「そうだろう! ホーリエル!」
塩の怪魚を鎖魔術で縛り上げたアルツィマが叫ぶと同時、走り出したのはラクルス。
槍の重量を感じさせないほどに素早く駆けるラクルスは、今も黒鎖に縛られる怪魚へと肉薄していく。
(アルツィマ。正直、あたしにお前の話は半分も理解できねぇ。神の呪詛やら解呪やらエルフやら、何が何だかさっぱりだよ)
疾走の最中、ラクルスはダンケットでアルツィマに聞かされた話を思い出す。
塩の怪魚との決戦を前に、アルツィマはラクルスに全てを話していた。
(でも、これでサラ嬢達を救えんだろ?)
天を仰ぐ怪魚の頭部。
青灰色の鱗に覆われた魚の頭へ、ラクルスは一っ飛びに跳躍する。
(それだけで、あたしには十分だ)
槍を振りかぶる。
握りしめる鉄の感触は不思議なくらい手に馴染む。
今、この時のために槍を握りしめてきたのだと、心の底から思えるくらいに。
「ぶっ潰れろ――――ッ!」
振り下ろした一撃。その衝撃は怪魚の巨躯にも響き、その頭部を塩の大地に叩きつける。
勢いよく叩きつけられた刃は怪魚の鱗を貫かない。
ラクルスは二度の戦闘経験から、塩の怪魚を一撃で貫くのは現実的に不可能だと知っていた。
故に、彼女が狙ったのは脳天。鱗を貫かずとも、脳に衝撃が震盪すれば、確実なダメージとなる。
「Ruuaaa――――ッ!」
地面に激突した怪魚が吠える。
腹の底に響く重低音で叫びながら、怪魚は激しく身を捻る。
黒鎖をブチブチと引きちぎりながら、怪魚は塩の雪原を移動する。その様子はさながら海を泳ぐ白鯨。アルツィマら四人の周りを旋回している。
「話が違うぞ! アルツィマ君、君は――――」
「何も違くないさ。僕も戦闘に参加すると言っただろう?」
「っ、そういうことじゃない! 君は……分かってくれたんじゃないのか!? ホロラーデの呪いを終わらせるには、もうこれしかないって! これがボク達にとって一番良い幕引きだって! 君は! 分かってくれたんじゃないのか!?」
想定外の動きをしたアルツィマに、ソラニエルは食ってかかる。
それも当然だ。ソラニエルの消滅願望を理解してくれていたはずのアルツィマ。彼にその願いの成就を拒まれたのだ。平静でいられるはずは無い。
「ああ、ホロラーデの呪いは終わらせる。そして君達も死なせない。それが一番良い結末だろう?」
「そんな都合の良い話――――」
「ある。子供が未来を生きるのは当然の権利だ。都合の良い話なんかじゃない。それが禁忌だって言うんなら、禁じたやつが悪者なんだ。君達自身が終わろうなんて思わなくて良い。君達はただ、全力で――――」
今までにないほどアルツィマの言葉は強かった。
ソラニエルやサラに対して、彼がここまで強く主張したことがあっただろうか。
「明日も二人で生きるために、
かつて両親を恨んだ少年がいた。
禁忌を犯して自らを欠陥品として生み出した親に、嫌悪と軽蔑を向けた者がいた。
その感情が間違いであったとは言えまい。呪術師に狙われて生きた日々は、その苦しみは決して消えない。
それでも、その全てが悪ではないのだ。
間違っていても求めてしまう、誰かを傷付けると分かっていても望んでしまう。
何を犠牲にしたとしても、未来を願ってしまうのが人間なのだから。
「アルツィマ」
ふと、零したサラ。
その左手は震えるソラニエルの右手に重ねられていた。
「私、信じちゃいますよ……?」
ただ一言、純白の青年に向けられた言葉には、揺れる想いが滲んでいた。
きっと、もう一度願ってしまったなら、サラはもう元には戻れない。
やっぱり無理だったと諦めるなんて無理だ。どう足掻いても、ソラニエルとの未来を望んでしまう。
ここでアルツィマの話に乗れば、サラはまた禁じられた未来を求めてしまうだろう。
それでも――――
「あはは、信じてくれよ。僕が君達に嘘吐いたことあったかい?」
アルツィマは笑って受け入れた。
信じて良いのだと。禁じられていようが、欲しいのならば手を伸ばせば良いのだと。
そう彼女らに言ってやることが、アルツィマ・ノートが生きた三百年の答えだった。
「Ruuuaaaaaaa―――――――――ッ」
再度、塩の怪魚が吠える。
その天を揺るがす咆哮が、悠長に話している時間は無いと告げていた。
「それじゃあ、往こうか」
ホロラーデ三百年の歴史。禁忌と呪いに抗い続けた三百年。
その総決算が始まろうとしていた。
***
アルツィマ・ノートの魔術。
アルツィマ本人が呪術の触媒として最高峰の適性を誇る故に、呪詛返しとしての特性を孕むそれは、呪いを縛る漆黒の鎖。
塩の怪魚とはその誕生そのものに神の呪詛が関わっている。素体となる赤子すらいない逆説的な成立経緯を持つ今回の怪魚は、その存在自体が呪詛そのものと言っても差し支えない。
奇しくも、塩の怪魚にとってアルツィマは天敵だったのだ。
「Ruuuu」
塩の怪魚にとって、一時的とはいえ己を縛るほどの魔術を味わうのは初めての経験。
本能的にアルツィマの脅威を理解した怪魚は、塩の雪原に潜り、アルツィマらの周囲を旋回しながら様子を伺う。
「地面の下に潜られましたよ! これどうすれば良いんですか⁉」
「どっかで必ず顔出してくる! 巻き込まれんなよ!」
塩の雪原における怪魚最大のアドバンテージ。
それは塩の中を自由自在に泳げるということ。地面の下に潜れば、地表の人間は怪魚に追撃できない。
さらに、人は重力に逆らえない。地面から距離を置けない人間は、常に怪魚の攻撃射程に入っている。
足下から怪魚が大口を開けて飛び出すだけで、アルツィマ達にとっては十分な脅威となる。
(鎖×炎――――)
アルツィマという脅威を目にし、一旦様子見をする怪魚。
その隙にアルツィマは地面に手をつき無詠唱で魔術を唱える。
「二重属性……?」
ソラニエルだけが、その正体を看破した。
二重属性魔術。異なる属性の魔術を掛け合わせ、新たな魔術として成立させる高等技術。
アルツィマはそれを無詠唱でやってのける。
「いつまでも下にいられちゃ勝負にならない。出て来てもらおう」
アルツィマが錬成した黒鎖は地中へと伸び、植物のように根を張る。
無数に張り巡らされた鎖の一本一本が高熱を帯びており、地中の温度を急激に上昇させていく。
アルツィマは地中深くの温度は高く、地表近くの温度は低くなるよう鎖の熱を調整。
塩の雪原に高熱地帯を作っていく。
「Ruuuaaaaaaaaa―――――――――ッ!」
地中の熱に耐え兼ね、怪魚が地表へと飛び出す。
「出て来たな。下は熱かったろう? 少し、冷やしてあげようか!」
塩の怪魚が姿を現すと同時、アルツィマはさらに魔術を唱える。
(鎖×氷――――)
再びの二重属性。しかし、その性質は先刻のものとは真逆。
氷点下の冷気を纏う鎖を無数に錬成し、一息に怪魚へとぶつける。
数多の黒鎖は雪崩のように怪魚へと殺到し、その鱗に衝撃を与えつつ、全身を絡め取っていく。
「Ruuuu!」
しかし、二重属性魔術によって放たれた鎖は、純粋な鎖魔術によるそれよりも拘束力は低い。
怪魚は身をうねらせて纏わりつく鎖を千切りながら、アルツィマらの方へと猛進していく。
怪魚に人間ほどの知能があれば気付けただろう。先刻、自らの脳天を打った槍使いの姿が無いことに。
「エルフってのは流石だな。完璧な援護だぜ」
放たれる大量の鎖を目くらましに、ラクルスは怪魚のすぐ側まで接近していた。
そして、駆け抜けざまに槍の一閃を怪魚の脇腹に叩き込む。
「Ryuuguuaaa――――!?」
砕ける。
ラクルスが振り抜いた槍の一閃は、今まで傷一つ入ることのなかった青灰色の鱗を粉砕していた。
(上手い。熱してから冷やして割ったのか。しかも、属性の違う二重属性魔術を連続かつ無詠唱で。まさか、アルツィマ君がここまでハイレベルな魔術師だったとは……)
ソラニエルがアルツィマの魔術に驚嘆する間にも、ラクルスは怪魚の鱗を次々と割っていく。
駆け抜けざまに、連続で叩き込まれる槍の穂先。鉄の刃は怪魚の表皮を抉り、砕けた鱗が宙に舞う。鈍い青灰色の煌めきは、青空に咲いた星屑のよう。
「来るよ」
サラとソラニエルの二人に向かって、アルツィマが言う。
怪魚はラクルスに鱗を砕かれつつも突進の勢いは緩めず、三人を飲み込まんと肉薄していた。
「迎え撃ちます」
サラが長剣を構える。
同時、ソラニエルは無詠唱で塩魔術を発動。五メートルはあろうかという巨大な塩の槍を形成する。
両者ともに迎撃の準備は十分。数瞬後に襲いかかる怪魚の体当たりに備える。
「Ruuaaaaaaaaa――――ッ!」
頭から突っ込んでくる青灰色の怪魚。
先んじて塩の槍を放ったのはソラニエル。純白の長槍を射出し、怪魚の鼻っ面に直撃させる。
しかし、その一撃が怪魚の頭を貫くことはなく、塩の槍は強固な鱗に弾かれた。
(硬い! やっぱりボクの魔術じゃ貫けないのか……!)
塩魔術の本質は保存。その性質故に攻撃には向かない。怪魚の防御を突破するには些か威力不足だった。
だが、それはホロラーデ家の方針に則り、塩魔術を極めた者に限った話。
魔術師の家系に生まれながら剣術の道を歩んだ異端児は、その限りではない。
(来る、タイミング、顎、一撃――――)
サラの脳内をハイスピードで駆け抜ける思考。形にならない深謀遠慮は、直感としてサラの肉体を駆動させる。
怪魚と衝突する瞬間、サラが大きく振り上げた長剣。
怪魚の顎を正確に捉えた一撃は、青灰色の鱗に亀裂を入れる。顎を起点に走った罅は、稲妻のように広がり、怪魚の顔面に歪な模様を描く。
そのまま振り抜く長剣の一撃が、怪魚の頭部を跳ね飛ばし、青灰色の巨躯を引っくり返した。
「アンカー・ウィズ・ゴーレム」
アルツィマが唱えたワンフレーズチャント。
それはエルフに伝わる伝統的な術式。その場にある自然物を利用して操ることで、消費魔力を抑えつつ大規模な魔術展開を可能とする。
アルツィマはそれを自らの鎖魔術に応用させ、鎖を通した物質を操り形と成す。
既に鎖は地中に張ってある。それを再利用することでさらに消費魔力を節約。
そのスケールに対して驚異的なほど少ない魔力で顕現させたのは、塩の巨人。
「僕の最大打点だ。よく味わうと良い」
鎖の骨格に塩の肉付けを施した巨人は、塩の怪魚にも劣らない巨体を誇る。
王者には技も小細工も要らない。ただその圧倒的な質量に任せて、巨人は右腕を振り下ろす。
轟音を鳴り響かせて炸裂した巨人の一撃。怪魚の腹に直撃した拳は、その表皮にクレーターのような傷跡を残した。
「Ryuuuaaa――――ッ!」
連続で叩き込まれる攻撃の数々に、怪魚はたまらず悲鳴を上げる。
その慟哭を嘲笑うかのように、白い大地を駆ける槍兵が一人。
「喉元貰うぜ」
巨人の拳に怯んだ怪魚の隙を突き、ラクルスが怪魚の頭部近くへと疾走する。
その速度は流星の如し。湖畔のような水色の瞳を爛々と輝かせて、槍兵は獲物へと接近する。
そして、青灰色の鱗すら食い破って、怪魚の喉元を抉ると思われた刃は――――
「――――なるほどな」
弾かれる。
つい先程、怪魚の鱗を次々と割っていたはずのラクルスの槍が、今度はその鱗に阻まれた。
それもそのはずだ。ラクルスの槍は、その穂先が塩へと変じていた。鈍色をした槍の先端が、さらりとした白に染まっているのだ。
「使ってきたね、塩魔術。ここからが本番ってわけだ」
アルツィマが呟く。
塩の怪魚討伐戦は、第二フェーズに移っていた。