神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
ガタガタと列車が揺れる。澪は最後尾のデッキに出ると、車壁にもたれて目を閉じていた。
ふう、と息を落とす。猟友会と王都を結ぶ列車にまだ乗客の姿は少ない。他の乗客と鉢合わせても大抵が狩人だ。だから澪もペストマスクを首元に下げたまま、素顔を晒していられた。
吹き付ける風を身体で浴びる。夕日が傾いて空気の冷えが忍び寄ってくる頃に、澪はゆっくりと目を開けた。視線の先にあるのは、澪の顔をおぼろげに写す窓ガラス。
「私は」
一拍、声を止める。
黒い髪と紅の瞳。双子の片割れよりも鮮やかで深い、紅の色。
「私は、ペラギアの澪だ」
ゼロではないと証明してみせる。
唯我にはまだ、帰れない。
会議から下がって銀の工房に立ち寄り、弾薬を受け取って。一人、王都に向かう列車に乗り込んでまた一日。澪が王都に到着したのはペラギアを出発してから二日後の昼のことだった。
朱色のヴィジット。腰に下げた刀。背負ったサブマシンガン。随所に仕込んだ短刀。そして、顔を覆い隠すペストマスク。物騒極まりない戦場の装いをそのままに、澪は王都の街中を歩いていた。
いつも通り観測機械の部屋に向かうだけなら今更道に迷うことはない。だから、エルダーガーデンの当主にメールで伝えられた道順を辿る今は、不愉快で仕方なかった。
「……でかいな」
王城を中心に東西南北。それぞれの方角の最端に四公家の邸宅は配置されている。澪はエルダーガーデンの門構えが目に映る距離まで近づくと、歩きながらもぽつりと呟いた。
猟友会は敷地面積こそ山嶺一つというむやみやたらな広さかつ、訪れるたびに知らない景色が生まれていることも珍しくないような場所だが、建物一つ一つの大きさは大したものではない。住居のイメージとは繋がらない邸宅に、澪は小さく嘆息を落とした。
──人払いはすると言っていたが、果たして本当に実行しているのか。
澪は顔を隠したまま、門扉の前に一人立つ男性に声をかけた。
「エルダーガーデンの当主に呼ばれた者だが。話は、通っているだろうか」
仕立てのいいスーツを着た男性だった。武人とは程遠い、澪にとっては見慣れない立ち姿を観察して、あれと気が付く。
金色の髪と赤い瞳。穏やかそうな雰囲気をすべて消して眉間の皺と不機嫌そうな無愛想を足してみれば、森羅とよく似た──。
「……よく、来てくれたね」
男性は緊張を見せつつも、表情を柔らかにする。発された声と名乗りはまったくもって想像外の──思考のどこかでは、手紙の筆跡から予想していた丁重さで、澪を迎えた。
「初めまして。私は御影・エルダーガーデン。エルダーガーデンの、今代の当主だ」
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澪と呼んでも構わないだろうか、と。御影は名乗ってすぐに尋ねた。澪は自分でも意識しないまま、拳を握り込む。
「……あなたたちにとって、私はゼロだろう」
言ってから、視線が落ちていることに気付いた。いきなり追い込まれているように感じることが癪だったから、顔を上げる。
御影はじっと、澪を見ていた。傲慢さはない。罪悪感を演出しているわけでもない。澪の言葉を受け入れようとしている表情に、何を思えばいいのかわからない。
「ああ、君を否定したのは私たちだ。だから自己満足なのはわかっているが、君が許してくれるなら」
その声音で、理解させられてしまう。
この人は、嘘をついていない。
「私たちの否定を覆した名前で、呼ばせてほしい」
ああ、と澪はペストマスクの奥で息を落とした。
譲葉がいなくてよかった。譲葉がいてくれたら、縋り付いていたかもしれない。
「勝手に、しろ」
「ありがとう」
御影は頷いて門を開けた。四公家の本拠地であることを考えれば警備がいてもおかしくないだろうに、当主自ら外で待っていて、内部に人の気配もまったくない。澪は声の震えを鎮めてから確認する。
「装備は取り上げないのか」
「狩人を呼び立てたんだ。そのくらいは折り込んでいるよ」
御影は穏やかにそう言うだけ。もしも澪に殺意があれば今すぐにでも手を下せるのに、警戒を見せない。
その程度、理解していないわけがないだろうに。──どうして、ここまで許容するのか。
「外と中、どちらがいいかな?」
「……中」
「わかった。着いてきてくれ」
どうせエルダーガーデンの領域に入り込んでいる立場だ。深くに入り込む抵抗はあったが、外からの視線を警戒し続けるよりはマシだと判断した。
玄関をくぐり、お互い無言で歩く中、御影の咳が小さくこぼれた。澪が知っているものとは若干異なる咳き込みの音。自分には関係ないと無視すればいいはずなのに、澪はなぜかつい、尋ねていた。
「身体でも悪いのか」
御影がはたと、一瞬だけ足を止めた。振り返って、申し訳なさそうに微笑む。
「大したものではないのだけれどね、肺が少し弱くて。今はほとんど問題ないよ」
「……なら、わざわざあなたが待っている必要もなかっただろうに」
「こちらが人払いをすると言った以上はね。二人だけ残っているが、君がいる間は顔を出さないように伝えてあるから気にしないでくれ」
御影が扉を開ける。澪が促されるまま足を踏み入れた先は、応接用の雰囲気がある一室だった。
室内の見慣れなさに息をつく。客を迎えるための部屋、という概念が狩人社会には馴染み薄い。部屋が使われていなければ、いつの間にか作業部屋や物置になっているのが常だ。
役体もないことを考えている自分を把握する。御影に促された椅子を使うか少し迷って、大人しく腰を下ろした。御影も対面に座り、話を切り出す。
「澪、来てくれてありがとう。手紙も押し付けになってしまってすまなかった」
手紙。その単語で澪はそうだ、と思い出す。
文句を言いにきただけだ。彼と話すために来たわけではない。さっさと話を切り上げて、万象の作者に繋ぐように要請して、不愉快なことを終わらせたら観測機械の部屋に行けばいいだけ。
そう理解しているのに上手く返せない。思考がずっと乱れて、制御できない。澪はふぅと強張る呼吸を緩めて、ペストマスクを下ろした。
「どうして、私と接触を?」
澪が素顔を露わにすると、御影はその行動へ驚くように息を呑んでいた。御影が答えたのは、数秒間を置いてから。
「一月前の対抗試合を知って、思った。君の人生を知りたいと」
ガタンと、一際大きな音が響く。
澪はその音で我に返り、自分が御影の胸ぐらを掴み上げていることに気が付いた。震える手指をゆっくり開き、御影を解放する。無様を晒しているとはわかっているのに、脳の中が茹でられているように熱くて、声が止められなかった。
「なんで、今更」
「傲慢と、無責任と、恥知らずな欲、だろうね。見えなければ身勝手に、きっとペラギアで愛されているだろうと願っていられた。見えれば、無知に耐えられなかった。すべて私のわがままだ。斬られるのも当然だとは思っている」
──ずるい。
どうして責めない。どうして否定しない。どうして受け入れる。
澪の思考はぐちゃぐちゃにかき混ぜられていて、吐き気すら感じていた。森羅への羨望を知ったときよりなお悪い。どうしたいのか、どうするべきなのか、何もわからなかった。
首に下ろしたマスクに触れる。私はペラギアの狩人なのだと言い聞かせて、耐えるための足場を求めた。
「っ──なん、で」
何を言いたいのか、わからない。わからないのに問いだけがこぼれて、続かない。
めまいにも似た浮遊感に襲われる。呼吸だけはどうにか戻さないと、と顔を上げて視線を遠くに。
反射光に誘われて窓の外を見る。窓に映っていたのは今にも泣き出しそうな自分の顔で──おかしいと、直感した。
どうして距離があるのに顔が見えるのか。窓ガラスはあんなにも、はっきり反射するものだったか。間違いなく異常。疑うべきは、敵だ。
「すまない、暴れる」
背中のサブマシンガンを引き抜き、安全装置を外す。同時に御影を引っ張り寄せて自分の身体の下に押さえ込む。轟音とともに放たれた銃弾が窓ガラスを破壊して、きらめく破片が飛び散った。
「あは、は、はは、あはははははは!」
四方から響く笑い声。この光景は、スコープ越しに見た。
「ミラー・ミラー、鏡よ鏡。ふふっ、まさか気付かれちゃうなんて」
邪魔な椅子を破片に向けて蹴り飛ばす。破片がひとりでに寄り集まって澪のすぐそばに。蜃気楼のように歪んだ目の前から、華奢な腕が飛び出して澪の頬に手を伸ばす。
「こんにちは、ペラギアの澪」
黒い髪。真紅の瞳。どこか異質な──観測機械が教えてくれた、遺伝子改変が始まる以前の顔かたち。あたしと同じさ、と楽しそうに言っていた、古いヒト。
「ええ、あなたの定義は知っているわ。でも、でもね。今はこう呼ばせてもらいましょう」
澪の頬が両手で柔らかく包まれる。
「はじめまして、エルダーガーデンの唯我。今日は、あなたの鏡像へ成りに来たの」
澪を──唯我を映す鏡の悪魔は、柔和に笑う。