神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
澪の追撃戦から五日後の昼下がり。
譲葉は王族として用意された衣装に身を包み、王宮を歩いていた。楚々とした歩調はまさしく姫君そのもので、まさか自身の弾劾場に向かう道すがらとは誰も信じられないだろう。
先導する侍女は無礼がないようにと気を払いつつも、この第三王女の空気には何か肌寒いものを感じていた。
一見すれば温和でしとやかな、周囲が望む姫君であり。けれど世界最大の呪詛適性を持つ呪い姫であり。果てには王族の禁忌を破り、踏み躙って、弾劾場に引き出されている。譲葉の穏やかな雰囲気ですら、歪と澱んだ情念の証明のようで、恐ろしい。
「こちらです」
「ありがとう」
侍女は頭を下げて、譲葉を見送った。幼少の彼女を知る使用人すべてが、案内を拒絶したのは当然だと実感しながら。
譲葉が引き出されたのは、半月型の卓が置かれた小さな一室だった。
席は五つ。王族と四公家のそれぞれが座るために用意された、厄介極まりない事態に対処するための議場。
譲葉はまずにこやかな微笑みを浮かべて、父親に頭を下げた。
「お久しぶりです、お父様。ご健勝でしょうか」
「……まさかお前が人間らしい挨拶をするとはな」
まともな親子にはありえない返答だった。譲葉は父の──
席は四つ。けれどカデナの長老の姿はなかった。イオが譲葉や澪と交友を持っているからと外されたか。譲葉はイオの立ち位置に疑問を抱きつつも、今度はエルダーガーデンの席に座る森羅へ笑いかけた。
「こんにちは、エルダーガーデンの森羅。ご当主のお身体はいかが?」
「悪くはないが、万全ではない。ゆえに私が名代を務めさせてもらっている」
森羅は譲葉への嫌悪を飲み込み、代行として声を返した。十七という若年ながらこの場に座っている事実だけで、彼の能力は窺える。
志導は深く、呆れのこもったため息を落としてから、譲葉を睨め付けた。
「わかっているな、譲葉。お前のしでかした事の重さは」
「ええ。理解した上で踏み越えました」
平然と、譲葉はそう宣う。反省を見せるような声音で、けれどそんな意思はまるでなく、王族と四公家が守るものを切り捨てた。
「王族と四公家の者が深く関われば、五つの種族のバランスが崩れる。だから王族は決して四公家の者に肩入れしない。だから私が澪を──エルダーガーデンのゼロを伴い、女学院に上がったのはあなた方の禁忌に触れた。ええ、理解しています」
「はぁ……どうして王族に生まれたんだ、お前は」
静かな声で完璧な理解を語る譲葉に、志導は堪えきれない嘆きを落とした。譲葉はくすりと笑って、手の甲で口元を隠す。
志導は嘆息を吐いてから、四公家の席を見やった。誰に議論を主導させるべきか、妖精族のセーナクルシェと、翼人のロンダークを見て、尋ねる。
「確か、ペラギアにはセーナクルシェの娘もいたな」
「ええ。なので、ロンダークに任せた方がいいかと」
「あら、私ですか。ま、我々しか部外者はいないようですし、必然でしょうね」
ロンダークの女当主は竜の翼をパタパタと小さくはためかせて、楽しそうに笑っていた。
「王族と四公家の接触禁忌は法でこそ規定されていませんが、踏み越える者が存在するはずもないから、教育の中で禁忌と教え込まれているだけ。譲葉姫、言い訳はございますか?」
「いいえ。おっしゃる通り、許されざることをしたのは理解していますから」
あまりにも素直な様子に、ロンダークはふむと眉根を寄せた。
譲葉が幼少に見せていた気質からでは考えられない、唯々諾々とした態度。一体何を考えているんだか、とロンダークはこっそり笑う。
ロンダークは激情を押し隠す森羅を観察してから、志導に尋ねた。
「陛下。処分はこの場で決定するということでしたね?」
「ああ、前例がないからな。判断は委ねる」
「承知いたしました。では、そうですね」
ロンダークは視線を譲葉に移し、観察する。
森の離宮に隔離されてからは一度も見ていなかったが、随分と人間らしくなっている。その変化は果たして、国家にとって良いのか悪いのか。間違いなく悪化の方向だろうと即断しながら、ロンダークは譲葉への処分を設定する。
「廃嫡や王族籍の削除はいささか都合が悪いでしょうし、彼の離宮への幽閉が妥当でしょうね。次はペラギアとの接触も認めず、黒科学の研究を行わせる。譲葉姫、反論があれば今のうちに」
「いいえ、寛大なお慈悲に感謝します」
おや、とロンダークは目を細める。
ペラギアから離れるなど飲み込めるはずがないだろうに、譲葉の微笑みは穏やかなままだった。ただ一人、何の関わりもなく傍観する立場でいられたから、ロンダークは譲葉の反応だけを観察できる。少女らしい唇が紡いだ声にも、志導や森羅ほどの驚きを受けずにいられた。
譲葉は笑う。微笑んで、歓喜を唄った。
「ええ、ええ。感謝いたします。喜んで蟄居しましょう。澪がエルダーガーデンに復帰できるなら、それ以上は望みませんもの」
「っ……!」
森羅は思わずといった調子で立ち上がり、倒れた椅子が激しい音を立てた。澪との確執ではなくエルダーガーデン当主の代行として、強張る声で拒絶を告げる。
「……認め、られない」
「あら、どうして?」
くすくすと譲葉は笑う。
その笑顔は呪い姫の名に恥じない、かつての嘲笑。森羅はその狂おしいまでの情念におぞましさを覚えながらも、否定を続けた。
「あれは、古代種だ。四公家が古代種を抱えるリスクなど、あなたならとっくに理解しているだろう!」
「ええ、そうね。澪は亜人の形質を持っていない。エルダーガーデンが澪をどこかの公家に嫁がせれば、それだけであなた方のバランスが崩れるものね」
もちろんそんなことは許さないけれど。と言外にこめながら、譲葉は事実を語った。
かつて真祖の再来と予言され、期待を背負い、失望された少女。けれど彼女が観測機械に贈られた名前を剥奪され、修道院に委ねられたのは失望だけが原因ではなく。
四公家が古代種という存在を抱えるリスク。そのために少女は生まれながらにして、国家に否定されたのだ。
だから譲葉は一歩も引かない。目の前にいるのは澪を否定した国家の代表たちだ。どうして仮面を被ってやる必要があるのだろう、と譲葉はしとやかに笑う。
「けれど、ね。そんなものはどうでもいい。私にとって必要なのは、澪が世界に認められることだから」
「──譲葉!」
志導の怒声が娘に叩きつけられる。それでも譲葉は何も変わらず、自ら父を見下した。
「ふふ、くだらない。あなた方が人生を賭けて守るものなんて、私からすれば何の価値もないガラクタに過ぎないの。──そう。だから、選んでくださいな。澪を認めるか、認めないのか」
譲葉は手を差し伸べて、決めろと迫る。
どちらでも良かった。譲葉からすれば、自分の処分はどうでもよかった。
処分を下してくれるなら、それは彼らが澪の存在を認めるということだ。エルダーガーデンから抹消されたゼロが狩人として自ら力を示し、表舞台にも認められた事実があれば、譲葉は楽園にいつか届く。
処分が撤回されても変わらない。澪を対抗試合に送り届けられるのなら、自分たちの楽園証明を始められる。足がかりに至ったら、いつものように二人で戦っていくだけだ。
森羅はもはや、あまりの怒りで何も言えず、卓に拳を置いて立ち尽くしている。ロンダークは国王とエルダーガーデンの様子を俯瞰して、譲葉の笑みを眺め、はぁと息を吐き出した。
「清々しいまでの強弁ですが、筋は通っている。陛下、森羅、どうなさいます?」
「……ゼロの復帰を認めるわけにはいかない。処分の撤回を、主張します」
「ああ、そちらの方がマシだろう。──去れ、譲葉」
「はい。ごきげんよう、お父様。もう二度と会わないよう、祈っています」
本心からの厭悪を剥き出しにして、譲葉は最後に笑った。もはや隠すつもりもない敵意を露わにした譲葉の背中に、これまで沈黙を貫いていたセーナクルシェが声をかけた。
「譲葉姫。あなたは件の狩人をよほど愛しているようだな」
ぴたりと、譲葉の足が止まった。これまでの哄笑すらかき消えて、譲葉は呪詛に塗れ、凍りついた声をこぼす。
「──愛?」
「一人のために人生すべてを捧げようとする。それを愛と言うはずだが、違うかな?」
あくまで一般論を装って、セーナクルシェの当主は投げた。果たしてこの姫君はどんな反応を見せるのか。観察への解答は、ガラスが腐って砕けた音だった。
「……失礼しました。解呪が必要なら、ご用命を」
振り返らないまま、譲葉は議場から立ち去った。セーナクルシェはまず譲葉の呪いに当てられたガラス片を眺めて、首を横に振る。
「今すぐの危険はありませんが、念の為に解呪を手配した方が良いでしょう。この程度の濃度なら、譲葉姫も自覚して呪ったわけではないようだ」
「……どうして、あの子は王族に生まれたのか」
とうとう志導は肩を落としてぐたりと俯いた。森羅も激情を鎮めるために口内を噛み締めて、じっと黙りこくっている。ロンダークは翼をぴくぴくと動かしながら、セーナクルシェに問いかけた。
「翁。どうしてあのような質問を?」
「いや、どうにもあの情念は人の枠に当てはまるようには見えなかったもので。自覚しているのか確かめたかっただけだ」
「……ああ、なるほど。愛という定義ですら、譲葉姫にとっては生ぬるい。やはりペラギアに一任させておくのが最も安全なようですね」
ロンダークは森羅をじっと見守る。まだあまりにも若く、自ら抱えてしまった重圧は年齢不相応。あらゆるものに潰されかけて、それでも耐える青年に、ロンダークは声をかけた。
「森羅。してやられたと思うのなら抗いなさい」
「……抗う?」
「対抗試合。もう避けられない流れのようですからね。いっそ決着をつけてきなさいな」
ロンダークの促しに、森羅はまず視界を閉ざした。
双子の片割れへの憎悪を見つめて、現実に戻り。森羅は無言で頷いた。