神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー   作:卯月スズカ

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1 エルダーガーデンのゼロ
1-1 女学院(1)


 

 暖かな昼寝の中で、遠くなっていた感情を夢に見た。

 子供はいつものように起床して、身支度のために鏡の前に立つ。隣にいた長姉が流している水の音と、背後から聞こえてくる話し声。子供がじっと鏡に映った顔を見ているうちにいつのまにか、それらの音が遠くに押しのけられていた。

 じぃ、とノイズみたいに耳鳴りが響く。黒い髪と紅の瞳。生きている価値がないのにただ生きているその顔を見て、砕かないと、と直感していた。

 

 ──砕かないといけないのは鏡じゃない。私でもない。鏡に映っているあの顔を片付けないと。

 

 子供は無意識にカミソリを手に取り首に動かして、気付いたときには長姉に止められていた。

 音が返ってきて、自分が何をしていたのか理解する。抱き締めてくれた長姉の体温があまりにも申し訳なくて、情けない。

 証明するべき楽園を見つけた今。遠くなっていた感情を、朧げに見た。

 

 

 

「ん、ぅ──」

 

 森林の奥深く。悪魔狩りの修道院の庭先で、昼寝をしていた(みお)が小さく声を漏らした。

 澪の昼寝は深い。寝息が溢れても自分から目を覚ますことは滅多にないから、昼寝中の澪を発見して勝手に膝枕を提供している譲葉(ゆずりは)も特に気にすることなく、澪の黒髪を指先で梳かすように撫でていた。

 譲葉の指が数回、澪の髪を丁寧になぞっていく。その最中に澪が身じろぎをして、ぼんやりと開いた真紅の瞳が譲葉を捉えた。

 珍しくぼうっとしたままの目が譲葉をじっと見つめる。澪は数回まばたきをして、少しずつ現実を取り戻した。

 

「……譲葉?」

「あら。おはよう、澪。まだ寝てて大丈夫よ?」

 

 譲葉は身体を起こそうとした澪を嗜めて、また自分の膝に横たえさせる。澪も抵抗することなく、譲葉の配慮に沈んだ。

 ふう、と澪の呼吸に僅かな疲労が滲んだ。澪はそれを誤魔化すように、譲葉へ尋ねる。

 

「悪魔は?」

「兆候なし。家事も今は溜まってないし、みんな暇してるわ」

「そうか」

 

 澪は簡素な相槌だけを返すと、また目を閉じる。しばらくは髪をくすぐられる心地よさに身を委ねていたものの、やがて譲葉が投げ出していた左手に自ら触れた。

 

「……すまない。少し気が張っているみたいだ」

 

 澪の端的な言葉に譲葉は微笑んで、指先を絡めた。譲葉はからかいっぽい声音で、出会ってからずっと一緒に生きてきた狩人に問いかける。

 

「私たちの証明に? それとも女学院に?」

「両方だが、今は外に出る方が気が重い」

 

 またため息混じりにこぼす声には嫌気が滲んでいた。普段は無骨すぎるほど淡々としているだけに、澪が想像だけで疲れ切ってしまっているのが目に見える。

 

「婆様は譲葉のそばにいれば大丈夫だと言っていたが、考えているとどうにも気が滅入ってくる。国の人間なんて見たこともないのに」

「あら、私は?」

「すぐうちに入ってきたし、そもそも譲葉が国に価値を感じたことなんてないだろう」

 

 すぐさまやってきた返事に、譲葉はくすくすと心から楽しげに笑う。澪は譲葉の青い瞳を見つめてから、ゆっくりと言葉を選び始めた。

 

「……私が知っているのは狩人の世界と婆様の部屋だけだ。だから不安ではあるけれど、譲葉がいてくれるから問題ない。やっと、証明を始められる時が来たんだから」

 

 譲葉は相槌の代わりに澪の髪を撫で付けて、澪の意思を耳に刻む。ええ、と返した声には確固な情念が満ちていた。

 

「私はあなたの価値を必ず、世界に証明する。絶対に、何がなんでも」

 

 日差しが注ぐ庭の中、二人は言葉を交わす。国の禁忌を踏み潰すと決めた少女たちは、穏やかな声で未来を囁き合っていた。

 

 

 四日後、澪と譲葉はそれぞれのトランクを片手に修道院を出発した。目的地は修道院からさほど遠くない土地に築かれた女学院。狩人になり得る人材を国家が見いだすためにと古くから運営される二つの教育機関の片割れだった。

 譲葉があてがわれた二人部屋を整えている間に、澪は女学院の教官らと顔を合わせる。女学院を運営するのは国家でも、教官を務めるのは引退した老狩人だ。澪は教官たちとのやりとりと噛み合った空気に、張り詰めていた緊張をひと時だけ緩めて。

 

 翌朝、譲葉とともに生徒が集められた教室に足を踏み入れた途端、やってきた二十九の視線たちに、自分が知らない世界に入り込んだことを実感させられた。

 

「……ブルーリッシュの、姫様?」

 

 譲葉を見て、少女たちの誰かがぽつりと呟いた。譲葉はにこりと、温和な笑みを浮かべて、王女としての生まれを肯定する。

 

「ええ。これからしばらく、お世話になるわ」

 

 譲葉は一瞬だけ澪の手を引いてから、窓際最後方の席に腰掛ける。澪も無言を貫いたまま足を進めて、隅の壁にもたれかかった。

 澪は自分にも突き刺さっている好奇の目から気を逸らすために、まぶたを閉ざして腰に帯びた刀の重みに意識を向ける。身体感覚を注視するほど、着慣れない制服への居心地悪さも感じるが、必要経費だと受け入れるしかない。

 もともと集合時刻ギリギリに着くように調整していた。まもなくやってきた戦闘者の足音と扉が開けられた音を合図に澪は目を開けて、やってきた教官と目礼を交わした。

 教官は澪を見て、教室を一瞥してから慣れた口調で話し始める。

 

「揃っていますね。遠路はるばる、よく集まりました。ここは国家の管轄ですが、私たち猟友会としても歓迎していますよ」

 

 国家と狩人、二つの社会のあわいで教官は語る。教官は澪に目を向けて、予定通りに促した。

 

「聞き及んでいるとは思いますが、今年は少々特例です。澪、任せましたよ」

「承った」

 

 体重を預けていた壁から離れ、少女たちを視界に収める。澪が知る人間とはあまりに違う座り姿ばかりで、どこか不気味さすら感じるほど。こぼれかけた重い息をどうにか殺して、譲葉を除いた二十九人の少女たちに伝えた。

 

「ペラギア修道院の澪。狩人だ。姫の姉妹として同伴している。籍は生徒だが、あなた方の教導も一部補助することになった」

 

 自己紹介としては、あまりに無愛想でぶっきらぼうな言い回し。けれど澪が狩人だと名乗っただけで、視線は驚愕と尊敬の色に染まっていた。譲葉は澪が言い終えると、万が一にも関係性の誤解を招かないように、修道院特有の表現を補った。

 

「修道院の狩人は身内を姉妹って呼ぶの。私も六年、ペラギアで暮らしているから」

 

 譲葉の説明で、かすかにあった疑問の空気が引いていく。教官は澪と譲葉を見やり、その場の主導を引き取った。

 

「現役の狩人ですからね。あなた方にも多大な助けになるでしょう。──プログラムは明日から。今日は身体を慣らしておくように。健闘を祈っていますよ」

 

 そう告げて、教官は立ち去った。

 緊張が緩んでにわかに会話の気配が動き出す。教室の関心は自然と、王女と狩人の二人組に向いていたが、そのすべてを遮るように譲葉が立ち上がって澪に笑いかける。

 

「澪、戻りましょうか」

「ああ」

 

 スタスタと、迷いない歩調で立ち去る。教室から離れ、女学院の古びた校舎を出て、人の気配が遠くなってから、譲葉は澪の手を握った。

 

「初めての外はどう?」

「……疲れた。空気が違う。無防備すぎて気味が悪い」

「ふふっ、そうでしょうね。私ですら変な感じがするんだもの」

 

 戦闘者しかいないような閉鎖空間でずっと暮らしていたのだ。ただ同じ空間にいるだけで、澪の神経には戦場とはまったく違う疲労が積み重なっていた。

 寮に向かう道すがら。澪の動きはいつもとまったく変わらないが、疲労に引きずられてとぼとぼとしている気配は目に見える。譲葉は微笑ましさ半分、心配半分で澪の様子を眺めながら、二人の個室の鍵を開けた。

 シャッターが下ろされた室内は日中でも真っ暗だった。照明をつけると譲葉はベッドに、澪は侵入感知用の仕掛けを確認してから椅子に腰を下ろす。

 

「四ヶ月」

 

 譲葉が端的に言い放つ。澪を見つめる表情に宿るのは、底の見えない親愛だった。

 

「四ヶ月、耐えてちょうだい。私があなたを必ず、対抗試合に届けるから」

「もちろん。この程度で音を上げるつもりはない。……やっと、機会が見えたんだ。私は必ず、私の楽園の足がかりを掴む」

 

 楽園。

 悪魔狩りの狩人たちがそれぞれ追い求めている命の目標。己は何を目的に悪魔を狩っているのかを、狩人たちは何よりも重視する。目的も未来への望みもなく戦い続ければ、いつか無為に倒れるだけだと知っているから。澪と譲葉が狩人の世界を離れて女学院にやってきたのも、二人の楽園を求めるためだった。

 譲葉はそっと、指先で澪の頬に触れる。柔らかな手つきに澪は目を細めるものの、戦場で研がれた鋭い気配が緩むことはない。譲葉は微笑み、熱情を静かな吐息に落としてから、澪の相貌を見つめた。

 

「ええ。あなたの兄を踏み越えて、あなたを否定した家に愚かさを理解させてやりましょう?」

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