神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー   作:卯月スズカ

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3 鏡よ鏡
3-1 後始末はじめ


 

 列車が揺れる。澪は四人用の個室席に座って、車窓の外をぼうっと眺めていた。

 いつもなら隣に座って髪を結ってくれる譲葉の姿はない。譲葉がいないだけなのにどうしても落ち着かなくて、ふとした瞬間に澪の口からは無意識のため息がこぼれていた。

 

「あのー、澪さんや。理由はわかるけど、わかってるけど。人の顔見るたび落ち込まれるとこっちの心が痛いんですけど?」

「ああ、悪い。……はあ」

「こんの、譲葉中毒者め……」

 

 サクヤは入手してきた食事と飲み物を澪にも渡して、対面の席に腰を下ろす。澪はただ譲葉の不在にしょんぼりしているだけで、他には何の支障も出ていないからこそ、サクヤも容赦なく澪の情けなさをつついていた。

 

「まったくもう。そんなに寂しいなら通話でもしてきたら?」

「譲葉は今が一番忙しいんだ。私が拘束する道理がないし、声だけは後が寂しいから嫌だ」

「堂々と甘ったれないでもらっていい?」

 

 サクヤは半眼になって、呆れた目で澪を見る。澪はサクヤの視線にも恥じることなく、受け取った食事の封を解いた。

 

「事実は事実なんだからいいだろう、別に」

「はいはい、わかったわかった。澪は譲葉が大好き、と」

「当たり前だ」

「うん、何も言わない。私はもう何も言わない」

 

 サクヤはお手上げとばかりにからかいを向けながら食事を始める。

 二人が向かうのは猟友会の本拠地。竜の討伐時に発生した諸々の状況を、猟友会と直に共有する役割を請け負っての移動だった。

 

 

 #

 

 

「あああああ、もう! あんっのフクロウ頭、ぜったいに許さないんだから!」

 

 竜の討伐を終え、ペラギア修道院に戻ったその日の夕方のことだった。

 浴場にセレネの怒りがこだまする。バシャバシャと水音を立てて、まだ自分しか湯に浸かっていないからと手足だけではなく尾も使って湯気の立ち昇る水面を叩き、怒りを全身で表明していた。

 

「三年よ、三年! やっと竜を殺せたのに余韻を全部奪いやがって! 許さない、絶対に許さない! こうなったらあいつの首も剥製にして竜の牙と一緒にうちの玄関に飾ってやるんだから!」

 

 じたばた身悶えするセレネに続いて譲葉も湯に浸かる。ふうと息を吐きながらセレネに答える声は、どことなくぼんやりとしていた。

 

「ジョジュアが頭を持っていくなら、私たちは胴体と手足……。うーん、飾るには微妙ね」

「譲葉、頭部がない剥製は飾るものじゃないと思う」

 

 澪は足だけを湯船に入れると、強張りきった身体を手でほぐす。万象の反動のせいで、いきなり湯に浸かるのは躊躇うほどの痛みに全身を苛まれていた。

 澪は肩や腕をほぐしてから、ぐいと前屈して背中を伸ばす。現代では滅多に残らない、大小様々な古傷だらけの身体が露わになっていた。

 

「……痛い」

「手伝ってあげるから少し待ってて。セレネさん、傷見せてちょうだい」

「うん、お願い」

 

 譲葉が浴場にいるのは手当のためだった。どうせ狩りが終われば全員入浴するのだから個別に尋ねて傷の有無を確認するよりよっぽど早いと、譲葉が治療を担うようになってすぐに習慣化した行動だ。

 譲葉はセレネの生傷に触れて、簡易的な白科学の治癒を施す。それだけでも疼きは引いて、傷も数日あれば気にならなくなると確信できる程度まで薄くなる。

 

「ありがと、楽になったわ。……ほんと、澪はよくやってるわよ」

「体質だからな。それに、治らない代わりに呪いも効かないから、デメリットばかりじゃない」

 

 澪が全身に浴びている鈍痛も、白科学の補助があれば瞬時に消えるはずのもの。譲葉はセレネの手当を終えると、澪の隣に移ってマッサージを始めた。

 

「譲葉、痛い」

「我慢我慢。ほら、お湯浸かって」

 

 澪は促されるまま湯船に身体を沈める。痛みに一瞬顔をしかめるものの、譲葉に身体の節々を揉みほぐされるうちに緊張も溶けていった。

 

「……眠くなりそうだ」

「のぼせちゃうから我慢して。夕飯は食べられそう?」

「起きた時に食べる……」

「なら冷蔵庫に入れておくわ」

「任せた……」

 

 澪の声はすでに眠気でとろけている。セレネはその様にぱちぱちと、思わずといった調子で目を瞬かせていた。

 当然のように澪の身体を自分の身体にもたれさせる譲葉と、引き寄せられるまま譲葉の肩に頭を預ける澪。澪もほんの数言前まではちゃんと狩人としての姿を保っていた落差もあって、セレネは二人の距離感への疑問を口にしていいものかと迷い。

 

「まったく、風呂で寝るなっての」

「っ……!?」

 

 浴場に入ってきたエンジェがまっすぐに澪の背後に近付いて頭をはたく。痛みはないのに衝撃だけはやってくる叩き方に、半分眠りかけていた澪は一気に意識を現実に引き戻された。

 

「譲葉、私もお願い」

「はぁい」

 

 エンジェは澪への気付けをしてから身体を流し、浴場隅のベンチにうつ伏せる。譲葉が疼痛を和らげれば、染み入るような声が漏れた。

 

「はああ──これよこれ。狩りの後はこれがないと」

「……姉さん。言い方がお婆さんっぽい」

「こちとら三十路過ぎてんだから当たり前でしょうが。澪、眠いなら部屋で寝な。それと院長から伝言。出かけついでに猟友会の伝令も任せたいってさ」

「了解した。祝福の方の報告役は?」

「サクヤが向こうから指名されてる」

 

 澪とエンジェが交わす既定路線のようなやりとりに、譲葉の目がわずかに揺れた。澪は譲葉を見ながら、いつもと同じ調子で事情を答える。

 

「戻ってきてすぐに婆様と通話していたんだが、さすがに話さないといけないことが多すぎるから直に会った方がお互いにやりやすくて。それに、どうせ王都に行くなら済ませておきたい面倒もあったから、しばらく暇をもらえないか院長に相談していたんだ」

「面倒?」

「……あの、狙撃銃の作者」

 

 苦虫を噛み潰したような声で澪は言う。有用性を証明した直後ですら、言及するだけでも未だに苛立ちが込み上げるほどだが、だからこそ無視はできないと澪は判断していた。

 

「銘も趣味も性格も最悪だけど、性能だけは一線を画していた。こうも厄介な状況なら、接触しておく価値はあると思って」

「で、どうせ外に出るなら猟友会にも顔出してもらうことにしたわけ。譲葉、あんたはどうする? 重傷者も出なかったし、あんたも例の女を見てるし、猟友会までなら行ってもいいって院長が言ってるけど」

「院長が……」

 

 譲葉の視線が床に落ちる。譲葉は逡巡するように目を閉じて、数秒の後に首が横に振られた。

 

「今回は留守番にします。呪いも仕込んでおきたいし」

「わかった。それでさ、セレネ。急で悪いんだけど、澪が戻ってくるまでうちにいてもらっていい? 澪が外に出ないわけにもいかないんだけど、あれの直後で戦力が二人も抜けるのは避けたくて」

 

 エンジェが尋ねれば、セレネも迷いなく頷く。返答への速度からするに、話の流れで要請がやってくることも予測していたのだろう。

 

「ええ、もちろん。修道院で過ごしてる方が私もやっぱり落ち着くし、喜んで」

「すまない、任せた。今のところ、六日もあれば戻ってこれるつもりでいる」

 

 セレネが負担と思っていないのは事実なようで、請け負う表情にも気負いはない。

 澪はそっと、譲葉に視線を向ける。

 譲葉の様子にこれといって変わった様子はないが、どこか。シシリィとの遭遇に影響されたように、ふとした瞬間に覗かせる憂いがどうにも気にかかっていた。

 

 

 

 入浴を終えた澪はまず自室に戻って、すでに用意していた外出の荷物に少しだけ着替えを足した。

 澪の部屋は年中シャッターが下ろされて、同じ気温に保たれているのが常だ。観測機械の部屋で過ごしていたのは澪自身もはっきりとは覚えていない幼い時期だけなのに、身体は今になっても、自室には日光や外気を遮断した空間を求めていた。

 荷物をまとめ終えると、澪は作業用の机に備え付けられた引き出しに手をかけて、重いため息を落とした。

 

 嫌気のこもった息を吐いて、目を閉じて、意を決するように勢いよく引き出しを滑らせる。その中に一つだけしまわれていたのは、万象と同時に押し付けられたエルダーガーデンからの手紙。

 燃やそうと何度も思った。封を開ける義理などない。けれど、万象の作者がエルダーガーデンの関係者である可能性の高さと、封筒の隅に記された、控えめで丁重な署名がわずかな引っ掛かりになるせいで処分することもできず、引き出しに隠して意識から追い出し続ける羽目になっていたものだ。

 封筒の端に触れる。ほんの少しだけ力を入れれば破れるのに、指がどうにも動かない。

 

「……何を躊躇っているんだ、私は」

 

 一人ごちて首を横に振り、自嘲の吐息を落としてから、手紙だけを持って自室を出る。澪は少し迷ってから、譲葉の部屋に向かった。

 

「譲葉、いるか?」

「澪? ごめんなさい、ちょっとだけ待ってて」

 

 部屋の中から物を移動させる音が聞こえてくる。私室であると同時に仕事場でもある譲葉の部屋は物が多く、荒れやすい。開かれた扉の奥に見える風景は案の定、竜の狩りの準備で慌ただしくしていたせいかいつもより混沌めいた状態になっていて、ベッド周辺だけが取り急ぎで片付けられた様子がありありと伺えた。

 

「お待たせ。どうしたの?」

「少し一緒にいてほしい。一人だとどうしても気が乗らなくて」

 

 澪が振って示した封筒に、譲葉の表情もわずかに翳りを帯びた。譲葉はそれでも頷くと、澪にベッドを促して、自分は作業机の前の椅子に腰を下ろした。

 

「私が読みましょうか?」

「……いや。どうせ私が向き合わないといけないことなんだ。この程度で譲葉に助けてもらったら、文句を言うにも締まらない」

 

 澪の言い草に、譲葉はくすりと小さく笑う。澪は譲葉の青い瞳を見つめてから、封を破いて便箋を取り出した。

 

「…………」

 

 まず便箋全体を一瞥。一枚だけに収められた文面に、すぐさま読み取れるほどの敵意や悪意はなかった。

 封筒の署名と同じく丁寧な筆跡。内容は彼がエルダーガーデンの当主──澪の実父だと告げる名乗りと、どのような経路で届けられるにせよ、手紙を押し付けたことへの謝意からまず始まって。

 

「どう、だった?」

「……応じてくれるのなら、会いたいと。私が日時を指定すれば人払いもすると言っている」

 

 澪の声は知らず、強張っていた。苛立ちなのか、怒りなのか、憎しみなのか。ぐるぐると、どう名付けるのが正しいのか掴めない息の詰まりが渦巻いて、気付けば譲葉の胸元に頭を抱えられていた。

 

「……すまない。ありがとう」

「ううん、いいの。澪は、どうしたい?」

 

 譲葉の鼓動に耳を澄ませながら、深呼吸をする。澪は声だけではなく全身にも入っていた力を抜いて、ぽすんと譲葉の胸元に自分の頭を押し付けた。

 

「抗議してくる。不愉快な人間だったらあの銃の作者のついでに殴る」

「ふふっ、そうね。いってらっしゃい」

 

 譲葉は笑いながら抱き止めていた澪を解放する。譲葉はそのまま澪の隣に座ると、珍しいことに自分の頭を澪の身体に委ねてきた。

 

「譲葉?」

 

 澪の方が小柄なせいで、譲葉からもたれるとどうしても姿勢に無理が出る。澪が体勢を整えようと動くのを譲葉は無言で制して、ぽつりとこぼした。

 

「あのね、澪」

「うん」

「私、悪い子なの。綺麗なんかじゃない。昔からずっと、ずっと」

 

 俯く譲葉の表情は簡単には覗き込めない。声音は静かに、事実だけを見つめているように淡々としていた。

 澪はその声を聞き届けると、少しだけ目を閉じて、ふとよぎった記憶をたどる。

 譲葉が何をどのように憂いているかは掴みきれない。けれど、自分が譲葉に伝えたいことはすぐにわかった。

 

「なんだ。今更そんなこと」

 

 ぱち、と顔を上げた譲葉の目が瞬かれる。まんまるになった瞳に、澪は笑みを向けた。

 

「良い子はそのあたりの全部を呪って死のうとしないし、綺麗なだけのお姫様だったら血まみれだった私の手を握ってくれるはずがない」

 

 放り出されていた譲葉の左手に右手を重ねる。逃げられるとは想像もしなくなった、当然のように隣にいる体温と手で触れ合う。

 

「譲葉が悪い子で、綺麗なだけじゃなかったから、私を見出してくれたんだろう? 譲葉が私を見出してくれたから、私は目指すべき楽園を見つけられたんだ。……譲葉。譲葉がどんな人間でも、私と譲葉の楽園が不可分なことは昔からずっと変わらない」

 

 澪がそう告げてからしばらく経って、譲葉の指が動いた。譲葉は重ねられた手に指を絡ませて、ふうと緩めた息を吐き出すと、穏やかな視線で澪の顔を真正面から見つめた。

 

「澪、いってらっしゃい。お留守番してるから、お土産よろしくね」

「わかった。何がいい?」

「うーん、そうね。新しい髪留めとか」

「……それ、私に使う用じゃないのか?」

「あら、別にいいでしょ? 私の趣味のためなんだから」

「そう言われればそう、なのか……?」

 

 譲葉は首を傾げる澪の肩を引き寄せてくすくすと笑う。澪がサクヤと共に出発した翌朝も、譲葉はいつも通り、にこやかに微笑みながら二人を送り出していた。




・エンジェが即座に仕事の話に移らなかった場合
澪「……三十路というか四十手前」→長姉による口が減らない末っ子へのお仕置き執行
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