神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
「決行は明朝九時」
夕食後の全員が集まった食堂で、シトゥリは皆に告げた。総員を見回す眼光は鋭く、静かな戦意を灯している。
「我々の戦場へ竜を誘導したら、すぐさま総力戦に入ります。セレネ、本当に一人で良いのですね?」
「はい。追い立てるだけなら、あれの動きを知っている私一人の方が確実です」
セレネの断言にシトゥリは頷いた。次に視線を向けたのは、観測を担う三人の末妹たち。緊張を浮かべる子供たちに、シトゥリは端的に、けれど信頼を寄せて言った。
「観測は周囲の悪魔への警戒に注力するように。今回は補佐についてやれませんが、三人でタタールの支援をするだけ。普段よりも楽でしょう?」
「はい!」
末妹たちもはっきりと頷き、戦場を支える観測役としての自負を見せる。シトゥリは一瞬だけ目元を緩ませると、すぐに狩人らを見回した。
「竜の生命力を踏まえると、まずは機動力を削ぐのを優先するべきでしょう。竜相手には、継続して殺し続けることを意識するように。澪、お前は機を見計らって撃ち続けなさい。お前たちの呪詛が最も効率的なのは間違いありませんから」
澪と譲葉は揃って頷く。
ここ数日に発生した悪魔の狩りで、万象の弾丸に込められた呪いが対象の肉体の外へ拡散しないことは確かめられた。銃身が増幅した呪いの残滓はあたりに広がるが、呪いが効かない澪と術者の譲葉なら問題はない。
譲葉は胸元に触れながら、呪いの専門家として答えた。
「姉さんたちにできない殺し方は、私たちが担います。いくらでも、何度でも」
「ええ、任せましたよ。──では、今日のところは休みましょうか。みんな、おやすみなさい」
シトゥリがにこやかに解散を促す。各々が自室に戻る中、澪の背中にセレネの声がかけられた。
「澪、ちょっと付き合ってもらっていい?」
「何か問題でも?」
澪が尋ねればセレネはすぐに首を横に振って否定する。微笑む姿は狩人としてではなく、修道院で育った娘としてのものだった。
緋狼は楽しげな笑みで、澪を宵闇の外へ誘った。
「お月見、一緒にしない?」
セレネは窓から身を乗り出して、軽々と屋根に登る。慣れていることが見て明らかな動きだった。
澪はわずかに遅れて屋根に上がり、尻尾を楽しげに揺らしながら月を眺めるセレネに尋ねた。
「どうして私に声を?」
「修道院育ちって聞いたから。私もね、物心つく前にジョジュアに拾われて、ずっと修道院で生きてたの」
セレネは屋根のふちに腰を下ろして、気分良さげに足も揺らしている。ジョジュアに育てられた過去を思い出しながらの声は幸福の色に満ちていた。
「今って自分から入ってくることがほとんどでしょ? ずっと修道院で育った子には初めて会ったから、気になっちゃって」
「そういうことか。あなたも家に隠されて?」
「ううん、むしろ反対。捨てられていたのを見つけてもらったの。赤ん坊の頃だから、私は何も覚えていないんだけどね」
何気なく告げられたセレネの言葉に、澪は顔を強張らせる。セレネはくすりと笑って、片膝を抱えた。
「どこの誰かもわからない私を拾って、名前をつけて、娘として育ててくれた。だからジョジュアはずっと私の家なの。ペラギアに滞在させてもらったおかげで、やっぱり私は修道院の狩人なんだ、って久しぶりに実感できたわ」
セレネは今もジョジュアの正装に身を包んで、ペストマスクも首元に下げている。澪も日頃から正装ばかり着ているが、今はヴィジットもペストマスクも部屋に置いたままだ。
己はジョジュアの娘なのだと体現する姿と、楽しげに語る声音。その二つだけでもセレネの中で、ジョジュア修道院がどれほど大きな存在なのかが窺えた。
澪はその様子をしばらく眺めてから、滅多に話すことのない生い立ちを言葉にし始めた。
「……私がペラギアに預けられたのは、四つの頃らしい。あなたと同じで記憶は曖昧だが」
相手が狩人なら──とりわけ、修道院で育った同類なら話すことに抵抗はない。普段は必要がないから話さないだけで、澪にとってもペラギアや観測機械との繋がりを実感できる過去だ。セレネに説明するために言葉を探している最中も、不快感はなかった。
「四公家直系の古代種だからな。修道院に送ることはすぐに決まったらしいが、四つになるまでは観測機械の婆様が引き取って育ててくれたと聞いている」
観測機械の名前にセレネの目が丸くなった。澪と観測機械の繋がりを知っていても、養育されていた時期まであるとは想像もしていなかったのだろう。
澪は少しだけ表情を緩ませて、続きを口にした。
「目を離せない時期から放任するのは修道院の負担になるから、と。──だからあの人は私の婆様だし、厄介者の私を受け入れてくれたペラギアは私の家なんだ」
「……そうね。本当なら家も家族も得られないような人間でも、修道院は受け入れてくれる。私がジョジュアの子供だって事実は一生消えない。何があっても、私を支えてくれている」
セレネは自分の胸に手を押し当てて、深く息をした。考えているのは明日に迫った竜の討伐か、それともジョジュアでの記憶か。
セレネの瞳が月を捉えて澪に向く。口元は弧を描いて穏やかに微笑んでいた。
「ジョジュアの系譜は絶対に絶やさない。竜を殺して、私の心に決着をつけて、繋いでいくの。……ありがとね、澪。やっぱり昂ってたみたい。話せたおかげで落ち着いたわ」
「構わない。私も、そうだな。言葉にしてみると実感が出てきた。ペラギアと婆様と譲葉と、すべてが私が立つために必要なんだと」
澪は目を閉じると、半ば自分に教えるように声を発する。
一つでも欠けたらきっと、もう進めない。だから自分の手の届く範囲なら、何があっても守り通す。譲葉が見出してくれた希望が真実だと証明するためにも、必ず。
澪はセレネに倣って月をじっと見上げる。やがて小さく首を振って、足を動かした。
「私にもいい機会だった。また明日」
「ええ、おやすみなさい」
修道院の娘たちは別れて、明日の狩りに備える。そして、明朝。
「竜を捕捉。これより交戦に入ります」
ペストマスクに覆われたセレネの視線が見据えるのは竜の巨体。まだセレネに気付いていない竜に向かって、セレネは一歩ずつ近づいていく。
セレネは背負った二振りの曲剣を抜き、憎悪と怒りを呼び起こす。狩りの妨げにはならず、けれど戦意をたぎらせるために必要な分だけを、目の前の仇に叩きつける。
「……私を、覚えているか」
深いスリットの入った流麗なワンピース。戦場とはかけ離れた装いこそ、ジョジュアの狩人の証明であり。
セレネは未来の継承者として楽園を見据え、己に宣言した。
「──ジョジュアのセレネとして。竜を殺し、楽園証明を開始する」