神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
初日のプログラムを終えて、譲葉と寮に向かう道中。坂の中腹で金狐の生徒に声をかけられた。
「ねね、お二人とも。今ちょいと時間もらっても大丈夫?」
金色の毛並みと瞳が特徴的な少女だった。人懐こそうに声は弾んで、金色の視線は好意を隠していない。
澪はその呼びかけに顔を向けるのが精一杯で、すぐに返答できなかった。まったくの初対面なのに話しかけられたことも、王女と狩人の二人組に臆さず声をかけてきたことも、澪からすれば想定外でどうすればいいかわからない。
譲葉は澪の反応に小さく笑うと、さりげなく半歩前に出て生徒に答える。
「ええ、もちろん。お名前を伺っても?」
「ああ、ごめんごめん。うちはイオ。イオ・アウラ。ここの三年生やね」
イオが名前を告げた途端、わずかに譲葉の視線が揺れた。澪が黙ったまま譲葉の手に触れて疑問を伝えると、譲葉は頷いて話を続けた。
「勘違いだったらごめんなさい。確か、昨年の対抗試合に選ばれていたような」
「あれ、うちのこと知ってたの?」
イオは驚いたように肯定する。譲葉が何に反応していたのか、澪にも理解できた。
二人で女学院にやってきた理由である対抗試合、その代表。しかも昨年となれば、イオは澪の標的を──昨年の代表だった兄、
澪の心中で、ただでさえ不意打ちに強張っていた緊張がさらに張り詰める。その最中も、譲葉とイオの会話は続いていた。
「名前だけ聞いていて。ずっと修道院にいたから、直接見たわけではないのだけれど」
「ああ、それなら納得できるわ。代表って言ってもうちより強い子なんて何人もおるし、すぐ負けちゃったからね。実際に見てた人は森羅の印象が強くて、うちのこと覚えてないやろうし」
自嘲を口にしていても、こざっぱりした声音だった。卑下ではなく、事実を客観的に受け入れていないと出てこない空気がイオにはある。
譲葉にとってもイオの雰囲気は好ましいものだったらしい。実に珍しいことに、身内だけに見せる本来の柔らかさが若干とはいえこぼれていた。
「でも、教官方に認められたということでしょう? 狩人は妥協するような人たちではないもの」
「そうね、他の子たちは気迫が足りないって先生は言ってた。技巧だけあっても意味がないって。……ところで、やっぱりお邪魔だった?」
やはり、澪が一向に口を開かないことは気になっていたらしい。イオは狐の耳をピクピクとさせながら不安げに澪を見つめる。その刺激で我に返った澪が声を上げようとした直前、背中に触れてきた譲葉の体温に制止された。
「いいえ、大丈夫。この子、人慣れしてないから緊張しちゃってるだけなの」
「……緊張は認めるけれど、私はまだ人付き合いしている方なんだが」
「狩人相手なら、ね。先輩、いきなりだけど私たちの部屋に来てもらっていいかしら? 人目があるところはあまり好きじゃなくて」
譲葉が微笑みながら提案すれば、イオも頷いた。澪は密かに呼吸を整えて、イオの声かけと森羅の存在で処理が止まりかけていた思考を戻そうと試みる。
仮のものでも自分たちの領域で話ができるなら、動揺も抑えやすい。澪は譲葉の手助けに安堵しながら、譲葉とイオの後をついて歩いていった。
澪は自室に戻ると、真っ先に侵入者の気配がないことを確認する。イオの目があると理解していても、自室だけは確実な安全を保ちたかった。イオはあまりにも強い警戒とシャッターで閉ざされた室内を目の当たりにすると、譲葉にだけ聞こえるように呟いた。
「本当に慣れてないんやね」
譲葉は声を使わず、首を縦に振って肯定する。そのまま口を開かずに、澪が感知用のトラップを改めるのを待ってからイオを招き入れた。
「すまない、待たせた」
「いいよ、大丈夫。でも、うちを部屋に上げてもいいの?」
女学院という平穏な空間ですら、周囲すべてが敵だと言わんばかりの警戒を露わにする様を目にしたのだ。イオの疑問は当然だった。
澪は窓に背中を預けて腕を組む。思考をそのまま言葉にしてもいいのか少しだけ迷いながらも、イオなら悪いようには受け取らないだろうと素直に答えた。
「誰に聞かれているかまるでわからない場所で話すより、ずっといい」
「ああ、そういうこと。女の子の噂って怖いもんね」
澪が想像した反応そのままに、イオはうんうんと納得する。
澪にとって、イオの言葉や思考は不思議で仕方ないものだった。譲葉とのやりとりを聞いていただけに等しいのに、イオには女学院に来てから常に付き纏われている違和感を持たずにいられる。
移動の道すがらイオを観察していたが、狩人として生きられるほどの実力は見受けられなかった。まさにイオ自身が言っていた通りに。
どうしてイオに対しては警戒が緩んでいるのか。澪は自分の思考が掴めないことに腹の奥の不快さを感じながら、化粧台の椅子に座るイオを見る。
話を切り出すのはやはり譲葉だった。譲葉は柔和な表情で、イオに問いかける。
「ごめんなさい、こんなところまで来てもらっちゃって。先輩のご用事を聞かせてもらっても?」
「や、そんな大層なことじゃないんよ。ただ澪に聞きたいことがあったから、押しかけさせてもらっただけ」
「私に?」
澪が尋ね返せば、イオはうんと頷いた。
イオは普通なら拒絶されていると受け取るような声の硬さも気にすることなく、興味と好意を露わに問いかけてきた。
「昼間のテスト、遠くからこっそり見ててね。どうしてあんなに強くなれたのかなって気になって、我慢できなくて聞きにきたんよ」
はにかみながらイオは言う。照れているのか、金色の尾もゆらゆらと揺れていた。
可愛らしいと表現しても差し支えないその姿。けれどイオの言葉は、澪の思考に強い困惑をもたらしていた。
「……見ていた?」
「うん、星見台から望遠鏡使って覗き見してた。あ、サボりはしてないよ? うちの先生に現役の狩人が実演してくれるなんてズルいってごねてたら、ならこっそり見てくればいいって許可くれたの」
イオは恥ずかしさを誤魔化すように、また笑う。あまりにも自然な表情だったから、澪にもイオが事実をそのまま言葉にしているのは理解できた。
狩人に気取られないまま、一方的な観察を成し遂げたことに何の意味も感じていないことが理解できてしまった。
「イオ。あなたが見ていたことは、私たちの教官に伝わっていただろうか」
「うーん、たぶん事後報告だったと思うよ。うちがゴネ始めたのもかなりギリギリだったし」
「……そうか。参考になった」
澪の視界が床に落ちる。思い出すのは実演のときの感覚。
見られていたなんて、まったく気付いていなかった。イオの言葉が正しいならおそらく、狩人として戦い続けて五体満足で生き残った教官ですら。
敵意であれ好意であれ、意図をこめた目を向けられていれば気付く自負があった。遠距離からの攻撃に対応するためには、その感覚が必要だから。
それなのに、イオの観察には気付けなかった。つまり──と考えて、思わず息を落とす。
「私がどうして強くなれたのか、だったか」
澪は動揺と感服を押し隠して、普段のように話し始める。
観察に気付かなかった事実から推測できるのは、イオの自我の静謐さ。自分の思考も感情も深く沈めて、ただ観察に埋没できる稀少な手合いということ。それも自覚することなく。
下手に推測を伝えて、この資質を潰すような真似はできなかった。だから澪は感情を仕舞い込んで、イオとのやりとりに意識を向ける。
どうして強くなれたのか。目を閉じれば今も克明に思い出せる雨の中の救いを思い出して、言葉にした。
「昔、私の在り方に希望を見てくれた人がいた。私は間違っていないのだと、私の命にも価値はあるのだと、認めてくれた。だから彼女の希望を否定したくないと思った。その希望を証明し続けることが私の楽園になってくれたから、戦えている」
まだ楽園を見出せず、ただ意味のない人生への恐怖に駆り立てられて、悪魔を殺し続けた日々はもう記憶に遠い。けれど譲葉が差し出してくれた手がなければ楽園を見つけられず、院長に忠告されたように死んでいただろうと澪も自覚している。
譲葉は何も言わずに、柔らかく微笑んで澪を見つめていた。イオは呼吸の音も消して、澪の言葉を反芻するようにじっと空気に身を浸していた。
澪はふぅ、と息を落とした。長々と言葉を続けるのは苦手だけれど、己の楽園だけは苦手を言い訳にして逃げたくなかった。澪は気疲れを少しだけ感じながら、イオに尋ねる。
「伝わりにくかったらすまない。これで十分だろうか」
「うん、もちろん。──うん、うん。十分なんてものじゃないよ。ありがとね、澪」
イオははにかみながら立ち上がる。最後まで軽やかな空気をまとい、イオは去り際の笑顔を浮かべた。
「急だったのにありがと。もしもうちに会いに来てくれる用事があったら、夜中に星見台まで来てくれれば大抵いるから。対抗試合のことも、うちが知ってることだったら教えてあげられるしね。──じゃ、澪も姫様もまたね」
金狐が立ち去って、居室には澪と譲葉二人だけになる。
澪は緊張から解放されたことで吐息を落としながらも、その姿に嫌悪はない。譲葉は女学院に来てからは初めて見る澪の姿に、嬉しそうに話しかけた。
「よかったわね、いい人で」
「ああ」