『百獣のカイドウ、化猫の宿で居候になる 』 作:パスカルDX
第20話 最強生物、消える家族に「勝手にいなくなるな」と告げる
森の中。
そこには、もう何もなかった。
つい先ほどまで。
確かに。
化猫の宿があった。
大きな建物ではない。
豪華でもない。
妖精の尻尾や青い天馬のように、国中へ名を知られたギルドでもない。
けれど。
ウェンディにとっては。
世界のすべてだった。
朝になれば。
誰かが食堂にいる。
昼になれば。
依頼へ出かける魔導士がいる。
夕方になれば。
仕事を終えた者たちが帰ってくる。
夜になれば。
同じ屋根の下で眠る。
そして最近は。
その日常の中へ。
ひときわ大きく。
ひときわ騒がしく。
ひときわ酒臭い男が加わった。
『酒をよこせ』
『一杯です!』
『肉が少ねェ』
『十分多いです!』
『薬が苦い』
『我慢してください!』
毎日。
毎日。
うるさかった。
でも。
楽しかった。
それが。
全部。
消えた。
残っているのは。
森。
土。
草。
そして。
そこに立つ。
ローバウル。
「最初から……」
ウェンディの声は。
震えていた。
「存在してなかった?」
「……ああ」
ローバウルは。
目を伏せる。
「そんな」
ウェンディが。
一歩。
後ろへ下がる。
足。
ふらつく。
その背中へ。
大きな手。
カイドウ。
支える。
「ウェンディ」
「大丈夫……です」
「その言葉は禁止だ」
「……」
ウェンディは。
何も言えなくなった。
カイドウの手。
肩。
温かい。
確かに。
ある。
でも。
さっきまでいた仲間たちは。
触れようとしても。
消えた。
「マスター」
シャルルが。
ウェンディの隣へ降りる。
「説明して」
「……」
「どうして」
シャルルの目にも。
涙。
「どうして、私たちに黙っていたの」
「すまぬ」
「謝ってほしいんじゃない!」
珍しく。
シャルルが。
声を荒らげた。
「何が本当なの!」
「シャルル」
ウェンディが。
小さく。
止める。
「でも」
「聞こう」
ウェンディ。
涙。
拭く。
「全部」
「……」
「マスターが」
息。
吸う。
「隠してたこと」
ローバウルは。
しばらく。
黙っていた。
やがて。
ゆっくり。
杖を地面へ置いた。
「そうじゃな」
老いた声。
「もう」
森。
風。
「隠す意味もない」
サクラ。
エルザ。
ジェラール。
ルナ。
シャルル。
そして。
カイドウ。
全員が。
ローバウルを見る。
「まず」
ローバウルが言う。
「わしは」
短い。
間。
「人間ではない」
ウェンディの瞳が。
揺れた。
「……え?」
「正確には」
ローバウルは。
自分の手を見る。
「今を生きている人間ではない」
カイドウの目。
細くなる。
「死んでるのか」
「随分前にな」
「どれくらいだ」
「四百年ほど」
「四百年!?」
ウェンディ。
声。
裏返る。
シャルルも。
驚いて。
ローバウルを見る。
「マスターが……?」
「そうじゃ」
「でも」
ウェンディは。
近づく。
「ずっと」
ローバウルの服。
掴もうと。
手。
伸ばす。
触れる。
「触れます」
「ああ」
「ご飯も」
「食べる真似はできた」
「眠ったり」
「必要はなかった」
「じゃあ」
ウェンディの顔。
また。
悲しくなる。
「全部」
「嘘だったんですか?」
その問い。
ローバウルは。
すぐには答えなかった。
「違う」
代わりに。
カイドウが言った。
ウェンディ。
振り返る。
「カイドウさん?」
「飯を食ってたか」
「え?」
「寝てたか」
「……」
「人間だったか」
カイドウは。
ローバウルを見たまま。
「そんなもんはどうでもいい」
「カイドウ」
「ジジイが」
低い声。
「お前を育てたのは」
ウェンディへ。
視線。
「本当だろ」
「……」
「一緒に笑った」
「……」
「叱った」
「……」
「お前が帰るのを待った」
「……」
「なら」
カイドウは。
鼻を鳴らす。
「全部が嘘なわけねェ」
ウェンディの目から。
涙。
一粒。
「……はい」
ローバウルは。
カイドウを見る。
「お主に言われるとはのう」
「何だ」
「もっと」
薄く。
笑う。
「力こそすべてという男だと思っておった」
「今もだ」
「そうか?」
「ああ」
「なら」
ローバウル。
ウェンディを見る。
「その力の意味が、変わったのかもしれんな」
「勝手に決めるな」
カイドウは。
不機嫌そうに言った。
けれど。
否定は。
少し。
弱かった。
◇◇◇
全員。
森の空き地へ。
円になるように。
座った。
カイドウだけは。
立っている。
座ると。
木を折る可能性があるから。
「まず」
ローバウルは。
静かに。
話し始めた。
「この土地には」
四百年前。
一つの一族がいた。
「ニルビット族」
ジェラールが。
小さく。
反応する。
「ニルビット」
「知っておるか」
「名前だけ」
ジェラールは。
額へ手を当てる。
「何か」
「無理をするな」
エルザが。
すぐ。
腕を支える。
「……ああ」
ジェラールは。
エルザへ。
少し。
体重を預ける。
カイドウの眉。
動く。
ウェンディ。
横目。
「カイドウさん」
「何も言ってねェ」
「顔が」
「顔は元からだ」
「静かにしてください」
「まだ何も言ってねェ!」
ローバウル。
少し。
笑った。
「話を続けるぞ」
「お願いします」
「ニルビット族は」
かつて。
戦争を止めるため。
一つの魔法を作った。
「ニルヴァーナ」
ウェンディの表情が。
引き締まる。
「戦争を止めるため?」
「そうじゃ」
「でも」
サクラが言う。
「伝承では」
「光と闇を反転させる」
「その通り」
「それで、どうやって戦争を?」
ローバウルは。
森の奥を見た。
「憎しみを」
静かに。
「善意へ変えるためじゃ」
全員。
沈黙。
「人が」
ローバウル。
「人を憎む」
「……」
「殺したいと思う」
「……」
「その悪意を」
杖。
握る。
「逆の心へ変える」
「それが」
ウェンディ。
「ニルヴァーナ」
「ああ」
最初は。
善意。
戦争を止めたい。
人が。
人を殺さなくなるように。
憎しみを。
消すために。
だが。
「魔法が」
ローバウルの顔。
苦しくなる。
「強すぎた」
「……」
「光を闇へ」
「……」
「闇を光へ」
「……」
「善悪の境界そのものを」
声。
重い。
「狂わせた」
ある者の。
優しさ。
憎しみへ。
ある者の。
悪意。
愛情へ。
敵を。
友と思い。
友を。
敵と思う。
戦争は。
止まるどころか。
別の形へ。
拡大した。
「わしらは」
ローバウル。
「過ちに気づいた」
ニルビット族。
自ら作った。
ニルヴァーナ。
だから。
自ら。
封印した。
「では」
サクラ。
「あなたは」
「当時の」
「ニルビット族?」
「長じゃった」
ウェンディ。
目。
大きく。
「マスターが」
「ああ」
「ニルヴァーナを作った?」
「直接ではない」
「でも」
「止められなかった責任は」
ローバウル。
目。
伏せる。
「わしにもある」
カイドウは。
黙って。
聞いている。
四百年。
一つの過ち。
それを。
背負い続ける。
「それで」
カイドウが言う。
「死んでも残ったのか」
「ああ」
「ニルヴァーナを見張るため」
「そうじゃ」
「馬鹿だな」
全員。
カイドウを見る。
ローバウルも。
目を瞬かせる。
「何じゃと」
「四百年だぞ」
「……」
「死んでも」
「……」
「ずっと」
カイドウは。
少し。
眉を寄せる。
「一人で」
その言葉。
ウェンディの胸。
刺さる。
一人。
ずっと。
ローバウルは。
この森で。
ニルヴァーナを見張り続けた。
仲間は。
もういない。
一族も。
消えた。
それでも。
責任。
捨てない。
「お主に」
ローバウル。
苦笑。
「馬鹿と言われるとは」
「おれは」
カイドウ。
「馬鹿なことはする」
「自覚があるのですね」
サクラが言う。
「桜頭」
「サクラです」
「だが」
カイドウ。
ローバウルへ。
「四百年は長すぎる」
「……」
「責任ってのは」
一瞬。
ヤマト。
浮かぶ。
「生きてるうちに取れ」
ローバウル。
カイドウを見る。
「お主」
「何だ」
「それを」
柔らかな目。
「自分にも言えるか?」
「……」
カイドウ。
黙る。
ウェンディも。
カイドウを見る。
「うるせェ」
最後。
それだけ。
「ウォホホホ」
ローバウルは。
久しぶりに。
心から。
笑った。
◇◇◇
「では」
エルザが。
話を戻す。
「化猫の宿は」
「幻影魔法じゃ」
ローバウル。
「わしが作った」
「ギルドの人たちも?」
ウェンディ。
声。
小さい。
「ああ」
「いつから」
「お前が」
ローバウル。
ウェンディを見る。
「ここへ来た日から」
森。
雨。
幼い少女。
疲れ果て。
一人。
歩いてきた。
「お前を」
「……」
「連れてきた男がおった」
ウェンディの目。
大きくなる。
「ミストガンさん」
ローバウル。
驚く。
「覚えておったか」
「はい」
「そうか」
「マスター」
ウェンディ。
少し。
前へ。
「ミストガンさんは」
「ジェラールと同じ顔をしている」
ローバウル。
先に言った。
全員。
反応。
「知っていたのですか!?」
エルザ。
思わず。
声が強くなる。
「すまぬ」
「なぜ黙って!」
「わしにも」
ローバウル。
静か。
「すべては分からん」
「では?」
「ミストガンは」
一度。
ジェラールを見る。
「この世界の人間ではない」
沈黙。
カイドウの目。
少し。
鋭く。
「異世界人?」
ウェンディが。
聞き返す。
「おれと同じか」
カイドウ。
「ああ」
「どこの世界だ」
「わしも詳しくは知らん」
「でも」
ウェンディ。
「ミストガンさんは、妖精の尻尾ですよ?」
「そうじゃ」
「この世界で暮らして」
「ああ」
「でも、この世界の人じゃない」
「……そうじゃ」
ジェラールは。
自分の顔へ。
手。
触れる。
「俺と同じ顔」
「おそらく」
ローバウル。
「別の世界で」
「……」
「お主と同じ存在」
エルザ。
息。
止まる。
「同じ存在?」
「似ているのではない」
「……」
「別の世界にいる」
ローバウル。
「もう一人のジェラール」
ウェンディ。
口。
少し。
開く。
「じゃあ」
「ミストガンさんは」
シャルル。
「ジェラールの兄弟でも」
「双子でもなく」
ローバウル。
「異世界の同一人物」
カイドウ。
鼻を鳴らす。
「世界が違えば」
「同じ顔の奴がいるのか」
「可能性としてはな」
「面白ェ」
カイドウ。
少し。
口元。
上がる。
ウェンディ。
すぐ。
嫌な予感。
「カイドウさん」
「何だ」
「別の世界のカイドウさんを探そうとしてませんか?」
「強いのか気になる」
「自分ですよ!」
「世界が違えば強さも違うかもしれん」
「戦おうとしないでください!」
「会えるかも分からん」
「会えてもです!」
ジェラール。
少し。
笑う。
「俺も」
全員。
見る。
「ミストガンに」
「……」
「会ってみたい」
ウェンディ。
頷く。
「私もです」
エルザは。
複雑な顔。
ジェラールと。
同じ顔。
でも。
別人。
妖精の尻尾の仲間。
自分は。
何度も。
同じギルドにいた。
なのに。
知らなかった。
「マカロフは」
サクラが言う。
「知っている可能性があります」
「あのジジイなら知ってそうだ」
カイドウ。
「カイドウさん」
ウェンディ。
「マスターをジジイって呼ばないでください」
「どっちだ」
「え?」
「マスターが二人いる」
「……」
ウェンディ。
ローバウル。
マカロフ。
「ローバウルさんはマスターです!」
「マカロフさんもマスターです!」
「ならジジイでいい」
「よくありません!」
ローバウルは。
笑った。
「わしはジジイで構わんよ」
「マスター!」
「お主まで言っておるではないか」
「そうですけど!」
◇◇◇
「ミストガンは」
ローバウルは。
話を続けた。
「幼いウェンディを」
「……」
「ここへ連れてきた」
その日。
雨。
少年のような。
青年のような。
青い髪の魔導士。
顔。
ほとんど隠している。
背中。
杖。
その隣。
幼い。
水色の髪の少女。
『この子を』
ミストガンは。
ローバウルへ。
言った。
『しばらく、預かってほしい』
『お主は?』
『行かなければならない』
『どこへ』
『アニマを止める』
ウェンディの眉。
寄る。
「アニマ?」
ローバウル。
「そう言っておった」
「何ですか、それ」
「わしにも」
「分からなかった」
「ミストガンは」
ローバウル。
「常に」
「何かを追っていた」
「……」
「何かを止めるため」
「この世界を旅していた」
ウェンディ。
思い出す。
ミストガン。
夜。
空。
静か。
ずっと。
何か。
心配そうだった。
「だから」
ウェンディ。
「途中で」
「そうじゃ」
ローバウル。
「お前を捨てたのではない」
「……」
「お主が」
カイドウを見る。
「気にしていたことじゃ」
カイドウ。
鼻。
「本人に聞く」
「まだ言うんですか!」
「理由を確認する」
「今、聞きました!」
「本人の口からだ」
「どうしてですか!」
「お前を預けるなら」
カイドウ。
ローバウル。
見る。
「預け先を」
「……」
「もっとちゃんと確認しろ」
ローバウル。
眉。
上がる。
「わしでは不満か」
「ああ」
「カイドウさん!」
「死人とは聞いてねェだろ」
「それは」
「もし」
カイドウ。
低い声。
「ジジイが悪霊だったらどうする」
「悪霊ではありません!」
「知らん奴だぞ」
「カイドウさんだって、最初は空から落ちてきた知らない人でした!」
沈黙。
ウェンディ。
カイドウ。
見つめ合う。
「……」
「……」
「確かに」
シャルルが言った。
「カイドウの方が、よほど怪しかったわ」
「白狸」
「エクシードよ」
「でも」
ウェンディ。
微笑む。
「カイドウさんも」
「……」
「今は家族です」
カイドウの顔。
固まる。
ローバウル。
目。
細める。
エルザ。
笑う。
ルナも。
少し。
笑う。
「ウェンディ」
「はい?」
「今」
カイドウ。
「何と言った」
「家族です」
「……」
「化猫の宿のみんなも」
「……」
「マスターも」
「……」
「シャルルも」
「……」
「カイドウさんも」
「待て」
「何ですか?」
「おれも?」
「はい」
即答。
「いつからだ」
「いつからって」
ウェンディ。
少し。
考える。
「分かりません」
「何だそれは」
「気づいたらです」
「勝手だな」
「嫌ですか?」
カイドウ。
ウェンディを見る。
その顔。
不安。
少し。
「……嫌とは言ってねェ」
ウェンディの顔。
明るくなる。
「じゃあ家族です!」
「勝手に決めるな」
「嫌じゃないんですよね?」
「……」
「カイドウさん?」
「うるせェ」
顔。
少し。
横。
「親バカ」
シャルル。
「違ェ!」
森。
怒声。
ルナ。
びくっ。
カイドウ。
すぐ。
「……悪かった」
ルナ。
くす。
「また謝った」
「笑うな」
「ごめんなさい」
「謝るな」
「どっち?」
「……」
ウェンディ。
笑う。
涙。
まだ。
目の端。
でも。
少し。
笑えた。
◇◇◇
「では」
サクラが。
話を戻す。
「ギルドの魔導士たちは」
「幻影」
「そうじゃ」
「なぜ作ったのですか?」
ローバウルは。
ウェンディを見る。
「この子が」
「……」
「一人だったからじゃ」
ミストガンに。
預けられ。
突然。
一人。
幼い少女。
寂しい。
怖い。
グランディーネも。
いない。
ミストガンも。
去った。
ローバウルは。
見ていられなかった。
「最初は」
「数人だけだった」
「話し相手」
「食事を作る者」
「依頼へ出る者」
「……」
「それが」
ローバウル。
苦笑。
「増えた」
「どうして?」
ウェンディが聞く。
「お前が」
「……」
「嬉しそうに笑うからじゃ」
ウェンディの目から。
また。
涙。
「マスター」
「わしは」
ローバウル。
「ただ」
「……」
「お前に」
言葉。
少し。
震える。
「家族を」
「……」
「作ってやりたかった」
ウェンディ。
両手。
口元。
「でも」
「……」
「それは」
ローバウル。
「本物ではなかった」
「違います!」
ウェンディ。
即座。
「ウェンディ?」
「違います!」
涙。
こぼす。
「本物です!」
「……」
「みんな」
「……」
「笑ってくれました!」
「ウェンディ」
「心配してくれました!」
「……」
「私」
胸。
押さえる。
「嬉しかった!」
「……」
「楽しかった!」
「……」
「だから」
ウェンディ。
ローバウルへ。
抱きつく。
「嘘じゃありません!」
ローバウルの目。
大きく。
「ウェンディ」
「私にとって」
「……」
「化猫の宿は」
泣きながら。
笑う。
「本物です」
ローバウル。
手。
震える。
ウェンディの頭へ。
載せる。
「……そうか」
「はい」
「そう言って」
老人の声。
掠れる。
「くれるか」
「はい!」
ローバウルの目にも。
涙。
幽霊。
四百年。
それでも。
泣く。
「ありがとう」
ウェンディ。
強く。
抱きつく。
シャルルも。
その二人へ。
寄る。
「マスター」
「シャルル」
「私も」
シャルルの声。
震える。
「化猫の宿が好きよ」
「……ああ」
「だから」
「……」
「勝手に全部消さないで」
ローバウル。
目を閉じる。
「すまぬ」
「もう」
シャルル。
涙。
「謝ってばかりね」
「年寄りは」
ローバウル。
笑う。
「謝ることが多いんじゃ」
「おれは謝らんぞ」
カイドウが言う。
ウェンディ。
振り返る。
「カイドウさんは、もっと謝ってください!」
「なぜだ!」
「壊した物全部です!」
「借金から引かれてる!」
「それは弁償です!」
「同じだ!」
「違います!」
ローバウル。
涙。
拭いながら。
笑った。
「本当に」
呟く。
「賑やかになったものじゃ」
◇◇◇
だが。
サクラは。
ローバウルの表情へ。
まだ。
何か残っていることに。
気づいていた。
「ローバウル殿」
「何じゃ」
「まだ」
サクラ。
真剣。
「話していないことがありますね」
ウェンディの笑顔。
少し。
消える。
カイドウの目。
鋭く。
「またか」
「カイドウさん」
「ジジイ」
低い。
「今度は全部と言ったな」
「……」
「まだ何がある」
ローバウルは。
北の森。
見る。
「ニルヴァーナが」
静かに。
「化猫の宿を目指している理由」
「……」
「それじゃ」
サクラ。
息。
「マスターは知ってるんですね」
ウェンディ。
「なぜなんですか?」
ローバウルは。
杖。
握る。
「この土地の」
「……」
「地下深く」
「……」
「ニルヴァーナを」
全員。
静か。
「完全に止めるための」
「……」
「自壊術式がある」
「自壊?」
ジェラール。
反応。
「それを発動すれば」
「ニルヴァーナは」
ローバウル。
「二度と」
「……」
「使えなくなる」
「なら」
カイドウ。
「今すぐやれ」
「できぬ」
「なぜだ」
「鍵が」
ローバウル。
ウェンディを見る。
「二つ必要じゃ」
ウェンディの顔。
固まる。
「まさか」
「天空の魔力」
ローバウル。
「そして」
ジェラール。
額。
痛む。
「天体の魔力」
「俺?」
「ああ」
「だから」
サクラ。
理解。
「六魔将軍は、二人を狙った」
「おそらく」
「待て」
カイドウ。
前へ。
「自壊術式なら」
「……」
「なぜ六魔将軍も二人を必要とする」
「同じ鍵で」
ローバウル。
苦い顔。
「起動もできるからじゃ」
沈黙。
「つまり」
エルザ。
「ウェンディとジェラール」
「二人の魔力が」
「……」
「ニルヴァーナを」
ローバウル。
「完全覚醒させる」
「……」
「あるいは」
「完全破壊する」
同じ鍵。
使い方。
二つ。
起動。
破壊。
「面倒な作りだな」
カイドウ。
ウェンディ。
すぐ。
「その言葉は禁止です!」
「これは面倒だろ!」
「確かに」
ジェラール。
少し。
「面倒だ」
「ジェラールさんまで!」
「記憶がなくても、そう思う」
「そこは一致しなくていいです!」
わずか。
笑い。
しかし。
すぐ。
空気。
戻る。
「では」
エルザ。
「ローバウル」
「何じゃ」
「あなたは今日」
「……」
「どこへ行っていた」
ローバウル。
目。
閉じる。
「自壊術式の」
「……」
「確認じゃ」
「一人で?」
ウェンディ。
「はい」
「マスター」
ウェンディの顔。
怒り。
少し。
「どうして」
「……」
「一人で行ったんですか!」
「ウェンディ」
「危険ですよね!」
「……」
「ニルヴァーナが動いてるなら!」
「……」
「どうして!」
カイドウ。
腕。
組む。
「おれと同じだな」
ウェンディ。
振り返る。
「何がですか!」
「一人で勝手に行く」
「カイドウさんも駄目です!」
「だから」
ローバウル。
見る。
「このジジイも駄目だ」
「そうです!」
一瞬。
ウェンディ。
口。
止まる。
「あれ?」
「自分で認めたな」
「違います!」
「ジジイが悪い」
「それはそうです!」
「では決まりだ」
カイドウ。
ローバウル。
指差す。
「一人で行動禁止だ」
ローバウル。
目。
瞬く。
「お主に言われるとは」
「おれは臨時護衛だ」
サクラ。
「その規則は、あなたにも適用されます」
「桜頭」
「サクラです」
「今はジジイの話だ」
「両方です」
ローバウル。
笑い。
でも。
その笑顔。
寂しい。
カイドウ。
気づく。
「ジジイ」
「何じゃ」
「お前」
目。
細い。
「死ぬ気か」
空気。
止まる。
ウェンディ。
顔。
上げる。
「……え?」
「カイドウ」
ローバウル。
「何を」
「誤魔化すな」
カイドウ。
一歩。
近づく。
「四百年」
「……」
「ニルヴァーナを見張った」
「……」
「ギルドも消えた」
「……」
「それで」
低い。
「最後に」
「……」
「自分ごと」
ウェンディ。
息。
呑む。
「術式を使う気だろ」
「マスター……?」
ローバウルは。
答えない。
その沈黙。
答え。
「嫌です」
ウェンディ。
小さく。
「ウェンディ」
「嫌です!」
ローバウルへ。
駆け寄る。
「マスターも!」
「……」
「いなくなるつもりなんですか!」
「……」
「みんなが消えて!」
「……」
「宿も消えて!」
「……」
「今度はマスターまで!」
「ウェンディ」
「嫌です!」
泣く。
「私」
「……」
「また一人に」
「一人じゃねェ」
カイドウ。
強い声。
ウェンディ。
止まる。
「……」
「お前は」
カイドウ。
「一人じゃねェ」
「でも」
「白狸がいる」
「エクシードよ……」
涙声。
「赤髪も」
エルザ。
頷く。
「桜頭も」
「サクラです」
「ルナも」
ルナ。
ウェンディの手。
握る。
「それから」
カイドウ。
自分。
指差す。
「おれがいる」
ウェンディ。
涙。
流れる。
「カイドウさん」
「だから」
カイドウは。
ローバウルを見る。
「お前は」
低く。
「勝手に消えるな」
「……」
「一人じゃねェから」
「……」
「大丈夫だなんて話じゃねェ」
「……」
「こいつが」
ウェンディ。
「お前に残ってほしいと言ってる」
ローバウル。
目。
揺れる。
「なら」
カイドウ。
「勝手に」
拳。
握る。
「死ぬな」
四百年。
責任。
贖罪。
一人。
死者。
それでも。
今。
待ってほしいと。
言う者がいる。
「カイドウ」
ローバウル。
声。
掠れる。
「お主は」
「何だ」
「死ぬことを」
「……」
「恐れておらぬように見えた」
カイドウ。
しばらく。
黙る。
「死ぬのは」
低い。
「怖くねェ」
「……」
「だが」
ウェンディを見る。
「残すのは」
短い。
間。
「面倒だ」
ウェンディ。
涙。
でも。
眉。
「その言葉は禁止です」
「今はいいだろ!」
「大切な話で面倒って言わないでください!」
「意味が違う!」
「じゃあ言い直してください!」
「……」
カイドウ。
困る。
戦場。
皇帝。
最強生物。
言葉。
出ない。
「残すのは」
もう一度。
ウェンディを見る。
「……嫌だ」
ウェンディの瞳。
大きくなる。
「それでいいです」
「何がだ」
「ちゃんと言えました」
「子供扱いするな」
「マスター」
ウェンディは。
ローバウルの両手を。
握る。
「私も」
「……」
「嫌です」
「ウェンディ」
「マスターが」
涙。
「いなくなるの」
「……」
「嫌です」
ローバウル。
長く。
黙った。
そして。
その手。
握り返す。
「できる限り」
「……」
「残る方法を探そう」
「本当ですか?」
「ああ」
「約束です」
「……約束しよう」
カイドウ。
低い。
「破ったら」
「何じゃ」
「墓から引きずり出す」
「カイドウさん!」
「もう幽霊ですよ!」
シャルルが突っ込む。
「なら捕まえやすい」
「どうしてですか!」
ローバウルは。
大きく。
笑った。
「ウォホホホ!」
「笑い事ではありません!」
ウェンディ。
泣きながら。
怒る。
でも。
その顔。
少し。
明るくなった。
◇◇◇
話が終わる頃。
太陽は。
西へ。
傾いていた。
化猫の宿があった空き地。
もう。
建物はない。
だから。
今日。
泊まる場所も。
食堂も。
ベッドも。
ない。
「どうします?」
ウェンディが言う。
「野宿だな」
エルザ。
「森の中ですし」
サクラ。
「結界を張ります」
「おれが家を作る」
カイドウが言った。
全員。
見る。
「どうやって?」
ウェンディ。
「木を倒す」
「駄目です」
「岩を」
「もっと駄目です」
「穴を掘る」
「何を作る気ですか!」
「洞窟」
「家じゃありません!」
「雨は防げる」
「そういう問題ではありません!」
ルナ。
くすくす。
ジェラールも。
少し。
笑う。
ローバウル。
その光景。
見つめる。
化猫の宿は。
消えた。
自分の魔法で作った。
幻。
ギルド。
でも。
そこにあった。
笑い。
今も。
消えていない。
「カイドウ」
「何だ」
「火を頼めるか」
「ああ」
カイドウ。
手。
焚き火。
準備。
ウェンディ。
すぐ。
「熱息は禁止です!」
「分かってる!」
「小さい火です!」
「分かってる!」
「森を燃やさない!」
「分かってる!」
「本当に?」
「うるせェ!」
小さな炎。
ちゃんと。
点く。
「できたぞ」
「わあ!」
ウェンディ。
拍手。
「カイドウさん、上手です!」
「褒めるな」
「火加減が普通です!」
「どんな褒め方だ」
ローバウル。
笑う。
シャルル。
溜息。
サクラ。
天幕。
作る。
エルザ。
ジェラールを座らせる。
ルナ。
ウェンディの隣。
焚き火。
囲む。
家は。
ない。
でも。
人がいる。
「ウェンディ」
ローバウルが呼ぶ。
「はい」
「化猫の宿は」
「……」
「消えてしまった」
「はい」
「すまぬ」
「もう謝らないでください」
「しかし」
「マスター」
ウェンディ。
笑う。
「家って」
カイドウ。
見る。
シャルル。
見る。
みんな。
見る。
「建物だけじゃないんですよね」
ローバウル。
目。
細く。
「ああ」
「なら」
胸。
手。
「まだあります」
「……」
「化猫の宿」
カイドウの眉。
動く。
「どこにだ」
ウェンディ。
自分の胸。
指差す。
「ここです」
「……」
「それから」
シャルル。
ローバウル。
カイドウ。
「みんなの中です」
カイドウ。
しばらく。
黙る。
「なら」
「はい?」
「酒蔵も残ってるか」
ウェンディの笑顔。
固まる。
「残ってません」
「家は残るのに?」
「お酒だけは別です!」
「理不尽だ!」
「一日一杯です!」
「宿が消えたんだぞ!」
「だからって増えません!」
「今日は特別だ!」
「駄目です!」
「二杯!」
「一杯!」
「一杯半!」
「その交渉、まだ続けるんですか!」
森。
夜。
笑い声。
響く。
ローバウルは。
静かに。
目を閉じた。
四百年。
長かった。
でも。
最後。
これを。
見られた。
だから。
まだ。
消えるわけにはいかない。
◇◇◇
深夜。
全員が。
眠った頃。
カイドウだけは。
焚き火の前。
起きていた。
酒。
一杯。
手。
でも。
まだ。
飲んでいない。
「眠れぬか」
ローバウル。
近づく。
「お前もだろ」
「死者は眠らぬ」
「便利だな」
「そうでもない」
ローバウル。
カイドウの隣。
座る。
少し。
沈黙。
「ウェンディを」
ローバウルが言う。
「頼めるか」
カイドウ。
杯。
止まる。
「断る」
「……」
「お主」
ローバウル。
驚く。
「断るのか」
「ああ」
「なぜじゃ」
「自分で頼め」
「何?」
「死ぬ前提で」
カイドウ。
ローバウル。
見る。
「話すな」
「……」
「ウェンディを頼む?」
「……」
「ふざけるな」
低い。
「お前が」
「……」
「自分で」
「……」
「帰ってこい」
ローバウル。
目。
大きく。
「カイドウ」
「おれは」
杯。
一口。
「保険じゃねェ」
「……」
「こいつの家族が一人減る前提で」
酒。
飲む。
「頼み事をするな」
ローバウル。
しばらく。
黙る。
焚き火。
ぱち。
音。
「お主は」
「何だ」
「優しいな」
「誰がだ」
「ウェンディが」
ローバウル。
笑う。
「お主を家族と言った理由が」
「……」
「少し分かった」
「うるせェ」
「なら」
ローバウル。
焚き火。
見る。
「帰る努力をしよう」
「努力じゃねェ」
「ん?」
「帰れ」
「命令か?」
「ああ」
「わしは、お主の部下ではないぞ」
「知るか」
カイドウ。
酒。
もう一口。
「ウェンディが泣く」
「……」
「それだけで十分だ」
ローバウルは。
何も言わなかった。
ただ。
静かに。
笑った。
少し離れた天幕。
ウェンディ。
眠っている。
シャルル。
隣。
ルナも。
穏やか。
エルザは。
ジェラールの近く。
眠らず。
半分。
見張っている。
サクラも。
結界。
維持。
誰も。
一人ではない。
そして。
翌朝。
彼らは。
ニルヴァーナを完全に破壊するため。
自壊術式の眠る。
ニルビット族の聖地へ。
向かうことになる。
天空の滅竜魔導士。
ウェンディ。
天体魔導士。
ジェラール。
二人の鍵。
そして。
百獣のカイドウ。
だが。
六魔将軍もまた。
同じ場所へ。
向かい始めていた。
起動するか。
破壊するか。
光と闇。
二つの道。
その中心で。
最強生物が最も気にしていたのは。
世界の危機でも。
古代魔法でもなかった。
「ジジイ」
「何じゃ」
「もし勝手に消えたら」
「……」
「ウェンディの薬を毎日供える」
「それは」
ローバウルの顔が。
初めて。
僅かに引きつった。
「勘弁してくれんかのう」
「苦いぞ」
「知っておる」
「逃げられねェぞ」
「死者への嫌がらせではないか!」
「なら生きろ」
カイドウ。
口元。
少し。
上げる。
「それが一番簡単だ」
ローバウルは。
一瞬。
呆然。
そして。
大きく。
笑った。
森の夜へ。
老人の笑い声と。
カイドウの低い笑い声が。
静かに。
響いていた。
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