カラン、と。
店の扉についたベルが鳴る。
「いらっしゃいませ……って言っても、まだ準備中だけどねぇ。」
石動惣一は店内を見回しながら、のんびりと呟いた。
カフェ。
人が集まる場所。
何気ない会話が生まれる場所。
情報が自然と流れ込む場所。
そして何より。
誰も、この場所の店主が何者なのか疑わない。
「いやぁ。」
カウンターを拭きながら笑う。
「我ながらいい選択したんじゃない?」
かつて。
ブラッドスタークとして人間社会へ入り込んだ時もそうだった。
正面から支配するより。
相手の懐へ入り込み。
相手自身に気付かせないまま盤面を動かす。
それがエボルトのやり方だった。
「まあ……。」
少し間を置く。
「前はちょっと派手にやりすぎたけどねぇ。」
桐生戦兎。
万丈龍我。
氷室幻徳。
葛城巧。
そして。
自分に関わった数多くの人間。
思い出が一瞬だけ過る。
「……。」
しかし。
すぐに頭を切り替える。
「今はこっちのゲームだ。」
そう呟いた。
⸻
石動惣一という人間は、すでに存在していた。
戸籍。
経歴。
過去の記録。
人間関係。
全て。
完璧に整えられている。
当然だ。
エボルトがその程度の準備を怠るはずがない。
「俺って意外と真面目だからねぇ。」
鏡に映る自分へ笑いかける。
「こういう下準備はちゃんとするタイプなんだよ。」
もちろん。
本当の意味で真面目なわけではない。
ただ。
ゲームをするなら。
ルールと盤面は整っていた方が面白い。
それだけだった。
⸻
数日後。
カフェnascitaは静かに営業を始めた。
「ありがとうございましたー。」
客を送り出す。
その姿だけを見れば。
ただの気さくな店主。
軽い冗談を言う。
コーヒーを淹れる。
客の話を聞く。
そんな普通の人間。
だが。
その瞳の奥には。
別の存在がいる。
「最近、この街も物騒だねぇ。」
客の会話から情報を拾う。
奇妙な事件。
謎の怪物。
不可解な現象。
まだ表には出ていない。
しかし。
エボルトには分かっていた。
この世界も。
もうすぐ始まる。
「ノイズ。」
小さく呟く。
「そして、シンフォギア。」
未来の情報。
一度目の経験。
それらが頭の中にある。
しかし。
「さて。」
エボルトは笑う。
「今回はどう転ぶかな。」
一度目と同じなら。
つまらない。
違うなら。
面白い。
⸻
夜。
誰もいない場所。
石動惣一の姿が変わる。
黒い影。
身体を覆う異形の装甲。
「久しぶりだねぇ。」
ブラッドスターク。
完全な力ではない。
だが。
今のエボルトが使える、唯一の戦闘形態。
「やっぱりこっちの方が落ち着くなぁ。」
軽く身体を動かす。
「まだ本調子じゃないけど。」
「まあ、贅沢は言えないか。」
その時。
遠くから気配を感じる。
人間ではない。
特殊な力。
「へぇ。」
スタークは笑う。
「もう動いてる連中がいるんだ。」
⸻
暗い研究施設。
一人の女性が資料を見ている。
フィーネ。
長い時を生き。
ある目的のため暗躍する存在。
彼女はまだ知らない。
自分を観察する存在がいることを。
「……。」
ブラッドスタークは影から眺める。
「なるほどねぇ。」
「この世界にもいるじゃない。」
「自分の目的のためなら、何でも利用するタイプ。」
かつて。
自分もそうだった。
だから分かる。
「でも。」
笑う。
「ちょっと違うかな。」
フィーネは過去に縛られている。
エボルトは未来を弄ぶ。
似ているようで違う。
「さて。」
スタークは姿を消す。
「ちょっとだけ、刺激してみるか。」
⸻
翌日。
フィーネの元へ。
一つの情報が届く。
未知の存在。
未知の技術。
そして。
シンフォギアに関する僅かな手掛かり。
しかし。
送り主の名前はない。
ただ。
一言だけ。
『面白そうな玩具、見つけたんでねぇ』
と書かれていた。
⸻
「……。」
フィーネは警戒する。
「何者……?」
答える者はいない。
⸻
その頃。
nascita。
石動惣一はいつものようにコーヒーを淹れていた。
「いやぁ。」
「やっぱり人間社会って便利だねぇ。」
誰も疑わない。
誰も気付かない。
自分が。
一度世界を滅ぼした存在だとは。
その時。
テレビからニュースが流れる。
少女たちの話題。
まだ小さな事件。
まだ誰も知らない未来。
しかし。
エボルトだけは知っている。
この先。
この世界を変える少女。
立花響。
「……。」
一瞬。
戦兎の姿が浮かぶ。
万丈の姿が浮かぶ。
そして。
今目の前にいる、まだ何者でもない少女。
「……。」
エボルトは小さく笑う。
「さてさて。」
「今回は、どんな答えを見せてくれるのかな。」
悪意。
好奇心。
そして。
ほんの僅かな期待。
それらを抱えながら。
怪物は静かに日常へ溶け込んでいく。
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