神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
国家社会から離れた山嶺の中に、猟友会の本拠地は築かれている。澪と譲葉は長い年月の中で山嶺を飲み込むように拡大してきた猟友会に到着すると、すぐにそれぞれの目的地へ足を向けた。
「それじゃ、行ってくるわ」
「頼んだ」
譲葉は物資支援の交渉のために教会へ。黒科学を施したトラップは猟友会でも容易に調達できるようなものではない。譲葉が物資支援の交渉を一任されているのは、世界最大の呪詛が猟友会とペラギアの双方に利益をもたらせるからだった。
澪は譲葉と別れると、七歳の頃から通い詰めている工房へ向かう。慣れた道ではあるものの、険しい山道の奥深くに建っているせいで往復するのはなかなかの手間だった。
澪が工房に到着したのは二十分後。慣例から工房と呼ばれているだけで、敷地規模からすれば工場と呼称するのが相応しい建物の扉を開ける。そうして澪の耳に飛び込んできたのは、翁と巨人の間で飛び交う怒号だった。
「ぐちぐちうるせえんだよ小僧が! 教会の教師じゃあるめえし、お前も狩人なら俺の生き方に口出すんじゃねえ!」
「うるせえ黙れクソジジイ! てめえに中途半端なところで死なれると損害がデカすぎるって何回言えば理解できるんだ!」
「ああ!? 俺がンな無様晒すとでも思ってんのか!」
「想定外を考えろって言ってんだよ! 今何歳か数えてみろ!」
「六十七だ文句あるか!」
「文句があるからこんなとこまで来てんだよ!」
二人の罵声が工場中に響き渡る。今にも掴みかかりそうな勢いで激しく言い争いながらも手を出していないのは、二人ともが己の武力を自覚しているから。
猟友会序列一位、クロック・ザ・ロックと、その先代である元序列一位、銀・ロンダーク。
銀がクロックに代表の座を譲って以来、純人の大男と竜の翼を持つ老狩人の罵り合いは日常風景と化している。工房の職人たちもすっかり慣れきって、誰も関心を向けずに己の作業に没頭していた。
澪にとっても二人のやりとりは見慣れたものだ。澪は延々と続く怒声を聞き流しながら、手近にいた職人に声をかけた。
「失礼、ペラギアの澪だ。銃弾を受け取りにきた」
「お、らっしゃい。ちょっと待っててね。──職長、お嬢が来ましたよ!」
職人がそう呼びかけた瞬間、銀とクロックのやりとりはぴたりと止まった。銀は右手を挙げて、クロックとの喧嘩など存在しなかったように澪を迎える。
「澪、久しぶりじゃねえか」
「しばらく外にいたから。銀爺、まだ引退しないのか」
「俺は生涯現役だ」
多くの狩人が引退して、教会で教師になる年齢に至っても、銀の覇気は一向に衰えない。澪の視点だと、自分が戦えなくなってもまだ現役を張っていそうだと思わせるほどに。
狩人でありながら、工房の長を務める変わり種。科学の発展で銃器の利点が薄くなり、猟友会ではこの工房でしか製造されなくなっているからこそ、古典火器にかける銀の執念は大きい。一体誰が言い出したのか、職人界隈ではバカミサイルとまで呼ばれているほどに。
「とりあえず座ってろ。クロック、茶ぁ出してやれ」
「うるせえ、水しかないのは知ってんだよ。──澪、話は聞いた。竜が出たらしいな」
クロックは言いながら、澪にコップに入れた水を差し出す。澪は水をもらい、クロックの対面のソファに腰掛けて、人心地つきながら頷いた。
「院長から仇討ちを連れてくるようにと言われている。緋狼の女性と聞いているが、正しいだろうか?」
「ああ。それに今もジョジュアの正装だからな。お互い一目見りゃすぐにわかるはずだ」
澪の服装は例に漏れずペラギアの正装だ。ペストマスクも首元に下げているから、修道院の狩人であることは一目瞭然。クロックの情報のおかげで、合流は楽そうだと息をつけた。
「あいつが必要だと判断したやつはその場で連れて行け。教会には俺が伝えとくから気にすんな」
「感謝する」
「こっちからしても必ず仕留めたい相手だからな。……ジョジュアは強かった。並大抵の狩りにはならないだろうな」
三年前を思い出しているのか、クロックは静かな声で視線を下に落とす。そんな反応へ割り込んできたのは、澪に渡す物資をまとめ終えた銀の声だった。
「んなもん、修道院の方がわかってるだろうよ。ほれ澪、今回の分だ。それとこの前渡した榴弾銃、あれはどうだった?」
「何度か試射をしてみたが、私の動き方なら手で投げた方が手っ取り早い。使うならオレリアだろうな」
「やっぱりそうか。あいつ向けに量産しとくかねえ」
「せめて本人に確認しろ、ジジイ。今なら向こうにいるぞ」
銀はうるせえ、と言いながら工房の片隅へ向かう。普段、数少ない利用者に納めている量産品ではなく、職人たちがそれぞれの嗜好の赴くままに作り上げている試作品が山と積まれた一画から銀が持ってきたのは、澪の小柄さだと取り回しにも苦労するような狙撃銃だった。
澪に向けて銃弾が放られる。澪は銀から渡された銃弾をじっと眺めて、疑問を口にした。
「徹甲弾──とは、少し違うような」
「ああ、この銃の専用だ。徹甲弾をベースに、弾頭に付与した呪詛を銃身で増幅するって代物でな。お前以外には使えないだろうよ」
銀はそう言いながら、澪に狙撃銃と銃弾を押し付ける。澪も勢いに押されて受け取りはしたものの、表情と声音は苦々しいものだった。
「誰の作だ? 科学が前提なら、ここのものじゃないだろう?」
「ああ、国の職人だ。悪いが口止めされててな、これ以上は教えてやれん」
答える銀の口ぶりも呆れと嫌悪が滲んでいた。銀自身も狩人として、得体の知れない武器を使うことへの拒絶を体感しているから、仲介役そのものが不愉快なのだろう。
だが、と。銀は嫌気を飲み込んで、澪のために誂えられた銃を届けた。
「気が乗らねえのはわかっている。作者の人格は終わりきっているが、腕だけは信用できるやつだ。竜の悪魔を狩るなら役に立つのは間違いない」
「……わかった。銀爺がそこまで言うなら諦める」
「悪いな。んで、ついでにこっちも」
銀が渡してきたのは一通の手紙だった。澪は首を傾げながら受け取って、裏面に記されていた署名を見た瞬間、呼吸が詰まる。
ふう、と大きく息をつく。澪は数秒かけて呼吸を元に戻し、手紙を意識から追い出すために懐へ押し込む。銀を見る視線はじっとりとしていた。
「……銀爺。ロンダークとは絶縁したんじゃないのか」
「おう、十四のときから無関係だ。俺も四公家なんてもんには関わりたくもねえんだが、その銃のどさくさで押し付けられててな……」
銀の声にもとうとう疲労が滲んでくる。澪もその様子があれば、銀を責めてもどうしようもないことは理解できるが、それはそれとして納得できるわけではない。
得体の知れない狙撃銃と、エルダーガーデンからの手紙。どうしてこんなものを押し付けられないといけないのかと、澪は嘆息を堪えられなかった。
「一応渡しておくが、気に入らないなら燃やせばいい。どうせ荷物の中に紛れてただけだからな、無視したところで文句を言われる謂れはないだろうよ」
「わかった。こっちはともかく、弾薬はありがたく。いつも助かってる」
「ああ。また顔見せにこい」
澪は頷き、想定よりも増えた荷物を携えながら工房の外に向かう。その折に、クロックの呼びかけがやってきた。
「……なあ、澪。譲葉のことなんだが」
「譲葉が何か?」
澪が足を止めて尋ねても、クロックはすぐには答えない。しばらくの逡巡の末に続いた声は、どこかに迷いが覗いていた。
「いや、あれだけの黒科学の才能だ。面倒も引き寄せるだろうからな、ちゃんと守ってやれよ」
「ああ、当然だ」
「ならいい。──そうだ。時間があったらオレリアも探してみろ。面白いことになってるぞ」
「面白いこと?」
「見てからのお楽しみってやつだ。悪かったな、引き留めて」
クロックはソファに沈んだまま、片手だけを挙げる。澪は不思議そうにしながらも工房から立ち去っていった。
澪の目がなくなって、クロックは深く息を吐く。銀は不可解さを露わにしながら、クロックへ尋ねた。
「……譲葉の嬢ちゃんは昔から変わらないだろ。今さら何が言いたい?」
「中身はない。ただ少し、引っかかるだけだ」
曖昧な主張に、銀は目線で続きを促す。クロックは両手の指を強く揉みながら、じっと過去を見つめていた。
「シシリィ……俺の師匠も呪いを当然のように使っていた。今思うと、あいつの適性も人類の規模を超えていたのかもしれない」
クロックの言葉に、銀はぴくりと眉根を動かした。
猟友会の中に、クロックほど特異な人間はいないだろう。何せ、猟友会に合流するまで、どこの共同体にも所属していなかったと言うのだから。
銀はクロックが現れた二十年前を思い出す。悪魔を狩ることの他に何も知らないと言っていい、異常なまでに社会を知らなかった当時を見ているから、その過去が真実だということは悟っている。クロックは滅多に口にすることのない記憶を辿って、半ば独り言のように呟いた。
「あいつと譲葉と、あの二人は何かが違う気がする。……あの呪いは新人類とでも言うべき何かとしか、思えない」