神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
夜中の星見台で、イオはぽかんと口を開いていた。追討戦を終えてすぐ、譲葉の同伴で王都に向かった澪がいきなり顔を出したと思ったら、件の星見図を渡してきたからだ。
「……まさか、本当にもらえるなんて」
「いらなくなったら気兼ねせずに捨てていいぞ、と言っていた」
「だから何者なのよ、そのお人は……」
「人をからかうのが好きな婆様だ」
澪は事実を伝えているだけでも、イオの困惑はどんどん深まっていく。宝物を扱うようにそっと星見図に触れて、一枚ずつ丁寧に中身を改めた。
「四百年前、か。ありがとね、澪」
「気にしなくていい。私は婆様に会ったついでに預かってきただけだから。……邪魔をしたな。また眺めさせてくれ」
「ん、今日はいいの?」
「さすがにな。王都は人が多すぎて疲れたから寝る。制服だったから顔も隠せなかったし」
澪はそう言い残して、星見台から去っていった。
イオは澪の発言に、まさか普段は例の正装とペストマスクで王都を歩いているのか、とか。どうして豊穣の追討よりも人混みに疲れているんだろう、とか。そんな諸々に思いを馳せながら、渡された星見図と自分のノートを見比べ始めた。
星の海ではなく、記録の比較に注視すること十分ほど。不意にイオが持つ通信端末が音を立ててメッセージが入ったことを伝えた。
「ん──森羅?」
イオと連絡を取り合う人間はほとんどいない。その数少ない一人であるところの森羅から求められていたのは、手隙のタイミングでの通話だった。
イオは首を傾げながら、自ら通話をかける。通話はすぐさま繋がって、聞こえてきた第一声は申し訳なさげな謝罪だった。
『すまない、急に』
「いいよいいよ、一人で星眺めてただけだし。で、急にどしたん?」
イオが問えば、森羅はゆっくりと感情を抑え込むような呼吸をする。ようやく発した声は自分への嫌悪に満ちていたが、躊躇う気配はなかった。
『頼みがある。イオにしか頼めないんだ』
「うちにしか?」
はて、とイオは首を傾げる。まったく心当たりがなかったから思考は素朴な疑問でいっぱいになっていて、森羅がそのまま続けた言葉への反射を堪えることができなかった。
『ああ。カデナの金狐である、君にしか頼めない』
「っぐぅ!?」
思い切りむせる。耳と尻尾がピンと逆立つ。咳き込むイオに、森羅はまた申し訳なさそうな声を向けた。
『……やっぱりイオだったか』
「カマ!? カマかけたんか、あんた!?」
『かけた。すまない、触れるべきでないのはわかっているんだが……』
通話向こうの森羅がますます小さくなる気配がした。イオはその様子に、少なくとも害意や悪意はない──いつも通りの森羅だと理解して、念の為に周囲を確認してから尋ねる。
「うち、ボロ出してないよね? どこで知ったの?」
『昨日の譲葉姫の弾劾。父の代理で俺が出席していたんだが、なぜかカデナの長老だけが呼ばれていなかった。俺みたいな代理すら送らないあたり、出席できない理由があるとしか考えられなくて』
「……はぁ、そらあんたなら理解するわ。女学院にいる金狐も、澪と姫様の友達も、うちしかいないんだから」
どうしてカデナが先にやらかすんだ、とイオは呆れつつも、心のどこかでは安堵も感じていた。
森羅は自分の出生を知ったところで何かを企んだり利用する人間ではない。そう理解できるから、隠し事をする必要がなくなった気楽さを素直に受け入れられる。イオは望遠鏡から離れてベンチに腰掛けると、もう一度ため息を落としてから話を戻した。
「で、うちにしか頼めないことって?」
『……血。血液を、分けてほしい』
「血?」
あまりにもシンプルな頼みに、イオはまた首を傾げる。
どうしてわざわざ、深刻な雰囲気で頼まれているのか。どうして血液の贈与を頼むために出生まで確認してきたのか。吸血鬼の価値観を知らないイオには理解できなかった。
「うん。そのくらいならお安いご用だけど、なんでわざわざうちに? 近い距離の人に頼んだ方が楽やろ?」
『いや、そういうわけにもいかないんだ。俺も避けたかったんだが、手段を選んでいられる状況ではなくなったから』
吸血鬼は他者の血液を自らの強化源にできる。誰もが知っている常識なのに、森羅はどうしてここまで追い詰められた様子になっているのか。イオがますます疑問を募らせていれば、森羅は緊張を誤魔化すような若干の早口で、自分たちにとっての吸血という行為の重みを説明した。
『イオ。俺たちにとって人からの吸血は親愛の表明──とりわけ、求愛の意味合いが強い』
「……ん?」
森羅が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。イオの困惑へ畳み掛けるように、森羅は言い訳じみた理由を重ねていく。
『だから迂闊な相手には頼めないんだ。誰からもらったのか、親類に知られれば勘繰られるし、俺も身近にいる相手だと意識せざるを得なくなる。ここまで説明できるほど親しい人間も他にいないし』
「あ──ああ! そう、そういうこと! そう、そらうち以外には頼めないか! うちなら距離もあるし、一応は四公家の係累だからそういう関係にはならんし、ぼっち同盟だし、知られても問題ないもんね!」
『ああ、そういうことだ。だからイオ以外には頼めなくて。……頼んでも、いいだろうか』
焦燥と羞恥と誠意が入り乱れてぐちゃぐちゃになった声だった。その様子にイオはため息をついてから、うんと頷く。
「いいよ、どうせ対抗試合のためでしょ? 近くなったらそっち行くから、そのときに」
『……すまない、ありがとう』
「謝らんくてもいいってのに。……でもね、森羅。一つ聞かせて。あんたと澪、一体何があって、あんなに憎み合ってるの?」
『…………』
森羅はすぐには返せず、沈黙が続く。
森羅も説明したくないわけではない。ただ感情があまりにも絡まり合っていて、上手く伝えられる言葉が思いつかないだけ。ぽつぽつとこぼし始めた説明は、整理できていない思考がそのまま現れているように散らばっていた。
『そう、だな。俺がゼロを受け入れられないのは、たぶん、否定しないと俺が俺でなくなるから』
「……いろいろ、あったの?」
『どうだろう。あると言えばあるし、ないと言えばない。俺が勝手に意識していただけだから』
話しながら記憶と感情を辿っているような語り口だった。イオは相槌だけを打って、森羅の声を待つ。
『俺たちの両親は、俺たちが生まれる何年も前に観測機械から予言を与えられていた。エルダーガーデン当主夫妻の間に生まれる娘は、エルダーガーデンの真祖の再来だと』
「うん」
『結局ゼロは古代種だった。父は親類からの圧力に逆らいきれず、あいつを修道院に預けたらしい。……俺は予言とは何の関係もなかった。両親は俺とゼロを比べることはしなかったが、あの人たちが変わり者なだけだ。俺とゼロが双子だということは事実だから、親類はどうしても、な』
森羅の声にはかすかな疲れが滲んでいた。イオは口を挟まず、続きを促す。
『俺が後継者として認められるには……違うな。自分にエルダーガーデンを継ぐ資格があると許すには、周囲が認めるくらいの成果を出す必要があった。本校にいるのもそのためだ。狩人に認められるだけの実力があれば、俺も自分を信じられる』
「うん」
『だからゼロを見た時、怯えたよ。俺の人生すべてが壊れたみたいで』
「……そういうこと」
イオは森羅が女学院に赴き、澪と対峙したときの光景を思い出す。
あのときの森羅の姿には、抑え込んでいた何もかもが崩れてしまったような印象があった。その直感が正しかったことを理解して、夜空の下で一人頷く。
『豊穣の追討のことは聞いている。俺が狩人に勝てるはずがないのはわかっている。けれどただ負けるだけだと、きっと俺はこの先を生きていけない。……俺は俺のために、あいつを否定する必要がある。だから、俺はゼロを憎んでいるんだろうな』
「そっか。──ありがとね、聞かせてくれて。おかげでうちも気兼ねなく手伝ってあげられるわ」
『いいや、こちらこそ助かった。ちゃんと考えたのは初めてだったから。……俺も一つ聞きたい。イオはこれからどうするんだ?』
「これから?」
『戦場の観測をしたんだろう? 個人的にだが、教官が教えてくれた』
「そ、そっちにまで……」
イオは思わず肩を落として、尻尾を抱える。
評価されるのは嫌ではない。むしろ嬉しい。自分にも生きていていい場所があるのだと感じられるみたいで。
けれど、隠れて生きることを決めていたからこそ。その喜びが恐ろしくて。生きたい道はとっくに決まっているのに、感情だけが追いつかないままだった。
「……猟友会にも声をかけられた。行きたいよ。うちだってカデナの隠し子って事実が関係ない場所に行きたい。でも、そんな人生があるなんて思っていなかったから、怖い」
『そうか』
「そう。──はあ、まったくあの子は。うちの気なんか知らずに人生壊してくるんだから、ほんっと厄介極まりないわ。……あ、そうだ。血あげるんだから。うちの不満の分、代わりにぶつけてちょうだい」
イオはくつくつと、呆れが混ざった笑いをこぼしながら文句をぶつける。森羅もイオの態度にこれまでの緊張を緩めて、かすかながらに笑っている気配が通話越しにも感じられた。
──もしかしたら、とイオは声に出さずに考える。
双子の決着の果てに、森羅が何を思うのか見せてもらえれば。恐怖で本心から逃げようとしている自分も覚悟を決められるのではないのかと。
もちろん言葉にはしない。これ以上友人を追い詰めたくなかったから。けれど対抗試合の日が待ち遠くなっているのは、確かだった。