「結局どこに向かってるんだよ」
「え、お前先輩の家知らなかったっけ」
「どの先輩だよ」
「金太郎飴の」
ああ。
大学帰りに、友人Aに誘われて連れてこられたアパート前、そこは同じサークルの先輩の家だった。
通称、金太郎飴先輩。
なんでも、彼家は祖父の代まで飴屋をやっていたのだとか。地元ではそれなりに有名だったらしい。
その味や柄で売れていたわけではない。幸運を呼ぶ、として有名だったそうだ。
お客さんの前で飴を作る。ぬっと引き伸ばして、最後にはトントントンと均等に、飴の顔を落としていく。
するとあら不思議、七つ目の顔が笑顔になるのだそうだ。
その粒を見事を手にしたお客さんのところには。
どこからともなく金が入ってくる。
寿命が伸びる。
いい嫁さんに出会う。
なんて話で、その七つ目はえらく値がする。30個も売れれば、一般家庭の二月分の稼ぎになるほど。
にもかかわらず、飴ひとつで幸福が舞い込んでくるならと、買っていく人が絶えなかった。そして効能は本物だった。
だからか飴屋の癖して月に30本しか飴を作らない。要は日にひとつしかその幸運の飴は生まれないのだ。
どういうわけかそれ以上に稼がないものだから、実は裏で飴を沢山作って七つ目をたんまり自分のモノにしているだとか、そんなもの作れるくらいだから飴屋はもとより幸運に恵まれているのだとか、そういう噂が飛び交っていた。
だが、実態はその反対だった。
七つ目が笑顔だと、それの買い手に幸運が舞い込んでくる。
しかし数十年に一度、九つ目に酷く歪んだ苦しむ顔が現れる。
この苦しんだ顔が出ると、たちまち作り手に不幸が訪れる。
飴屋をやめた先輩の祖父より前の店主たちは、天寿を全うすることのない突然死が多かったそうだ。
自らの幸運を信じて毎日たくさん売ることができなければ、かといってさっぱり辞めてしまうこともできない。そんな家に不満を感じて家業を畳んだのが、彼の祖父だそうである。
こういう話を先輩は、酒の席で何度かしていた。
それに一度聞いたら、まあぼんやりと覚えている程度には印象のある話だから、気づけば誰が呼んだか金太郎飴先輩。
「先輩さ、最近大学来てねえじゃん?」
「そうなの?」
「そうなのってお前、あの人サークルにも来てないの気づかなかったの?」
「……言われてみれば」
「もう一か月だぜ、一か月。この、薄情者め」
否定できなかった。
ともかく、この友人Aが言うには金太郎飴先輩が、サークルどころか講義にまで出てこないものだから、心配になって家まで突入しようというのが現状らしかった。
俺が連れてこられたのは、たまたま会ったからとのこと。
この強引な友人Aの言う通りにするのは釈然としないが、しかしこうなると金太郎飴先輩が心配に思うのも事実だ。
ちょうど当の先輩の家は目の前なのだから、少し顔を出すくらいならしてもいい。
「にしても先輩、こんなところに住んでたのな」
「ちょっと古いよな」
車がギリギリすれ違える程度の車道と、誰が見ているのかあまりわからない町内掲示板、ここに来るまでに見かけたものと言えば小さな公園とコンビニくらい、そんな住宅街に先輩の住むアパートはあった。
白い塗装が剥げたかけた外観に、外に直接つながる二階への鉄階段。
サビた手すりを握って、慣れたように進むAを追った。
やがてAは202号室の前で止まった。
「ここ?」
「ここここ。いるかな」
玄関前のチャイムを鳴らすと、中から物音が聞こえてくる。
どうやら在宅らしい。
やがて軋む音とともに、金太郎飴先輩が部屋から出てきた。
記憶よりだいぶやつれていて、特に目元のクマがすごい。
「あん。んだよ……あれ、どうしたんだお前たち」
「どうしたも何も大丈夫っすか先輩。見るからに体調悪そうだし、全然大学来ないから心配したんすよ」
「俺も心配だったんすよ?」
「あー……そうか、ありがとな。……このまま帰すのもアレだし、上がってけよ」
先輩の部屋にあがりながら、Aが何かを言いたげに俺を見てきた。
俺は肩をすくめて知らんぷりを決め込んだ。
先輩の部屋の中はそこらじゅうにエナジードリンクとコーヒーの缶が転がっていた。
明らかに不健康な量だというのに、まだ足らないのかちゃぶ台の上に新しい缶と、通販で注文したらしい缶の詰まった段ボールが部屋の隅に置かれている。
そしてカーテンが開け放たれてライトが煌々と光っていた。まだ昼過ぎだというのに。
「散らかってて悪いな。そこらへんに座っておいてくれ、今、なんか飲み物出すから……」
「先輩、どうしたんすかこれ。飲み会したときのビール缶よりありますよ? なんかあったなら言ってくださいよ、俺たちいつも世話になってるんすから、こういうときくらい頼ってくださいって」
「あーその、な。そうだな……そうだよな」
ちゃぶ台を挟んで、俺、先輩、Aが畳の床に座り込むと、先輩はあくびを堪えるようにしながら言った。
「バカみてえな話なんだが……いいか?」
「もちろんですよ」
「まあ、話すだけで楽になることもありますから」
「そうか。じゃあ……アパートの前の掲示板に小学生かなんかが描いた交通安全ポスターが貼ってんの気づいたか?」
「そんなのあったっけ」
Aは見ていなかったのか、俺に話を振ってくるので、こくりと縦に頷いた。
先輩の言うように、交通安全ポスターが貼られているのを、さっき見た。
「ええっと……たしか誰かの顔がでっかく書かれてる感じのやつでしたよね」
白紙に色鉛筆かなにかで、男の顔が描かれていた。それにフキダシで「こうつうるーるをまもろう」だったかなんだったか。あの顔が記憶に残っている。あればかりが印象深かった。
「そう、それだ。あれが一か月前に貼られてからなんだ」
だが特段変なところはなかったと思う。
俺が首を傾げているうちに、先輩は続ける。
「あのポスターが貼られてからなんだよ、あの夢見るようになったのは!」
「夢?」
「そう、寝るたびにな、毎回毎回、あのポスターの男の顔したやつが俺の前まで来てぺらぺら顔をめくってくんだ」
「ぺらぺら?」
「そうだよ、顔を紙みてえに」
先輩はバリバリと、頭をかきながら。
「ペラペラペラペラ、八枚めくり終わったあと、あいつが九枚目に手をかけたところで、俺、下の顔はなんか絶対苦しそうな顔してんだろうなって思っちまってよぉ!」
俺だけじゃない、Aもまたあの金太郎飴の話を思い出していたのだと思う。
思わず二人して目が合ってしまった。
「毎日毎日、俺、次の顔が見えたら死んじまうんじゃねえかって思って起きて、起きて、寝たくねえって思って」
「……それで、こんな」
「それだけじゃねえんだよ。俺エナドリ買いに外出ようとしてな、あのポスターの下が留め忘れて風でぴらぴらめくれそうになってんの見ちまって、掲示板、階段降りた先目の前だろ? だから家から出たらあのポスターの下に隠れた苦しい顔いつか見ちまうんじゃねえかって」
明らかに、様子が変だった。
心がやられている。
医者にでも見せにいかないと、そのうち生死に関わるのではないかというほどの気迫を感じた。
Aも俺も、先輩を落ち着かせようと立ち上がる。
「そんなわけねえのはわかってんだけど、あのポスターの下が九枚目なんじゃねえかって俺だから外に出れなくなって、俺、俺がおかしくなってるのはわかってんだけどな。金太郎飴の話だって、爺ちゃんから聞いただけで俺信じてねえし、九個目の顔が見えたからって何だっていうんだよ。でも見たくねえ、見たくねえ、寝たくねえ、怖ぇんだよ、怖いんだ二十超えた大人が何言ってんだって話だ。でもきっと爺ちゃん父ちゃんが払わなかった負債がおれにまで…………あっ」
先輩は突然静かになって、顔をあげた。
そして、何かを思いついたように、俺たち二人を見ていった。
「お前らさ、悪いんだけど、あのポスター剥がして来てくんね」
「……えっ?」
「だって、お前らあの顔がめくれる夢見てねえだろ? 俺は怖くてできねえけど、お前らがあのポスター外しさえしちまえば俺はこのアパートから出れるんだ。そしたら医者に行くなりなんなり前よりずっと解決に近づくじゃあねえか。
なあ頼んだよ、あのポスターを剥がしてきてくれ。ついでにあの下に何もないのを見てきてくれ」
名案を思いついた。なぜ今までそれに気づかなかったのだ。と言わんばかりに、先輩は笑い出した。
あまりに嬉しそうに、手を叩いて喜ぶものだから、俺たちは断り切れずに掲示板の前までやってきた。
「これだよな」
「ああ、たぶん、そうだろうな」
件のポスターはやはり、白紙に色鉛筆かなにかで、男の顔が描かれていて。それにフキダシで「こうつうるーるをまもろう」と付け足されている。
クレヨンで描かれたぐちゃぐちゃの男の顔は、あの話を聞いた後だとどこか不気味に見えた。
人一人があの状態になっているとはいえ、善意で描かれたこのポスターを勝手に剝がすのはどこか気が引ける。
「……剥がすぞ」
「おう」
先輩の言うように、上二つにしか留められていなかった画鋲を抜いた。
そして支えるように添えていた手を離すと、ポスターの後ろには当然のごとく掲示板の緑色があるだけだ。
「俺、先輩呼んでくるわ」
「……ああ」
変な緊張が解けたからか、ようやく冷や汗がほほを伝っていることに気付いた。
俺は、ポスターを手にもって一応裏面まで確認して、白紙なことを確かめると、ほっと息を吐いた。
「……なにやってんだか」
精神科に予約が必要なのかはよくわからないが、急を要するだろうと思い先輩を近所のメンタルクリニックにまで送り届けたあと、Aと俺はそれぞれ分かれて帰路についた。
その夜のことだ。
実家暮らしの俺は、いつものように自室のベッドに潜って、目を瞑った。
あんな体験があったから疲れていたのか、すぐに眠りについたと思う。
そこで夢を見た。
俺はあの掲示板の前にいて、件のポスターは貼られていた。
なんだろうと思っている内に、隣に現れた人影に気付いて、振り向くと、男が立っていた。
子どもの落書きのようにパーツがぐちゃぐちゃに歪んでいて、飴細工のようにのっぺりとしていて、身長が高くて、俺をじっと見ている。
知らない男だ。だが、知っている顔だった。
あのポスターの顔だった。
夢の中の俺は、じいっと男を見ていた。
特に何を感じることもなく、ただじいっと。
すると男はおもむろにポスターの下部を摘み上げた、そして紙をゆっくりとめくりあげる、テープを剥がすようにぺりぺりとめくり始める。
いや、皮だろう。皮をめくっているのだ。剥がしているのだ!
その下にあるものがだんだんと見えてくる。
全く同じ色をした肌が、金太郎飴のように繰り返される顔の一部がだんだんと。
俺は、それがまるで、人皮を剥がしているようだと、そう思ったとき。
ふと、目が覚めた。
起きたときには午後だった。
アラームもなにもかもを無視して眠りについていたらしい。
寝起きの体を動かして、携帯のメッセージアプリを開いた俺の目に飛び込んできたのは、先輩の突然の訃報だった。
なんとなく、先輩はあの夢の続きを見てしまったのだと思った。
俺があの夢を見たのは話を聞いてしまったからだろうか、ポスターを剥がしてしまったからだろうか。
聞いてしまったからなら、俺だけじゃなくて、きっと、あのポスター以外の形でも……。