神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
高台に陣取った澪はただひたすらに、俯瞰する。万象はまだ構えず、肉眼でセレネと竜の交戦を観察して、竜の動きを脳に叩きつけていた。
竜の行動を支配しているのはやはり、人類に対する殺害本能。竜はセレネが剣を交えながら後退すれば、攻撃のために追随する。セレネが竜への攻撃を開始してから五分。まもなくセレネと竜はペラギアが待つ本陣に到達するだろう。
「澪、ひとまず三つ。腐敗と毒はいつもの即効性で、こっちは遅効性の呪いにしておいたわ」
「効果は?」
「寄生。生命力を奪って、肥大していく」
澪は頷いて銃弾を受け取り、まずは寄生の呪いを装填する。視線は竜に固定したまま、シトゥリと通信を繋げた。
「院長、初弾で竜を汚染する。一度殺した後で効き目に変化があれば教えてほしい」
『了承しました。澪、そちらに悪魔は?』
「今のところ気配はない。譲葉があたりを呪っているから、邪魔も入らないはずだ」
『よろしい。任せましたよ、澪』
澪は通信を終えると、身体を伏せて狙撃態勢に入る。竜を捉えられるであろう空間を見据えて、セレネの到着を待った。
三十秒。まだ遠い。
一分。セレネの剣戟が竜の胸を裂くと、竜は腕で薙ぎ払う。巻き込まれた森林が砕けて飛び散った。
一分半。あと少し。
二分。射程に入った。引き金に指をかけて、撃つ。
「命中」
譲葉の報告と竜の怒りが同時に届く。
弾丸は竜の腹部を貫き、衝撃と威力によって動きを一時停止させた。並の悪魔なら滅びは避けられない一撃も竜を絶命させるには至らないが、肉を裂いた傷口から瘴気が這い出して、荊のような痕を刻みつける。
呪いはまだ動いていない。それでも万象から放たれる徹甲弾の火力は竜が脅威と認識するには十分。咆哮が戦場に響き渡り、身体に痺れをもたらす。竜の目線が高台を見据えるのと同時に、サクヤの爆撃が竜を包んで、その肉と翼を炎上させた。
「譲葉、移動する。到着したら私たちの周囲を呪っておいてくれ」
「ええ、任せて」
澪は万象を背負い、譲葉とともに次の狙撃地点へ向かう。
ジョジュアが繋ぎ、ペラギアが受け取った竜の悪魔撃滅戦が始まった。
──始まった。
セレネは狙撃と爆撃で竜が負った傷を見て、曲剣を握り直す。
竜の意識からセレネが消えているのは明らかだった。殺すために追っていたとはいえ、鬱陶しいだけで痛手は与えてこない障害物なのだから、明確な敵が現れれば関心が消失するのも当然だ。
前線が果たすべきは竜をこの場に留め続けること。セレネは役割に従って、仇へ刃を向ける。
「翼の破壊に入ります。随時追撃を」
総員に伝えてから、セレネは地を蹴った。樹木を一息で駆け上がると空中に躍り出て、勢いが落ちる寸前に空気を固めてさらに上へ。
「一、二、三──そ、らぁっ!」
三回繰り返して、竜より高くに到達する。曲剣を振りかぶり、落下の勢いのまま左翼の根本に叩きつけた。
科学とタタールの薬剤で強化された筋力による、全霊の一撃。竜の巨体を揺らがすだけの力はあったが、翼はまだ折れていない。
「────」
「さすがに硬いか」
一撃を加えて、すぐさま地上に戻る。本来なら背に乗って攻撃を続ける予定だったが、威力が足りないのは明らかだったから切り替えた。
竜の目が地上のセレネに向けられる。一人だけ色彩の異なる正装を纏っていれば識別も容易らしい。
「そう。そうやって、私だけを見ていろ」
竜の鉤爪が地盤を砕き、大地の破片が降り注ぐ。ペラギアが狙ったのは、竜がセレネへの攻撃のために地上へ迫ったまさにそのタイミング。
シトゥリの弓剣から放たれた矢が、セレネが翼につけた傷を寸分違わず穿つ。ハルバードと大太刀を扱う二人が同時に脚を斬りつけて、三つの衝撃が竜の体躯を揺らがせた。
さらに万象の弾丸が抉り、呪刻の基点になっている傷に黒曜石で作られたナイフが三本突き刺さる。ナイフそのものは竜に僅かなダメージも与えないが、射手である長姉が担ったのはタイミングの制御。長姉はナイフの命中と共に叫んだ。
「サクヤ、今!」
「了解!」
竜とサクヤの間に射線が通る。ただしサクヤが構えるのは武器ではなかった。
左の眼球を露出できるように特注で誂えられたペストマスクから覗くのは、漆黒の瞳。サクヤは黒曜石で作られた義眼で竜を視界に捉え、出力を全開にしての制縛を行った。
「そこから、動くな!」
深海に等しい重圧が竜の体躯にのしかかる。巨体が地に押し付けられて、重みで足元にヒビが入る。
竜が重みに捕らわれたのと同時に、セレネが上空から振り下ろした刃が左翼の根本を歪ませる。さらに右の翼膜を狙撃が貫き、開けられた穴から腐敗が右翼そのものを侵食し始めた。
そして竜の機動力が奪われると同時に、サクヤの義眼が砕けた。出力を底上げする媒介になっていた義眼が失われたことで竜が解放されて、体幹を揺らすほどの風圧を伴う横薙ぎがやってくる。
「っ──こんの、大きすぎる……!」
「いいや、よくやった! あんたも攻撃に入って!」
サクヤは眼窩から血を流しつつも、傷を顧みることなく次の義眼を挿入する。
翼を潰されたことで、竜も狩人たちを脅威と認識したらしい。喉が膨らんで、爆炎の息吹が吐き出された。
炎に巻き込まれた者はいない。けれど息吹を浴びた森林は一瞬にして燃え上がり、大規模な火災を引き起こす。
熱気が立ち昇り、黒色の煙が戦場の見通しを悪化させていく。環境の変化を見て、シトゥリはすぐさま狩人たちに告げた。
「さ、殺していきますよ。担当以外は鎮火に動くように。地雷を使っても構いません」
事前の割り振りに従って狩人たちはすぐさま動き出す。そのさなか、竜の喉袋が再び膨らむが、前兆を見咎めたセレネが喉に剣を突き立てることで放出は阻止された。
「────」
すぐさま左腕の叩きつけ。セレネは上方に逃れながら、竜に刻まれた禍々しい荊を見やる。
今の竜の動きは明らかに精彩を欠いていた。三年前の記憶どころか、つい先ほどの誘導時の威圧と比較しても劣っているのだから勘違いはありえない。竜に撃ち込まれた呪詛の効力に違いないだろう。
セレネはペストマスクの奥の瞳を鋭く尖らせて、剣を握る。呼気を制御しながら、竜殺しの一陣目として動き出した。