『百獣のカイドウ、化猫の宿で居候になる 』 作:パスカルDX
第19話 最強生物、帰る場所の異変に怒る
焔雲が、ゆっくりと高度を落としていく。
眼下には。
見慣れた建物。
化猫の宿。
森の中に建つ、小さな魔導士ギルド。
ウェンディにとって。
そこは家だった。
依頼から帰れば。
誰かが笑って迎えてくれる。
食堂からは料理の匂い。
広間からは魔導士たちの話し声。
時には口論。
時には笑い声。
そして最近では。
その騒がしさの中心に。
決まって。
巨大な男がいた。
「酒が少ねェ」
「一杯です!」
「薬が苦い」
「薬ですから!」
「肉が小せェ」
「十分大きいです!」
そんな。
馬鹿みたいな会話が。
毎日のように響いていた。
だが。
今。
化猫の宿は。
異様なほど静かだった。
「……」
ウェンディは。
焔雲の上から。
じっと宿を見下ろしている。
誰も外へ出ていない。
窓は開いている。
灯りもついている。
中に人がいる気配もある。
なのに。
声がない。
「カイドウさん」
「ああ」
龍の姿のカイドウも。
すでに気づいていた。
空気が。
おかしい。
敵意。
殺気。
それほど強いものではない。
だが。
小さな。
棘のような感情。
あちらこちらから。
微かに。
漏れている。
「嫌な感じだな」
カイドウが低く言う。
「はい」
ウェンディは。
鼻を動かす。
匂い。
知っている仲間たち。
でも。
その間にある。
いつもとは違う。
重い何か。
「怒ってる」
「誰がだ」
「みんな」
ウェンディの顔が不安へ変わる。
「お互いに」
「ニルヴァーナの影響」
ジェラールが呟く。
エルザに支えられながら。
彼も。
宿を見下ろしている。
「まだ完全には起動していないはずだ」
「それでも、ここまで?」
サクラが尋ねる。
「分からない」
「分からないのに言い切ったのですか?」
「いや」
ジェラールは。
自分の胸を押さえる。
「知っている」
「記憶が?」
「欠片だ」
苦しそうに。
目を閉じる。
「ニルヴァーナは」
小さく。
呼吸を整える。
「完全に目覚める前でも」
「……」
「近くの心を揺らす」
「揺らす?」
「元からある感情を」
ジェラールが言う。
「大きくする」
ウェンディの目が。
僅かに見開かれる。
「じゃあ」
「仲間同士で」
エルザが続ける。
「少しでも不満があれば」
「増幅される」
「嫉妬」
サクラ。
「怒り」
ジェラール。
「疑い」
エルザ。
「恐れ」
シャルル。
「全部だ」
ジェラールが。
最後に言った。
「反転する前の」
「前兆?」
ウェンディが聞く。
「ああ」
その言葉。
カイドウが。
僅かに鼻を鳴らした。
「くだらねェ魔法だ」
サクラが上を見る。
「くだらない?」
「人の腹ん中を」
龍の瞳が細くなる。
「勝手に引っ掻き回す」
カイドウの声。
低い。
「気に入らん」
「あなたの場合」
サクラが言う。
「最も危険な部類です」
「あ?」
「感情が強すぎます」
「何がだ」
「怒り」
「普通だ」
「酒への執着」
「普通だ」
「戦闘欲」
「普通だ」
「ウェンディさんへの過保護」
「それは違ェ」
即答。
ウェンディが。
頬を膨らませる。
「そこだけ否定するんですね!」
「護衛だ」
「一歩以内で護衛する人はいません!」
「危険だった」
「今は宿の上です!」
「だからだ」
「何がだからですか!」
こんな状況でも。
少しだけ。
いつもの空気。
ルナが。
焔雲の上で。
小さく笑った。
だが。
次の瞬間。
宿の中から。
大きな音が響いた。
がしゃん!
「!」
ウェンディの顔が変わる。
「食堂!」
「降りるぞ」
カイドウが言う。
「待ってください」
サクラが止める。
「全員で一気に入れば」
「仲間が中にいる」
「分かっています」
「なら」
「カイドウ」
サクラの声。
強い。
「あなたの感情が増幅された場合」
「……」
「一番危険なのは」
サクラは。
ウェンディを見る。
「あなた自身です」
カイドウの瞳が。
僅かに動く。
「俺が」
「もし」
ジェラールも続ける。
「守りたい気持ちが」
「……」
「独占へ変わったら」
カイドウの顔から。
笑みが消える。
「心配が」
「……」
「疑いへ変わったら」
「……」
「ウェンディを」
ジェラールは。
慎重に。
言葉を選ぶ。
「誰にも渡さないために」
「……」
「閉じ込めるかもしれない」
ヤマト。
鬼ヶ島。
鎖。
爆発する手枷。
過去。
カイドウの周囲へ。
一瞬。
黒い稲妻が走った。
「カイドウさん」
ウェンディが。
すぐに呼ぶ。
「……」
「私を見てください」
龍の瞳が。
ウェンディへ向く。
「大丈夫です」
「何がだ」
「カイドウさんは」
ウェンディは。
腰へ下げられた青いお守りを指差す。
「もう一度、手を離してくれました」
「……」
「だから」
笑う。
「またできます」
「簡単に言うな」
「難しいですか?」
「ああ」
「じゃあ」
ウェンディは。
少し考え。
「私が何度でも言います」
「何を」
「信じてくださいって」
「……」
「私も」
ウェンディは。
小さな拳を握る。
「カイドウさんを信じます」
カイドウは。
何も言わない。
ただ。
焔雲を。
ゆっくり。
宿の前へ降ろした。
◇◇◇
化猫の宿の扉。
いつもなら。
開ければ。
誰かがいる。
だが。
今日は。
閉まっている。
「鍵が」
ウェンディが触る。
「かかってる」
「いつもか?」
カイドウが尋ねる。
「昼間は、ほとんど開いています」
「怪しいな」
「壊さないでください」
「まだ何もしてねェ」
「顔が扉を壊す顔です」
「どんな顔だ」
「いつもの顔です」
「お前ら」
シャルルが呆れる。
「こんな時まで」
「緊張を和らげているのでしょう」
サクラが言う。
「違ェ」
「違います!」
また。
二人。
同時。
エルザが。
少しだけ笑う。
ジェラールも。
ほんの少し。
口元を緩めた。
「さて」
サクラが。
扉へ近づく。
「鍵だけなら」
「おれが」
「待ってください」
即座に止める。
「何だ」
「鍵を壊さない」
「開けるだけだ」
「どうやって?」
「扉ごと」
「駄目です」
「取っ手だけ」
「もっと駄目です」
「桜頭」
「サクラです」
ウェンディが。
鞄から。
小さな鍵を出した。
「私、持っています」
「……」
全員。
ウェンディを見る。
「最初から言え」
カイドウが言う。
「カイドウさんが、すぐ壊そうとするからです!」
鍵を差し込む。
かちゃ。
扉が。
ゆっくり開く。
ぎぃ。
「……」
中。
暗い。
窓から。
光は入っている。
でも。
いつもの温かさがない。
「みんな?」
ウェンディが。
小さく呼ぶ。
返事。
ない。
「ウェンディ」
シャルルが肩へ乗る。
「離れないで」
「うん」
カイドウは。
人型へ戻った。
巨大な体。
金棒。
だが。
手には持たない。
背へ。
残す。
「一歩だ」
「分かっています」
「いや」
カイドウは。
ウェンディの肩へ。
手を置く。
「半歩だ」
「近すぎます!」
「今だけだ」
「……今だけですよ」
「ああ」
サクラが。
少しだけ。
そのやり取りを見て。
何も言わなかった。
◇◇◇
広間。
誰もいない。
だが。
椅子。
倒れている。
食卓。
料理。
途中。
床。
割れた皿。
「何かあった」
エルザが言う。
「争った跡だ」
「血は?」
ウェンディが。
匂いを探る。
「ありません」
「なら」
「殴り合いではない」
ジュラは。
ここにはいない。
別荘に残っている。
代わりに。
サクラが。
魔力を広げる。
「上です」
「二階?」
「はい」
「人数は?」
「多い」
ウェンディも。
匂いを嗅ぐ。
「みんないます」
「全員?」
「たぶん」
「マスターは」
「いません」
その言葉。
カイドウの眉が寄る。
「ジジイ」
「後です」
ウェンディが先に言う。
「まず、みんなです」
カイドウは。
少しだけ。
黙る。
「……分かった」
階段へ。
向かう。
その時。
二階から。
声。
「来るな!」
怒鳴り声。
ウェンディの足が止まる。
「誰?」
知っている声。
化猫の宿の魔導士。
一人。
「俺たちを捨てて」
「……」
「連合軍なんかへ行ったくせに!」
ウェンディの目が。
大きくなる。
「え」
別の声。
「そうだ!」
「ウェンディだけ」
「いつも特別扱いされて!」
「マスターも!」
「カイドウも!」
言葉。
次々。
飛んでくる。
「みんな」
ウェンディの顔から。
笑顔が消える。
「何を」
「聞くな」
カイドウが。
前へ出ようとする。
ウェンディが。
腕を掴んだ。
「待ってください」
「だが」
「ニルヴァーナです」
「分かってる」
「本心じゃないかもしれない」
「……」
「聞きます」
「ウェンディ」
「聞かないと」
ウェンディは。
階段の上。
見えない仲間たちを見る。
「戻せません」
カイドウは。
黙った。
そして。
一歩。
ウェンディの横へ戻る。
「なら」
「はい?」
「隣にいる」
「……はい」
◇◇◇
二階。
大部屋。
化猫の宿の魔導士たち。
十数人。
全員。
集まっていた。
だが。
普段の姿ではない。
互いに。
距離を取っている。
睨む。
疑う。
誰かが。
誰かを。
責めている。
「お前が俺の依頼を取った!」
「そっちが遅かっただけだ!」
「昔から気に入らなかった!」
「俺だってだ!」
「ウェンディが!」
「またウェンディ!」
「全部あいつ中心じゃないか!」
ウェンディが。
部屋へ入った瞬間。
視線が。
集まる。
冷たい。
怒り。
嫉妬。
疑い。
「戻ってきた」
「何しに来た」
「今さら」
「連合軍の英雄様か?」
「……」
ウェンディは。
動けない。
知っている人。
ずっと一緒だった。
ご飯を食べた。
笑った。
依頼へ行った。
風邪を引いた時。
心配してくれた。
なのに。
今。
言葉が。
刺さる。
「ウェンディ」
シャルルが。
肩へ。
少し強く。
しがみつく。
「聞かなくていい」
「ううん」
ウェンディは。
首を横へ振る。
「聞く」
「でも」
「大丈夫」
小さな声。
その瞬間。
「大丈夫じゃねェ」
カイドウの低い声。
部屋。
空気。
一気に。
重くなる。
魔導士たち。
全員。
息を呑む。
カイドウ。
怒っている。
明らかに。
「カイドウさん」
「分かってる」
拳を。
握っている。
黒い稲妻。
出そうになる。
でも。
出さない。
「ニルヴァーナだ」
「はい」
「こいつらじゃねェ」
「はい」
「分かってる」
何度も。
自分へ。
言い聞かせる。
「分かってる……」
それでも。
ウェンディが。
傷ついた顔をしたこと。
それだけで。
頭の奥。
熱くなる。
「カイドウ」
サクラが。
静かに。
声をかける。
「感情を抑えて」
「分かってる」
「今」
「分かってる!」
少し強い。
ウェンディが。
カイドウの手へ。
自分の手を重ねる。
「カイドウさん」
「……」
「見てください」
カイドウの目が。
ウェンディへ。
「私は」
ウェンディは。
少し。
笑う。
「大丈夫です」
「その言葉は禁止だ」
「今は本当です」
「……」
「隣にいますから」
カイドウは。
拳を。
少しずつ。
開いた。
「……ああ」
◇◇◇
「皆さん!」
サクラが。
部屋の中央へ。
声を響かせる。
「今感じている怒りは」
「黙れ!」
一人。
魔導士が怒鳴る。
「妖精の尻尾が!」
「何しに来た!」
「俺たちを見下すな!」
サクラの瞳。
僅かに。
鋭くなる。
でも。
怒らない。
「その言葉も」
「……」
「あなた自身のものではない可能性があります」
「何だと」
「ニルヴァーナ」
サクラが言う。
「古代魔法」
「……」
「光と闇を反転させる」
「そんなの」
「信じられるか!」
エルザが。
前へ出る。
「信じられなくてもいい」
「……」
「だが」
赤い髪。
剣士。
強い声。
「自分が今」
「……」
「普段言わないことを言っているなら」
エルザが。
一人一人を見る。
「一度」
「……」
「疑え」
静寂。
誰かが。
何かを言い返そうとする。
でも。
出ない。
その時。
ジェラールが。
壁へ。
手をついた。
「うっ」
「ジェラール!」
エルザがすぐに支える。
「どうした!」
「ここ」
ジェラールは。
壁を見る。
「魔力が」
「あるのか?」
「ああ」
「ニルヴァーナ?」
「違う」
顔。
苦しい。
「もっと」
目を閉じる。
「古い」
「古い?」
「この宿」
ジェラールが。
息を呑む。
「建物じゃない」
「何?」
ウェンディが。
振り返る。
「どういうことですか?」
「この場所」
ジェラールは。
床。
壁。
空気。
全部。
見る。
「魔力で」
「……」
「作られている」
誰も。
すぐには。
理解できない。
「魔力で?」
サクラが聞き返す。
「宿が?」
「いや」
ジェラール。
首を横へ。
「宿だけじゃない」
手。
震える。
「人も」
ウェンディの顔が。
僅かに。
固まる。
「……え?」
「ここにいる」
ジェラールの声。
低く。
「ほとんどの人間が」
化猫の宿の魔導士たち。
顔。
怒り。
戸惑い。
「魔力の構成体だ」
「ジェラール」
エルザが。
目を見開く。
「何を言っている」
「分からない」
ジェラール。
頭。
押さえる。
「でも」
「……」
「知っている」
「……」
「この魔力」
ウェンディ。
体。
震える。
「嘘」
小さな声。
「みんなは」
「ウェンディ」
シャルルが。
彼女を見る。
「何の話?」
「魔力の」
ウェンディ。
周囲を見る。
仲間。
いつもいた。
ずっと。
いた。
「人じゃ」
「ない?」
カイドウの顔が。
険しくなる。
「ジジイ」
低い声。
「やはり」
ローバウル。
カイドウは。
最初から。
違和感を感じていた。
「何か隠してやがった」
◇◇◇
突然。
大部屋の奥。
床。
淡い光。
「何だ?」
魔導士の一人が。
足元を見る。
体。
少し。
透ける。
「え」
手。
透明。
「何だよ」
「俺の」
「手が」
別の者も。
「体が!」
ウェンディの目が。
大きくなる。
「みんな!」
走る。
だが。
カイドウの手。
肩。
「待て」
「離してください!」
「危険だ」
「みんなが!」
「分かってる!」
それでも。
ウェンディ。
前へ。
「みんな!」
一人の魔導士が。
自分の手を見る。
怒り。
消えていく。
「ウェンディ」
「はい!」
「何で」
声。
震える。
「俺」
「……」
「お前に」
「……」
「酷いこと」
光。
体。
薄く。
「ごめん」
ウェンディの目。
涙。
「大丈夫です!」
今度は。
本当の意味。
「大丈夫です!」
「ウェンディ」
「ニルヴァーナのせいです!」
「……」
「だから」
涙。
笑う。
「謝らなくていいです!」
その魔導士。
少し。
笑った。
「やっぱ」
「……」
「ウェンディは」
「……」
「優しいな」
そして。
光へ。
消えた。
「……」
ウェンディ。
言葉。
出ない。
次。
一人。
また一人。
化猫の宿の魔導士たち。
体。
光へ。
薄く。
「待って!」
ウェンディが。
手を伸ばす。
「行かないで!」
「ウェンディ」
「嫌です!」
「待って!」
触れようとする。
手。
すり抜ける。
「カイドウさん!」
「……」
「何とかしてください!」
その声。
カイドウの胸。
深く。
突き刺さる。
何でも。
力で。
壊してきた。
山。
城。
国。
敵。
でも。
これは。
殴れない。
掴めない。
止められない。
「ちっ」
カイドウ。
手。
光へ。
伸ばす。
すり抜ける。
「何だ、これは!」
怒声。
でも。
壊れない。
「出てこい!」
ローバウル。
「ジジイ!」
返事。
ない。
「てめェがやったんだろ!」
光。
増える。
ウェンディ。
泣く。
「みんな!」
シャルルも。
何が起きているか。
分からない。
ただ。
ウェンディの隣。
離れない。
エルザは。
ジェラールを支えながら。
目の前の光景を。
言葉なく。
見ていた。
サクラ。
天使魔法。
使おうとする。
「待ってください」
ジェラールが止める。
「何です?」
「これは」
苦しそうに。
「消滅じゃない」
「では?」
「元へ」
「……」
「戻っている」
「元?」
その時。
化猫の宿。
全体。
光。
揺れる。
壁。
床。
椅子。
机。
全部。
少し。
透ける。
ウェンディの顔が。
完全に。
青ざめた。
「宿まで」
「ウェンディ」
カイドウが。
肩を掴む。
「外へ出るぞ」
「嫌です!」
「ここは消える!」
「嫌です!」
「ウェンディ!」
「私の家です!」
泣きながら。
叫ぶ。
「ここは!」
机。
食卓。
薬草。
笑った場所。
叱った場所。
カイドウに薬を飲ませた場所。
「私の家なんです!」
「……」
「みんながいる!」
光へ。
消え続ける。
「マスターも!」
「ジジイはいねェ!」
「でも!」
「ウェンディ!」
カイドウの声。
強い。
「お前まで消えたら」
ウェンディの動き。
止まる。
「帰る奴がいなくなる」
「……」
「ここが家なら」
カイドウは。
ウェンディを。
抱き上げる。
「生きて戻れ」
ウェンディの涙。
止まらない。
「カイドウさん」
「家は」
巨大な腕。
優しい。
「お前が戻るためにある」
「……」
「お前が消えたら」
声。
少し。
震える。
「意味がねェ」
ウェンディは。
カイドウの胸へ。
顔。
押しつけた。
「……はい」
小さな返事。
「外へ出るぞ!」
サクラが叫ぶ。
全員。
移動。
エルザ。
ジェラール。
ルナ。
シャルル。
サクラ。
カイドウ。
ウェンディ。
階段。
広間。
入口。
光。
宿。
どんどん。
消える。
最後。
扉。
外へ。
◇◇◇
森。
化猫の宿の前。
全員。
外へ出る。
振り返る。
そこに。
ずっとあった。
建物。
化猫の宿。
光に。
包まれている。
「……」
ウェンディは。
カイドウの腕の中。
何も。
言えない。
屋根。
壁。
窓。
看板。
全部。
光の粒へ。
変わっていく。
「嫌」
ウェンディ。
「嫌です」
光。
舞う。
「消えないで」
風。
光を。
森へ。
運ぶ。
「お願いします」
誰へ。
言っているか。
分からない。
「私」
涙。
「帰ってきたのに」
化猫の宿。
輪郭。
薄く。
そして。
最後。
看板。
消える。
何もない。
そこには。
森の空き地。
だけ。
「……」
ウェンディ。
カイドウの腕の中で。
静かに。
泣いている。
シャルル。
涙。
何も言わない。
エルザ。
唇。
噛む。
ジェラール。
顔。
苦しそう。
サクラ。
目。
伏せる。
ルナ。
泣いている。
そして。
カイドウ。
ただ。
空き地を。
見ている。
「ジジイ」
低い声。
「どこだ」
怒り。
でも。
それだけではない。
「出てこい」
答え。
ない。
「説明しろ」
森。
静か。
「ウェンディを」
拳。
握る。
「泣かせてんじゃねェ」
黒い稲妻。
出そうになる。
だが。
ウェンディが。
カイドウの服を。
掴む。
「壊さないで」
「……」
「森は」
涙の声。
「悪くないです」
カイドウ。
拳。
ゆっくり。
開く。
「……ああ」
その時。
森の奥。
杖の音。
こつ。
こつ。
こつ。
全員。
振り返る。
木々の間。
一人。
老人。
ローバウル。
「マスター!」
ウェンディの顔が上がる。
カイドウの瞳。
一気に。
鋭く。
「ジジイ」
ローバウルは。
空き地。
消えた化猫の宿。
そして。
泣いているウェンディを見る。
「……戻ったか」
「マスター!」
ウェンディが。
カイドウの腕から。
降りようとする。
カイドウは。
一瞬。
迷う。
でも。
下ろす。
ウェンディ。
走る。
「マスター!」
ローバウルへ。
飛びつく。
「みんなが!」
「ああ」
「宿が!」
「ああ」
「どうして!」
ローバウルは。
ウェンディの頭へ。
手を置く。
「話さねばならん」
「何を?」
「すべてを」
その言葉。
カイドウ。
一歩。
前へ。
「最初から」
低い声。
「そのつもりだったな」
ローバウル。
カイドウを見る。
「気づいておったか」
「何か隠してることだけはな」
「そうか」
「なら」
カイドウの目。
冷たい。
「今度こそ全部話せ」
「……」
「化猫の宿は何だ」
「……」
「消えた奴らは何者だ」
「……」
「ウェンディに」
声。
さらに低い。
「何を隠してた」
ローバウルは。
長い。
長い。
沈黙。
そして。
ウェンディを見る。
「ウェンディ」
「はい」
「すまぬ」
「……え?」
「化猫の宿は」
ローバウルの声。
震える。
「最初から」
「……」
「存在しておらんかった」
ウェンディの表情。
固まる。
「……何を」
シャルル。
息。
止まる。
「言っているの?」
ローバウルは。
目を閉じた。
「お前が」
静かに。
「一人にならぬよう」
声。
重い。
「わしが」
「……」
「魔法で作った」
ウェンディの目。
涙。
また。
溢れる。
「みんなを」
「ああ」
「ギルドを」
「ああ」
「私のために?」
「……そうじゃ」
沈黙。
森。
風。
誰も。
すぐには。
声を出せない。
カイドウの顔から。
表情が消える。
ローバウル。
嘘。
でも。
そこに。
悪意。
ない。
ただ。
一人の少女を。
孤独から。
守るため。
作られた。
幻のギルド。
化猫の宿。
そして。
その真実は。
ウェンディが。
もっとも恐れていたものだった。
一人になること。
捨てられること。
家が消えること。
「……」
ウェンディは。
ローバウルの前で。
何も言えず。
ただ。
泣いていた。
その背後。
カイドウは。
静かに。
ウェンディの肩へ。
大きな手を置く。
もう。
言葉はなかった。
だが。
その手だけは。
離れなかった。
感想、評価、お気に入りよろしくお願い致します!