神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
周囲を囲う観客と、区切りのために用意された石舞台。見られるための場所に踏み出して、澪は猛烈な違和感に襲われた。
見られるのはわかっていた。目的は初めから観衆の前で己の力を見せつけることだったのだから。見られる前提で赴いたのに、身体は違うと訴える。ここは戦場ではないだろう、と。
「……神に縋る必要などない。楽園を望むなら、自ら掴めば良いだけ。願う未来があるのなら、己が戦を貫きなさい」
嘆息代わりに呟いたのは楽園思想の一節。狩人たちの哲学の集積地として、修道院で姉から妹に代々受け継がれてきた言葉の一端。澪は視界を閉ざすと、短刀がどこにあるか重量で確かめた。袖口と懐、ベルトに吊り下げたいくつもの刃。感覚は問題なく、機能している。
まぶたを開く。森羅が目の前に立っていた。森羅はじっと視線を落として、偶然にも共通していた刀に手を触れている。
二人とも口は開かない。一分と経たずに周囲にノイズが走って、クロックの声を伝えた。
『始めるか。殺し以外はなんでもありだ。好きにやれ。さあ──双子ともども、納得するまで斬り合ってこい』
クロックの宣言。許可が降りるや、双子はすぐさま動き出す。
森羅は踏み込み、斬りかかるために刀の柄に手をかける。澪は一歩飛び退くと、瞬時に短刀を投げつける。
狙いをつけたようには見えなかったのに、澪の短刀は森羅の抜刀よりも早く、鞘を穿つ。その衝撃と痺れで森羅の流れが阻まれて、刀は未だ引き抜かれていないまま。
やはり、早いのは澪だった。澪は間を置くことなく距離を詰めて、森羅の眼前で金糸に飾られたヴィジットが翻る。森羅が反射的に腕を差し込むと、身体を捻った回し蹴りが叩きつけられ、後退を余儀なくされた。
「っ──!」
「素直に刀を使おうとするとは、随分と行儀がいいんだな」
そのまま追撃もできただろうに、澪は間合いを図るだけだった。この程度で勝てる相手なら、そもそも戦う価値もないと告げるように。
森羅は奥歯を噛みながら、今しがたの蹴りの威力を反芻する。
古代種の脆弱な肉体とは到底信じられない力だった。澪が狩人として立つために何らかの補強を行なっていることを悟り、生来の優位が一つ消えていることを確認する。
「……ああ、そうみたいだな」
地力の差は理解できた。森羅はイオの血液を収めた小瓶を取り出して、蓋を開ける。
吸血鬼が血液を摂取する意味を知らないはずがないだろう。けれど澪は動かない。
──全力を踏み越えてこそ、価値を見出せる。言葉を用いる必要もなく、瞳が意思を物語っていた。
「……お前が何をしようが。俺は、お前を否定するだけだ」
血液が森羅の口内に広がる。吸血鬼の肉体が底上げされ、思考も澄んでいく。その様子を、澪は楽しげに見逃していた。森羅への敵意と狩りでは生まれない高揚が、澪に言葉を語らせていた。
「ああ、お前は私を否定していればいい。そうでなければ、ここに立つ意味がないからな」
仕掛けたのは森羅だった。平時とは比較にならないほど滑らかに動くようになった身体で、再び居合を狙う。澪は納刀したままの鞘で受けに回り、その重さにたたらを踏む。森羅が追撃を仕掛ければ、返す刀で刀身が弾かれて、縁頭に殴りつけられていた。
森羅はどうにか踏みとどまるが、刀から伝わった力で手が痺れていた。澪も今度は隙を与えることなく、腱を狙って動いていた。
──同じ土俵では、決して勝てない。森羅はすぐさま科学による爆破を起こして、自らも炎に焼かれつつ後退した。
手を緩めることなく、再度の発破。爆炎が巻き上がる規模の爆発が澪に直撃する。
土煙が広がって、二人の視界をわずかながらに塞いでいく。森羅は澪がいるはずの場所の空気を裂いてさらに損耗を与えていくが。
「その手は、知っている」
「チッ!」
澪は肌を焼かれ、裂かれた衣服の向こうに血液を流して、けれど痛みなど感じていないように自ら風刃の中に突っ込む。
白のシャツが澪自身の血で赤く染まっていく。澪は傷も衝撃も無視しながら森羅に迫り、二度刀を振るった。
一度目は下から。森羅の刀を斬り上げて、動きを制止する。そのまま間髪入れずに上から柄を叩き、胴体を蹴り付けて、森羅が刀を取り落とすほどの衝撃を与える。
「外の人間にしては確かに強いが、修道院の娯楽は対人演習だ。こうも素直なら引っかかるわけがないだろう」
「ぐ……っ!」
森羅が足を止めれば、澪は短刀の柄で後頭部を殴り、背中を踏みつけて刃先を首筋に突きつけた。
火傷と裂傷。傷だけなら澪の方が深いが、誰が見ても趨勢は明らかだった。澪は高揚しつつも普段のように冷めた思考で森羅を見下ろして、どうしてか。何もかもが無駄だったような落胆を抱いていた。
この程度の相手に、ずっと囚われていたのか。顔も知らないのに思考の片隅を占め続けて、澪にも理由が掴めない憎悪を抱き続けてきた双子の片割れ。けれど実際に制してみれば、年季の差だけで決着がついてしまった。
「──こんなものか」
ぽつりと呟く。クロックも決着と見做したようで、またノイズが走る。──その瞬間、澪の手に、刀を通した力が伝わってきた。
「……侮るな」
憎悪のこもった声だった。森羅は突きつけられた刃を素手で掴み、手のひらを切り裂かれ、鮮血を流しながら力を込め続ける。
「侮るな。……このまま、終われるか」
刃が折れた。森羅は呆然とする澪を振り解き、握り折った刃先を澪に投げつける。刃は澪の頬を裂いて、一筋の刀傷を刻んだ。
「認めるわけには、いかない。お前を否定しないと、俺は俺でなくなる!」
澪の思考は、想像もしていなかった抵抗に硬直していた。けれど染み付いた反射が身体を動かして、森羅のこめかみを掌底で殴りつけていた。
森羅はたたらを踏みながらも、揺らがなかった。澪の胸ぐらを掴み上げて、真正面から瞳を見据える。
「……どうして戻ってきた。お前が何をしようが、社会がお前を認めないことぐらいわかってるだろう」
静かでも、激情に染め上げられた声だった。森羅の赤眼が澪への憎しみを語り、声は澪の存在を否定し続ける。
森羅はただ澪の衣服を掴み上げているだけ。拘束されているわけでもないから、振り解くのは簡単だった。けれど澪は動かなかった。
──思考を焼くほどの激情で、身体が動かせない。澪の紅眼も、森羅とまったく同質の憎しみを映していた。
「……森羅、お前にわかるのか? 何の価値もなく、意味もなく、無為に生きて死ぬだけの人生への恐怖が」
澪の声は震えていた。
古代種として生まれた。ただそれだけですべてを否定された人生への怒りが、森羅の姿を前にして、形になっていく。
「婆様が祈ってくれた名を剥奪されて、ゼロと定義された。これ以上、何もするなと修道院に隠された。……私には、何もなかった。生まれた意味も、生きる価値も」
生きているだけでいいと、観測機械は語った。
その願いに澪は応えられなかった。生きているだけの人生を、澪は許せなかった。価値がない己が生きている現実が憎くて、恐ろしくて、受け入れられなかった。その恐怖から逃げるために、狩人になりたいとシトゥリに訴えた。
「生きているだけだと息をするだけで苦しいのに、ただ死ぬことも許せなかった。だから戦場に逃げた。逃げていただけの私に、譲葉が希望を見出してくれた。だから私は、その希望が真実だと証明しないといけないんだ!」
澪は頭突き、森羅から逃れる。これまでの人生で感じたことのない激情に息と思考を乱しながらも、顎を蹴りぬいて脳震盪を誘う。
余暇のたびに対人戦をするような環境で育ったのだ。いくら動揺の中にいようが、遅れを取るはずがない。
今度こそ森羅は倒れ伏す。意識が残っているだけでも圧巻だが、脳を揺らされたばかりで動けるはずがない。澪は肩で息をしながら、耐えられずに膝から崩れ落ちた。
澪の中で、これまで自覚もできずにいた感情が渦巻いていた。十七年分の感情をどう扱えばいいのかわからなくて、呼吸一つ整えられない。無様を晒していると理解しても、動けない。
クロックが決着を──澪の勝利を決定しても、舞台から下がれない。澪は無意識に自分の胸元を掴んで、言葉にできない感情をどうにかやりすごそうとしていた。そんな澪に、森羅はぽつりと声をかける。
「……おい、ゼロ」
「っ──なん、だ」
「俺は、お前が羨ましかったらしい」
その吐露に、澪は呼吸も一瞬止めていた。森羅も自分の本音を探しながら、言葉にしていく。
「俺は自分の人生を選べなかった。用意され、望まれた人生にしがみついて、そこから離れることに耐えられない。……お前みたいに、自分の意思に従うことはできない」
森羅は言いながら立ち上がろうとしていたが、まだ身体の自由が効かないらしい。何度か試して、やがて諦めるように全身の力を抜いた。
澪は森羅の告白を咀嚼して、石舞台に腰を下ろす。崩れていた息をどうにか鎮めてから、思考を言葉にした。
「……私も、お前が羨ましいよ。エルダーガーデンに認められて、その中で生きられるお前が」
「そうか。……おい、愚妹。手を貸せ。お前が野蛮すぎるせいで立てない」
「断る。私の刀を折った恨みだ。愚兄は愚兄らしく無様を晒していろ」
「俺に折られる方が悪いに決まってるだろうが」
澪は取り落としていた刀を拾い、やっとの思いで立ち上がる。
刀を打ち直してもらえるまで、戦場はお預けだ。帰れば待ち受けているだろうシトゥリの説教と職人からの文句を予想して、澪は息を落とした。
澪は激情の疲労で身体を引きずりながら、舞台の袖で決着までを見届けていた譲葉のもとへ向かう。譲葉は微笑みながら、澪の身体を抱き寄せた。
「お疲れ様。澪がこんなに疲れるなんて初めてね」
「そうだな。……譲葉、少し頼っても?」
「もちろん」
譲葉は澪の頭を自分の胸に掻き抱く。譲葉の体温は、澪の中でぐちゃぐちゃにかき乱されていた思考を鎮めて、安堵を与える。澪は譲葉の胸の中で、何度か深呼吸を繰り返した。
「……森羅が羨ましいなんて、考えたこともなかった。私があんな場所で生きられるはずがないのに」
「ふふっ、可愛いところもあるのね」
譲葉は澪が落ち着くと、腕を離して解放する。澪は自分の足で立ちながら、譲葉と目を合わせた。
「これでようやく、私も楽園を求められる。お待たせ、譲葉」
「ええ、これからも一緒に進みましょう。私たちの証明を、世界に叩きつけるの」
対抗試合は終わった。あとはこのままペラギアに帰るだけ。帰ればやっと日常が戻ってくる。
国家を揺るがした前代未聞の対抗試合の顛末は、互いの顔も知らずに生きてきた双子が面識を得たというたったそれだけのものだったが、本人たちにとっては大きな意味を持っていた。
澪が手を差し伸べれば、譲葉は両手で掴んで笑いかける。澪が自分の感情を知ったという事実が、二人の楽園証明の始まりだった。