神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー   作:卯月スズカ

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2-5 宣戦布告

 

 

 セレネにとっても、決着の瞬間は半ば無意識のようなものだった。意識は竜の討伐へすべてを傾けて、狩りの終わりを見た身体がひとりでに宣言を紡いで、その声でセレネの意識も竜の絶命を理解する。

 

「あ──っ、まだ……!」

 

 一瞬の放心と即座の復帰。

 まだ殺しただけ。二度と再生が──脱皮ができないようにしなければ。震える手足を制御して解体に入ろうとした直前、ペラギアの長姉がセレネの前に立って、行動を制止した。

 

「あとは任せて。得意なやつがいるから」

「得意……?」

「そ。──サクヤ!」

「承知! 思いっきり下がって!」

 

 長姉がセレネを小脇に抱え、指示された通りに全力で後退する。数人の狩人が手慣れた様子で油壺を竜に投擲した直後、科学による炎が竜の肉を包んだ。

 脂と肉が焼ける悪臭が立ち込めて、爆ぜる火の粉が一帯を橙色に染めていく。すっかり脱力しきったセレネは、その光景をただぼんやりと見つめていた。

 

「科学だけで、あんな出力って出るものだっけ……」

「あの子はちょっと特殊。もともと妖精族ってのもあるし、義眼を触媒にもしてるし、今回はあんたが引き受けてくれたから下準備も好きなだけできたみたい」

「そうなんだ……」

 

 荷物のように抱えられたままのセレネの声はぼんやりと間延びしていて、今この姿だけなら仇討ちの乙女という敬称を向けられている狩人とはとても信じられないだろう。

 長姉はセレネの様子に軽く笑い、それでも周囲への警戒は鋭いまま。修道院の正装であるペストマスクはたいてい、決着と同時に下ろされるが、長姉にその気配はない。放心していたセレネも少しずつ現実への実感を取り戻していくと、緩んでいた呼吸を戦場のものに戻した。

 

「……例の、女は?」

「未解決。悪いけど餌にさせて」

 

 餌と言われ、セレネは改めて周囲を見やる。

 今も焼かれている竜の骸を場の中心にして、ペラギアの全員は対岸に集まっていた。自分たちの周囲はがらんどうで、なるほどとセレネは頷いた。

 仮に襲撃するとして、狩人の集団を選ぶか、孤立した二人を狙うか。あからさまな布陣ではあるが、引っ掛かってくれるなら都合がいい。

 

「なら遠慮なく。さすがに疲れちゃった」

「ああ、お疲れ。綺麗だったよ」

「……ありがとう」

 

 血みどろの、憎悪を交えた戦場には似合わないような褒め言葉。長姉が忌憚なく言い放った言葉に、セレネは小さく一言だけ返した。

 セレネはペストマスクに隠された瞳を閉じる。身体が勝手に視界を滲ませようが、目を閉じていれば関係ないから。

 意地を張るために視界を閉ざせば自然、他の五感に意識が集中する。セレネに届いたのは悪臭と、火の粉の破裂音と、小さく聞こえた祈りの声。

 

「……?」

 

 ぴくと、緋狼の耳が立ち上がる。気のせいかと思いつつも神経を集中させれば、やはり聞こえるのはやけに堂の入った弔いの言葉だった。

 

「悪魔に、葬礼?」

「え。──あ、ごめん。たぶん反射で出てるんだと思う。いつもならそんなことないんだけど……」

 

 制止のためだろう。長姉は焦ったように手を挙げて、同時にセレネは首を横に振った。

 

「いい。ジョジュアのためって思っておくわ」

「助かる。埋め合わせでも考えといて」

 

 長姉は深々とため息を落として、一人だけ前に出ているサクヤを見やった。セレネもつられて、妖精族の少女に視線を向ける。

 ペラギアの正装に身を包み、ペストマスクで顔を覆った姿は紛れもなく狩人そのもの。それなのにじっと炎を見つめて番をするような立ち姿には、狩人の風体でも隠しきれないほどの威厳が滲み出ていた。周囲の姉妹やシトゥリが止められないのも、その空気を壊すことへの躊躇いがあるからだろう。

 

 とうとうと、きっとサクヤも口ずさんでいることに気付いていない祝詞が空気に沈んでいく。

 

 ──焔が灰に。灰は空へ。塵は足元へ。

 ──魂は何処へでも。生者の祈りは墓が受け止めて、すべての生命はこの記憶へ永劫に刻む。

 ──死者は消えない。決して消さない。私たち墓守が地と記憶の墓標を守り続ける。

 

「……戻ったら教師たちと話さなきゃ、か」

「いいね。そうだ、ジョジュアがまた開くなら竜の牙でも飾っとけば?」

「ええ……? 悪趣味……いやでも、案外悪くないかも?」

 

 考え込むセレネに長姉はくつくつと、喉からの笑い声を立てながら一歩下がる。

 戦闘中の動きではないけれど、判断速度は戦場そのもの。セレネも長姉と同じ方角に目を向けて──人外を目の当たりにした。

 

「おや。さすがと言うべきでしょうか」

 

 くるりと回転する白フクロウの頭。羽毛に覆われた首。人と同じ二足歩行の体躯。簡素ながらまとった衣。片手で抱えた鏡。足元のかぎ爪。当然のように用いる、人の言語。

 

「……お前は、何だ」

 

 長姉はセレネを下ろさないまま、強張る声でフクロウへ尋ねる。

 異形だけならよかった。狩れば終わるただの悪魔だ。

 言語を持つのは最悪だ。人と対話する意思と知性を持つ悪魔など、これまで一度も記録されていない。

 長姉とセレネ、二人の警戒を浴びるフクロウは格式高い客人でも前にしたように、丁重な仕草で頭を下げた。

 

「お察しの通り、あなた方に狩られ続ける悪魔の一つです。我が源は祝福。こちらは鏡。御身の名を拝聴しても?」

「……ふうん、社交の真似事はできるってか」

 

 フクロウ──祝福の悪魔は携えた鏡の悪魔にも礼を払わせるように姿勢を低くして、長姉へ尋ねる。長姉は背筋に冷たい汗を伝わせつつも、ペストマスクの奥で口角を持ち上げた。

 

「ペラギアのエンジェ。お前たちを殺すための、狩人だよ」

 

 名乗りとともにセレネを抱えていた力が緩む。セレネは背負っていた曲剣の一振りを抜いて、祝福が持つ鏡ごと切り払おうとするが、剣は鏡に弾かれた挙句、鏡面にはヒビ一つ入っていなかった。

 

「っ──」

「竜殺しの狩人よ、ご容赦を。此度は挨拶に伺っただけ。交戦の意思はございません」

 

 祝福がそう告げた直後、バサリと羽音が立てられる。人型が消えたと思えば、上空にフクロウそのままの形になった祝福が現れて、竜が焼かれる方角へと飛んでいった。

 

「院長!」

 

 やりとりはすべてシトゥリにも聞こえるようにしていた。シトゥリは迷いなく矢を撃つものの、祝福は身を翻してひらりと躱す。熱で炙られ、揺らめく空気に羽ばたく祝福は、かぎ爪で運んでいた鏡を地面へ落とした。

 セレネの攻撃でも砕けなかった鏡は、ただ地面に──サクヤのすぐそばに落とされただけで呆気なく、小さな破砕音を響かせる。パリンと砕け散ってきらめく破片の一つ一つから、静かな声が響いて、重なった。

 

「──鏡よ鏡」

「なに、これ……!」

 

 墓守の自我に飲まれていたサクヤも、狩人の意識にすぐさま立ち返ると義眼を露出させる。研磨された紅玉の瞳が破片を巻き込んで地面を焼くが、状況には何の影響ももたらさなかった。

 黒煙の中から腕が伸びる。己の姿を見せつけるために、サクヤの左目へ手を伸ばす。

 

「こんにちは、セーナクルシェの咲耶。我らが同胞から、あなたに伝言があるの」

 

 白骨化した腕。まだ腐り切っていない肉が数片残る手指。擦り切れた黒衣に身を包んだ人の骨。その姿はまさに、挿絵に描かれる死神そのもの。

 

「『墓を失った墓守。守る死骸を持たないお前はまだ墓守なのか?』」

 

 かつてをなぞるように、白骨の指が義眼の周囲へ突き立てられる。

 サクヤは何も答えない。声よりも先に返したのは、自分を巻き込むことも厭わない爆炎だった。

 

「……墓、暴き」

 

 ぎり、と奥歯を噛み締める。自爆で鏡との距離を作ったサクヤは、裂かれた全身の痛みも顧みずに槍を払う。

 

「あ、ああ……恥知らずの、原罪者ども。名を記憶する尊厳もない冒涜者。墓を荒らし、死者の誇りを穢した貴様らに──命が許されると思うな!」

「ふふっ、怖い怖い」

 

 鏡は軽やかに笑い、炎の中へ下がる。サクヤは迷うことなく──自分まで焼かれることにも躊躇を見せずに踏み込もうとして、サクヤの異変を悟って近付いていた姉の一人に地面へ押さえ込まれた。

 

「サクヤ、落ち着け!」

「離して! あれは、あれだけは殺さないと!」

 

 サクヤは平静を失ったまま、姉の身体を引き剥がそうとする。激昂し、我を失うサクヤの膂力はタガが外れてしまっていて、技量差でどうにか留められているだけ。

 鏡はサクヤを煽るように、炎の境界に立っている。歪む空気のせいで、死神の偶像は大きく映し出されていた。

 

「お墓が、あれがいる限り、私たちの墓地は戻らない……!」

「だから落ち着けって言ってるでしょうが!」

 

 姉の声は届かない。墓守の激情に飲まれた今のサクヤでは、狩人の理性を動かせない。だからこそ、必要なのは墓守への言葉だった。

 

『──鐘を三度』

 

 タタールの声。途端、サクヤの瞳がぴくと固まる。

 

『火を灯し、天地を繋ぎ、朝に迎えて昼に祈り、夜を送る。……セーナクルシェの咲耶、追唱を』

「っ、あ……タタール、さん」

『咲耶ちゃん。君の肉体は、復讐に潰えることを許されているのか?』

 

 サクヤの身体から徐々に力が抜けていく。答える声は震えていても、確かに現実を捉えていた。

 

「いいえ。いいえ。私はまだ、役目を遂げていない。鐘をまだ、継いでいない。……ごめんなさい、シェラ姉さん。助かりました」

「あ、ああ」

 

 姉は普段の軽妙さとはまったく違う声音に戸惑いつつも、サクヤを解放する。サクヤが立ち上がり、呼吸を整えたときにはすでに、鏡は死神の形を解いていた。

 人型に戻った祝福が鏡を抱え、ペラギアの前に立つ。困ったような深呼吸は妙に人間臭い気配を漂わせていた。

 

「ここまで荒らすつもりではなかったのですが……まあ、終わったものは仕方ないとしておきましょう。──では、改めまして。お初にお目にかかります、狩人の方々よ。竜の討伐、お見事でした。竜もあと少しで言葉を得る見込みでしたからね、こちらにとっては実に痛い戦果です」

 

 やはり祝福の態度は恭しい。サクヤたちの肩を引いて、前に立ったのはシトゥリだった。

 

「祝福の悪魔。竜はお前の仕込みですか?」

「彼の概念を祝福したという意味ならその通り。差し向けたと思われているなら誤解と答えましょう。竜を狩るなら挨拶の機会にちょうど良いと便乗しただけです」

「……概念の出方が強すぎると思えば、そういうことでしたか。目的は?」

 

 シトゥリの冷え切った声が祝福に叩きつけられる。祝福は話が早いとばかりに頭部を回転させた。

 

「人には宣戦布告という文化があると聞きまして、その実行に。とはいえ人里離れた死地を流浪するような魔人から聞いたことですから、作法があなた方のものと異なっていてもご容赦を」

 

 祝福は羽毛に覆われた腕を使い、仰々しく頭を下げる。理性的な仕草と言動は、人型のフクロウという異形がなければ、悪魔とは疑うこともできないほど。

 

「あなた方は生存のために悪魔を狩る。だから、私たちも生存のために人を狩ることと致しました。我が祝福によって言語を得た私たちを狩り尽くすか、私たちがあなた方狩人を狩り尽くすか。これまでのように、生存競争を続けましょう。では、これにて」

 

 鏡を掴んだ白フクロウは空へ飛び去った。シトゥリは無言で追撃を制止すると、離れた場にいる者も含めた全員に呼びかけた。

 

「お前たち。竜の狩りは文句のつけようがない成功でした。……今はひとまず、帰りましょう」

 

 疲弊と困惑。狩りの達成感を奪うほどの動乱が全員の肩にのしかかる。

 炎は今も燃え上がって、竜の骸を骨に変えていた。

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