神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー   作:卯月スズカ

32 / 33
3-1 悪魔喰い

 

 ペラギア修道院から猟友会への移動に要するのはおおよそ一日。サクヤが墓守に揺り戻されていた姿を直に見ていない澪でも、それだけの時間、同じ場所にいれば、違和感は嗅ぎ取れた。

 

「ん? どうしたのさ、人の顔じーっと見ちゃって」

「……いや。クマが気になっただけだ」

「え、うそ」

 

 澪のはぐらかしに、サクヤは慌てるように手鏡を取り出して自分の目元を確認する。指摘そのものは事実だったから、サクヤは不服げな声を漏らして目元を揉み始めた。

 

「うーん、ちゃんと寝たつもりだったんだけどなあ。澪、化粧品持ってない?」

「私がそんなもの持ってるわけないだろう。そもそもお前だっていつもは気にしてないくせに」

「そりゃそうだけど、今日だけはタイミングが悪いの。おじちゃんに心配させちゃうんだから」

「おじちゃん……ああ、猟友会の親戚か」

「そうそう。私を指名したのもおじちゃんだったし、一昨日のことは絶対に知ってるからさ。せめて見た目はどうにかしないと……」

 

 サクヤはむむうと口を尖らせる。その姿だけなら澪がペラギアで見慣れたサクヤそのものだが、ふと一瞬だけ見える、視線の置き方や歩き方、吐息の落とし方へのわずかな違和感が重なって、万全とは言い切れないことを感じ取っていた。

 

「はあ……まあいいや、今更しょうがないし。澪も髪直したら? ちょっと寝癖ついてるよ」

 

 何気ない仕草で手鏡が差し出される。反射する鏡面に、澪の身体はほんのわずかな一瞬だけ硬直していた。

 

「澪?」

 

 澪の反応の鈍さにサクヤが首を傾げる。澪はゆっくりと瞬きをしてから、鏡に手を伸ばした。

 

「ああ……すまない、助かる」

 

 黒い髪と真紅の瞳。真祖の肖像画を連想させる顔をできる限り鏡面から外しつつ、サクヤに指摘された寝癖を探し当てて髪を撫で付ける。

 澪のあからさまにぎこちない仕草に、サクヤは不思議そうな目を向けていた。その鏡に対する警戒の無さを見て、そうだった、と澪はしばらくぶりに思い出していた。

 

 ──幼い頃、何をしてでも狩人になると決める以前に起こした自傷未遂。あの鏡に映る顔を壊さなきゃ、と忘我の中で取り憑かれた衝動に突き動かされたその日から、姉たちは澪が鏡の前に立つときは細心の注意を払うようになっていた。

 六年前に譲葉がペラギアへやってきて、澪の外見を整えるようになってからは自分で鏡を注視する必要も消えていた。だから、譲葉より後にペラギアへ入ったサクヤに、澪と鏡の取り合わせを警戒する理由があるはずもない。

 不意に映り込む姿は見ても平気だったから、どこかで鏡を見ても問題はないだろうと楽観していた。そんな予想とは正反対の情けない現実に、澪は小さく肩を落としてペラギアを出発してから何度目になるかも数えていないため息を吐き出した。

 

 

 

 猟友会の敷地規模はとにかく広い。実務すべてを担う教会や数多の工房も一緒くたになっているうえ、猟友会が居を落ち着けてからの長い年月をかけて、今に至っても山嶺を飲み込むように好き勝手増築され続けている以上は当然の帰結だ。交通網が整備されたときに、教会の真正面が外との出入り口に設定されたのもその都合だった。

 澪とサクヤは揃って列車から降りると、足繁く通っている澪の先導で歩き始める。サクヤは物珍しげにあたりをきょろきょろと見回すが、それもわずかの間のこと。前方に立っていた男性の姿を捉えた途端、サクヤは視線を固定して嬉しそうな声を上げた。

 

「あ、おじちゃん!」

「お。久しぶり、サクヤちゃん。見ない間におっきくなったなぁ」

「いや、身長はほとんど伸びてないからね?」

 

 対面早々、サクヤの頭に手を伸ばして、身長を測るようにする男性にはやはり、妖精族の特徴が色濃かった。男はひとしきりサクヤをからかってから、澪にも笑いかけて手を上げる。

 

「はじめまして。織流って名前なんだけど、サクヤちゃんの姉妹なら君も気楽におじちゃんと──」

「いや、名前で呼ばせてもらう。ペラギアの澪だ。よろしく頼む、織流さん」

「そっか、だめか……」

 

 織流は露骨に肩を落としてもの悲しげな雰囲気を漂わせる。ただ名前呼びを選んだだけにしては妙な反応の強さに、澪は思わず尋ねていた。

 

「その、名前を呼ばれたくない理由でも?」

「いや、まったく。澪さんみたいな子が真面目な顔でおじちゃんって呼んでくれたら面白いなって」

「サクヤ。この人殴っていいか?」

「うん、いいよ」

 

 サクヤも肯定しながら、真っ先に織流の脛を軽く蹴っていた。織流はうぐ、と声を漏らしつつも、教会を目指して歩き出す。

 

「ひどいな、サクヤちゃん。おじちゃん、ちょっとふざけただけなのに」

「だって前科が多すぎるんだもん。ああ、そうそう。タタールさんがさ、おじちゃんがちゃんと薬飲んでるかって気にしてたけど実際どうなの?」

「とんでもなく不味い一つ以外はちゃんときっちりあいつの処方通り」

「だってさ、タタールさん」

『おう。ありがとな、サクヤちゃん』

 

 サクヤが胸元に忍ばせていた通信端末からタタールの呆れ声がやってきた。織流は一瞬だけ足を止めると、腕を組んでふっと笑った。

 

「こりゃ一本取られたかぁ……」

『織流さん、言ってるよな? 飲みづらいなら調整するから教えろって』

「ああいや、ほんとのところはあれ飲むと悪魔の味が余計に最悪になるからあんまり飲みたくないってだけだからさ、飲めなくはない」

『だから! それを教えろって言ってるんだよ!』

 

 タタールの声がすぐさま怒号に変わる。やりとりの小慣れ感こそ気安い関係そのものだが、タタールが薬師として織流に手を焼かされ続けていることも一瞬で読み取れる声だった。

 

『ああくそ、こんの人妻趣味野郎が……。織流さん、あんたが飲んでないってことは変化もないって思っていいんだよな?』

「おい、ここでその刺し方は反則だろ。サクヤちゃんがいるんだぞ。まあ実際、ここ一週間の範囲だと身体に影響はなさそうだった」

『ならいい。ついでに三番も二日くらい抜いてから報告頼むわ』

 

 丁々発止と言わんばかりのやりとりが通信越しに続く。澪はすでに端末を織流に渡して、自分のそばを歩いていたサクヤの袖を引いた。

 

「サクヤ。さっき悪魔の味とか聞こえた気がするんだが、私の聞き間違いで問題ないか?」

「ううん、澪の耳が合ってる。おじちゃん、悪魔食べてるから。タタールさんが診てるのもそのせい」

「……そうか」

 

 澪の困惑に、サクヤも疲れたように頷く。サクヤがしみじみと続ける声には、呆れと心配と慕いを一緒くたに煮込んだような形容しがたい感情がどことなく滲んでいた。

 

「あれでも序列二位なんだけどねえ……。悪魔食べてるせいで国向きの場所には絶対に出られないんだってさ」

「……それ、メリットあるのか?」

「黒科学の適性が後天的に伸びるみたい。まあ、うん。おじちゃん以外誰も試せてないから、絶対に同じ結果が出る保証はないんだけど」

 

 サクヤの証言を聞いて、澪の脳裏にふとよぎったのは、銀の工房で昔から稀に目撃するクロックのくたびれた姿だった。

 そういうときはたいてい、序列持ちほど安心して国家向けの仕事に出せないという愚痴がセットになっているのがお決まりで。──序列二位が悪魔喰いなんてことをしているなら、確かにああなるわけだと数年越しに理解した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。