『百獣のカイドウ、化猫の宿で居候になる 』 作:パスカルDX
第4話 四皇、護衛任務で護衛される
百獣のカイドウが《化猫の宿》の紋章を背負い、正式に魔導士となった翌朝。
ギルドの広間には、いつも以上に重苦しい空気が漂っていた。
理由は簡単である。
新入りの魔導士が、依頼掲示板の前を占領していたからだ。
黒い長髪。
二本の角。
二メートルを優に超える巨体。
背中には、昨日刻まれたばかりの《化猫の宿》の紋章。
腕を組み、掲示板に貼られた依頼書を睨みつけるその姿は、新しい仕事を探す魔導士というより、借金を踏み倒した者の家へ押しかけた取立人にしか見えなかった。
実際、カイドウが依頼書を見るたび、周囲にいた魔導士たちは少しずつ距離を取っていた。
「どれも安いな」
カイドウが低い声で呟く。
掲示板には、薬草の採取、荷物運び、害獣退治、商人の護衛、家の修理など、さまざまな依頼が貼られている。
カイドウは一枚ずつ眺め、その報酬額へ露骨に不満を示していた。
「この薬草採りってのは、酒何樽分だ」
少し離れた机で朝食を取っていたシャルルが、面倒そうに答える。
「一樽どころか、一瓶買えるかどうかでしょうね」
「安すぎる」
「薬草を摘むだけの依頼よ。国を滅ぼす報酬が出るわけないでしょう」
「国を滅ぼす依頼はねェのか」
「あるわけないでしょう!」
シャルルの声が広間へ響く。
カイドウは鼻を鳴らした。
「つまらん世界だ」
「平和でいいことよ」
「戦争もねェ。強い奴も出てこねェ。依頼は草むしりと荷物運びばかり」
「昨日、巨大な魔物を倒したばかりでしょう」
「あんなもん、準備運動にもならん」
「岩山を半分消し飛ばす準備運動があってたまるものですか!」
ウェンディが薬草の入った籠を抱えながら、二人の会話へ入ってくる。
その顔には、昨日の疲れが少し残っていた。
村で魔物に襲われた者たちの治療をし、宿へ帰ってからはカイドウが潰した酒樽の片づけを手伝ったのである。
しかも、カイドウが床へ染み込んだ酒を飲もうとしたため、それを止める作業まで加わった。
「カイドウさん。今日は朝のお薬をまだ飲んでいませんよ」
「忘れた」
「わざとですよね」
「依頼を選ぶ方が先だ」
「薬が先です」
「魔導士の仕事が先だ」
「怪我人の治療が先です」
「もう治った」
「まだです」
「昨日、魔物を倒したぞ」
「倒せることと、完治していることは別だと何度言えば分かるんですか!」
ウェンディは籠を机へ置き、薬の入った大きな杯を持ってくる。
カイドウは露骨に顔を背けた。
「いらん」
「飲んでください」
「依頼が決まってからだ」
「先に飲んでください」
「今日の薬は苦そうだ」
「いつもと同じです」
「なら、まずいに決まってる」
「蜂蜜は多めに入れました」
「酒は」
「入れていません」
「使えねェな」
「薬に酒を入れないだけで、そこまで言われる筋合いはありません!」
すでに見慣れたやり取りである。
化猫の宿の魔導士たちは、誰も止めようとしなかった。
止めても意味がないと理解したからだ。
ウェンディは杯を両手で持ち、カイドウの前へ差し出し続ける。
カイドウはしばらく無視していたが、ウェンディが一歩も引かないと分かると、大きな溜息を吐いた。
「飲めばいいんだろ」
「はい」
「その代わり、今日の依頼はおれが選ぶ」
「危険すぎないものなら」
「魔導士の仕事に危険も安全もあるか」
「あなたの場合、依頼そのものより周囲が危険です」
「どういう意味だ」
「そのままの意味です」
カイドウは杯を受け取り、一気に飲み干した。
そして、いつものように顔をしかめる。
「まずい」
「今日も元気ですね」
「この薬を飲んで元気になる奴はいねェ」
「カイドウさんは毎日元気でしょう」
「元からだ」
「なら、薬が効いているんです」
「関係ねェ」
カイドウは空になった杯をウェンディへ返し、再び依頼掲示板へ向き直った。
そこで一枚の紙へ手を伸ばす。
紙には、街道を通る商隊の護衛と書かれていた。
依頼主は近隣の町で商店を営む男。
荷馬車三台を、山を越えた先の街まで送り届けてほしいという内容だった。
最近、街道近くで盗賊団が活動しているらしく、護衛を増やしたいらしい。
「これだ」
カイドウが依頼書を剥がす。
シャルルが嫌そうな顔をした。
「護衛任務?」
「ああ」
「あなたに一番向いていない仕事じゃない」
「なぜだ」
「護衛というのは、依頼人と荷物を守りながら安全に目的地まで運ぶ仕事よ」
「襲ってきた奴を潰せば終わりだろ」
「周囲ごと潰すから心配しているの!」
「今回は村じゃねェ。街道だ」
「山を消し飛ばすつもり?」
「邪魔ならな」
「駄目です!」
ウェンディが即座に止める。
「山も森も壊さないでください!」
「面倒だな」
「その言葉を言った時は、だいたい何か壊すでしょう!」
「今日は壊さん」
「本当ですか?」
「敵が弱ければな」
「敵の強さで決めないでください!」
ローバウルは、少し離れた場所でその様子を眺めていた。
やがて、杖を床へ軽くつく。
「護衛任務なら、よい経験になるじゃろう」
「マスター?」
ウェンディが振り返る。
「依頼人との接し方や、街道での行動も学べるからのう」
「カイドウさんが学ぶと思いますか?」
「学ばねェ」
「本人が即答しましたよ!」
「じゃが、いつまでも宿の中で皿を洗わせるわけにもいかん」
「皿の方がまだ安全です」
「昨日は十枚しか割らなかったぞ」
カイドウが得意げに言う。
シャルルが呆れた顔をする。
「十枚も割ったのよ」
「最初より減った」
「誇るところじゃないわ」
ローバウルは笑いながら続けた。
「今回は、ウェンディとシャルルも同行するとよい」
「私たちもですか?」
「カイドウ一人では、依頼人が怖がるじゃろうからのう」
「私たちがいても怖がると思うわ」
シャルルの指摘はもっともだった。
だが、ウェンディは少し考えた後、頷いた。
「分かりました。カイドウさん一人よりは安心です」
「誰が誰を安心させるんだ」
「依頼人をです」
「おれがいりゃ、誰も襲ってこねェ」
「その顔だけなら、確かにね」
「白狸」
「エクシードよ」
カイドウは依頼書を丸め、腰紐へ差し込んだ。
「決まりだ」
「まだ依頼人に会っていません」
「断るなら、力ずくで納得させる」
「それが一番駄目です!」
◇◇◇
依頼人が化猫の宿へ到着したのは、それから一時間ほど後だった。
名をゴードンという。
丸い体型に口髭を生やした、中年の商人である。
派手な赤い上着を着ており、指にはいくつもの指輪が光っていた。
商人らしく、人当たりのよい笑顔を浮かべている。
「いやあ、急な依頼を受けていただき、助かりますよ」
ゴードンはローバウルへ深く頭を下げた。
「近頃、街道の盗賊どもが活発になっておりましてな。先週も別の商隊が襲われたと聞きました」
「被害は?」
ウェンディが尋ねる。
「荷物を奪われ、護衛も怪我をしたそうです。幸い、命を落とした者はいなかったようですが」
「それは大変ですね」
「ですから、今回は腕の立つ魔導士をお願いしたかったのです」
ゴードンは期待を込めて、広間を見回した。
そして、最初にウェンディを見つけた。
水色の長髪を持つ、小柄な少女。
隣には、白いエクシードのシャルル。
ゴードンは一瞬、目を瞬かせた。
「あの……護衛の魔導士というのは」
「私たちです」
ウェンディが答える。
「ウェンディ・マーベルです。天空の滅竜魔導士です」
「滅竜魔導士!」
ゴードンの表情が明るくなる。
少女とはいえ、滅竜魔法を使う者なら頼りになる。
「それは心強い!」
「私も同行するわ」
シャルルが言う。
「シャルルよ」
「猫が喋った!」
「猫じゃないわ! エクシードよ!」
ゴードンは驚いたが、すぐに商人らしい笑顔を取り戻した。
「失礼しました。いやはや、頼もしいお二人ですな」
「もう一人います」
ウェンディが言う。
「もう一人?」
「はい。昨日、化猫の宿へ加入したばかりの――」
その時。
ゴードンの背後で、床が重く軋んだ。
大きな影が商人を覆う。
ゴードンの笑顔が固まった。
ゆっくりと振り返る。
そこには、腕を組んだカイドウが立っていた。
黒い長髪。
二本の角。
鋭い眼光。
大きく開いた上着から見える筋肉質な胸。
腰には太い縄。
背中には化猫の宿の紋章があるものの、それ以上に全身から放たれる悪党らしい威圧感が強すぎた。
「……」
ゴードンの顔から血の気が引く。
「誰だ、こいつ」
カイドウがウェンディへ尋ねる。
「依頼人のゴードンさんです」
「そうか」
カイドウはゴードンを見下ろす。
「お前が荷物を運ぶ商人か」
「ひっ」
ゴードンの喉から、小さな悲鳴が漏れた。
カイドウが片眉を上げる。
「何だ」
「い、いえ……」
「声が小さい」
「は、はい!」
ゴードンは背筋を伸ばした。
完全に護衛を依頼する商人ではなく、盗賊団の頭領に尋問される一般人の姿だった。
ウェンディが慌てて二人の間へ入る。
「カイドウさん。依頼人を怖がらせないでください」
「何もしてねェ」
「顔が怖いんです」
「生まれつきだ」
「もう少し優しく話してください」
「優しく?」
「はい」
カイドウは少し考える。
そして、ゴードンへ顔を近づけた。
「安心しろ」
「は、はい」
「襲ってきた奴は、骨も残さず潰してやる」
「怖いです!」
ゴードンが後ずさる。
「何でだ」
「言い方です!」
ウェンディが声を上げる。
「もっと、普通に守りますと言ってください!」
「守る」
「短すぎます!」
「面倒だな」
「それは禁止です!」
シャルルはゴードンへ近づき、小声で言った。
「安心して。この男が暴れそうになったら、ウェンディが止めるわ」
「この小さなお嬢さんが?」
「今のところ、唯一止められる存在よ」
ゴードンは信じられないという顔をした。
だが、その直後。
カイドウが壁際に置かれていた酒樽へ手を伸ばした。
「カイドウさん」
ウェンディが名前を呼ぶ。
ただそれだけだった。
カイドウの手が止まる。
「出発前は駄目ですよ」
「まだ触ってねェ」
「触ろうとしました」
「見るだけだ」
「蓋に手をかけていました」
「どんな酒か気になっただけだ」
「帰ってくるまで我慢してください」
「……分かった」
カイドウは渋々手を引いた。
ゴードンの目が大きく見開かれる。
「本当に止めた……」
「でしょう?」
シャルルが少し得意げに言う。
「ウェンディがいる限り、最悪の事態にはならないわ」
「最悪の事態とは?」
「街道がなくなることね」
「依頼を取り下げてもよろしいでしょうか」
「困ります!」
ウェンディが慌てて止める。
「大丈夫です。カイドウさんには、周りを壊さないよう言い聞かせますから!」
「子供に言い聞かせるような言い方をするな」
「昨日、酒樽を抱き潰した人が言わないでください」
「樽が脆かった」
「また物のせいにしているわ」
「と、とにかく!」
ゴードンは額の汗を拭う。
「腕が立つことは、よく分かりました。少々……いえ、かなり不安はありますが、お願いします」
「任せろ」
カイドウが答える。
「襲ってきた奴は――」
「普通に追い払うだけです!」
ウェンディが先回りして叫んだ。
◇◇◇
ゴードンの商隊は、三台の荷馬車と六人の商人、それから二人の御者で構成されていた。
荷物は布、薬草、香辛料、食器、保存食など。
どれも山を越えた先の街で売る予定の商品である。
カイドウたちが馬車の前へ現れると、商隊の者たちは一斉に固まった。
「旦那」
御者の一人が、ゴードンへ耳打ちする。
「あの大男は?」
「護衛の魔導士だ」
「盗賊じゃなくて?」
「化猫の宿の魔導士らしい」
「盗賊の方がまだ安心できそうな顔ですが」
「聞こえてるぞ」
カイドウの低い声が飛ぶ。
御者は口を閉じた。
シャルルが荷馬車へ飛び乗る。
「カイドウ、最初に決まりを確認するわよ」
「面倒だ」
「まだ何も言っていないでしょう!」
「どうせ、壊すなとか殴るなとかだろ」
「その通りよ」
「なら聞く必要はねェ」
「聞きなさい!」
シャルルは前足を一つずつ上げながら説明する。
「一つ。依頼人と荷物を守ること」
「ああ」
「二つ。必要以上に敵を傷つけないこと」
「無理だ」
「最初から諦めないで!」
「襲ってきた奴が弱けりゃ、勝手に壊れる」
「壊れるという言い方をしないでください!」
ウェンディが言う。
「三つ。街道や森や山を壊さないこと」
「全部邪魔になりそうな物ばかりだな」
「だから壊さないで!」
「四つ。勝手に酒を飲まないこと」
「護衛と関係ねェだろ」
「道中の町に酒場があったら、絶対に寄ろうとするでしょう」
「寄る」
「寄りません」
「魔導士の報酬は酒に使う」
「仕事が終わってからです」
「五つ」
シャルルが続ける。
「依頼人を脅さないこと」
「脅してねェ」
商隊の全員が、無言でカイドウを見た。
「何だ」
全員が目を逸らした。
「今の時点で脅しているのよ」
「勝手に怖がってるだけだ」
「だから、少しは笑いなさい」
「笑えだと?」
「笑顔なら、少しは怖くなくなるでしょう」
カイドウは考える。
そして、口角を大きく上げた。
「ウォロロロロ」
凶悪な笑みだった。
鋭い牙が覗き、目には戦いを楽しむような光が宿る。
商隊の男たちが一斉に青ざめた。
「笑わない方がましでした!」
ウェンディが叫ぶ。
「お前らが笑えと言ったんだろうが」
「普通の笑顔です!」
「これが普通だ」
「悪党の笑い方よ!」
シャルルが頭を抱える。
ゴードンは震える声で御者へ命じた。
「しゅ、出発しよう」
「はい、旦那」
「できるだけ早く」
「お気持ちは分かります」
三台の荷馬車が、ゆっくり動き始める。
カイドウは先頭の馬車の横を歩いていた。
ウェンディはその少し後ろ。
シャルルは上空から街道周辺を見張っている。
商隊の者たちは、盗賊よりも護衛の大男の方を警戒していた。
◇◇◇
出発して一時間。
街道は、まだ平和だった。
両側には深い森が広がり、鳥の声と馬車の車輪が地面を転がる音だけが聞こえている。
カイドウは退屈そうに歩いていた。
「遅ェな」
「荷馬車なんだから、これが普通よ」
空を飛ぶシャルルが答える。
「歩いた方が早い」
「荷物を置いていくつもり?」
「全部担げばいい」
カイドウは三台の荷馬車を眺める。
「このくらいなら運べる」
「馬車ごと?」
「ああ」
「絶対にやめてください」
ウェンディが念を押す。
「どうしてだ」
「荷物が壊れます」
「持ち上げるだけだ」
「力加減が苦手でしょう!」
「もう慣れた」
「昨日、薬の杯を置いて床にひびを入れました」
「あれは床が悪い」
「今日も物のせいにするんですね」
カイドウは鼻を鳴らした。
先頭の馬車では、ゴードンが御者席に座っている。
何度も後ろを振り返り、カイドウの様子を確認していた。
「ゴードンさん」
ウェンディが声をかける。
「何か気になることがありますか?」
「いや、その……」
ゴードンは言いにくそうにカイドウを見る。
「護衛の方が、ずっと不機嫌そうなので」
「退屈しているだけです」
「退屈すると暴れるのでは?」
「子供みたいに言うな」
カイドウが口を挟む。
「聞こえていましたか」
「全部聞こえてる」
「す、すみません」
「謝るな。余計に腹が立つ」
「では、どうすれば?」
「酒を出せ」
「駄目です」
ウェンディの声が即座に飛ぶ。
「まだ昼前です」
「時間は関係ねェ」
「仕事中です」
「護衛しながら飲める」
「できません」
「片手は空いてる」
「両手の問題じゃありません!」
ゴードンは乾いた笑いを浮かべた。
「本当に、ウェンディさんの言うことは聞くんですな」
「聞いてねェ」
「飲んでいないでしょう?」
「酒がねェだけだ」
「昨日の樽なら、宿にあります」
「縄で縛られてる」
「飲めないようにしました」
「小娘が管理してやがる」
「ウェンディです!」
カイドウは不満そうに歩き続ける。
その時、最後尾の馬車から声が上がった。
「止まってくれ!」
車輪の一つが、泥へ深く沈んでいた。
昨夜降った雨の影響で、街道の一部がぬかるんでいる。
御者が馬を進ませようとするが、車輪は空回りするだけで動かない。
「困ったな」
ゴードンが馬車を降りる。
「全員で押すしかない」
商隊の男たちが集まり、荷馬車の後ろへ手をかける。
ウェンディも手伝おうとする。
その前へ、カイドウが出た。
「どけ」
「カイドウさん?」
「邪魔だ」
カイドウは馬車の後ろへ片手を添える。
商隊の男たちが不安そうに見る。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなさそうだから、皆さん離れてください!」
ウェンディが叫ぶ。
全員が素早く距離を取った。
カイドウは腕へ少し力を込める。
「よっ」
その程度の掛け声だった。
荷馬車が泥から抜けた。
抜けたどころか、車輪が地面から浮き上がり、馬車全体が数メートル前へ飛んだ。
馬が驚いて嘶く。
御者が慌てて手綱を引く。
荷台の中で、食器の割れる音が連続して響いた。
がしゃん。
がしゃがしゃ。
がしゃあん。
全員が固まる。
カイドウは片手を下ろした。
「抜けたぞ」
「抜けたぞ、じゃありません!」
ウェンディが荷馬車へ駆け寄る。
「荷物が!」
ゴードンが荷台を確認する。
木箱がいくつも倒れ、その中から割れた陶器が見えていた。
「私の高級食器が……」
ゴードンの顔が引きつる。
「元から割れてた」
「今、音がしました!」
ウェンディが叫ぶ。
「道が悪い」
「また物のせいですか!」
「ぬかるんだ場所へ止めた御者が悪い」
「旦那、私のせいにされました」
御者が悲しそうに言う。
ゴードンは頭を抱えた。
「被害額が……」
「盗賊に奪われるよりましだろ」
「今のところ、盗賊よりあなたの方が被害を出しています!」
シャルルの言葉に、商隊の全員が無言で頷いた。
カイドウは周囲を睨む。
「何だ」
全員が目を逸らした。
「と、とにかく」
ウェンディが場をまとめる。
「これから荷馬車には触らないでください」
「助けただろうが」
「助け方が乱暴なんです!」
「なら、次から見てるだけにする」
「それも困ります!」
「面倒だな」
「その言葉は禁止です!」
◇◇◇
昼を過ぎた頃。
商隊は、森の奥へ続く狭い街道へ入った。
周囲の木々は高く、枝葉が空を覆っている。
日中であるにもかかわらず、道は薄暗い。
シャルルが上空から戻ってくる。
「この先、少し様子がおかしいわ」
「何かいるの?」
ウェンディが尋ねる。
「道の両側に人の気配がある。隠れているつもりみたいだけど」
カイドウの口元が上がる。
「やっとか」
「楽しそうにしないでください」
「護衛の仕事だろ」
「依頼人を守る仕事です。敵と遊ぶ仕事ではありません」
「同じだ」
「違います!」
ゴードンは顔を青くした。
「盗賊でしょうか」
「恐らくね」
シャルルが頷く。
「人数は二十人以上。前にも何人かいるわ」
「二十人」
ゴードンの声が震える。
「そんなに多いとは……」
商隊の男たちも不安そうに武器を握る。
護身用の剣や槍はある。
だが、本職の戦士ではない。
盗賊団とまともに戦えば、勝ち目は薄い。
ウェンディは両手を胸元へ寄せ、深呼吸した。
「私が前へ出ます」
「あ?」
カイドウがウェンディを見る。
「風の魔法で相手を押し返します。その間に、皆さんは馬車を守ってください」
「お前が出る必要はねェ」
「でも」
「おれが行く」
「カイドウさん」
「護衛は、襲ってきた奴を追い払えばいいんだろ」
「必要以上に傷つけないでください」
「分かってる」
「本当に?」
「殺さなきゃいい」
「基準が怖すぎます!」
街道の先に、倒れた木が見えてきた。
道を完全に塞いでいる。
荷馬車が止まる。
同時に、森の両側から人影が飛び出した。
粗末な鎧。
曲がった剣。
弓や斧を持つ男たち。
数は三十人近い。
前方の倒木の上には、赤い布を頭へ巻いた大柄な男が立っていた。
「止まれ!」
盗賊団の頭領らしき男が叫ぶ。
「命が惜しけりゃ、荷物と金を置いていけ!」
商隊の男たちが緊張する。
ゴードンは御者席で身を縮めた。
ウェンディはカイドウの前へ出ようとする。
だが、カイドウの大きな手が、彼女の頭を掴んで止めた。
「カイドウさん?」
「下がってろ」
「でも」
「お前が出るほどの相手じゃねェ」
カイドウは、ゆっくり前へ歩き出した。
盗賊たちの顔に困惑が浮かぶ。
遠目でも分かるほど大きな男。
二本の角。
悪党そのものの顔。
盗賊団の一人が、小声で仲間へ尋ねる。
「頭領」
「何だ」
「あいつ、こっち側じゃないんですか?」
「知らん」
「どう見ても商人の護衛じゃないですよ」
「向こうの盗賊団の奴じゃないですか?」
「そんな話は聞いてねェ」
頭領は咳払いし、カイドウを睨む。
「おい、そこの大男!」
「あ?」
「お前は何者だ!」
カイドウは立ち止まる。
「百獣のカイドウ」
「どこの盗賊団だ!」
「海賊だ」
「やっぱり同業者じゃねェか!」
盗賊たちの間にざわめきが広がる。
ウェンディが後ろから叫ぶ。
「今は化猫の宿の魔導士です!」
「魔導士だと?」
頭領が目を見開く。
「その見た目で?」
「おれもそう思う」
シャルルが小声で呟く。
カイドウは頭領を睨む。
「道を空けろ」
「何だと?」
「仕事中だ」
「海賊が商人の護衛だと?」
「魔導士だからな」
「自分で言い切ったわね」
シャルルが呆れる。
頭領は、しばらくカイドウを見た。
そして、笑い出した。
「はっはっは! 何を言い出すかと思えば!」
盗賊たちもつられて笑う。
「角を生やした化け物一人で、俺たちを止めるつもりか!」
「一人じゃないです!」
ウェンディが声を上げる。
「私たちもいます!」
盗賊たちがウェンディを見る。
小柄な少女と白いエクシード。
さらに笑い声が大きくなる。
「子供と猫じゃねェか!」
「猫じゃないわ!」
シャルルの怒声が響く。
「こいつら、本気で俺たちを止めるつもりだ!」
頭領は剣を抜いた。
「大男! 荷物を置いて消えろ! そうすれば命だけは助けてやる!」
「命を助ける?」
カイドウの口元が歪む。
「お前らが、おれを?」
「何がおかしい!」
「ウォロロロロロ!」
カイドウの笑い声が森へ響き渡る。
木々の葉が震え、鳥たちが一斉に飛び立った。
盗賊たちの笑いが止まる。
空気が変わった。
先ほどまで、ただ大きく恐ろしいだけに見えた男。
だが、今は違う。
目に見えない何かが、カイドウの全身から広がっていた。
重い。
息が苦しい。
立っているだけで膝が震える。
ウェンディも、その圧力を感じた。
「カイドウさん?」
「手を出すな」
低い声だった。
「すぐ終わる」
カイドウが一歩踏み出す。
盗賊の一人が反射的に弓を放った。
矢がカイドウの胸へ向かう。
しかし。
矢は肌へ触れた瞬間、折れた。
「……え?」
盗賊の顔が固まる。
カイドウは胸元へ落ちた矢を見る。
「今、何かしたか」
「ば、化け物!」
「だから言ったでしょう」
シャルルが小さく呟く。
「存在そのものが災害なのよ」
「全員でかかれ!」
頭領が叫ぶ。
盗賊たちが一斉に走り出す。
剣。
斧。
槍。
四方から武器が振り下ろされる。
カイドウは避けなかった。
剣は肌で止まり、斧は刃が欠け、槍は柄が折れた。
盗賊たちの顔が青ざめる。
「何だ、こいつ……」
「武器が通らねェ!」
「魔法か!?」
「違う」
カイドウは腕を振った。
それだけで、近くにいた盗賊五人が風圧に吹き飛ばされた。
木の幹へ叩きつけられ、地面へ落ちる。
「必要以上に傷つけないでください!」
ウェンディが叫ぶ。
「加減してる!」
「今、五人まとめて飛びました!」
「生きてるだろ」
「そういう問題じゃありません!」
別の盗賊が、背後からカイドウへ飛びかかる。
カイドウは振り返らず、片手で男の顔を掴んだ。
そのまま持ち上げる。
「ひっ!」
「おい」
カイドウは男を睨む。
「お前ら、商隊を何度襲った」
「し、知らねェ!」
「そうか」
指に少し力が入る。
「痛い痛い痛い! 三回! 三回です!」
「奪った物は」
「アジトにあります!」
「全部返せ」
「はい!」
「仲間にも言え」
「はい!」
カイドウは男を地面へ下ろした。
盗賊は腰が抜け、その場へ座り込む。
「何をしてる!」
頭領が怒鳴る。
「相手は一人だ! 囲んで押さえろ!」
盗賊たちは恐怖を押し殺し、再び距離を詰める。
カイドウは面倒そうに溜息を吐いた。
「数が多いな」
ウェンディの顔が変わる。
カイドウが「面倒」と感じた時は危険である。
「カイドウさん!」
「分かってる」
「炎は駄目です!」
「使わん」
「雷も駄目です!」
「使わん」
「森を壊さないでください!」
「しつこい」
カイドウは片足を上げる。
そして、地面へ軽く踏み下ろした。
轟音。
街道が大きく揺れる。
地面に亀裂が走り、盗賊たちが一斉に体勢を崩した。
何人かは尻もちをつき、武器を落とす。
「地面を壊しているじゃないですか!」
ウェンディが叫ぶ。
「少しだ」
「街道に亀裂が入りました!」
「埋めりゃいい」
「誰が埋めるんですか!」
「盗賊どもだ」
カイドウは倒れた盗賊たちを見下ろす。
「お前ら、この道を直せ」
「え?」
「奪った物も返せ」
「な、何を勝手に――」
頭領が言いかけた瞬間。
カイドウの視線が向く。
「文句があるのか」
「ありません!」
頭領は即答した。
先ほどまでの威勢は消えていた。
「武器を捨てろ」
カイドウが言う。
誰も動かない。
カイドウが片眉を上げる。
「聞こえなかったか」
盗賊たちは一斉に武器を投げ捨てた。
剣、槍、斧、弓。
街道の上に、次々と武器が落ちる。
「頭領!」
一人の盗賊が震えながら言う。
「こいつに逆らうのは無理です!」
「分かってる!」
「俺たち、どうすれば?」
「知らん!」
頭領はカイドウを見上げる。
そして、地面へ両膝をついた。
「降参だ!」
両手を上げる。
「だから命だけは助けてくれ!」
他の盗賊たちも、次々と地面へ膝をつく。
「降参します!」
「もう襲いません!」
「奪った物も返します!」
「道も直します!」
「畑も耕します!」
「なぜ畑まで?」
シャルルが首を傾げる。
「何でもしますから!」
街道の真ん中で、三十人近い盗賊が一斉に頭を下げていた。
カイドウは、つまらなそうに見下ろす。
「もう終わりか」
「十分です!」
ウェンディが駆け寄る。
「誰も大怪我していませんよね?」
「たぶん」
「たぶんじゃ困ります!」
ウェンディは倒れている盗賊たちを確認する。
木へ叩きつけられた者もいるが、骨折はしていない。
地面へ叩きつけられた者も、気絶しているだけだった。
確かに、カイドウなりに加減していたらしい。
「大丈夫です」
ウェンディが安堵する。
「大きな怪我はありません」
「言っただろ」
「でも、街道にひびが入っています」
「盗賊が直す」
頭領が何度も頷く。
「直します! 今すぐ直します!」
「素直な奴らだな」
「あなたが怖いだけよ」
シャルルが言う。
商隊の者たちは、遠くからその光景を見ていた。
誰も近づこうとしない。
ゴードンは荷馬車の陰から、恐る恐る顔を出す。
「終わったのですか?」
「ああ」
カイドウが答える。
ゴードンの肩が跳ねる。
「ひっ」
「何だ」
「い、いえ。何でもありません」
「荷物は無事です」
ウェンディが笑顔で言う。
「盗賊団も降参しました」
「そ、そうですか」
ゴードンは街道に並ぶ盗賊たちを見る。
全員が正座し、カイドウへ怯えた視線を向けている。
「護衛を頼んだつもりが、盗賊団を支配しているように見えるのですが」
「おれも同じことを思ったわ」
シャルルが答える。
「こいつらを町まで連れていくぞ」
カイドウが言う。
「え?」
「役人に渡せばいいんだろ」
「そうですけど」
「歩かせろ」
頭領たちが立ち上がる。
武器はすべて商隊の荷馬車へ積まれた。
両手を頭の後ろへ組み、盗賊団が列を作る。
その後ろをカイドウが歩く。
さらにその後ろへ荷馬車が続く。
妙な行列だった。
「護衛の順番がおかしくありませんか?」
ウェンディが呟く。
「本来なら、カイドウが商隊を守るはずよね」
シャルルが答える。
「今は盗賊団がカイドウの前を歩いて、商隊がその後ろにいます」
「おれを先頭にしたら、こいつらが逃げるだろ」
「それはそうですけど」
ゴードンが御者席から言う。
「むしろ、盗賊たちが我々を護衛しているようにも見えますな」
実際、盗賊たちは街道の危険な場所を先に確認し、ぬかるみがあれば土を入れ、倒れた枝があれば片づけていた。
すべて、カイドウに睨まれたくない一心である。
「頭領!」
一人の盗賊が声を上げる。
「この先、石が落ちています!」
「どけろ!」
「はい!」
盗賊たちが一斉に石を運ぶ。
カイドウは腕を組み、後ろから見ているだけだった。
シャルルの片目が引きつる。
「護衛任務なのに、何もしていないわね」
「盗賊を捕まえた」
「その後の道の安全確認は、盗賊たちがやっているでしょう」
「働かせてる」
「自分が働きなさい!」
ウェンディは困ったように笑う。
「でも、道は安全になっていますね」
「そういう問題じゃないわ」
シャルルは溜息を吐いた。
◇◇◇
夕方。
商隊は、目的地である街へ到着した。
街の門番たちは、最初に盗賊団の列を見て警戒した。
だが、その後ろにいるカイドウを見た瞬間、さらに強く警戒した。
「止まれ!」
門番が槍を構える。
「その集団は何だ!」
「盗賊団だ」
カイドウが答える。
「お前は誰だ!」
「百獣のカイドウ」
「どこの盗賊団だ!」
「また同じやり取りね」
シャルルが呆れる。
ウェンディが前へ出て、事情を説明する。
「私たちは化猫の宿の魔導士です。護衛任務の途中で盗賊団に襲われたので、捕まえて連れてきました」
「捕まえた?」
門番は、盗賊たちを見る。
頭領を含め、全員が大人しく並んでいる。
縄で縛られてすらいない。
「逃げないのか?」
門番が頭領へ尋ねる。
頭領は、背後のカイドウを見た。
カイドウと目が合う。
「逃げません!」
頭領は全力で答えた。
「もう盗賊もやめます!」
「何でもします!」
「道も直します!」
「畑も耕します!」
「だから何で畑なのよ」
シャルルが呟く。
門番たちは事情を理解しきれないまま、盗賊団を引き取った。
ゴードンの商隊は無事、街の商店へ荷物を届ける。
途中で割れた食器以外は、ほとんど被害がなかった。
ゴードンは報酬の入った袋をウェンディへ差し出す。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ご依頼ありがとうございました」
ウェンディが頭を下げる。
ゴードンは、次にカイドウを見る。
少し怯えながらも、今度は逃げずに言った。
「カイドウさんも、ありがとうございました」
「ああ」
「正直、最初は盗賊より怖い方だと思いました」
「今も思ってるだろ」
「はい」
「正直だな」
ゴードンは苦笑する。
「ですが、あなたがいなければ、荷物を守れなかったでしょう」
「盗賊どもが弱すぎた」
「それでもです」
ゴードンは別の小さな包みを取り出す。
「こちらは、私からの個人的なお礼です」
カイドウが受け取る。
包みから、瓶の首が見えた。
酒だった。
カイドウの目が輝く。
「分かってるじゃねェか」
「護衛のお礼に、街で評判の酒を一本」
「三本はねェのか」
「一瓶です」
「十分です!」
ウェンディが包みを取り上げた。
カイドウの顔が固まる。
「おい」
「私が持ちます」
「おれへの礼だぞ」
「宿に戻ってからです」
「今飲む」
「駄目です」
「仕事は終わった」
「これから帰る仕事が残っています」
「帰りは依頼じゃねェ」
「それでも危険です!」
「飲んでも歩ける」
「途中で森を壊したら困ります!」
カイドウが酒瓶へ手を伸ばす。
ウェンディは背中へ隠す。
シャルルが二人の間へ飛び込む。
「街中で騒がないで!」
「白狸、どけ」
「エクシードよ!」
ゴードンは、その様子を見て笑った。
最初は恐ろしくて仕方がなかった大男。
だが今は、酒を取り上げられた子供のように見える。
「カイドウさん」
「何だ」
「次に護衛を頼む時も、お願いできますかな」
カイドウは少し考える。
「酒三本ならな」
「交渉してる場合じゃありません!」
ウェンディが叫ぶ。
「報酬はギルドを通してください!」
「お前は細けェな」
「決まりです!」
ゴードンは大声で笑った。
「分かりました。次は化猫の宿を通して、正式にお願いします」
「また依頼してくださるんですか?」
ウェンディが驚く。
「もちろんです」
ゴードンは頷いた。
「途中で食器は割れましたが、盗賊団を丸ごと捕らえた護衛は初めてです。それに、あの方がいる限り、二度とこの道で襲われることはないでしょう」
実際、捕らえられた盗賊たちは、役人へ同じことを何度も訴えていた。
二度と盗賊はしない。
街道へ近づかない。
あの角の男がいる場所へは、絶対に行かない。
その噂は、翌日には近隣の盗賊団へ広がることになる。
街道に、商人を守る巨大な鬼が現れた。
武器は通らず、三十人の盗賊を視線だけで降伏させた。
逆らえば山ごと消される。
噂は人から人へ伝わるたび、大きくなっていった。
やがてその道は、周辺で最も安全な街道と呼ばれるようになる。
もっとも。
その理由が、商隊を守る魔導士の存在ではなく、盗賊たちがカイドウを恐れて近づかなくなったからだとは、一般の者には知られなかった。
◇◇◇
化猫の宿へ戻った時には、すでに夜になっていた。
広間では、ローバウルと他の魔導士たちが帰りを待っていた。
「お帰り」
「ただいま戻りました」
ウェンディが答える。
「依頼はどうじゃった?」
「無事に終わりました」
「荷物も守れたのかのう」
「食器が少し割れました」
「少しじゃありません!」
シャルルが口を挟む。
「カイドウが荷馬車を押して、箱が倒れたのよ!」
「ぬかるみから助けた」
「飛ばしたのよ!」
「盗賊は?」
ローバウルが尋ねる。
「捕まえました」
ウェンディが答える。
「三十人ほど」
「三十人?」
「全員、降参しました」
「カイドウが何人か木へ飛ばしたけどね」
「大怪我はさせてねェ」
カイドウが言う。
「おれは加減した」
ローバウルは少し驚いた後、穏やかに笑った。
「そうか。よくやったのう」
「褒美は」
「依頼の報酬があるじゃろう」
ウェンディが報酬袋を渡す。
ローバウルは中身を確認し、規定の取り分を計算する。
「これだけあれば、カイドウの借金も少し減るのう」
「全部おれの金じゃねェのか」
「ギルドの取り分と、壊した食器代を引く」
「何?」
「さらに、往路で街道にひびを入れた修理代も必要じゃな」
「盗賊が直すと言った」
「だとしても、確認は必要じゃ」
「なら、いくら残る」
ローバウルは計算する。
しばらくして、小さな硬貨を二枚だけカイドウの手へ乗せた。
「これだけじゃ」
カイドウは無言で硬貨を見る。
大きな手の上では、二枚の硬貨が砂粒のように小さく見える。
「……酒は買えるか」
「安いものなら一杯ほどじゃな」
「一日働いて、一杯か」
「壊さなければ、もっと残ったわ」
シャルルが言う。
カイドウの顔が険しくなる。
「働く意味があるのか」
「壊さなければいいんです!」
ウェンディが言う。
「今日は最初の依頼でしたから。次は、もっと丁寧にやれば報酬が残ります」
「面倒だ」
「その言葉は禁止です!」
カイドウは、ウェンディが持っている包みを見る。
ゴードンからもらった酒瓶だ。
「それを寄越せ」
「一杯だけですよ」
「一瓶もらった」
「一杯です」
「依頼を終えた」
「だから一杯です」
「盗賊を三十人捕まえた」
「一杯です」
「街道を安全にした」
「一杯です」
「荷馬車も助けた」
「食器を割りました」
「……」
カイドウが黙る。
シャルルが少し笑う。
「最後は自分で不利になったわね」
「うるせェ」
ウェンディは大きな木の杯を用意し、酒を少し注いだ。
以前よりは大きい。
カイドウの体格に合わせ、ローバウルが新しく作らせたものだった。
「今日は頑張ったので、少しだけ多めです」
「最初からこれを出せ」
「飲み過ぎないでくださいね」
「分かってる」
「ゆっくり味わってください」
「分かってる」
「一気に飲まないでください」
「しつこい」
カイドウは杯を受け取る。
今度は、本当にゆっくり口へ運んだ。
一口。
喉を通る酒の熱。
芳醇な香り。
ゴードンが選んだだけあり、質は悪くない。
「……うまい」
カイドウが小さく呟く。
ウェンディが嬉しそうに笑う。
「よかったです」
「もう一杯」
「駄目です」
「なぜだ!」
「今日はこれで終わりです」
「今、うまいと言ったばかりだぞ!」
「味わえたなら十分です」
「足りん!」
「駄目です!」
カイドウは酒瓶へ手を伸ばす。
ウェンディが抱えて逃げる。
シャルルが翼を出し、酒瓶を持つウェンディを空へ運ぶ。
「待て!」
「嫌です!」
「仕事をしたんだぞ!」
「だから一杯飲ませました!」
「一杯じゃ足りん!」
「飲み過ぎです!」
カイドウが二人を追う。
今度は入り口の梁へ角をぶつけないよう、きちんと屈んだ。
その姿を見て、ローバウルは満足そうに頷く。
「少しは成長したのう」
だが、カイドウは空を飛ぶシャルルばかり見ていたため、床に置かれた報酬袋を踏んだ。
硬貨が勢いよく広間へ散らばる。
「あっ」
カイドウの動きが止まる。
ウェンディも空中から振り返る。
シャルルは目を細めた。
「自分で拾いなさい」
「お前らが逃げるからだ」
「また人のせいにする!」
結局。
百獣のカイドウが魔導士として受けた初めての正式な護衛任務は、無事に成功した。
依頼人も。
荷物も。
商隊の者たちも。
大きな怪我なく目的地へ到着した。
盗賊団は全員捕まり、街道も以前より安全になった。
ただし。
高級食器が三箱割れ。
街道には亀裂が入り。
報酬の大半は弁償へ消えた。
それでも、カイドウは少しだけ満足していた。
元の世界では、誰かを守って報酬をもらうなど考えたこともなかった。
奪う側だった男が、初めて荷物を守った。
本人は酒を買うためだと言い張るだろう。
しかし、商隊へ盗賊が近づいた時。
カイドウがウェンディを自分の後ろへ下がらせたことを、シャルルは見逃していなかった。
「ねえ、ウェンディ」
「何?」
空中で酒瓶を抱えたまま、ウェンディが尋ねる。
「あの男、少しずつ魔導士らしくなっているのかもしれないわね」
「うん」
ウェンディは微笑む。
「そうだね」
「聞こえてるぞ!」
床へ散らばった硬貨を拾いながら、カイドウが叫ぶ。
「おれは海賊だ!」
「今は魔導士でしょう!」
「酒を稼ぐためだけだ!」
「それでも魔導士です!」
「ウォロロロロ! なら次は、もっと高い依頼を持ってこい!」
「壊さない依頼にしてください!」
「敵が多い方がいい!」
「話を聞いてください!」
翌朝。
化猫の宿の依頼掲示板には、新しい依頼が貼られることになる。
内容は――山間の村で続く、謎の雷雨の調査。
空を覆う黒雲。
雷を操る正体不明の魔導士。
そして、その依頼書を見たカイドウは、誰よりも先に笑うのだった。
「雷か」
かつて雷鳴八卦を振るい、天候すら支配した最強生物。
彼が魔法の雷と出会うまで、あと少し。
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