『オタクに優しいギャル』の陰キャ役に選ばれたけど、俺に好きな人がいると知った日から幼馴染のギャルが壊れてしまった。 作:花染彩葉@幼馴染ハーレム2巻発売中!
花蓮が逃げた理由を、俺は取り残された踊り場でひとり考えていた。
あの提案で困る人間はどこにもいなかったはずだ。強いて言うなら、こっそり会うだの目立たない場所だの、惨めな条件を提示した俺だけが損をしている。
……逃げ出したいのはこっちの方だってのに、あんな顔をされる道理がどこにあるというのか。
図書室に戻ったときには沙夜さんの姿は消えていた。
そりゃそうだ。あんな騒ぎを起こされて、あの場に留まれるわけがない。
結局、俺はそのまま家に帰ることにした。
スマホが鳴ったのは帰宅した直後のことだった。
『今夜ウチに来て。話したいことあるから』
花蓮からのメッセージだった。
つい通知を押してしまって既読がついてしまう。
返さないという選択肢が潰れ、返信に迷った。
「…………」
言われたから従う――あれだけのことをされた直後にまで奴隷を続けるのか?
かといって、断るのも違う気がする。今日の話はまだなにも終わっていないのだから。
それに、あんな顔で逃げ出したのにわざわざ家に呼びつけるぐらいだ。もしかしたら花蓮は謝るつもりなのかもしれない。沙夜さんに言い過ぎたと、あいつなりに思ってるのかも。
そうであってくれと願いながら文面を考えていた頃に、追加のメッセージは来た。
『来なかったらあの女のこと動画で話すから』
……は?
ふざけんな。
あれだけ強く叱責したあとで、花蓮はまた同じことを?
謝るかもと期待した自分が心底馬鹿らしかった。
『わかった。用意したら行くよ』
花蓮の家で話すなら逃げ道はない。
行ってやる。行って、もう二度とこんな真似をさせないように今度こそ説得してやる。
*
5月の夜は肌寒く、シャツに上着を通して自宅を出た。
花蓮の住むアパートは、俺の家から自転車で10分ほどの位置にある。
両親を亡くした花蓮は、親戚の勧めもあって生まれ育った家を手放している。ひとりで住むには広いし、家族の名残に囲まれて眠るのは精神的にキツかったんだと思う。
祖母の家に身を寄せる選択肢もあったらしいが、なぜか花蓮が選んだのはひとり暮らしだった。
――ありふれた2階建てアパートの一室。
外階段を上がって204号室の前に立つ。インターホンを押すと、待ち構えていたとしか思えない速さで扉が開いた。
「……来てくれたんだ」
「呼び出したのは花蓮だろ」
顔を出した花蓮は、拍子抜けするほど無防備な格好をしていた。
オーバーサイズのスウェットに、ショートパンツから伸びる素足。流れる金髪は枝毛混じりで、髪には乾かしたばかりの湿った跡が残っている。
「入っていいよ」
「……お邪魔します」
靴を脱ぐ。露出の多い格好に出鼻を挫かれ、やや萎縮しながら花蓮の後ろをついていく。
必要最低限の物だけが置かれた殺風景な1LDKだ。引っ越しの手伝いで一度だけ来たことがあるけど、そのときの雰囲気と大して変わっていない。
案内された寝室も、俺の記憶にある内装とそれほど変わっていなかった。
「座って」
「……ああ」
ローテーブルを挟んで腰を下ろす。
そして気まずい沈黙が落ちた。
なんだろう。花蓮の様子が普段と違う気がする。それは階段のときからそうなのだが、今のこれはまた違った感じで、危うげというか厭世的な空気感が漂っている。
……いや。花蓮のペースに呑まれるな。こいつの話とやらがなにかは知らないが、先に言うべきことを言っておくことにした。
「花蓮」
「っ……」
「この際だから言っとくけど、ああいうメッセージを送ってくるのは二度とやめてくれ」
「…………」
「沙夜さんを人質にするのはおかしいだろ。あれじゃあ、やってることは脅迫と一緒だ」
「脅迫って……そんな言い方……」
「じゃあなんて言えばいいんだよ、あんな――」
語気が荒くなりかけて、慌てて息を吐く。
怒鳴ったところでどうにもならなかったのが階段での顛末だ。もっと別の方向から諭さないと効果はないだろう。
「悪い、そうじゃなくて。花蓮はそんなことするやつじゃなかったろ? 学校でも急に逃げるし、色々どうしちゃったんだよ」
花蓮は俯いてしまった。しばらく返事がなくて、呼びかけようとしたまさにその途端、
「……ごめん」
と、小さな声が聞こえた。
「送ってすぐ後悔した。でも、こうでもしないと奏斗が来てくれないと思って……」
「…………」
「最低だよねあたし。奏斗の嫌がることばっかりして。本当は全部わかってるの。わかってるのに、止められなくて……」
俺は唖然とした。目の前に座ってるのは本当に花蓮なのか?
非を認めて謝ったのもそうだが、それ以上に、こんな弱々しい姿を見るのは葬式の日以来で――。
「ねえ奏斗、あの女のどこがいいの」
俯いたままの、つぶやくような問いかけだった。
当然、沙夜さんのことを言ってるのだろう。
しかし好きな理由を伝えたところで、住んでる世界が違うのだから理解されるとは思えない。
なにより花蓮には関係のない話だ。
「……そういう話をしに来たんじゃないだろ」
「あたしがしたかったのはそういう話だよ。答えて」
「花蓮には関係ない」
「あるよ!」
そこで花蓮は顔を振り上げた。振り上げる勢いのままに立ち上がる。
「関係あるに決まってるじゃん……! だってあたしは……」
喉の辺りで詰まったように言葉が止まった。
なんだ? なにを言おうとしてるのか。
一瞬の間を経て、花蓮は俺を見下ろした。
「奏斗のことが好きだから」
……。
…………。
――は?
言葉が頭に入ってこない。
花蓮が俺を好き?
……え?
「な……、に言ってんだよ……?」
「ぁぁぁぁっ――」
問いかけるが、花蓮は身を捩りながら返事を放棄した。
そして堪え切れないとばかりに自分の顔を両手で覆うと、
「言っちゃった! 奏斗に好きって言っちゃった……!」
指の隙間から狂気的な笑みをこぼした。
目を見開いたまま、口元だけが歪に歪んでいる。頬は紅潮し、瞳には正気を手放したような光が同居していた。
「言えた! 言えたよ奏斗!? 10年! ずっと恥ずかしくて10年以上も言えなかったのに……! やっと言えた……!」
言いながら、花蓮はテーブルを回り込んでこちら側に歩いてくる。照明の光を背負い、その顔がどんどん影になっていく。
怖い……。
本能的な恐怖を感じて思わず後ろ手をつく。俺は座ったままマットレスの上を後退するが、背中が壁にぶつかってしまった。
そうして眼前まで来た花蓮は、俺と目線の高さを合わせるように膝を折った。
「ほんとはね、再生数なんて二の次だったんだよ!? バズなんてどうでも良かったの! あたしはただ、奏斗と一緒にいられる大義名分が欲しくて……ただそれだけで……!」
カメラが回っている間は優しくて、止まった途端に興味を失う。だからオタクに優しいギャルは演技で、塩対応こそが花蓮の本性だと思っていた。
だが、演技だったのは撮影中ではなく日常生活の方だった?
じゃあ、冷たくしていたのはすべて照れ隠しだったと?
……そんなの、どうやって気づけというのか。
「馬鹿だよね、全部まやかしなのに。カメラが止まったら終わりなのに」
落ち着きを取り戻したのか、花蓮の声は少しずつ低くなっていった。
「……それでも嬉しかったんだよ」
「…………」
なにか言わなくちゃいけないのに、どの言葉も的外れな気がして口の中で溶けていく。
「でも、もう遅いんだよね。奏斗はあの女のことが好きなんでしょ?」
「…………」
「答えてよ」
この場を穏便に収めるためなら、あれは冗談だったと曖昧に濁すという手もあったかもしれない。
ただ、今の花蓮にそんな嘘が通用するとは到底思えなかった。
「ああ……」
「……そっか、わかったよ。じゃあ邪魔しない」
あっさりした声だった。
引いてくれたのか……?
そう思った瞬間、ただでさえ近かった距離が目と鼻の先になった。
「でも、奏斗って童貞だよね」
「なっ……!」
想定外の発言で素っ頓狂な声が漏れる。
「初めてが下手くそで、もしあの女に幻滅されちゃったらどうする? 変なところ触って痛がられて、途中で気まずくなったりしたら?」
「そ、そんなの……」
「嫌だよね。耐えられないでしょ? だからさ」
肩に手を置かれ、ぐっと体重をかけられた。
「――あたしで練習しなよ」
視界が反転し、背中に衝撃が走る。
押し倒されたと理解したのは、天井が目に飛び込んでからだった。
「花蓮!?」
「安心して、ただの練習なんだから。こんな行為に意味なんてない。だから……ね?」
腰の上に跨る花蓮が、ゆっくりと前屈みになっていく。スウェットが重力で垂れ下がり、下着越しの谷間が眼下に見えた。
わざとだ、と思った。だから気づいた途端に目を逸らした。
「なんで逸らしちゃうの。せっかく見せてあげてるのに」
「っ……」
「見ればいいじゃん。興味あるでしょ? 女の子の体」
そりゃ俺だって男だ。興味がないはずない。
そんな内心を見透かしたように、花蓮は息だけで笑った。
俺を押さえつけていた片手が離れ、今度は自分のスウェットを摘まんで持ち上げる。白い腹がヘソの辺りまで見えて、俺はまた目を逸らした。
「だからなんで逸らすの。胸元やお腹程度で恥ずかしがらないでよ。奏斗はこれから、もっとスゴイところも見なくちゃいけないんだから」
裾を持ち上げていた手がショートパンツのポケットに入る。そこから取り出されたのは、小さな四角い包みだった。
「お前それっ……!」
「コンビニで買っといたの」
買って、そんな物を今までポケットに忍ばせていたのか。
俺が来る前からずっと。
「最初からこうするつもりだったのかよ……」
「うん。だって、あたしはまだ彼女になれないんでしょ? なら、こういう関係でもいいよ。あの女と付き合ってもいいし、飽きたら捨ててくれてもいいから。まずは一回だけ――」
どこまでも投げやりな言葉を並べながら花蓮が顔を近づけてくる。
その刹那に俺は考えた。
……別に花蓮のことが嫌いなわけじゃない。
今までのことを考えれば、言いたいことは山ほどある。ぞんざいに扱われ笑い者にされ、たったひとつの居場所まで踏み荒らされた。
でも、あれがすべて素直になれなかった裏返しだというなら。本心では違ったというのなら、また昔みたいに対等でいられるなら――。
これは幸せなことなんじゃないのか。
「奏斗」
押し返そうとした手が途中で行き場を失う。いや、押し返す気なんて最初からなかったのかもしれない。
影が落ち、唇を塞がれる。
行き場を失くした手を、俺はそのまま花蓮の背中に回した。