神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
「澪さん、先に伝えておく。今回、クロックは判断役に回さない」
織流はタタールとの通信を切ってすぐにそう告げた。織流の声音こそ何も変わらなかったが、雰囲気からは一切の遊びが消えていて、事情が芳しくないことを物語っていた。
「やっぱり動揺が?」
「あいつにしては露骨に。なにせ自分から銀爺に代表の代役を任せたくらいだからねえ」
「それは……相当だな」
クロックの性格なら自分ができると判断すれば意地でも譲らないだろう。だからこそ、自ら下がっているのなら冷静な判断は不可能だと自白しているに等しい。
「正直に言えば前線からも下げたいくらいなんだけど、そこばかりは本人に任せるしかないからなあ。──お待たせ、三人とも」
織流が扉をガラリと開ける。中にいたのは澪の想像通りに銀とクロック、さらにはここにいるとは思いもしていなかった耳の尖った翼人、序列七位の狩人であるオレリアの姿まであった。
「オレリア?」
「よっ、数日ぶりだね。ま、とりあえず座んなさいな」
オレリアが言う通り、澪と最後に顔を合わせたのはセレネへの仲介を依頼したほんの一週間ほど前のこと。その際にイオという待望の専属観測手を得て「この世の春」とまで浮かれていたオレリアはなぜか、普段の狩人衣装の上に白衣を羽織っていた。
澪は首を傾げつつも、促されるまま席につく。サクヤも隣に腰を下ろせば、場の中心にいた銀が口を開いた。
「よく来たな、二人とも。さっそくで悪ぃが、祝福の方はシトゥリからだいたい聞いてるからな。シシリィって女の話から頼む」
「わかった」
澪は頷きつつ、静かに目を落としているクロックを見やる。クロックは澪の視線に頷いて、話を促した。
「黒髪に紫のメッシュを入れた、妖精族の女性だった。すぐに見てわかるような混ざりはなかったな。外見は二十代か三十代か、私にはそのくらいに見える頃合いだ」
澪の所感混じりの証言に、クロックはすぐには答えなかった。指を揉み、記憶を辿るように目頭を押さえながら、何かを抑圧しているような声で確認した。
「譲葉の呪いも越えて、平然としていたんだな?」
「ああ。……クロック。あなたのことを無駄にでかく育った坊主と呼んでいたが、心当たりは?」
澪が尋ね返せば、クロックはぴくりと身体を強張らせた。
普段のクロックを知らないなら、少し緊張している程度にしか受け取れない程度の様子。けれどクロックを少しでも知っているなら、誰もが今の彼は平静ではないと断言できるほどに、その声も姿も覇気がない。
「……わからない」
「思考過程、すべてを言え」
銀の促しにクロックも素直に頷いた。話したくないのではなく、本当にクロック自身にも思考が掴めないだけなのだろう。声に抵抗はなく、引っ掛かりをすぐに答えた。
「無駄にでかいだの坊主だの、口ぶりも澪が見た外見も俺が知ってるあいつだ。黒科学の適性が譲葉と同等と言われても納得できる。──だから、なおさらわからない。俺があいつと別れたのはもう二十年も前だし、生きてりゃ少なく見積もっても六十は越えてるはず。まあ、昔から見た目はやけに若かったが……」
「なら矛盾は外見年齢だけか。澪、シシリィってのはこいつ周りで他に何か言ってたか?」
「そうだな……クロックの師匠に近い、と曖昧な言い方をしていたことと、あとは、そう。二十年も放浪に付き合わせた、と言っていた」
クロックが硬く指を絡めたままの両手がわずかに跳ねる。その仕草だけでも覚えがあると白状しているようなものだ。クロックもまた言葉で促される前に、自ら話し始めた。
「経緯は、俺もほとんど知らない。ただ、俺がずっと最前線の奥にいたのは、ガキの頃からあいつに……シシリィに連れられてたからだ」
その発言で、メモを書き付けていたオレリアが面を上げた。オレリアはため息を落としながら、ペンの頭部で自分の額をぐりぐりとにじる。
「ああ、そういうこと。師弟って言い方してるだけで、発端は親子ってか」
「オレリア、お前……もうちょい言い方ってもんをな……」
「そりゃ私だっていつもなら配慮してあげるけどさ、今は事実の方が大事でしょうが。で、別れたってのは?」
オレリアは躊躇なくクロックの過去を掘っていく。その強引さがクロックの腹を強制的に括らせたのか。クロックはこの二十年、一度も口にしなかった過去を言葉にした。
「朝起きたら、いなくなってた。ご丁寧に、猟友会に行けってメモは置いてな」
部屋にはクロックの嘆息と、オレリアが筆記する音だけが反響する。
クロックの人生にシシリィが深く関わっていることは確かでも、竜狩りの戦場に姿を見せた女の正体や目的はようとして知れず。停滞の気配が満ちた途端に、織流はサクヤへ呼びかけた。
「咲耶ちゃん」
ほんのわずかな違い。昔と今の両方を知る当事者でなければ汲み取れない差異を込めて、織流は呼んだ。
「鎮魂の防人、セーナクルシェの咲耶に問う。シシリィ・ザ・ロックと名乗る女に繋がる墓標は、あなた方墓守の記憶に残っておられるか?」
澪がエルダーガーデンを拒み、譲葉がブルーリッシュを捨てているように、修道院の娘は家名を名乗らない。修道院の名を使うのは隠された娘たちから始まった慣例でありつつ、自ら過去を断ち切って悪魔狩りに人生を費やすと決めた娘の安全弁にもなっている。
にもかかわらず、本来の名前を直接突きつける問いかけに、サクヤは静かな声で答えた。
「いいえ」
まとう空気が一つ剥がれる。
表情からもペラギアのサクヤとしての陽気な装いが消え去って、澪の知るサクヤとは遠く離れた墓守が告げる。
「防人として、セーナクルシェの咲耶が保証します。我ら一族が慰める二万と六千四十三の墓標の系譜の中。今は墓で眠る魂を含め辿っても、この一世紀の命に条件と一致する名はございません」
「うん、やっぱりそうか。こうなるとクロックのお師さんを記録で辿れる可能性はまずないね。ありがとう、サクヤちゃん」
「いえ、これが我らの務めにて。──はぁ、急に戻さないでよ、おじちゃん。そのつもりだったからいいけどさ、表情筋が壊れちゃったらどうしてくれるのさ」
「いやあ、ごめんごめん」
くるりと反転するように──今しがたの姿が幻だったのではと思わされるほどに断絶した切り替えで、ペラギアのサクヤが戻ってくる。
サクヤと織流は予定調和とばかりに和気藹々としたやりとりを交わすが、はたから見ていた四人に着いていけるはずもない。澪はパチパチと、何度か瞬きをしてサクヤの様子を確かめてから、ありのままの所感をこぼした。
「演技派だな、お前」
「ふふん、見直した?」
サクヤは澪の言葉に胸を張る。
年齢相応の陽気な狩人と、厳粛な墓守の少女と。普段のサクヤを知らない猟友会の三人の目でも明らかな落差に、銀は頭を痛めるように顔をしかめてから織流に尋ねた。
「織流、今のがどうして証拠になる?」
「あー、うん。妖精族の裏技というか、うちの偏執ぶりの賜物というか……サクヤちゃん、俺から話しても?」
「うん、いーよ」
気楽な調子でサクヤが頷く。織流が許可を受けて語る中身は確かに、偏執と表現するのに相応しい──あるいはそれでも足りないほどの歴史だった。
「セーナクルシェの墓守の役割は、ただ墓地を管理するだけじゃない。本質は四百年前の開祖から今に至るまでの、すべての妖精族の命を記憶することなんだ」
「……すべて?」
場の視線がサクヤに集まる。銀の声音こそ、いつも通りのふてぶてしさと豪胆さを思わせる古狩人そのままだったが、普段の調子を知っていれば驚愕が混ざっているのも明らかな声だった。
「えっと……それって、私みたいに混ざってても?」
オレリアが恐る恐るといった様子でサクヤに尋ねる。もみもみと、頬を揉みほぐしていたサクヤは、当然のように答えた。
「うーん、家系次第かな。オレリアさんみたいに翼人の家に妖精族の血が混ざったってパターンならうちの墓地には所属しないことが多いし、逆に妖精族の血が主体で、墓地にも所属したままなら記憶するし」
「で、澪さんの話だとそのシシリィとやらに混ざりはなさそうってことだったからね。記録で辿れるなら墓守は必ず知っている。墓守が知らないなら、妖精族の記録をいくら辿ったところで無駄ってわけ。サクヤちゃん、該当なしの内訳は?」
「名前だけの一致ならいくつか。でも全員に公的な活動履歴があるし、妖精族そのものに譲葉並の黒科学の適性が記録されてる人はいなかった。ロックって家名はそもそも私たちの記憶の中には残っていないよ」
サクヤにとっては墓守の職能として当然のものなのだろう。淡々としたテンポのまま、織流が尋ねるたびに異様な情報量を答えていく。
銀は竜の翼までくたりと項垂れながら、嫌気のこもった呼吸を深く吐き出した。
「ったく。どこもかしこも、四公家ってのは頭のネジが吹き飛んでないと成り立たねえのか……」
「ねえ銀爺。私とクロック以外、ここ全員四公家の血縁者なんだけど、それ自虐?」
「うるせえ、俺はとっくの昔に絶縁してるんだよ。とにかく、猟友会も織流とサクヤの情報を前提にする。いいな、クロック」
「ああ。俺もあいつが記録に残っているとは思わない。戸籍があるような生まれなのかも怪しいし、こんなふざけた名前は十中八九自称だ。俺の名前まで音の並びだけで決めやがるようなやつだからな」
会議が始まって以来、初めてクロックの声に緩みが生まれる。
クロック・ザ・ロック。彼の名乗りが従来の人命法則から逸脱しているのは明らかで、「ふざけた名前」とクロック自身が語るには十分だ。クロックの動揺も、そんな名前ですら律儀に名乗り続けているからなのだろう。