『百獣のカイドウ、化猫の宿で居候になる 』   作:パスカルDX

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第5話 雷竜と青龍、村の上空で喧嘩する

第5話 雷竜と青龍、村の上空で喧嘩する

 

 

 フィオーレ王国の北東部。

 

 深い山々に囲まれた小さな村では、七日間にわたって雷雨が続いていた。

 

 昼も夜も関係なく、空には分厚い黒雲が広がり、轟音と共に雷が落ちる。

 

 本来なら雨の少ない季節だった。

 

 にもかかわらず、村の畑は水に浸かり、山道は泥に埋まり、住民たちは満足に外へ出ることすらできない。

 

 さらに奇妙なことに、雷は無差別に落ちているわけではなかった。

 

 村の家々や住民を避けるように、畑の外や山の中へ集中して落ちている。

 

 まるで、誰かが意図的に雷を操っているかのように。

 

 村長は、この異常気象が魔導士の仕業ではないかと考え、近隣の魔導士ギルドへ調査依頼を出した。

 

 そして、その依頼書は《化猫の宿》へ届けられた。

 

「雷を操る魔導士か」

 

 朝の広間。

 

 依頼書を片手で持ちながら、カイドウは愉快そうに口角を上げていた。

 

 紙には、黒雲の下で何度も雷が落ちる山の絵が描かれている。

 

「面白そうじゃねェか」

 

「調査依頼です」

 

 カイドウの隣で、ウェンディが念を押した。

 

「戦闘依頼ではありませんよ」

 

「原因が魔導士なら、殴れば終わる」

 

「終わりません!」

 

「なぜだ」

 

「まず、お話を聞いてください」

 

「話しても雷は止まらん」

 

「話すことで止まるかもしれません!」

 

「止まらなかったら殴る」

 

「先に殴らないでください!」

 

 カイドウは依頼書を眺めたまま、鼻を鳴らした。

 

 黒い長髪の間から伸びる二本の角。

 

 大きく開いた上着。

 

 背中には、化猫の宿の紋章が刻まれている。

 

 ギルドへ加入して数日。

 

 依頼人を助けるという行為には、少しずつ慣れてきた。

 

 しかし、依頼の解決方法は相変わらず力任せだった。

 

 村を襲う魔物は殴り飛ばす。

 

 盗賊団は威圧して降伏させる。

 

 ぬかるみにはまった荷馬車は、荷物ごと空へ飛ばす。

 

 最後の行動だけは依頼人に怒られたが、カイドウ本人は助けたつもりでいる。

 

「それに、まだ怪我は完全に治っていません」

 

 ウェンディは、カイドウの腕へ巻かれた包帯を見る。

 

 傷の多くは塞がっている。

 

 だが、麦わらのルフィとの戦いで負った傷は深い。

 

 異世界へ転移した際に力の一部を失い、若返ったこともあり、肉体はまだ完全な状態ではなかった。

 

「もう薬はいらん」

 

「飲んでください」

 

「昨日も飲んだ」

 

「今日の分がまだです」

 

「雷の調査が先だ」

 

「薬が先です」

 

「依頼は急ぎだろ」

 

「薬を飲むのに一分もかかりません」

 

「一分も、あんなまずい物を飲むために使うのか」

 

「一気に飲めば数秒です」

 

「なら酒で流し込む」

 

「駄目です」

 

 ウェンディは大きな木の杯を差し出した。

 

 中には、薬草を煎じた濃い緑色の液体が入っている。

 

 カイドウは杯を受け取らず、じっと薬を睨んでいた。

 

 その顔は、今から強敵と命を懸けて戦うかのように険しい。

 

 シャルルは近くの机へ座りながら、呆れた表情を浮かべる。

 

「たかが薬で、いつまで睨み合っているのよ」

 

「白狸には分からん」

 

「エクシードよ」

 

「この薬は、おれの敵だ」

 

「飲み物を敵にしないで」

 

「毒より苦い」

 

「毒を飲んだことがあるの?」

 

「何度もある」

 

「どういう人生を送ってきたのよ!」

 

 カイドウは大きく溜息を吐いた。

 

 ウェンディが一歩も退くつもりがないことは、この数日で十分に理解している。

 

 結局、杯を受け取り、目を閉じて中身を一気に飲み干した。

 

「……まずい」

 

「今日も元気ですね」

 

「毎朝、同じことを言うな」

 

「毎朝、同じ感想を言うからです」

 

 ウェンディは空になった杯を受け取る。

 

「これで出発できます」

 

「最初から黙って飲めば、もっと早く出発できたでしょう」

 

 シャルルが言う。

 

「誰が黙って飲むか」

 

「薬に抗議しても味は変わらないわよ」

 

「なら、明日から酒を入れろ」

 

「入れません!」

 

 広間にウェンディの声が響く。

 

 少し離れた場所では、ローバウルがいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「今回は、山間の村まで少し距離がある」

 

 ローバウルは依頼書を確認しながら言う。

 

「途中の山道も、雨で荒れておるかもしれん。気をつけるのじゃぞ」

 

「分かりました」

 

 ウェンディが頷く。

 

「原因を調べ、可能なら雷雨を止めてきます」

 

「原因が魔導士なら、おれが止める」

 

 カイドウが拳を握る。

 

「殴らずに、です」

 

「無理なら殴る」

 

「最初から殴るつもりですよね」

 

「相手が強けりゃな」

 

「だから、戦いに行くんじゃありません!」

 

 カイドウは返事をせず、依頼書を腰の縄へ差し込んだ。

 

「行くぞ」

 

「まだ話は終わっていません!」

 

「歩きながら聞く」

 

「絶対に聞かないでしょう!」

 

 カイドウは入り口へ向かう。

 

 梁へ角をぶつけないよう、今ではきちんと体を屈めるようになっていた。

 

 その姿を見たローバウルは、少し感心したように頷く。

 

「成長したのう」

 

「角をぶつけないことが成長になるんですか?」

 

 シャルルが疑問を口にする。

 

「カイドウにしては大きな成長じゃ」

 

「お前ら、聞こえてるぞ」

 

          ◇◇◇

 

 村へ向かう山道は、予想以上に荒れていた。

 

 空は厚い雲に覆われ、絶えず低い雷鳴が響いている。

 

 道は雨水で泥だらけになり、場所によっては小さな川のようになっていた。

 

 ウェンディは雨具を羽織り、慎重に足を進めている。

 

 シャルルは翼を出して空を飛んでいたが、強い風に何度も体を流されていた。

 

 カイドウだけは雨具を着ていない。

 

 黒い髪も上着も濡れているが、本人は気にした様子もなく、普段通り歩いていた。

 

「カイドウさん、寒くないんですか?」

 

 ウェンディが尋ねる。

 

「この程度の雨で寒がるか」

 

「風邪を引きますよ」

 

「引かん」

 

「怪我が治っていないんですから、体を冷やさないでください」

 

「面倒だ」

 

「その言葉は禁止です!」

 

 カイドウは空を見上げる。

 

 遠くの山へ、青白い雷が落ちた。

 

 轟音が遅れて響き、地面がわずかに震える。

 

「ただの雷じゃねェな」

 

「分かるんですか?」

 

「ああ」

 

「何が違うの?」

 

 シャルルが高度を下げながら尋ねる。

 

「雷に、人間の気配が混じってる」

 

 カイドウは目を細めた。

 

 悪魔の実の力。

 

 覇気。

 

 そして、アースランドの魔力。

 

 この世界へ来たばかりの頃は、それぞれの違いを理解できなかった。

 

 だが、化猫の宿で過ごし、魔導士たちの力を目にするうちに、魔力の気配が少しずつ分かるようになってきていた。

 

「かなり強ェ」

 

 カイドウの口元が上がる。

 

 ウェンディは、その表情を見て嫌な予感を覚えた。

 

「嬉しそうにしないでください」

 

「久しぶりに、少しは殴り合えそうだ」

 

「調査です!」

 

「分かってる」

 

「本当ですか?」

 

「向こうが殴ってきたら殴り返す」

 

「避けるという選択肢はないんですか?」

 

「ない」

 

「即答しないでください!」

 

 その時。

 

 上空で雷鳴が響いた。

 

 黒雲の中を、黄金色の光が走る。

 

 直後、カイドウたちの進む道の数十メートル先へ雷が落ちた。

 

 地面が爆発し、泥と石が舞い上がる。

 

「きゃっ!」

 

 ウェンディが腕で顔を庇う。

 

 シャルルは風に煽られ、空中で体勢を崩した。

 

「シャルル!」

 

「大丈夫よ!」

 

 雷が落ちた場所から、白い煙が上がる。

 

 やがて、その煙の中から一人の男が姿を現した。

 

 金色の短い髪。

 

 大柄で筋肉質な体。

 

 黒い上着を肩へかけ、耳には音楽を聴くための魔法道具。

 

 鋭い目つき。

 

 体の周囲には、黄金色の雷がまとわりついている。

 

 男は両手をポケットへ入れたまま、カイドウたちを眺めていた。

 

「何だ、お前ら」

 

 低く、威圧的な声。

 

 カイドウが一歩前へ出る。

 

「あ?」

 

「ここは立ち入り禁止だ」

 

 金髪の男は、面倒そうに言った。

 

「山の上で仕事をしてる。邪魔だから帰れ」

 

「この雷雨は、お前の仕業か」

 

 カイドウが尋ねる。

 

「だったら何だ」

 

「村の連中が困ってる」

 

「村?」

 

 男の眉が少し動く。

 

「雷は村を避けて落としてる。被害は出してねェはずだ」

 

「畑が水に浸かっています」

 

 ウェンディが前へ出る。

 

「山道も崩れています。村の人たちは外へ出ることができません」

 

 男はウェンディを見る。

 

 水色の長髪。

 

 幼い少女。

 

 そして、その体から漂う滅竜魔法の気配。

 

「お前」

 

「はい?」

 

「滅竜魔導士か」

 

 ウェンディが目を丸くする。

 

「分かるんですか?」

 

「ああ。匂いでな」

 

 男の体から、雷が強く弾けた。

 

 カイドウの目が細くなる。

 

「お前も、龍を喰う力を持ってんのか」

 

「お前も?」

 

 男の視線が、今度はカイドウへ向く。

 

 そこで初めて、金髪の男はカイドウを注意深く観察した。

 

 二本の角。

 

 巨大な体。

 

 人間とは思えないほど濃い生命力。

 

 そして、その体の奥に眠る、巨大な龍の気配。

 

「何だ、お前」

 

「百獣のカイドウ」

 

「知らねェ名だな」

 

「おれも、お前を知らん」

 

 二人の視線がぶつかる。

 

 空気が重くなる。

 

 ウェンディの髪が風もないのに揺れ始めた。

 

 シャルルが険しい顔をする。

 

「嫌な感じね」

 

「うん」

 

 ウェンディも頷く。

 

 カイドウが強者を見つけた時の顔をしている。

 

 それだけではない。

 

 目の前の金髪の男も、カイドウとよく似た目をしていた。

 

 自分の強さに絶対的な自信を持ち、他人に頭を下げることを知らない者の目。

 

「お前、名は」

 

 カイドウが尋ねる。

 

「ラクサス・ドレアー」

 

「ラクサス」

 

「妖精の尻尾の魔導士だ」

 

 ウェンディが驚く。

 

「妖精の尻尾?」

 

 フィオーレ王国でも有名な魔導士ギルド。

 

 問題を起こすことでも知られているが、所属する魔導士たちの実力は非常に高い。

 

 その中でもラクサスという名は、化猫の宿にまで届いていた。

 

「雷の滅竜魔導士、ラクサス・ドレアー」

 

 シャルルが小声で呟く。

 

「かなり有名な魔導士よ」

 

「ほう」

 

 カイドウは愉快そうに笑った。

 

「雷の滅竜魔導士か」

 

「お前は何だ」

 

 ラクサスが尋ねる。

 

「その匂い。人間じゃねェな」

 

「おれは龍だ」

 

 カイドウが答える。

 

「正確には、龍になる力を持つ人間です!」

 

 ウェンディが慌てて補足した。

 

「悪魔の実という物を食べて、青龍に変身できるんです」

 

「悪魔の実?」

 

「こことは別の世界にある物です」

 

「別の世界だと?」

 

 ラクサスが片眉を上げる。

 

 カイドウは面倒そうに鼻を鳴らした。

 

「細かい話はどうでもいい」

 

「よくありません!」

 

 ウェンディが抗議する。

 

「依頼の原因を調べるために来たんですから、まず事情を聞かないと」

 

「事情?」

 

 ラクサスは山の上を振り返る。

 

「この先に、雷を喰う魔物の群れがいる」

 

「雷を喰う魔物?」

 

「ああ。山の中で増えすぎて、近くの村まで下りようとしてやがった」

 

 ラクサスの話によれば、山頂近くに雷雲を餌とする魔物の群れが巣を作ったらしい。

 

 魔物は雷を吸収するほど強くなり、やがて山を下りて村を襲う恐れがあった。

 

 ラクサスは別の依頼で近くを通りかかり、その存在に気づいた。

 

 そこで自分の雷を山へ落とし、魔物を一か所へ集めて討伐していたという。

 

「では、村を守るために雷を落としていたんですね」

 

 ウェンディが言う。

 

「結果としてはな」

 

「なぜ村の人に説明しなかったの?」

 

 シャルルが尋ねる。

 

「面倒だった」

 

 ラクサスが答える。

 

 ウェンディとシャルルは同時にカイドウを見る。

 

「何だ」

 

「似ているわ」

 

 シャルルが呟く。

 

「誰と誰がだ」

 

「あなたと、この人」

 

「似てねェ」

 

 カイドウが言う。

 

「似てる」

 

 ラクサスも答えた。

 

「おい」

 

「お前も面倒だから説明しねェタイプだろ」

 

「説明しても、弱い奴には分からん」

 

「ほら、似ているでしょう」

 

 シャルルが言う。

 

「同じにするな、白狸」

 

「エクシードよ!」

 

 ラクサスはシャルルを見た。

 

「喋る猫か」

 

「猫じゃないわ!」

 

「白い狸だ」

 

 カイドウが言う。

 

「あなたが余計なことを教えるからでしょう!」

 

 シャルルの怒声が山道に響く。

 

 ウェンディは気を取り直し、ラクサスへ尋ねた。

 

「魔物は、まだ残っているんですか?」

 

「ああ。最後の一群が山頂にいる」

 

「私たちも手伝います」

 

「いらねェ」

 

 ラクサスは即答した。

 

「俺一人で十分だ」

 

 カイドウの目が細くなる。

 

「一人で十分?」

 

「ああ」

 

「おれがいてもか」

 

「お前が何者かは知らねェが、邪魔をするなら吹き飛ばす」

 

 黄金色の雷が、ラクサスの肩から弾ける。

 

 カイドウの口元が大きく歪んだ。

 

「ウォロロロロ」

 

 その笑い声を聞いた瞬間、ウェンディの顔から血の気が引いた。

 

「カイドウさん」

 

「何だ」

 

「戦わないでください」

 

「まだ何もしてねェ」

 

「顔が戦う気です!」

 

「向こうが吹き飛ばすと言った」

 

「言葉の綾です!」

 

「違ェな」

 

 ラクサスが前へ出る。

 

「俺は本気で言った」

 

「ラクサスさん!」

 

 ウェンディが二人の間に入ろうとする。

 

 だが、カイドウが大きな手でウェンディの頭を掴み、自分の横へ移動させた。

 

「邪魔だ、小娘」

 

「ウェンディです!」

 

「下がってろ」

 

「駄目です!」

 

「少し試すだけだ」

 

「その少しで山がなくなります!」

 

 カイドウは聞いていなかった。

 

 ラクサスも、ウェンディの制止に耳を貸していない。

 

 二人は互いに数メートルの距離を空けて立つ。

 

 黒雲の中で雷が鳴る。

 

 片方は、雷の滅竜魔導士。

 

 片方は、雷と炎と風を操る青龍。

 

 互いの力が呼応するように、空気が震え始めた。

 

「先に言っておく」

 

 ラクサスが拳へ雷を集める。

 

「俺は手加減が苦手だ」

 

「奇遇だな」

 

 カイドウの腕へ、青い鱗が浮かび上がる。

 

「おれもだ」

 

「それを奇遇で済ませないでください!」

 

 ウェンディの叫びが響いた。

 

 次の瞬間。

 

 ラクサスの姿が消えた。

 

 黄金色の雷となり、一直線にカイドウへ迫る。

 

「雷竜の崩拳!」

 

 雷をまとった拳が、カイドウの腹へ叩き込まれた。

 

 轟音。

 

 雷光が周囲を白く染める。

 

 カイドウの巨体が後方へ吹き飛び、山道の岩壁へ激突した。

 

 岩が砕け、土煙が舞い上がる。

 

「カイドウさん!」

 

 ウェンディが悲鳴を上げる。

 

 ラクサスは拳を下ろし、岩壁を見つめた。

 

「でかいだけか」

 

 だが。

 

 土煙の中から、低い笑い声が聞こえてくる。

 

「ウォロロロロ」

 

 カイドウが岩壁から出てくる。

 

 腹の服は焦げている。

 

 肌には赤い跡が残っていた。

 

 しかし、本人は笑っていた。

 

「いい拳だ」

 

 カイドウは首を回す。

 

 骨が鳴る。

 

「少し効いたぞ」

 

 ラクサスの目が鋭くなる。

 

「俺の拳を受けて立つか」

 

「今度はおれの番だ」

 

 カイドウが地面を蹴った。

 

 山道が陥没する。

 

 一瞬でラクサスの正面へ移動し、大きな拳を振り下ろす。

 

 ラクサスは腕を交差させて防御した。

 

 拳が触れた瞬間。

 

 空気が爆発した。

 

「ぐっ!」

 

 ラクサスの体が地面へ叩きつけられる。

 

 そのまま岩を砕きながら数十メートル滑っていった。

 

 ウェンディの髪が衝撃波で大きくなびく。

 

「カイドウさん!」

 

「加減した」

 

「地面が割れています!」

 

「生きてる」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 ラクサスは片膝をつき、口元の血を手の甲で拭った。

 

 そして、笑った。

 

「面白ェ」

 

「そうだろ」

 

 カイドウも笑う。

 

 シャルルは青ざめた顔で二人を見る。

 

「最悪だわ」

 

「どうしよう、シャルル」

 

「止めるしかないでしょう」

 

「どうやって?」

 

「それを今考えているのよ!」

 

 ラクサスの体から、さらに強い雷が溢れ出す。

 

 金色の光が黒雲へ伸び、空の雷と繋がった。

 

「雷竜の咆哮!」

 

 巨大な雷の奔流が放たれる。

 

 カイドウは両足を地面へ踏み込み、真正面から受け止めた。

 

 雷が全身を包み、周囲の地面を焼き焦がす。

 

 普通の人間なら、一瞬で炭になっていただろう。

 

 しかし、カイドウは倒れない。

 

 青い鱗が首から胸へ広がっていく。

 

 雷を受けながら、前へ歩き始める。

 

「雷を喰らうのは、慣れてんだよ」

 

 カイドウの周囲に風が渦巻く。

 

 雷の奔流を押し返し、拳を握る。

 

「雷鳴――」

 

 カイドウは途中で止まった。

 

 手には金棒がない。

 

 元の世界で愛用していた武器は、転移の際に失われている。

 

 普段なら丸太や柱を代わりに使うが、今は何も持っていなかった。

 

「……八卦!」

 

 結局、拳のまま技を放った。

 

 黒い稲妻のような覇気が拳を覆い、ラクサスの雷を打ち砕く。

 

 雷の衝撃が空中で爆発した。

 

 黒雲に穴が開き、一瞬だけ青空が覗く。

 

「何だ、今の力は」

 

 ラクサスが驚いた。

 

「覇気だ」

 

「魔力じゃねェのか」

 

「違う」

 

「説明しろ」

 

「面倒だ」

 

「似た者同士じゃない!」

 

 シャルルが叫ぶ。

 

 カイドウは一気に距離を詰め、拳を振るう。

 

 ラクサスは雷となって回避した。

 

 拳は空を切り、その先にあった大岩を粉々に砕く。

 

「岩を壊さないでください!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「避ける奴が悪い!」

 

「ラクサスさんのせいにしないでください!」

 

 ラクサスはカイドウの背後へ現れ、雷をまとった蹴りを放つ。

 

 カイドウは振り返り、腕で受け止める。

 

 雷が弾ける。

 

 続けて拳。

 

 肘。

 

 膝。

 

 ラクサスは高速で攻撃を繰り出す。

 

 カイドウはすべて正面から受け、時に腕で防ぎ、時に体で耐える。

 

 カイドウの反撃は一撃一撃が重い。

 

 ラクサスが回避するたび、地面や岩壁が破壊されていく。

 

「山道が!」

 

 ウェンディは頭を抱えた。

 

「依頼より被害が大きくなっています!」

 

「戦っている二人に言いなさい!」

 

 シャルルが答える。

 

「言っても聞きません!」

 

「知ってるわ!」

 

 ラクサスが空へ跳ぶ。

 

 全身が雷へ変わり、黒雲の中へ消えた。

 

 直後、カイドウの頭上から何本もの雷が降り注ぐ。

 

「雷圧怒涛!」

 

 雷が連続して地面へ落ちる。

 

 カイドウは腕で顔を庇いながら、雷の中心で立ち続ける。

 

 上着が焼け、包帯が焦げる。

 

 ウェンディの顔色が変わった。

 

「カイドウさんの包帯が!」

 

「そこを心配するの!?」

 

 シャルルが驚く。

 

「傷が開いちゃいます!」

 

「山も開いているわ!」

 

 雷が止む。

 

 カイドウの体から煙が上がる。

 

 包帯の一部が焼け落ち、その下の傷から血が滲んでいた。

 

 カイドウは、自分の胸元を見下ろす。

 

「……」

 

 ラクサスが少し離れた岩へ着地する。

 

「どうした。終わりか」

 

 カイドウの目が細くなる。

 

「包帯が燃えた」

 

「知るか」

 

「小娘に巻かれた包帯だ」

 

「だから何だ」

 

「また薬を飲まされる」

 

 ラクサスが一瞬、言葉を失う。

 

 ウェンディは遠くから叫ぶ。

 

「もちろん飲んでもらいます!」

 

 カイドウの顔が険しくなる。

 

「聞こえたか」

 

「ああ」

 

「お前のせいだ」

 

「戦いを受けたのはお前だろうが」

 

「先に殴ったのはお前だ」

 

「挑発したのはお前だ」

 

「吹き飛ばすと言ったのはお前だ」

 

「面倒くせェ奴だな」

 

「お前に言われたくねェ」

 

 シャルルは額を押さえた。

 

「子供の喧嘩じゃない……」

 

「でも、子供の喧嘩の方が被害は少ないよ」

 

 ウェンディが悲しそうに言う。

 

 カイドウの体に変化が起きる。

 

 両腕を青い鱗が覆う。

 

 指先から爪が伸びる。

 

 背中から長い尾が現れ、地面を打つ。

 

 顔の一部も龍の形へ変わり、牙が鋭く伸びた。

 

 人獣型。

 

 完全ではない。

 

 異世界転移で力を失っているため、元の姿より小さい。

 

 それでも、その威圧感は一気に増した。

 

 ラクサスの表情から、わずかに笑みが消える。

 

「本当に龍になるのか」

 

「言っただろ」

 

 カイドウの口から白い煙が漏れる。

 

「次は少し強く殴るぞ」

 

「来い」

 

 ラクサスも全身へ雷を集中させる。

 

 黒雲が渦巻き、山全体が震え始めた。

 

 ウェンディは二人の魔力と力の高まりを感じ、顔を青くした。

 

「駄目です!」

 

 このままぶつかれば、山が崩れる。

 

 村を守るための依頼どころではない。

 

 山崩れが起きれば、麓の村へ甚大な被害が出る。

 

「シャルル!」

 

「分かってるわ!」

 

 シャルルがウェンディを抱え、翼を大きく広げる。

 

 二人の間へ向けて飛び出した。

 

「ウェンディ、何をするつもり!?」

 

「止めます!」

 

「どうやって!?」

 

「考えてません!」

 

「考えてから動きなさい!」

 

 カイドウとラクサスが同時に地面を蹴る。

 

 青い巨体と黄金の雷が、一直線に接近する。

 

 ウェンディは、その間へ降り立った。

 

「やめてくださあああああい!」

 

 二人の動きが止まる。

 

 正確には、完全には止まれなかった。

 

 カイドウは拳を横へ逸らし、ラクサスは雷となって上空へ逃れる。

 

 カイドウの拳が近くの岩壁へ当たり、山の一部が吹き飛んだ。

 

 ラクサスの雷は空へ抜け、黒雲を真っ二つに割る。

 

 衝撃波でウェンディの体が吹き飛ばされる。

 

「きゃっ!」

 

 カイドウの顔色が変わった。

 

 巨大な腕を伸ばし、空中のウェンディを受け止める。

 

 同時に、シャルルがウェンディの背中を支えた。

 

「馬鹿野郎!」

 

 カイドウが怒鳴る。

 

「何で間に入った!」

 

「止めないと、山が壊れます!」

 

「お前が死んだらどうする!」

 

「二人が止まればいいんです!」

 

「止まれるわけねェだろ!」

 

「止まってください!」

 

 ウェンディも負けずに叫ぶ。

 

 カイドウの腕の中で、小さな拳を握りしめていた。

 

「村を守るために来たのに、二人で山を壊してどうするんですか!」

 

「……」

 

「雷雨の原因を調べる依頼です! 強さを競う依頼じゃありません!」

 

 カイドウは口を閉じる。

 

 ラクサスも、少し離れた場所へ降り立ち、黙ってウェンディを見た。

 

「ラクサスさんもです!」

 

 ウェンディはカイドウの腕から降り、ラクサスへ向き直る。

 

「村を守ろうとしていたんですよね?」

 

「ああ」

 

「それなのに、村の近くでこんな戦いをしたら意味がありません!」

 

「……」

 

「二人とも、反省してください!」

 

 山道に静寂が訪れる。

 

 シャルルは信じられないものを見る目で、ウェンディを見た。

 

 フィオーレ王国でも有数の実力者であるラクサス。

 

 異世界から来た最強生物、カイドウ。

 

 その二人が、小柄な少女に叱られている。

 

「おい、小娘」

 

「ウェンディです!」

 

「おれは、あいつが先に――」

 

「言い訳しないでください!」

 

「……」

 

「ラクサスさんも!」

 

「俺は別に――」

 

「言い訳しないでください!」

 

「……」

 

 二人が黙った。

 

 シャルルの口がゆっくり開く。

 

「止めた……」

 

 ウェンディ本人も、心臓が大きく鳴っていた。

 

 怖くないわけではない。

 

 むしろ、とても怖い。

 

 二人とも、自分より遥かに強い。

 

 怒らせれば、どうなるか分からない。

 

 それでも、ここで退くわけにはいかなかった。

 

「まず、山の魔物を倒します」

 

 ウェンディは二人を交互に見る。

 

「その後で、雷雨を止めます」

 

「それから?」

 

 カイドウが尋ねる。

 

「宿に戻って、カイドウさんの治療です」

 

「薬は」

 

「飲んでもらいます」

 

「……」

 

 カイドウの顔がさらに険しくなる。

 

 ラクサスが鼻で笑った。

 

「子供に薬を飲まされてんのか」

 

 カイドウの視線がラクサスへ向く。

 

「お前のせいで傷が開いた」

 

「知るか」

 

「薬を半分飲め」

 

「何で俺が飲むんだ」

 

「責任を取れ」

 

「ふざけんな」

 

「二人とも!」

 

 ウェンディが声を上げる。

 

 再び二人が黙る。

 

 シャルルは深い溜息を吐いた。

 

「本当に似ているわね」

 

「似てねェ」

 

「似てない」

 

 二人の声が重なった。

 

「そこまで同時に言うのね」

 

          ◇◇◇

 

 山頂近くには、巨大な空洞があった。

 

 岩山の一部が割れ、その内部へ雷を喰らう魔物たちが巣を作っている。

 

 魔物の姿は、大型の蜥蜴に似ていた。

 

 黒い鱗。

 

 背中から伸びる水晶のような角。

 

 口の中には雷が溜まっている。

 

 数は二十体ほど。

 

 巣の中央には、他の個体より数倍大きな魔物が横たわっていた。

 

 恐らく群れの長だろう。

 

「こいつらが雷を吸っていたのね」

 

 シャルルが岩陰から様子を窺う。

 

「だからラクサスさんは、山へ雷を落として集めていたんですね」

 

 ウェンディが言う。

 

「ああ」

 

 ラクサスは腕を組んだ。

 

「散らばったまま村へ下りられるより、ここへまとめた方が楽だからな」

 

「でも、雷を落としすぎです」

 

「弱い雷じゃ寄ってこねェ」

 

「村が雨で困っています」

 

「今から全部倒せば、雲も消える」

 

「説明をしてからなら、村の人も安心できたのに」

 

「面倒だ」

 

 ラクサスが答える。

 

 ウェンディとシャルルは再びカイドウを見る。

 

「何だ」

 

「やっぱり似てる」

 

「似てねェ!」

 

 カイドウの声が空洞に響く。

 

 魔物たちが一斉に顔を上げた。

 

 シャルルの顔が引きつる。

 

「大声を出すからよ!」

 

「白狸が余計なことを言うからだ」

 

「エクシードよ!」

 

 魔物たちが咆哮する。

 

 口から雷弾を放ち、入口へ殺到してきた。

 

「来るぞ」

 

 ラクサスの体が雷へ変わる。

 

「おれが全部やる」

 

 カイドウが前へ出る。

 

「俺の獲物だ」

 

 ラクサスが睨む。

 

「数が多い。半分ずつにしてください!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「なぜ分ける」

 

「どちらが多く倒したかで喧嘩しないためです!」

 

「おれが多く倒す」

 

「俺だ」

 

「もう喧嘩してるじゃない!」

 

 シャルルが頭を抱える。

 

 魔物の雷弾が飛んでくる。

 

 カイドウは拳で打ち砕き、ラクサスは口を開けて雷を吸い込んだ。

 

「うめェ」

 

 ラクサスの魔力が膨れ上がる。

 

 カイドウが片眉を上げる。

 

「雷を喰うのか」

 

「ああ」

 

「便利だな」

 

「お前は喰えねェのか」

 

「おれは酒を喰う」

 

「飲むの間違いでしょう!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

 カイドウは前方の魔物へ拳を叩き込む。

 

 一体が後方へ吹き飛び、仲間を巻き込みながら岩壁へ激突した。

 

「三体だ」

 

「一体殴っただけでしょう!」

 

「まとめて倒れた」

 

 ラクサスは雷となって群れの中へ飛び込む。

 

「雷竜方天戟!」

 

 巨大な雷の槍が放たれ、四体の魔物をまとめて貫く。

 

 魔物たちは黒い煙を上げながら倒れた。

 

「四体だ」

 

 ラクサスがカイドウを見る。

 

「今のは一発だろ」

 

「四体倒した」

 

「数え方が汚ェ」

 

「お前に言われたくねェ」

 

「競争しないでください!」

 

 二人はウェンディの声を無視し、次々と魔物を倒していく。

 

 カイドウは拳と尾で魔物を弾き飛ばす。

 

 ラクサスは雷となって飛び回り、雷撃で魔物を焼く。

 

 互いに相手より多く倒そうとするため、戦う速度がどんどん上がっていった。

 

「八体!」

 

 ラクサスが叫ぶ。

 

「十だ!」

 

 カイドウが答える。

 

「九でしょう!」

 

 ウェンディが数えていた。

 

「後ろの一体は、ラクサスさんの雷で倒れました!」

 

「おれの拳の風圧も当たった」

 

「ほとんど当たっていません!」

 

「なら半分だ」

 

「半分は数えません!」

 

「細けェな」

 

「正確に数えているだけです!」

 

 残る魔物は、群れの長だけとなった。

 

 巨大な体が起き上がり、空洞全体を震わせる咆哮を上げる。

 

 背中の水晶が光り、周囲の雷を一気に吸収し始めた。

 

「こいつが親玉か」

 

 カイドウが拳を鳴らす。

 

「俺がやる」

 

 ラクサスが前へ出る。

 

「おれがやる」

 

「俺の依頼だ」

 

「おれたちも依頼を受けてる」

 

「先に見つけたのは俺だ」

 

「先に殴った方が勝ちだ」

 

「待ってください!」

 

 ウェンディが二人の間へ入る。

 

「二人で一緒に倒してください!」

 

「断る」

 

「嫌だ」

 

 また声が重なる。

 

「どうして、そういうところだけ息が合うんですか!」

 

 群れの長が口を開く。

 

 巨大な雷球が形成されていく。

 

 空洞の天井が震え、岩が落ち始めた。

 

「来ます!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

 カイドウとラクサスは、同時に魔物を見た。

 

「仕方ねェ」

 

「一度だけだ」

 

 二人は並ぶ。

 

 カイドウの拳へ黒い覇気と雷が集まる。

 

 ラクサスの全身から黄金色の雷が溢れる。

 

 魔物が巨大な雷球を放った。

 

「雷竜の――」

 

「雷鳴――」

 

 黄金と黒の雷が、同時に前方へ放たれる。

 

「咆哮!」

 

「八卦!」

 

 二つの攻撃が重なり、巨大な雷球を正面から粉砕した。

 

 そのまま魔物の体へ直撃する。

 

 空洞全体が白い光に包まれた。

 

 轟音。

 

 岩壁が大きく揺れる。

 

 群れの長は雷に包まれ、地面へ倒れた。

 

 しばらくして、煙が晴れる。

 

 魔物は完全に気絶していた。

 

「倒した……」

 

 ウェンディが安堵する。

 

 カイドウとラクサスは、倒れた魔物を見下ろす。

 

「おれの攻撃が効いた」

 

「俺の雷だ」

 

「おれの拳だ」

 

「俺の魔力だ」

 

「おれが先に当てた」

 

「同時だ」

 

「なら、おれの勝ちだ」

 

「意味が分からねェ」

 

「また始まったわ」

 

 シャルルが呆れる。

 

 ウェンディは二人の前へ立った。

 

「二人の勝ちです」

 

「おれの勝ちだ」

 

「俺だ」

 

「二人です!」

 

 強い声で言われ、二人は不満そうに黙った。

 

「それより、魔物を外へ運ばないと」

 

 ウェンディは倒れた魔物を見る。

 

「村の近くに置くわけにはいきません」

 

「カイドウが運べばいい」

 

 ラクサスが言う。

 

「なぜおれが」

 

「でかいんだから運べるだろ」

 

「お前も雷で運べ」

 

「雷は荷物運びに使う魔法じゃねェ」

 

「おれも荷物運びのためにでかいんじゃねェ」

 

「二人で運んでください!」

 

 ウェンディの指示により、カイドウとラクサスは巨大な魔物の両端を持つことになった。

 

 カイドウは尾。

 

 ラクサスは頭。

 

 二人で持ち上げる。

 

「そっちが低い」

 

 ラクサスが言う。

 

「お前が持ち上げろ」

 

「頭の方が重いんだよ」

 

「なら交換するか」

 

「断る」

 

「面倒な奴だ」

 

「お前に言われたくねェ」

 

 シャルルは、その後ろを飛びながら呟いた。

 

「本当に、そっくりね」

 

「「似てねェ!」」

 

 二人の怒声が重なる。

 

          ◇◇◇

 

 雷を喰う魔物たちが倒されたことで、山を覆っていた黒雲は急速に薄れていった。

 

 雨は止み、雲の隙間から夕日が差し込む。

 

 七日ぶりに現れた光を見て、村人たちは家から外へ出てきた。

 

「晴れた!」

 

「雷が止まったぞ!」

 

「畑を見に行ける!」

 

 歓声が村中へ広がる。

 

 カイドウたちが山から下りると、村長をはじめ多くの住民が迎えに出ていた。

 

 ただし。

 

 カイドウとラクサスが巨大な魔物を引きずっている姿を見て、歓声は一度止まった。

 

「お、お帰りなさい」

 

 村長が恐る恐る頭を下げる。

 

「その魔物が、雷雨の原因だったのですか?」

 

「こいつらが雷を喰って、山に集まっていたそうです」

 

 ウェンディが説明する。

 

「ラクサスさんが村へ下りないよう、一か所へ集めてくれていました」

 

「そうだったのですか」

 

 村長はラクサスへ頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「別に」

 

 ラクサスは顔を背ける。

 

「近くを通ったついでだ」

 

「最初に説明してくれればよかったのに」

 

 シャルルが言う。

 

「面倒だった」

 

「カイドウと同じ答えね」

 

「似てねェ!」

 

 二人がまた同時に言う。

 

 村長は戸惑いながらも、今度はカイドウへ頭を下げた。

 

「化猫の宿の皆様も、ありがとうございました」

 

「ああ」

 

 カイドウは腕を組む。

 

「報酬は酒か」

 

「カイドウさん!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「依頼書には、きちんとお金と書いてあります!」

 

「酒に替えれば同じだ」

 

「宿に戻ってからです」

 

「今飲む」

 

「怪我が開いています!」

 

 ウェンディはカイドウの胸元を指差す。

 

 焦げた包帯の下から、血が滲んでいる。

 

「治療が先です!」

 

「この程度――」

 

「駄目です!」

 

 強い声だった。

 

 カイドウは口を閉じる。

 

 ラクサスが横で笑った。

 

「最強の龍が、子供に頭が上がらねェのか」

 

 カイドウのこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「お前のせいで傷が開いた」

 

「お前も俺を殴っただろ」

 

「おれの傷の方が重い」

 

「知らねェよ」

 

「なら、お前も治療を受けろ」

 

「俺は怪我してねェ」

 

 ラクサスの口元から、わずかに血が流れている。

 

 ウェンディがそれを見逃さなかった。

 

「ラクサスさんも治療します」

 

「いらねェ」

 

「口から血が出ています」

 

「こんなもの、怪我じゃねェ」

 

「座ってください」

 

「断る」

 

「座ってください!」

 

 ラクサスが黙る。

 

 カイドウが愉快そうに笑う。

 

「ウォロロロ。お前も小娘に逆らえねェじゃねェか」

 

「うるせェ」

 

「おれと同じだな」

 

「同じじゃねェ!」

 

 結局、村の集会所で二人とも治療を受けることになった。

 

 カイドウは床へ胡坐をかき、ウェンディに包帯を巻き直されている。

 

 ラクサスは隣の椅子へ座り、腕の傷を治療されていた。

 

 二人とも露骨に不機嫌そうだった。

 

「動かないでください」

 

 ウェンディが言う。

 

「包帯がきつい」

 

 カイドウが不満を口にする。

 

「動くからです」

 

「もっと緩くしろ」

 

「緩いと傷口から外れます」

 

「薬は塗るな」

 

「塗ります」

 

「苦い薬は飲まん」

 

「飲んでもらいます」

 

「傷に塗るだけでいいだろ」

 

「体の中からも治さないと」

 

 カイドウの表情が険しくなる。

 

 ラクサスが小さく笑った。

 

「薬が怖いのか」

 

「怖くねェ」

 

「顔が引きつってるぞ」

 

「お前も飲め」

 

「俺は必要ねェ」

 

「ラクサスさんにも用意しますね」

 

 ウェンディが言う。

 

 ラクサスの笑みが消えた。

 

「待て」

 

「カイドウさんと戦って魔力も消耗しています。疲労回復の薬を飲んだ方がいいです」

 

「いらねェ」

 

「飲んでください」

 

「俺は怪我人じゃ――」

 

「口から血が出ていました」

 

「……」

 

 村の治療師が、二人分の薬を持ってくる。

 

 濃い緑色。

 

 独特な苦い匂い。

 

 カイドウとラクサスは同時に杯を睨んだ。

 

「お前が先に飲め」

 

 ラクサスが言う。

 

「なぜおれが」

 

「慣れてんだろ」

 

「慣れる味じゃねェ」

 

「なら、俺も飲まねェ」

 

「二人とも飲んでください!」

 

 ウェンディが両手を腰へ当てる。

 

 カイドウとラクサスは顔を見合わせた。

 

 戦いの時とは違う、妙な緊張感が流れる。

 

「同時に飲むぞ」

 

 カイドウが言う。

 

「ああ」

 

 ラクサスも頷く。

 

 二人は杯を持ち上げる。

 

「せーの、です」

 

 ウェンディが合図する。

 

「子供扱いするな」

 

 カイドウが言う。

 

「さっさとしろ」

 

 ラクサスが言う。

 

「では、せーの!」

 

 二人は一気に薬を飲み干した。

 

 同時に、顔が歪む。

 

「まずい!」

 

「何だ、こりゃ!」

 

 怒声が重なり、集会所の窓が震えた。

 

 村人たちが驚いて外を見る。

 

「大声を出さないでください!」

 

 ウェンディが叫ぶ。

 

「毒じゃねェのか!」

 

「薬です!」

 

「こんなもんを毎日飲んでんのか」

 

 ラクサスがカイドウへ尋ねる。

 

「ああ」

 

「よく耐えられるな」

 

「最強だからな」

 

「その理屈で薬を飲まないで」

 

 シャルルが言う。

 

「水を寄越せ!」

 

 カイドウが叫ぶ。

 

「俺にもだ!」

 

 ラクサスも続く。

 

 ウェンディは二人へ水を渡す。

 

 二人は同時に飲み干した。

 

 それでも苦みが残っているのか、揃って不機嫌そうな顔をしている。

 

 シャルルは、その姿を見て小さく笑った。

 

「本当に、そっくり」

 

「「似てねェ!」」

 

 またしても同時だった。

 

          ◇◇◇

 

 日が沈む前。

 

 カイドウたちは村を出る準備をしていた。

 

 依頼の報酬は、ローバウルへ渡すためウェンディが預かっている。

 

 カイドウは何度も報酬袋を見ていたが、勝手に取ろうとはしなかった。

 

 前回の護衛任務で、報酬のほとんどが弁償に消えたことを覚えているからだ。

 

「今回は何も壊してねェ」

 

 カイドウが言う。

 

 シャルルが山を見る。

 

 中腹の岩壁が一部なくなり、山道には大きな亀裂が入っている。

 

「何も?」

 

「村は壊してねェ」

 

「山は壊したでしょう」

 

「ラクサスも壊した」

 

「半分ずつ弁償すれば?」

 

 シャルルが言う。

 

 カイドウとラクサスが同時に彼女を見る。

 

「なぜおれが」

 

「何で俺が」

 

「二人で壊したからよ!」

 

 ラクサスは肩へ上着をかけ直す。

 

「俺は帰る」

 

「妖精の尻尾へですか?」

 

 ウェンディが尋ねる。

 

「ああ」

 

「今日は、ありがとうございました」

 

「礼を言われることじゃねェ」

 

「でも、村を守っていたんですよね」

 

 ラクサスは返事をしない。

 

 視線を逸らし、山の方を見る。

 

「次からは、村の人に説明してくださいね」

 

「考えとく」

 

「ちゃんと説明してください」

 

「面倒だ」

 

「駄目です!」

 

 ウェンディの声に、ラクサスはわずかに顔をしかめる。

 

「うるせェガキだな」

 

「カイドウさんにも同じことを言われます」

 

「気が合うじゃねェか」

 

 カイドウが笑う。

 

「お前と一緒にするな」

 

「さっきから同じことばかり言っているわ」

 

 シャルルが呟く。

 

 ラクサスはカイドウを見る。

 

「次に会った時は、決着をつける」

 

「ああ」

 

 カイドウの口元が上がる。

 

「金棒を手に入れたら、今日より面白くなるぞ」

 

「金棒?」

 

「おれの武器だ」

 

「武器なしで、あの威力か」

 

「元の力も、まだ戻ってねェ」

 

 ラクサスの目が鋭くなる。

 

「本気じゃなかったって言いてェのか」

 

「お互い様だろ」

 

 二人の間に、再び緊張が走る。

 

 ウェンディが即座に間へ入った。

 

「今日はもう戦いません!」

 

「分かってる」

 

 カイドウが答える。

 

「次だ」

 

 ラクサスも言う。

 

「次も、町や村の近くでは駄目です!」

 

「場所まで指定すんのか」

 

「当たり前です!」

 

「面倒だな」

 

「その言葉は禁止です!」

 

 ラクサスは、わずかに笑った。

 

 そして雷へ変わり、空へ飛び上がる。

 

「またな、青龍」

 

「ああ、雷の小僧」

 

「誰が小僧だ!」

 

 空から雷が一本落ちた。

 

 カイドウのすぐ横の地面へ直撃し、大きな穴を作る。

 

 ラクサスはそのまま雷光となって、遠くの空へ消えていった。

 

 カイドウは地面の穴を見る。

 

「最後に逃げやがった」

 

「追いかけないでください!」

 

 ウェンディが腕へしがみつく。

 

「今からなら追いつける」

 

「駄目です!」

 

「一発だけだ」

 

「駄目です!」

 

「雷を一つ返すだけだ」

 

「絶対に駄目です!」

 

 カイドウは不満そうに空を見上げた。

 

 シャルルが穴を覗き込む。

 

「これも修理代になるのかしら」

 

「ラクサスがやった」

 

「でも、依頼先でできた穴よ」

 

「おれは関係ねェ」

 

「あなたが挑発したからでしょう」

 

「先に雷を落としたのはあいつだ」

 

「子供みたいな言い訳をしないで」

 

「誰が子供だ」

 

「薬を飲んで大騒ぎする人よ」

 

「白狸、表に出ろ」

 

「今、外にいるわよ」

 

「なら、そこで待ってろ」

 

「カイドウさん!」

 

 ウェンディの声が夕暮れの村へ響く。

 

          ◇◇◇

 

 化猫の宿へ帰った頃には、夜になっていた。

 

 ローバウルは広間で、三人の帰りを待っていた。

 

「お帰り」

 

「ただいま戻りました」

 

 ウェンディが頭を下げる。

 

「雷雨は止まりました」

 

「そうか。よくやったのう」

 

「山に雷を喰う魔物がいて、妖精の尻尾のラクサスさんが倒そうとしていたんです」

 

「ラクサス・ドレアーか」

 

 ローバウルは少し驚いた顔をした。

 

「雷の滅竜魔導士として名の知られた男じゃ」

 

「強かったぞ」

 

 カイドウが満足そうに言う。

 

 ローバウルは、カイドウの焦げた服と新しく巻かれた包帯を見る。

 

「まさか、戦ったのかのう」

 

「少しだけだ」

 

「山が少し壊れたわ」

 

 シャルルが補足する。

 

「どのくらいじゃ?」

 

「岩壁がなくなって、山道に亀裂が入るくらいです」

 

 ウェンディが申し訳なさそうに答える。

 

 ローバウルは帳面を開いた。

 

 カイドウの顔が固まる。

 

「待て、ジジイ」

 

「何じゃ?」

 

「今回は、あいつも壊した」

 

「じゃが、依頼を受けたのは化猫の宿じゃ」

 

「おれだけの責任じゃねェ」

 

「では、半分じゃな」

 

「半分も払うのか」

 

「当然じゃ」

 

 ローバウルは報酬を計算する。

 

 修理に必要な費用。

 

 村から受け取った報酬。

 

 ギルドの取り分。

 

 そして、カイドウの借金。

 

 計算が終わり、カイドウの手へ硬貨が一枚だけ乗せられた。

 

「……」

 

「一杯分くらいは残ったのう」

 

「一日戦って、一杯か」

 

「山を壊さなければ、もっと残りました」

 

 ウェンディが言う。

 

「次は、もっと周りを見て戦ってください」

 

「戦う前提なのか」

 

「カイドウさんの場合、止めても戦うでしょう」

 

「分かってきたな、小娘」

 

「ウェンディです!」

 

 カイドウは硬貨を握る。

 

「酒を一杯寄越せ」

 

「薬を飲んだ後ですよ」

 

「村で飲んだ」

 

「夜の分があります」

 

「一日二回も飲むのか」

 

「今日は傷が開いたので、特別です」

 

「断る」

 

「駄目です」

 

「酒を先にしろ」

 

「薬が先です」

 

「おれは働いた」

 

「山も壊しました」

 

「魔物を倒した」

 

「ラクサスさんと一緒にです」

 

「雷雨を止めた」

 

「それは立派でした」

 

「なら酒を――」

 

「薬が先です」

 

 カイドウは長く黙った。

 

 戦場で敵に囲まれた時にも見せなかったほど、悩んでいる。

 

 やがて、低い声で言った。

 

「薬を飲めば、一杯だな」

 

「はい」

 

「大きい杯で」

 

「普通より少し大きい杯です」

 

「樽の蓋は」

 

「駄目です」

 

「……仕方ねェ」

 

 ウェンディが薬を用意する。

 

 カイドウは杯を受け取り、先ほどラクサスと同時に薬を飲んだことを思い出した。

 

「雷の小僧も、今頃苦い思いをしてるか」

 

「ラクサスさんは、もう薬を飲み終わっていますよ」

 

「あいつも顔を歪めてたな」

 

「カイドウさんと同じでした」

 

「同じじゃねェ」

 

「似ていました」

 

「似てねェ」

 

 カイドウは薬を飲み干す。

 

 顔が歪む。

 

「まずい!」

 

 広間の窓が震える。

 

「大声を出さないでください!」

 

「昨日より苦いぞ!」

 

「同じ薬です!」

 

「雷の小僧の分まで苦くなってる」

 

「意味が分かりません!」

 

 シャルルは机に頬杖をつきながら、二人を眺めていた。

 

 カイドウは、異世界へ来て初めて自分と正面から殴り合える相手と出会った。

 

 ラクサスもまた、初めて目にする異世界の龍へ興味を持った。

 

 二人の戦いに決着はつかなかった。

 

 山を壊しかけ。

 

 ウェンディに叱られ。

 

 最後は並んで苦い薬を飲まされた。

 

 それでも、カイドウはどこか楽しそうだった。

 

「酒」

 

 カイドウが手を差し出す。

 

 ウェンディは約束通り、杯へ酒を注いだ。

 

「一杯だけです」

 

「ああ」

 

「ゆっくり飲んでくださいね」

 

「ああ」

 

「一気に飲んだら、追加はありません」

 

「分かってる」

 

 カイドウは酒を一口飲む。

 

 薬の苦みが消え、満足そうに息を吐いた。

 

「うまい」

 

「よかったです」

 

 ウェンディが微笑む。

 

「もう一杯」

 

「駄目です」

 

「今のは薬の口直しだ」

 

「約束の一杯です!」

 

「戦った後だぞ」

 

「駄目です!」

 

「魔物も倒した」

 

「駄目です!」

 

「雷の小僧より働いた」

 

「競争しないでください!」

 

 再び酒を巡る言い争いが始まる。

 

 その声を聞きながら、ローバウルは静かに笑った。

 

 百獣のカイドウと雷の滅竜魔導士ラクサス。

 

 次に二人が出会う時。

 

 今回のように、ウェンディの一声だけで止まるとは限らない。

 

 だが、それはまだ少し先の話。

 

 今のカイドウにとって最も大きな問題は、強敵との決着でも、失われた力でもなかった。

 

「おい、小娘!」

 

「ウェンディです!」

 

「一滴くらい追加しろ!」

 

「駄目です!」

 

「半滴!」

 

「どうやって量るんですか!」

 

 酒の追加を認めてもらうこと。

 

 それが、最強生物にとって今夜最大の戦いだった。




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