神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
澪が王都の地下深くに赴いたのは、譲葉の弾劾と同日のことだった。
幾重にも閉ざされ、その度に厳重な身元確認を受けて、ようやく辿り着いたエレベーターも人間一人乗るのでやっと。エレベーターは十分以上かけて澪を地下へ送り、狭苦しいカゴから解放された先には堅牢な扉がそびえ立っている。
本来ならさらに複雑な手続きを経ないと開かない扉だが、澪は迷わず通信端末を取り出して、部屋の主その人に訴えた。
「婆様、私だ。
返答代わりに五重の扉がゆっくりと開いていく。澪はスタスタとした歩調で迷わず奥に向かい、最後に置かれたごく普通の扉を手で開く。
王都の地下。その最深層に座す正体は人類の生命線である観測機械。数億台ものコンピューターと自らを繋ぎ、統御するのは、成長を奪われた永遠の少女。
部屋の大半を占めるベッドに沈む観測機械は、柔らかなクッションを抱いて、笑いながら転がっていた。
「っ……っ! 毎度だけど、あたしにそんな口の利き方する子なんてあんた以外にはいないよ、唯我……!」
「さて。私にとっては婆様だ。なら甘えたって構わないだろう?」
「ふっ、くくっ……! ああそうだ、あたしはあんたの婆様だからね。──さて。いらっしゃい、唯我。よく来たね」
観測機械の見目は澪とそう変わらない年頃だ。けれど声音があれば、この少女は四百年以上を見届けてきた歴史の証人なのだと実感させられる。
澪は観測機械のベッドに上がり、頼まれていた土産を渡すとサイドチェストから櫛を取り出す。乱雑に伸ばされた亜麻色の髪を一房掬うと、慣れた手付きで梳かし始めた。
観測機械も当然のように受け入れながら、澪が持ってきた土産を開ける。焼き菓子が詰まった箱を開けて、観測機械は目を丸くした。
「おや、今回は色々入ってるね。あんたが選んだのかい?」
「いや、店にすべて任せただけだ。どれを多めに入れるかやけに気にしていたけれど、焼いてあるなら全部同じだろうに」
「ほんっと、いくつになってもそういうところは雑だねえ……。唯我、口開けなさい」
「ん」
澪は観測機械に促されるまま口を開けて、入れられた焼き菓子を疑いもなく飲み込む。祖母に甘える孫そのままの素直さは誰も──譲葉ですら見たことのない、観測機械の前だけで見せる顔だった。
「ほら。今の二つ、違っただろう?」
「ああ、食感が違う」
「うん、こういうものはそこに違いを見出すんだけどねえ」
「……甘くて焼いてあるなら同じだろう?」
いつもと変わらない反応に、観測機械は肩を落としながらもくつくつ笑う。
観測機械は情報処理を妨げる不要因子を排除するためとして、自らが他者とやりとりを行うことは滅多にない。
直接の連絡を取り合う人間は、現代では澪一人だけ。かつて観測機械が自ら敷いた原則をただ一度だけ踏み越えて「真祖の再来」と予言を行い、唯我と名付けた娘だけだった。
観測機械は首を後ろに倒しながら、澪の服装を見やる。澪の服装はいつもの正装ではなく、観測機械に指定された通りの女学院の制服だった。観測機械は目元を緩ませると、笑い混じりに声をかけた。
「それにしても、うん。年頃の娘らしい格好も似合うじゃないか」
「……似合う似合わないはともかく、慣れないから好きじゃない。落ち着かないし動きにくい」
「そうかいそうかい。ああ、そうそう。この前話した星見図、そこにあるから帰りに持っていっておくれ」
「わかった。でも婆様、私越しにからかうのはやめてくれ。随分揺すられたんだぞ」
「おや、だったら構わないじゃないか。女学院の娘なのにあんたに食ってかかれるなら、あたしも安心できるってもんさ」
観測機械はケラケラと笑い、澪はむぅと不満を露わに口を閉ざす。観測機械はひとしきり笑ってから、静かな声で問いかけた。
「唯我。あんたたちの証明は順調かい?」
「ああ。譲葉が今、王族たちと戦っている頃だろうが──」
澪はそこまで言って、声を止める。待つことしかできない無力感と、譲葉への信頼をすり合わせて、言葉を探した。
「……譲葉は、必ず勝つ。私を対抗試合に届けてくれる。私は森羅を下して、捨てられた事実を踏み越える。そうすればやっと、私は心から楽園を追えるはずだから」
澪も自分が放逐された理由は知っている。古代種の肉体そのものが社会には不都合だったと理解している。
けれど、だからといって認められるわけではない。譲葉が見出してくれた希望を証明するためにはまず、澪自身が過去を正面から否定する必要があった。
そうかい、と観測機械は小さく頷いた。観測機械が悲しげな顔をしていることは承知の上で、澪も尋ねる。
「婆様。私はあと何年戦える?」
らしくない物言いだった。
他人に戦場の期限を問うなど、澪の人格ならありえない。ありえない以上、必ず問いかけるだけの理由は存在している。
観測機械は固く張り詰めた声で、予測を告げた。
「今のまま、無茶を続けるなら五年が限度だろうね。それを超えて戦ったところで、無駄死ににしかならない」
「そうか。──間に合って、よかった」
澪は心からの安堵をこぼす。観測機械は俯き、手を震わせている。澪は観測機械の髪を梳かしながら、祖母に等しい人を呼んだ。
「婆様、頼む。そんな顔をしないでくれ。婆様には感謝しているといつも言っているだろう」
「……そうだね。あたしも今の未来を望んで、予言なんてらしくない真似をした。けれどね、唯我。あんたの可能性はあたしが閉ざしたようなもんなんだよ」
「だから感謝している。婆様の予言があったから、私はペラギアの狩人になれた。譲葉と出会って、楽園を見つけられた。婆様のおかげで私は生きていられるんだ」
現行人類の肉体は遺伝子改造によって底上げされて、かつては神秘としか言いようのなかった事象も引き起こす。その恩恵に与れない古代種が彼らの戦場についていくために、代価を必要としないはずもなく。
施術と投薬──物理的な改造。身体を作り替え、負荷も顧みることなく日常的に戦っていれば、甚大な消耗は避けられないに決まっている。
けれど澪からすればその対価も、無為に生きていく人生を塗り替えられるなら存在していないものと同じだった。澪はかすかな苦笑も浮かべながら言葉を続けた。
「それに私がエルダーガーデンに残っていたところで、きっと耐えられなかったぞ。どうせ戦場に逃げるに決まっている」
「……ははっ、そこに自分で気が付くなんて。そんなに女学院が苦手だったのかい?」
「ああ、いつまで経っても理解できない。やりとりが冗長すぎる。あそことは相入れないだろうな」
澪の軽口じみた自己分析に、観測機械は不器用に笑って、やがて全身の緊張を緩めた。観測機械は吐息を落とし、澪に身体を委ねる。そうして、遠いどこかを見つめるように話し始めた。
「あんたの名前の由来、話したことあったっけ?」
「いいや。やけに大仰な名前だと思っていた」
澪が首を横に振れば、観測機械は小さく笑った。くつくつと喉から音を立てて、迷いながらも続けていく。
「あやかった元からして大仰だからねえ。……昔、真我って子がいたんだ」
「真我?」
「真なる我。真実の己。あんたに、本当にそっくりだった」
ぽつぽつと、観測機械は語っていく。懺悔するような吐露を、澪は無言で受け止める。
「あの子が存在していた証拠はもう、何一つ残っていない。真実を望まれて、望んで、砕けちまったから。だからあたしはあんたに唯一を──生きているだけで十分だと、投影して、願った」
観測機械の声は、澪が口を挟むことを望んでいなかった。澪は口を閉ざして、観測機械の髪を梳く。
真祖の再来と、かつて観測機械は予言した。古代種が生まれると知っていたのに、どうしてそんな真似をしたのか。澪も今の言葉はその真意の一つだと直感したが、踏み込めなかった。
観測機械が何を思って自分に介入したのか。真意を知らなくても、救われたことは察している。真祖の再来として与えられていた名前を社会に剥奪されても、観測機械の前では唯我でいられるから、痛みの滲む声を暴けない。
観測機械は深く息を吐き出すと、いつもの不敵な笑みを浮かべた。いつもと何も変わらない、老獪な観測者として笑いかける。
「唯我、証明しておいで。あんたが掴んだ楽園を」
「ああ」
澪が地上に戻ったとき、すっかり日が傾いて橙色になっていた。足早に合流場所へ向かえば、譲葉がぽつねんと立ち尽くしていた。
戻ってきているのだから弾劾には勝ったのだろう。けれど、いつもと空気が違う。澪は首を傾げながら譲葉を呼んだ。
「譲葉」
「……あ、澪」
譲葉はぱちぱちとまばたきをして、澪の姿をゆっくり改める。やはり何かがあったようだが、何があったのかはまるで想像できない。
澪はじっと譲葉を見つめて、ふむと普段のやりとりを思い出した。弾劾場で何があったのかは想像できないが、譲葉が戦場から帰ってきたことは変わらない。だから、いつもとは反転した言葉を澪は口にした。
「おかえり、譲葉」
澪がそう言った途端、譲葉のぼんやりとしていた雰囲気が引き締まった。
胸の前で手を組んで、目を丸くして。そして吐息とともに表情を緩めて、いつもの微笑みを返した。
「ええ。ただいま、澪」