神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
観測機械が予測した候補地を基点にして竜の悪魔を捜索すること三日。ペアで動いていた澪とサクヤの耳に、姉からの報告が届いた。
『──竜を見つけた。全員戻って。これから交代で監視に入る』
簡潔な報告はすぐに終わった。澪もサクヤもどちらからともなく息を緩めて、身体の緊張をほぐす。ぽつりと、先に口を開いたのはサクヤだった。
「あとはタタールさんの準備を待つだけ」
「そうだな。あと数日か」
澪は頷いて、修道院の方角へ歩き出す。なぜかサクヤはぼんやりと、森林の中で立ち尽くすままだった。
「サクヤ?」
呼びかける。サクヤは一拍置いてから、首を横に振って動いた。
「ごめん。ぼうっとしてた」
「何か問題でも?」
澪の質問に、サクヤはまた首を横に振った。ううん、と言いながらもまだ茫漠とした雰囲気を漂わせて、静かに息をつく。
サクヤ自身、このままでは狩りに支障が出ることはわかっているのだろう。指先で眼帯に触れながら、ここ三日間、溢れ続けて整理できずにいる思考を言葉にし始めた。
「タタールさんと会ってからさ、どうしても昔のことを思い出しちゃって」
サクヤは滅多に過去を口にしない。軽妙な振る舞いで自分を誤魔化していても、心は過去の情景に囚われたまま。それだけに、サクヤ自ら言葉にしていく様子があれば、タタールとの再会で生まれた動揺の深さも窺い知れる。
大きく足を振って。ぺしと、サクヤの足元で小石が転がった。
「今は考えないようにしていたはずなのにね、お墓の夢を見るの。ずっとずっと、守り続けていたお墓の景色とか、父様と母様のこととか。狩人になるなんて、考えもしてなかった頃のこと」
サクヤはふぅ、と言いながら空を見上げた。
澪もサクヤ自身から、出自の概要は聞いていた。四公家セーナクルシェの中でも、妖精族すべての墓守を担うという特殊な役割を負った家系の出身であり、セーナクルシェの悪夢によって墓守の直系としてはただ一人の生き残りになってしまったと。
サクヤの声に普段の気楽さはなかった。焦燥と自分自身への嫌悪が、サクヤの声を染めている。
「……思い出せないんだよね。どうやってお墓が壊されたのか、どうやって父様と母様が殺されたのか、何も覚えてないの。気付いたらおじちゃんとタタールさんに助けられてて、左目がなくなってた」
「おじちゃん?」
「あれ、言ってなかったっけ。親戚のおじさんが猟友会にいるんだ。タタールさんと仲が良くてね、修道院に入るように勧めてくれたのもその人なの」
悪魔は発生していない。竜がいる地点からも離れている。警戒の必要は薄いから、澪もサクヤの話に意識を傾けられた。
サクヤの視線が小さく揺れる。緋色の狼に言及する声には、かすかな困惑があった。
「セレネさんを見てるとさ、私はどうすればいいのかなって考えちゃうんだ。私は狩人なのか、墓守なのか。私は未来に何を望んでいるのか、見えない」
未来を考える余裕はまだない。けれど仇討ちを過程と言い切るセレネの姿は、サクヤにとって否応なしに自分の思考の深掘りを促すものだった。
サクヤはまだぼうっとした雰囲気で、空を見ながら歩いている。澪はサクヤの言葉をしばらくかけて咀嚼してから、修道院の狩人として声を発した。
「サクヤ。お前の楽園は?」
澪の問いかけに、サクヤの視線がぴたりと定まる。空の一点を見つめながら答える声には強い意思がこもっていた。
「……悪魔を殺して、もう二度と墓荒らしを許さないこと」
「なら今はそれを目指していればいい。戦っていれば、いつか先が見えるはずだ」
澪がそう言うと、サクヤは一瞬だけ足を止めた。目を丸くして、口元に笑みが浮かぶ。澪を追いかけて背中を叩く姿は、すっかり普段のものに戻っていた。
竜を捕捉してから二日が経った。交代で竜を監視して行動範囲を特定しつつ、戦場に適した場所を探し、譲葉のトラップを敷設する。澪がタタールに呼び出されたのは着々と準備が進められていく最中のことだった。
「お、来たか。そこ座ってくれや」
澪は促された椅子に座り、すっかり様変わりした客間を見回す。机とベッドしか置かれていなかった空っぽの部屋には、大量の書籍と薬の材料が積み上げられていた。タタールは机に積み上げた書類から一枚を手に取って、澪と向き合う。
「先に言っておくが、あんたにドーピング剤は提供しない。今以上の無茶は薬師として認められないからな」
「ああ、なんとなくは察していた」
タタールが初対面の際に口にした言葉は、澪の身体の状態を知らなければ出てくるはずのないものだ。澪が頷けば、タタールは渋面を浮かべながら書類に目を落とす。
「成長期以前からの強化施術と長期の投薬。必要だったのは理解できるが、それにしても無茶が過ぎる。おまけに白科学に頼れない身体で、ちびの頃から七年も戦って……。身体が悲鳴を上げんのも当然だ」
「理解はしている」
澪がそれだけを言えば、タタールはとうとう堪えきれないため息を落とした。今は狩人ではなく薬師としての価値観で話しているのだと、誰が見ても理解できる雰囲気だった。
タタールはため息を吐き切ると、目頭を押さえる。そうして澪に告げた声は、決して拒否を認めないものだった。
「今さら身体を治すことはできないが、負荷を和らげるくらいならしてやれる。少しでも長く戦いたいなら従ってくれ」
「……願ってもないことだ。面倒をかけるが、よろしく頼む」
「おうよ。ま、今は竜が優先だから後回しにしちまうけどな。討伐が終わったら検査と様子見でしばらく時間を取ってもらうことは覚えといてくれ」
「ああ。ありがとう、タタール」
タタールは軽く手を振りながら、鷹揚に答えた。澪が話は終わったと理解して立ち上がったとき、タタールが話題を一変させた。
「すまん、あと少し付き合ってくれ。サクヤちゃんと仲が良かったよな?」
「そうだな、距離は近いが……サクヤに何か?」
澪が尋ねれば、タタールは反射のようにいや、と呟いてしばらく口を閉ざす。やがて続けられた声は、言葉を探しながらの慎重なものだった。
「サクヤちゃんの家のこと、どこまで聞いてる?」
「妖精族すべての墓守だったとだけ。詳しくはほとんど」
サクヤが墓地にかける思い入れは知っているが、どうやって生きていたのかはまったく知らない。澪が首を横に振りながら言えば、タタールは何かを確かめるように頷いた。
「そうか。悪いな、変なこと聞いて。サクヤちゃんと仲良くしてやってくれや」
「……随分とサクヤを気にかけているんだな」
澪は首を傾げて、疑問をそのまま口にする。被害者と救助者という関わりだけにしてはやけに深い思い入れは、澪の視点でも不可解なもの。タタールは澪の問いへ、はぐらかすことなく素直に答えた。
「よく組んでる人がサクヤちゃんの親類なんだよ。セーナクルシェとは縁を切っているんだが、墓地にだけはよく顔を出していて、俺も着いていくことがあった。その関係でサクヤちゃんがまだ小さい頃から知ってるからどうしても、な」
「そういうことか」
澪は観測機械を思い出して納得する。自分にとっての観測機械が、サクヤにとってはタタールと件の親類なのだろう、と。
今度こそ話は終わり、澪は客室から立ち去る。タタールは一人になった室内で、椅子に体重をかけながらしばらく天井を仰ぐと、やがて躊躇いがちに通信端末を取り出した。
メールを送って、狩りに出ていないことを確かめてから通話をかける。数回言葉を交わしてから要件を切り出すタタールの声は、硬く強張っていた。
「──