東京終焉   作:ゆきひな

8 / 11
第8話 新たな仲間たち

 自衛隊の大型トラックが住宅街をゆっくりと走っていた。

 

 雨はすでに止み、濡れたアスファルトが夕日に照らされて赤く染まっている。

 

 黒崎蓮は助手席の後ろに座り、窓の外を見つめていた。

 

 昨日まで見慣れていた東京の景色。コンビニ、ドラッグストア、ファミリーレストラン。

 

 どこにでもあったチェーン店が並ぶ街並みは、わずか二日で廃墟へと姿を変えていた。

 

 道路には乗り捨てられた車が何台も折り重なり、ガラスの割れたビルからは黒い煙が立ち上っている。

 

 信号機だけが律儀に赤と青を繰り返していた。それはまるで、もう誰も従う者のいない命令を出し続ける兵士のようだった。

 

 荷台では、小学生の翔太が毛布にくるまって眠っている。疲労と緊張が限界だったのだろう。

 

 蓮はその寝顔を見て、小さく息を吐いた。

 

「……助かってよかったな」

 

 誰に聞かせるでもない呟きだった。

 

 運転席では、自衛官・相馬拓真が静かにハンドルを握っている。三十代半ば、日に焼けた顔、短く刈り込まれた髪。迷彩服には泥や血がこびりついていた。

 

 その姿だけで、この二日間がどれほど過酷だったのか想像できた。

 

 蓮は意を決して口を開く。

 

「相馬さん」

 

「なんだ」

 

「自衛隊は……本当に駄目なんですか」

 

 相馬はすぐには答えなかった。前方を見たまま、ゆっくりとアクセルを踏む。やがて、小さく息を吐いた。

 

「正確には、まだ戦っている部隊もある」

 

 その一言に、蓮の胸へわずかな希望が灯る。

 

「じゃあ――」

 

「だが」

 

 相馬は言葉を遮った。

 

「もう日本全体を守れる状況じゃない」

 

 その声は冷静だった。だが、その奥には悔しさが滲んでいる。

 

「感染は想像より早かった。最初は暴動だと思われた。警察が対応し、それで抑えられると誰もが考えていた」

 

 赤信号を無視してトラックは交差点を進む。信号を守る意味など、もうどこにもない。

 

「俺たちが正式に出動した時には、すでに各地で部隊との連絡が途絶えていた」

 

 蓮は黙って聞いていた。

 

「避難民を守るために部隊を分散させた。それが裏目に出た」

 

「……」

 

「一つの避難所を守っている間に、別の避難所が壊滅する」

 

 相馬は拳を握る。

 

「助けを求める無線だけが増えていく」

 

 その拳は白くなるほど力が入っていた。

 

「俺たちは全部助けたかった」

 

 苦しそうな声だった。

 

「だが、人手が足りなかった」

 

 蓮は何も言えなかった。

 

 国を守る最後の砦。自衛隊ですら救えなかった。その事実はあまりにも重かった。

 

「……だから俺は決めた」

 

 相馬は静かに言った。

 

「目の前にいる人間だけは絶対に見捨てない」

 

 その横顔を見て、蓮は思った。

 

 この人もまた、大切な誰かを守れなかったのだろう。だから今、必死になっている。

 

 その姿は少しだけ、自分と重なって見えた。

 

 

 一時間ほど走った頃だった。トラックが急ブレーキをかける。

 

「伏せろ!」

 

 相馬の怒声が車内に響いた。蓮は反射的に翔太を抱え込み、荷台へ伏せる。

 

 次の瞬間だった。

 

 バンッ!!

 

 乾いた銃声が響く。

 

 フロントガラスに小さな穴が開いた。

 

「撃たれた!」

 

 蓮が叫ぶ。

 

 相馬は冷静だった。

 

「人間だ」

 

 建物の屋上。

 

 双眼鏡を持った男がこちらを見下ろしている。その隣には猟銃を構えた男。

 

 蓮は息を呑んだ。

 

「生存者……?」

 

「違う」

 

 相馬は険しい表情で首を振る。

 

「略奪だ」

 

 もう一発。

 

 銃声。

 

 トラックのミラーが吹き飛ぶ。

 

「しっかり掴まれ!」

 

 エンジンが唸りを上げる。

 

 大型トラックは一気に加速した。狭い住宅街を強引に走り抜ける。道路を塞ぐ車を押しのけ、電柱すれすれを通り抜ける。荷台が大きく揺れる。

 

 翔太が泣き出した。

 

「大丈夫だ!」

 

 蓮は必死に抱き寄せる。だが、自分自身も震えていた。

 

 ゾンビだけではない。人間まで敵になっている。昨日まで想像もしなかった世界だった。

 

 数分後、ようやく銃声が聞こえなくなった。

 

 相馬は大きく息を吐く。

 

「追ってこないか……」

 

 蓮もようやく身体の力を抜いた。

 

「生存者なのに撃ってくるなんて……」

 

 相馬は苦く笑う。

 

「食料も燃料も武器も有限だ」

 

「……」

 

「極限状態になれば、人間は人間を襲う」

 

 その言葉は重かった。以前、出会った男たちの顔が、蓮の脳裏に浮かぶ。

 

 世界が壊れるのは、ゾンビのせいだけではない。人間の心もまた、少しずつ壊れていくのだ。

 

 

 日が沈み始めた頃、トラックは高いフェンスに囲まれた高校の正門前で停車した。

 

 校門には大型バスやトラックが横倒しにされ、即席のバリケードが築かれている。

 

 見張り台には数人の生存者。弓を持つ者、金属バットを抱える者。皆、疲れ切った表情をしていた。

 

 しかし、その目にはまだ生気があった。

 

「着いたぞ」

 

 相馬が静かに言う。

 

「ここが今、一番安全な場所だ」

 

 門がゆっくりと開く。

 

 トラックが校庭へ入ると、中には百人近い避難民がいた。

 

 テント、炊き出し、毛布に包まる老人、泣く子ども、傷の手当てを受ける負傷者。学校は避難所へと姿を変えていた。

 

 蓮は胸を撫で下ろす。ようやく安心できる場所が見つかった。そう思った、その時だった。

 

「相馬さん!」

 

 一人の少年が走ってきた。高校の制服にサバイバルベスト。背中には大きなリュック。腰にはナイフ。年齢は十七歳ほど。

 

 しかし、その目だけは場慣れした兵士のように鋭かった。

 

「無事だったんですね!」

 

「悠真か」

 

 相馬は少しだけ笑みを浮かべた。

 

「紹介する」

 

 少年が蓮へ向き直る。

 

「朝倉悠真です。高校二年です」

 

 深々と頭を下げる。

 

「よろしくお願いします」

 

 その礼儀正しさに、蓮は少し驚いた。

 

 この少年が、後に仲間となるサバイバルオタク・朝倉悠真との最初の出会いだった。

 

 そして、この高校で蓮はもう一人の運命の人物と出会うことになる。まだ、その名前も知らない女性と。

 

 

 朝倉悠真に案内され、黒崎蓮と翔太は校舎の中へ入った。

 

 外から見れば普通の高校だった。しかし、中に入った瞬間、蓮はその違和感に気づいた。

 

 廊下には机や椅子が積み上げられ、簡易的な barricade が作られている。教室の窓には段ボールやベニヤ板が貼られ、外からの侵入を防ぐ工夫がされていた。

 

 職員室には大量の水、体育館には寝床、保健室は簡易診療所、図書室は情報収集場所。

 

 本来なら学生たちが青春を過ごす場所が、今は生き延びるための拠点になっていた。

 

「すごいな……」

 

 蓮が思わず呟く。

 

 悠真は少し照れくさそうに笑った。

 

「一応、俺が提案しました」

 

「君が?」

 

「はい」

 

 蓮は驚く。

 

 目の前にいるのは、どう見ても普通の高校生だ。しかし、その判断力と準備は、大人以上だった。

 

「ゾンビ映画やサバイバルゲームが好きだったので」

 

 悠真は淡々と言う。

 

「食料、水、武器、避難経路。こういう状況になった時、何が必要かはある程度考えていました」

 

「……」

 

「まさか本当に起きるとは思ってませんでしたけど」

 

 悠真の表情が一瞬だけ曇る。彼もまた、この世界で大切な何かを失っているのだろう。

 

「家族は?」

 

 蓮が聞くと。

 

 悠真は少し間を置いた。

 

「……探しています」

 

 短い返答。それ以上聞くべきではないと、蓮は感じた。

 

 この世界では誰もが何かを失っている。

 

 

 体育館には多くの避難者が集まっていた。

 

 蓮が入ると、視線が一斉に集まる。

 

 当然だった。新しい人間が来れば警戒する。感染している可能性、食料を奪う可能性。誰もが疑心暗鬼になっている。

 

「この人たちは大丈夫だ」

 

 相馬が言う。

 

「俺が確認した」

 

 その言葉で、少しだけ空気が和らぐ。

 

 しかし、一人の男が近づいてきた。四十代後半、眼鏡、スーツ姿。疲れた顔をしているが、目には強い意志があった。

 

「相馬さん、お帰りなさい」

 

「田所さん」

 

 相馬が軽く頭を下げる。男は避難所のリーダーらしい。

 

「新しい避難者ですか」

 

「ああ」

 

「感染確認は?」

 

「問題ない」

 

 田所は蓮を見る。

 

「ここでは全員で協力してもらいます」

 

「分かりました」

 

 蓮も頭を下げた。

 

 田所は悪い人間には見えなかった。むしろ、この状況で秩序を維持しているだけで、相当な精神力が必要だろう。

 

「食事は一日二回」

 

「水は決められた量だけ」

 

「夜間は必ず見張りを置く」

 

 田所は説明する。

 

 厳しい。だが、必要なルールだった。

 

 蓮は頷く。

 

「ありがとうございます」

 

 田所は少し微笑んだ。

 

「礼を言われることじゃありません」

 

「?」

 

「全員が生き残るためです」

 

 その言葉を聞いて蓮は少し安心した。まだ人間は完全に壊れていない。そう思えた。

 

 しかし、蓮はまだ知らなかった。この男が後に避難所という小さな社会の中で、最も人間らしい恐怖を見せることになることを。

 

 

 夜、蓮は校舎の屋上にいた。

 

 風が冷たい。東京の夜景は暗闇に包まれている。以前なら、無数の明かりが街を照らしていた。今はところどころにしか光がない。

 

 文明の終わり。

 

 そんな言葉が頭に浮かぶ。

 

「眠れないんですか?」

 

 声がした。

 

 振り返る。

 

 そこにいたのは、一人の女性だった。二十代半ば、長い黒髪、細身の身体。しかし、その目には強い意志が宿っている。手には医療バッグ。

 

「すみません」

 

 蓮は場所を譲ろうとする。

 

 女性は首を振った。

 

「大丈夫です」

 

 少し間を置く。

 

「あなた、相馬さんと一緒に来た人ですよね」

 

「はい」

 

「私は神崎澪です」

 

 その名前を蓮はまだ知らない。しかし、この出会いがこれから先の人生を大きく変えることになる。

 

「黒崎蓮です」

 

 二人は短く挨拶を交わす。それだけだった。まだ互いのことを何も知らない。

 

 しかし、澪は蓮の表情を見ていた。深い悲しみを抱えた目。何か大切なものを失った人間の目。

 

「……大切な人を失いましたか?」

 

 突然の言葉。

 

 蓮の身体が固まる。

 

「え?」

 

「顔に出ています」

 

 澪は静かに言った。

 

「私も同じだから」

 

 その言葉で蓮は彼女を見る。

 

「……」

 

「家族を探しています」

 

 澪は空を見る。

 

「でも」

 

 少し震える声。

 

「たぶん……もう」

 

 それ以上は言わなかった。言わなくても分かった。この世界では希望と絶望は隣り合わせだ。

 

 

 その夜、蓮は初めて、この避難所で眠った。

 

 安全な場所、仲間、食料、水。昨日まで失っていたものが、少しだけ戻った気がした。

 

 しかし、美咲のことを忘れることはできなかった。夢の中、高校時代の美咲が笑っていた。

 

『蓮くん』

 

『ちゃんと生きてね』

 

 目を覚ます。涙が頬を伝っていた。

 

 蓮は静かに拳を握る。

 

「……生きる」

 

 小さく呟く。

 

「約束だから」

 

 

 翌朝、避難所では新たな問題が発生していた。

 

「食料が足りません」

 

 倉庫を確認していた田所が言った。

 

 避難者たちが集まる。

 

「あと何日持つんですか?」

 

 誰かが聞く。

 

 田所は答えに詰まる。

 

「……一週間」

 

 ざわめきが広がる。

 

「一週間?」

 

「それだけ?」

 

「外へ探しに行くしか……」

 

 不安、恐怖、焦り。その空気を蓮は感じ取っていた。

 

 昨日まで善意で成り立っていた場所。しかし、食料が尽きた時、人はどう変わるのか。まだ誰も知らない。

 

 

 その日の昼、相馬が蓮に声をかけた。

 

「黒崎」

 

「はい」

 

「外へ行く」

 

「どこへ?」

 

「情報収集だ」

 

 相馬は地図を広げる。

 

「近くに大きな研究施設がある」

 

「研究施設?」

 

「ああ」

 

 相馬の表情が少し険しくなる。

 

「今回の感染について、何か分かるかもしれない」

 

 蓮は地図を見る。そこには赤い印がついていた。

 

 まだ誰も知らないその場所に世界の終わりを引き起こした秘密が眠っていることを。

 

 そして、そこへ向かうことが新たな悲劇の始まりになることを。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。