神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
「あ、そうだ。そういえばさ、クロック」
クロックから引き出せるおおよその情報は出尽くしたと判断したからだろうか。織流が張っていた空気を若干緩めて問いかけた。
「お前、ここに来たばかりの頃に俺が亜人の遺伝パターン教えてやったら、しばらくブチギレてただろ。まさかあれもお師さん絡み?」
織流がそうやって何気なく尋ねた途端、クロックが手にしていた飲料の缶がぐしゃりと潰れた。幸い中身を飲み切った直後だったので物理的な被害は発生しなかったが、クロックの精神的なダメージは甚大らしい。クロックがしばらく黙り込んだ後に、苦しげな声が絞り出された。
「……なんでンなどうでもいいこと覚えてるんだよ」
「いや、本当に人間も見たことなかったんだなって理解したときだったからさあ。で、実際どうなんだ? まさか実の子供って吹き込まれてたとか?」
「澪、一太刀だけ刀貸してくれ」
「嫌だ。折れたら私が怒られるんだぞ。この前怒られたばかりなのに」
「澪さん、刀の前に人命の心配をしてほしいとおじちゃん思うんだ──ちょ、いた、八つ当たりだろこれ!」
クロックの成人男性比でも大柄な手で織流の頭部がガッツリと掴まれる。織流が抗議の声を上げればすぐに攻撃も切り上げられて、クロックは元の席にどかりと座り込んだ。
「ああそうだよ、その通りだよ。あんのクソババア、いなくなる前の晩にあんな嘘まで仕掛けてきやがって……」
「おお、悪辣だなあ……。銀爺、これ以外に話しておくことは?」
水を向けられた銀は腕を組むと、目線をサクヤに向ける。銀が返したのは踏み込みへの嫌気のこもった声だった。
「サクヤ、鏡に何を掘られた?」
ぴく、と。サクヤの指先がわずかに動いた。サクヤは銀を見て、織流に目配せをして、隣に座る澪へまず話しかける。
「澪、ごめん。離れてもらっていい? ……ペラギアに知られたら、狩人に戻れなくなる気がするの」
心底申し訳なさそうにサクヤは視線を落とす。澪はじっとサクヤを見つめて、頷いた。
「わかった。私も王都に行かないといけないし、先に出ている。銀爺、構わないか?」
「おう。わざわざ悪かったな、助かった。王都ってことは観測機械か?」
「ああ、婆様に報告してくる。……それと銀爺、あの狙撃銃の作者はエルダーガーデンの関係者で正しいだろうか」
ごふと、銀が軽くむせた。滅多に見ないその反応に澪は首を傾げる。
「銀爺?」
「……いや、気にすんな。澪、まさか会うつもりなのか?」
「あの性能ならその価値はあると思って。それに腹も立つし」
「ああ……まあそうか。性能だけならそうなるだろうな……」
一体何を思い出しているのか。銀は肩を落としながら、心からの同情と心配と嫌悪が滲んだ実に微妙な目をして頷いた。
「エルダーガーデンに接触すればあれとも繋がれる。ただな、澪。あれと会話はするな。情報だけ引き出せ。あいつの技術は確かだし情報は正しいが、それ以外に付き合う必要は一切ない。いいな?」
「銀爺、その相手と何があったんだ?」
「色々だよ。俺が教えてやれりゃいいんだが、どれだけ構えたところであれは実物が最悪すぎるからな……」
銀の口が悪いのは普段からだし、澪も銀の工房に通う中で見慣れてはいるのだが、さすがに今の口ぶりは不可解なほどだった。
銀は会議が始まってから最大と言っても過言ではない深さのため息を吐き出す。明らかに疲労が滲む様子に澪がますます首を傾げると、そこにオレリアまでもが疑惑と心労混じりの口を挟んできた。
「……ねえ銀爺。それってあの兵器開発以外に取り柄のない正論最悪女のこと?」
「あ? お前、まさか知ってるのか?」
「いやちょっと、昔ね。ほら私、国家の方で影法師を実戦投入できるように研究してからこっちに来たんだけどさ、うん。その時期に。……澪、お姉さんからも忠告しておこう。どうしても会うのなら銀爺の言ってることは覚えておきなさいな。考えてる相手が同じなら銀爺の警戒、全部正しいから」
「そこまでなのか……?」
二人揃っての悪罵しか出てこない異様さを前にすれば、覚悟を決めたはずの澪の心にもわずかに恐怖が差してくる。オレリアは渋面を浮かべつつ、苦々しい呻きをこぼした。
「いや、うん。悪意はないから余計に悪いというか、人間としては正しいからなおさら最悪というか……。技術者としてなら接触する価値はあるけど、人間としてはもう二度と関わりたくない手合いなんだよねえ」
だから会話はするな、と暗にオレリアも銀と同じ結論を提示する。オレリアは話を打ち切るように、気力を若干落としつつも手をひらひらと横に振った。
「ごめんね、引き伸ばしちゃって。あ、それとさ、澪。最後に一個だけ聞いておきたいことがあって」
「ん?」
「観測機械にイオちゃんの話ってしたことある?」
「ああ、女学院で知り合ったときに。婆様から何か?」
イオと知り合って、天体観測を見物したときの驚きは今でもすぐに思い出せる。星を見てるだけだとイオは軽く言っていたのに、実際にやっていることは高度な占星術だったものだから、ついつい雑談の中で観測機械にも伝えていたのだ。
澪の返事に、オレリアは納得したような相槌を打つ。発話と同時に摘むのは、見慣れない白衣だった。
「観測機械からイオちゃんに星見図の解読依頼が来てさあ。なんでも祝福たちの予兆が出ていなかったか読み直してほしいってことらしくて。そんなわけで私の観測してもらう余裕がなくなっちゃったから、お姉さんは狙撃部隊から一旦降りてイオちゃんの助手をしているのだよ」
「ああ、だからか。オレリアが戦場に出てないなんておかしいと思ってたんだ」
「まあねえ。私の戦術はもはやイオちゃんに依存してるから……」
単独狙撃部隊として数多の観測手に常識外の負担を与えてきた悪名は伊達ではない。澪は遠い目をするオレリアを見やって、自分に関わる話題が出てこないことを確認してから退室した。
澪の退室からしばらくの間、話が二転三転していた室内に静寂が戻る。織流は緩んだ空気で緊張を鎮めていたサクヤへ話を切り出した。
「サクヤちゃん。話、戻しても?」
「うん、大丈夫」
サクヤがしっかりと頷けば織流も首肯する。織流の言葉は全員に聞かせているようではあるが。実のところは自分に言い聞かせているのではと直感させる執念が立ち込めていた。
「……鏡の悪魔がサクヤちゃんに見せた形の特徴は、俺とタタールが見た、セーナクルシェの墓地を襲った悪魔と一致している。しかも墓守への愚弄が伝言だったなら、あの悪魔──死の概念も、あちらにいるのは間違いない」
サクヤが膝に置いた拳が握り込まれる。目を閉じて、鏡が象った死の形を思い出して、それでも墓地と両親が破壊された日の光景はサクヤの中には欠けたまま。
サクヤは狩人とも墓守ともつかない声で、織流の言葉に同意した。
「……私たちは、死を慰撫して死者を消さないために存在しているから。死の悪魔からすれば、私たちセーナクルシェの墓守は目障りなはず」
「うん。だからサクヤちゃんは狙われるだろうね。──次こそ、殺し切らないと」