俺にとって」

 

 静かな声。

 

「君は、大切だったのかもしれない」

 

 エルザの肩が揺れる。

 

「なぜ、そう思う」

 

「君を見ると」

 

 ジェラールは胸元へ手を当てる。

 

「ここが痛い」

 

 記憶はない。

 

 だが。

 

 感情だけが。

 

 奥底へ残っている。

 

「懐かしくて」

 

「……」

 

「申し訳なくて」

 

「……」

 

「離れたくない」

 

 エルザの瞳へ。

 

 再び涙が浮かんだ。

 

 今度は。

 

 隠さなかった。

 

「無理に思い出すな」

 

 エルザは。

 

 ジェラールの頬へ手を添えた。

 

「今は、それだけでいい」

 

 ジェラールは。

 

 その手へ。

 

 自分の手を重ねる。

 

「エルザ」

 

「ああ」

 

「俺は」

 

「何だ」

 

「君を信じる」

 

 エルザは。

 

 小さく。

 

 確かに微笑んだ。

 

「私もだ」

 

          ◇◇◇

 

 少し離れた場所。

 

 ウェンディは。

 

 二人を見つめていた。

 

「よかったね」

 

 小さく呟く。

 

「何が?」

 

 シャルルが尋ねる。

 

「ジェラールさん」

 

「まだ記憶は戻っていないわ」

 

「でも」

 

 ウェンディは笑う。

 

「一人じゃないから」

 

 シャルルは。

 

 エルザとジェラールを見る。

 

「そうね」

 

「ミストガンさんも」

 

 ウェンディは続けた。

 

「一人だったのかな」

 

「どうして?」

 

「いつも」

 

 ミストガンの背中。

 

 森を歩く姿。

 

 振り返らない。

 

 何かから逃げているような。

 

 何かを探しているような。

 

 そんな背中だった。

 

「寂しそうだったから」

 

「今も、妖精の尻尾にいるのでしょう?」

 

「分からない」

 

「マグノリアで会わなかったわね」

 

「うん」

 

 ミストガンは。

 

 妖精の尻尾へ戻っているのか。

 

 どこかを旅しているのか。

 

 ウェンディには分からない。

 

「会いたい?」

 

 シャルルが尋ねた。

 

 ウェンディは。

 

 すぐには答えなかった。

 

「会いたい」

 

 やがて。

 

 小さく答える。

 

「お礼を言いたい」

 

「昔、言わなかったの?」

 

「言ったよ」

 

「なら」

 

「もう一度」

 

 ウェンディは。

 

 手を胸へ当てる。

 

「今度は、ちゃんと」

 

 助けてくれて、ありがとう。

 

 化猫の宿へ来られた。

 

 シャルルと出会えた。

 

 仲間ができた。

 

 カイドウとも出会った。

 

 今。

 

 自分は。

 

 一人ではない。

 

「それから」

 

「それから?」

 

「どうして、ジェラールさんと同じ顔なのか聞きたい」

 

「それは、全員知りたいでしょうね」

 

「うん」

 

 その時。

 

 巨大な影がウェンディを覆った。

 

 カイドウだ。

 

「ミストガンに会うのか」

 

「いつか会えたら」

 

「おれも行く」

 

「どうしてですか?」

 

「確認する」

 

「何を?」

 

「お前を置いて消えた理由だ」

 

「だから、事情があったんです!」

 

「本人へ聞く」

 

「喧嘩しないでくださいね」

 

「向こうが喧嘩を売らなければな」

 

「絶対に売りません!」

 

「顔がジェラールと同じなら怪しい」

 

「顔だけで決めないでください!」

 

「男だ」

 

「またですか!」

 

 カイドウは腕を組む。

 

「お前を助けたことは認める」

 

「本当ですか?」

 

「ああ」

 

「では」

 

「だが」

 

 カイドウの目が鋭くなる。

 

「途中で置いていったことは認めん」

 

「カイドウさん」

 

「お前はガキだった」

 

「はい」

 

「一人にすれば危険だ」

 

「でも、化猫の宿の近くでした」

 

「それでもだ」

 

 カイドウの声には。

 

 本気の怒りがあった。

 

 ミストガンへではない。

 

 幼いウェンディが。

 

 一人にされたことへ。

 

「おれなら、最後まで送る」

 

「そうですね」

 

「宿へ入るまで見る」

 

「はい」

 

「中に怪しい男がいたら追い出す」

 

「それはしなくていいです」

 

「酒がなければ持ち込む」

 

「もっといりません!」

 

 ウェンディは。

 

 思わず笑った。

 

「何だ」

 

「カイドウさんらしいなと思って」

 

「おれは普通だ」

 

「普通ではありません」

 

「何がだ」

 

「全部です」

 

 シャルルが答える。

 

「白狸」

 

「エクシードよ」

 

「でも」

 

 ウェンディは。

 

 カイドウの大きな手へ触れた。

 

「ありがとうございます」

 

「何がだ」

 

「心配してくれて」

 

「心配してねェ」

 

「しています」

 

「してねェ」

 

「ミストガンさんに会ったら、一緒にお礼を言ってください」

 

「なぜ、おれが」

 

「私を助けてくれた人だからです」

 

「……」

 

 カイドウは。

 

 少し考えた。

 

「酒を一杯なら奢る」

 

「お礼がお酒なんですか?」

 

「十分だ」

 

「ミストガンさんは、お酒を飲むか分かりません」

 

「なら、おれが飲む」

 

「お礼になっていません!」

 

          ◇◇◇

 

 休憩を終え。

 

 調査班は、青い天馬の別荘へ戻るため再び歩き始めた。

 

 エルザはジェラールを支え。

 

 サクラは銀髪の少女を光の魔法で包み、体を軽くしている。

 

 ジュラが先頭。

 

 カイドウは最後尾。

 

 ウェンディは。

 

 そのすぐ前を歩いていた。

 

「二歩以内だ」

 

 カイドウが言う。

 

「分かっています」

 

「前へ行きすぎるな」

 

「行っていません」

 

「枝がある」

 

「避けます」

 

「石だ」

 

「見えています」

 

「坂だ」

 

「歩けます!」

 

 ウェンディは振り返る。

 

「カイドウさん」

 

「何だ」

 

「少し静かにしてください」

 

「危険を教えてる」

 

「全部見えています!」

 

「小さいから見えねェかもしれん」

 

「身長は関係ありません!」

 

 ジェラールが。

 

 少し前で、二人の会話を聞いていた。

 

「ウェンディ」

 

「はい?」

 

「カイドウは、君の父親なのか?」

 

「違います!」

 

 ウェンディが即座に否定する。

 

「違ェ!」

 

 カイドウの声も重なる。

 

「そうなのか」

 

「化猫の宿の仲間です!」

 

「護衛だ」

 

「頼んでいません!」

 

 ジェラールは。

 

 僅かに笑う。

 

「でも、父親のようだ」

 

「違います!」

 

「違ェ!」

 

 エルザまで。

 

 小さく笑った。

 

「何がおかしい」

 

 カイドウが睨む。

 

「いや」

 

 エルザは笑みを抑える。

 

「ジェラールの感想が正しいと思っただけだ」

 

「赤髪」

 

「エルザだ」

 

「こいつへ余計なことを教えるな」

 

「私は何も教えていない」

 

 ジェラールが、エルザを見る。

 

「俺と君にも」

 

「何だ?」

 

「子供はいたのか?」

 

 エルザが足を滑らせた。

 

「エルザさん!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

 エルザはすぐに体勢を整える。

 

 顔が真っ赤だった。

 

「な、何を言っている!」

 

「父親と娘の話をしていたから」

 

「私たちには関係ない!」

 

「そうか」

 

「そうだ!」

 

「では、恋人だった?」

 

 エルザの顔が、さらに赤くなる。

 

「ジェラール!」

 

「違うのか?」

 

「今、聞くことではない!」

 

「なぜ?」

 

「なぜでもだ!」

 

 記憶を失ったジェラールは。

 

 遠慮がない。

 

 過去を知らないため。

 

 思ったことを、そのまま聞く。

 

 カイドウの眉が動く。

 

「お前」

 

「何だ?」

 

「赤髪を困らせるな」

 

「俺は関係を確認しているだけだ」

 

「それを困らせてると言う」

 

「カイドウさん」

 

 ウェンディが言う。

 

「エルザさんの保護者まで始めないでください」

 

「こいつは危なっかしい」

 

「エルザさんは大人です!」

 

「恋愛になると分からん」

 

「何を知っているんですか!」

 

「男だ」

 

「それだけでしょう!」

 

 サクラは。

 

 歩きながら深い息を吐いた。

 

「六魔将軍と戦う前に」

 

「はい?」

 

 ウェンディが見る。

 

「人間関係の調整で疲れそうです」

 

「薬を飲みますか?」

 

「あなたが作る薬ですか?」

 

「はい」

 

「苦いか?」

 

 カイドウが尋ねる。

 

「少し」

 

「桜頭へ飲ませろ」

 

「サクラです」

 

「お前も飲め」

 

「なぜですか?」

 

「指揮官は健康が大切なんだろ」

 

「それは正しいですが」

 

「おれは飲まん」

 

「自分だけ逃げないでください!」

 

 森の中へ。

 

 賑やかな声が響く。

 

 だが。

 

 その時。

 

 ジェラールが。

 

 突然足を止めた。

 

「どうした?」

 

 エルザが尋ねる。

 

 ジェラールは。

 

 頭を押さえている。

 

「声が」

 

「声?」

 

「俺を呼んでいる」

 

 全員の表情が変わる。

 

「どこからですか?」

 

 サクラが周囲を警戒する。

 

「分からない」

 

「男か女か」

 

 カイドウが尋ねる。

 

「分からない」

 

「六魔将軍か」

 

「分からない」

 

 ジェラールの呼吸が荒くなる。

 

「ただ」

 

 濃い緑色の瞳が。

 

 遠く。

 

 森の北西を向く。

 

「ニルヴァーナ」

 

 その言葉が。

 

 自然に口から出た。

 

「今、何と言った?」

 

 エルザが聞き返す。

 

「ニルヴァーナ」

 

 ジェラール自身も。

 

 なぜ知っているのか分からない顔をしている。

 

「俺は」

 

 額の赤い紋様が。

 

 僅かに光る。

 

「それを、止めなければならない」

 

「記憶が戻ったのですか?」

 

 ウェンディが近づく。

 

「違う」

 

 ジェラールは首を横へ振る。

 

「何も思い出せない」

 

「では、どうして」

 

「分からない」

 

 頭を押さえる手に力が入る。

 

「でも」

 

 声。

 

 光。

 

 古い記憶の欠片。

 

 何かが。

 

 ジェラールの内側で揺れている。

 

「俺は、ニルヴァーナを知っている」

 

 エルザの表情が険しくなる。

 

「六魔将軍が、お前を捕らえていた理由か」

 

「かもしれない」

 

「記憶を利用するために?」

 

 サクラが言う。

 

「あるいは」

 

 ジュラが続ける。

 

「ジェラール殿自身が、ニルヴァーナの起動に必要なのかもしれぬ」

 

 ウェンディ。

 

 天空の滅竜魔導士。

 

 ジェラール。

 

 失われた記憶。

 

 銀髪の少女。

 

 六魔将軍の呪い。

 

 すべてが。

 

 古代魔法へ繋がっている。

 

「面倒になってきたな」

 

 カイドウが言う。

 

「その言葉は禁止です!」

 

 ウェンディが反射的に返す。

 

「今回は本当に面倒だろ」

 

「だからって言わないでください!」

 

 ジェラールは。

 

 ウェンディを見る。

 

「君の知るミストガンも」

 

「はい?」

 

「ニルヴァーナを知っているかもしれない」

 

「どうしてですか?」

 

「俺と同じ顔なら」

 

「顔だけで、記憶まで同じとは限りません」

 

「そうだな」

 

 ジェラールは頷く。

 

「でも」

 

 胸元へ手を当てる。

 

「俺と、その男には」

 

「何か繋がりがある」

 

 ウェンディは。

 

 同じ顔。

 

 違う魔力。

 

 違う匂い。

 

 それでも。

 

 完全に無関係とは思えない。

 

「ミストガンさんに」

 

 ウェンディが呟く。

 

「会わないと」

 

「おれも行く」

 

 カイドウがすぐに言う。

 

「カイドウさんは来なくていいです!」

 

「なぜだ」

 

「絶対に喧嘩するからです!」

 

「しねェ」

 

「ミストガンさんへ、私を置いていった理由を聞くって言いました!」

 

「聞くだけだ」

 

「顔が怖いです!」

 

「生まれつきだ」

 

「金棒を置いてきてください!」

 

「断る」

 

「やっぱり喧嘩する気でしょう!」

 

 ウェンディとカイドウ。

 

 いつもの言い争い。

 

 その横で。

 

 エルザはジェラールを支えながら。

 

 静かに呟いた。

 

「ミストガン」

 

 妖精の尻尾のS級魔導士。

 

 誰にも素顔を見せない男。

 

 ジェラールと同じ顔。

 

 なぜ。

 

 これまで。

 

 自分は気づかなかった。

 

 ギルドへ来るたび。

 

 ミストガンは。

 

 全員を眠らせていた。

 

 自分さえ。

 

 その素顔を見たことがない。

 

 もし。

 

 彼が意図的に。

 

 ジェラールと同じ顔を隠していたのなら。

 

「マカロフなら」

 

 エルザが言う。

 

「何か知っているかもしれない」

 

「別荘へ戻ったら、すぐに連絡します」

 

 サクラが頷く。

 

「はい」

 

 エルザは。

 

 ジェラールを見る。

 

 記憶を失った男。

 

 自分を覚えていない。

 

 だが。

 

 少しずつ。

 

 感情の欠片を取り戻している。

 

「ジェラール」

 

「何だ?」

 

「今は、何も思い出そうとしなくていい」

 

「でも」

 

「頭へ負担がかかっている」

 

「俺は、ニルヴァーナを止めなければ」

 

「一人で止める必要はない」

 

「……」

 

「連合軍がいる」

 

 エルザは周囲を見る。

 

 サクラ。

 

 ジュラ。

 

 ウェンディ。

 

 シャルル。

 

 カイドウ。

 

 そして。

 

 別荘で待つ仲間たち。

 

「私もいる」

 

 エルザは。

 

 ジェラールの腕を、さらに強く支えた。

 

「だから、今は生きろ」

 

 ジェラールは。

 

 エルザを見る。

 

「分かった」

 

 小さく頷いた。

 

「君を信じる」

 

「ああ」

 

「エルザ」

 

「何だ?」

 

「ありがとう」

 

 エルザは。

 

 少しだけ目を伏せる。

 

「礼を言うのは」

 

 静かな声。

 

「全部が終わってからにしろ」

 

「分かった」

 

 ジェラールは。

 

 また微かに笑った。

 

 その顔を見て。

 

 ウェンディは。

 

 ミストガンの笑顔を思い出そうとした。

 

 けれど。

 

 思い出せない。

 

 ミストガンは。

 

 いつも顔を隠し。

 

 感情も隠していた。

 

 笑ったことがあったのかさえ。

 

 分からない。

 

「ミストガンさん」

 

 誰にも聞こえないほど小さな声。

 

「今、どこにいるんですか」

 

 風が。

 

 森の奥へ吹いていく。

 

 答えはない。

 

 だが。

 

 遠いマグノリア。

 

 妖精の尻尾。

 

 誰にも気づかれない場所で。

 

 一本の杖に刻まれた魔法文字が。

 

 僅かに光っていた。

 

 まるで。

 

 ウェンディの声へ。

 

 応えるように。




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